荒谷翔大、ソロ初アルバム『TASOGARE SOUL』──孤独を持ち寄ってひとつになる、その一瞬を求めて

2023年にyonawoを脱退し、2024年よりソロ活動をスタートさせた荒谷翔大。シングル曲やEP『ひとりぼっち』のリリース、ミュージシャンへの楽曲提供などを経て、初のフル・アルバム『TASOGARE SOUL』を完成させた。タイトルの「黄昏ソウル」は、自身の音楽性を象徴する言葉として名付けられたもの。昼と夜の境界が溶けていく黄昏時のイメージになぞらえ、リスナーとミュージシャンの心がゆるやかに交わる音楽体験を描き出そうとする意思が込められている。
人々が物思いに耽る時間帯、黄昏時。なぜ荒谷は、そして私たちは「黄昏」に惹かれるのか。バンド脱退からソロ活動を経て得た気づきや、今作のリファレンスにもなった敬愛するミュージシャンへの思いとともに、その理由を訊いた。
▼ 天野史彬、井草七海による『TASOGARE SOUL』クロス・レビューはこちら
作詞・作曲、演奏、アレンジを荒谷が手がけつつ、yonawoメンバーも制作に参加
INTERVIEW : 荒谷翔大

作り手「その人」から生まれたんだと、心から感じさせてくれる音楽が好きだ。ルーツが血肉化され、記憶を掘り下げ続ける眼差しがあり、懸命に「今」を肯定しようと叫んでいる。そんな音楽が好きだ。だから僕は、荒谷翔大が作り上げたファースト・ソロ・アルバム『TASOGARE SOUL』に惹かれるのだろう。このアルバムの中では、ソウルも、歌謡曲も、ロックも、あらゆるエッセンスが荒谷翔大という人の「心」を形成するものとして混ざり合っている。人って、こんなにも多面的で、こんなにも複雑で、こんなにも汚れ、こんなにも美しいのだと、このアルバムを聴くと感じる。演奏やアレンジも含め大部分を荒谷ひとりで作り上げたというが、まったく閉じていない。むしろ全世界に開かれている。見事なシンガー・ソングライター・アルバムである。雨の降る日に、荒谷本人に、本作についてじっくりと話を聞いた。
取材・文 : 天野史彬
撮影 : kokoro
自分と他者、その境界が溶け合う一瞬の“黄昏”
――荒谷さんは2023年にyonawoを脱退し、2024年からソロを始められましたが、それ以降はご自身の楽曲のリリースに加え、楽曲提供もするし、ライブも様々な形態でしているし、すごくフレキシブルに活動されている印象がありました。ソロを始めてからこの2年間を振り返ると、どんなことを感じますか?
無駄なことは一切なかったなと思います。バンド脱退の決断にも後悔はないですし。もちろん「自分の決断は正しかったのかな?」と揺れる瞬間もあったけど、このアルバムが完成したときに、自分のやりたいことをひとつ形にできた実感があって。アルバムの中でも触れていることですが、これからも揺らいでいくだろうし、それでいいんだなと今は思えています。「どんな感情もあっていい」と、今回の制作を通して再認識できました。
――タイトルにも入っている「黄昏」という言葉は、振り返ればソロ初期の楽曲「涙」の時点ですでに歌詞に出てきていましたよね。もしかしたら、「黄昏」は荒谷さんの人生的なテーマなのかもしれないな、と思ったのですが。
そうですね。「黄昏」は、言葉としても風景や情景としても、曲を作るときの自分の中にずっとあるもので。ソロのファースト・アルバムは「黄昏」をモチーフにしたいという気持ちが、活動を始めた頃からずっとありました。この先も自分の表現に入り込み続けるだろうし、だからこそ、これからの姿勢を表明する意味でもソロ1枚目に「黄昏」を据えたくて。
――荒谷さんは、「黄昏」という言葉や情景のどんなところに惹かれるんですか?
後付けかもしれないですが、黄昏の時間に物思いにふけることって、きっと誰にでもあることなんじゃないかと思っていて。それに、あの時間帯特有の、ふと俯瞰的になるような感覚というか。境界が曖昧になって、すべてが溶けていくような感覚。その感覚が、自分が音楽を聴いたときの感動とすごく似ているんです。作り手の心と聴き手の心が、一瞬でも溶け合うというか。

――「溶け合う」というのは確かに。黄昏時の日差しって、朝や昼の余韻や夜の気配、そういうものが全部溶け合って輝いている感じがしますね。荒谷さんの楽曲の歌詞にも、「溶ける」や「ひとつになる」といったニュアンスの言葉はたくさん出てくる。
そこには自分なりの哲学みたいなものが反映されているのかもしれないです。「自分はなぜ音楽をやるのか」、もっと辿ると「なぜ生きているのか」という問いに行き着くと思うんですけど、それは音楽を聴いたときに他者と溶け合う瞬間、「ひとつになれたかもしれない」と思える、そんな一瞬の黄昏みたいな瞬間を求めているからなんじゃないかと思うんです。
ずっとじゃなくても、一瞬でも、そういう瞬間があればいい。だからこそ、人は生きていける。その瞬間を僕は描きたいんだと思います。結局、意味や理屈を超えたところで僕らは生きているし、むしろそうでないと生きられないのかもしれないとも思います。
――荒谷さんの音楽は他者を求めているけど、表現されるのは、あくまでも柔らかく「溶け合う」という感覚ですよね。ひとつになるために、号令のように発せられる強い言葉のもとに集まろう、という感覚とは違う。
「俺たちはひとつだ!」と強く訴えかけるような音楽も好きなんですけど、自分が表現するなら、外からの圧力ではなくて、内側から自然と流れ出すような形で「ひとつになる」感覚を描きたいと思っています。「黄昏」の語源は「誰そ彼」だという話もありますけど、その感覚が自分にはしっくりくるんです。自分と他者の境界が一瞬曖昧になるような瞬間が、一瞬でもあるんじゃないか? という希望。
――あくまでも「一瞬」というのが大切なんですよね。
そうですね。常にではないからこそ、そこに煌めきがある。人はみんな孤独だけど、黄昏時のほんの一瞬だけ、孤独同士が溶け合ってひとつになるんじゃないか、と。「孤独でひとつになる」というのは矛盾しているようですけど、本当にそんな感じがするんです。自分と他者のあいだに隔たりがあることが前提だからこそ、その隔たりが消えた瞬間の喜びや美しさを感じられる。逆に、それがなければ希望を見出せないような気もしています。

――音楽的な部分で言うと、ソロを始めてからの2年間で、どんなことをやりたいと思いながら、このアルバムに辿り着いた感覚がありますか?
今回のアルバムは作詞作曲だけじゃなくて、アレンジや演奏も自分ひとりで手がけた曲が多いんです。ソロを始めた当初は、自分にそこまでの能力はないと思っていたし、ポップスをやるならプロのトラックメイカーやアレンジャーにお願いした方がいいだろうと考えていました。でも実際にやってみると、もちろん良さもある一方で、「自分ならもう少しこうしたい」という気持ちも生まれてきて。それで、このアルバムでは「一度すべて自分でやってみよう」と思ったんですよね。ずっと自分ではできないと思っていたし、やったことなかったけど。とはいえ、ポップスであることにはこだわりたかったので、アレンジも含め、自分なりにできる限りの“ポップス”は追求しました。
――演奏もかなりご自分でやられているんですね。
曲ごとに多少違いはありますが、ベース、ギター、ピアノ、打ち込みのドラム、シンセ系もやりました。もともとそういう作業は好きだったんですけど、今回実際にひとりでやってみて、自分が音楽を始めたころの感覚を思い出しましたね。歌詞やメロディを書くのも好きだけど、アレンジもやっぱり楽しい。自分の中で鳴っている音やフレーズを具現化するって、やっぱり大きな喜びでなんですよね。
特に音色の部分は、バンド時代はギターのYuya(Saito Yuya)が担ってくれていて、波長が合うから言葉にしなくても自分の好きな方向に仕上げてくれていたんですけど、ソロになったからには自分でやりたいし、やってみるべきだよなと思って。




































































































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