叫びの衝動と、美しいものへの切望──理想からはみ出した“ありのままの松本大”を刻む、Enfantsの初アルバム

LAMP IN TERRENの活動に終止符を打ち、2022年よりEnfantsを始動させた松本大。当時「このバンドを始める必要があると突きつけたかった」と語った松本の言葉通り、始動時に発表されたEP『Q.』『E.』『D.』は、剥き出しの苛立ちと衝動を刻み、過去のイメージを鮮やかに覆した。
そしてリリースされた初のフル・アルバム『Bedford Hedgehog』。EP三部作のリード曲を軸にしながらも、聴き終えたときには穏やかな救いのような余韻が残る。出口に立って振り返ると、入口が遠い場所にあったような感覚さえ覚える。その道筋は、選び取ったというより、いまこの瞬間の姿として自然と立ち上がったものだった。松本大本人の言葉から、その現在地を確かめていく。
生きることは、抵抗である。
Enfantsの“現在地”を鮮やかに刻む1stアルバム
INTERVIEW : 松本大 (Enfants)

この部分を質問したら、松本大本人も意識していなかったようで笑っていたが、Enfantsのファースト・フル・アルバム『Bedford Hedgehog』の真ん中には、死がある。いつかやって来る死を遠目に見ているというよりは、今この瞬間、確実に、自分という生き物の中で「死」の割合が大きくなっている、という現実的な認識がある。朝起きて、飯を食い、排せつをして、夜眠り、また起きる。その繰り返しの中で、1分1秒、途切れることなく、私たちは何かを失い続けているのではないか。その普遍的な認識が、このアルバムと私たちを繋ぐひとつのリンクになっている。でも、だからと言って、このアルバムは諦めの中で途方に暮れているわけではない。「生きることは抵抗だ」と、松本大は言う。今、この瞬間、光り輝け!――そんな歌が、このアルバムからは聴こえてくる。「何もない」って、そう心で思うだけなら、本当に何もない。でも「何もない」って、そう歌ってみたら、現実は少しずつ色彩を変えるかもしれない。素晴らしき歌うたいが、最高のロック・バンドを従えて、再び私たちの前に姿を現した。
取材・文 : 天野史彬
撮影 : 梁瀬玉実
「怒り」には、瞬発力がある
――アルバム『Bedford Hedgehog』には、LAMP IN TERRENが活動終了し、Enfantsが始まってからの3年間の時間の流れが色濃くパッケージングされているのではないかと思いました。改めて、Enfantsを始めた頃のことを振り返っていただけますか。
自分は「状況」から入りたがる人間で。このバンドを始めたときは、「ロックとは何ぞや?」という気持ちがあったんです。もう一度バンドをやるとしたら、自分の性質上それは自ずと「ロック・バンドをやる」ことになるだろうと思ったので。それで考えてみたんですけど、ロックって、「やっている人間がカッコいいかどうか」が基準のような気がしたんです。いわゆる「ガシャガシャやるのがロック」みたいな話ではなく、もっと精神的な話なんじゃないかと。曲を貫通してくるくらい、それを歌っている人間がカッコいいのがロック・バンドだと、自分はその当時定義した。じゃあ、どうしたら聴く人が僕に憧れてくれたり、一緒に思いを馳せたりすることができるのかと考えると、自分と聴き手との間に共通の感情がないといけないと思ったんです。
――はい。
曲を聴いたときの解放感とか、同じところを目指せるものがいいな、と。それで「自分が社会と繋がれるものってなんだろう?」と考えたときに、平等に、どの世代でも起こりえることとして思い浮かんだのは、「怒り」だったんですよね。
僕も現代を生きる者として、閉塞感や陰鬱としたものは感じながら生きているし、今は、みんな何かに抑圧されて、閉ざされた空間にいて、どう生きていけばいいかわからくなっているんじゃないかと思った。叫ぶにしても、目立っちゃうのが嫌っていう気持ちもあるだろうし。自分は、そういう感情を全部解放できる存在になりたいと思ったんです。で、そのために自分自身が極端に閉塞感のある暮らしをしようと決めて生きたのが、この3年間でした。

――閉塞感のある暮らしというのは、どんなものだったんですか?
酷いときは2週間くらい家から出ない、みたいな感じでした。たまに近所のスーパーに行くのも、山を下りて行く、みたいな心境で(苦笑)。人からの誘いも、申し訳ないと思いつつ断っていました。当時の自分はそういう状況が欲しかったんだろうなと、今振り返ると思います。
――言ってしまえば、引き籠りのような生活ですよね。実際、そういう極端に狭い空間で生きている人間の生活感というのは、特にEnfantsとして初期にリリースされた楽曲には漂っているものだと思います。聴き手としてはその音楽に魅了されますけど、松本さんご自身としては、そうした外の世界をシャットアウトするような状況に暮らしを追い詰めて、何を手にしたという感覚がありますか?
「やりたくないことはやらない」という選択を、この3年間で取れるようになったと思います。元々、自分はサービス精神旺盛と言うか(苦笑)、人に頼まれると断れないところがあって。自分の気持ちは一旦置いておいてでも「それに応えたい」と思ってしまうところがあったんですね。
でも、この3年間を通して、ようやく自我を通す力を得たような気はします。「自分は今その気分じゃないから外に出たくないんだ」って、貫くことができるようになった。その結果としてなんですけど、歌詞を書くときも、これまでは「この言葉を書いたら、身近な人が傷つくかもしれない」とか、なるべく気を使いながら書いていたところがあったんです。でも、「表現はもっと自由でいい」と思えるようになった。言いたいことを全部言わないと伝わらないこともある……そういう感覚を、この3年間で得たような気がします。
――先ほど、人の共通の感情として「怒り」を挙げられましたけど、怒りは様々なものに向けられますよね。社会に対して、近くにいる個人に対して、自分自身の不甲斐なさに対して、もっと言えば、自然の摂理に対して。自分の話をしてしまうと、僕は怒りを表に出すことがとても苦手な人間なんです。子どもの頃からずっと我慢することによってそれを乗り越えようとしてきたフシがある。でも最近、それは社会の動きによるものなのか、自分自身の年齢の変化によるものなのかわからないですけど、怒りから目を背けることができなくなってきた感覚があります。松本さんにとって、怒りはずっと身近に感じ続けてきた感情ですか?
怒りは、あくまでこのバンドを始めるときの自分にとっての鍵だったと思います。僕もどちらかと言うと怒りは表に出してこなかった側だと思いますね。人並みに愚痴は言ってきましたけど、別に喧嘩っ早いわけでもないし、自分の主張を譲っちゃうところもあるし。
ただ、30代になって思うのは、「衰えないのは、怒りだな」ということです。怒りには、すごい瞬発力がある。嬉しい、悲しい、という感情は段々鈍くなっていくけど、怒りだけはかなり速い。それを抑制する力を同時に備えるようになるから、大人は段々と渋くなっていき、疲れていくのかもしれないですけど、あるにはあると思うんです、怒りって。怒りを持ち続けていると若くいられるかもしれない、とは思いましたね。

――EnfantsにはLAMP IN TERRENから引き続き大屋真太郎さん(Gt)と中原健仁(Ba)さんが参加されていて、そして新たに伊藤嵩(Dr)さんが加わっているという編成ですが、レコーディング現場でのメンバーの皆さんとの関係性や空気感ついて、この3年間での変化、あるいは、LAMP IN TERREN時代と比べての変化を感じられることはありますか?
LAMP IN TERRENで活動していた頃の僕は、ほとんどすべてのアレンジメントを自分で決めて、メンバーに「これでお願いします」と投げる形で制作していたんです。でも、どうしてもバンドでやる以上は、お互いの立場は対等でいたいという気持ちもある。対等でいようとするあまり、「これは俺の役割だから、これを全力でやる。じゃあ、あなたの役割は何ですか?」と、過剰に求めてしまう。そんなところがあったんですよね。
それが、歪みを生んでしまったのかなと思うんです。別にそう言っていたわけではないけど、(川口)大喜にはそう感じていたんじゃないかと思うし、健仁と真ちゃんにも、同じような気持ちはあったと思う。仲はいいけど、会話ができない。お互いに、芯を食った話はしないようにしている。そういう状況は、彼らにとってもストレスだっただろうし、僕もかなりキツかったんです。
LAMP IN TERRENは、大喜が抜けたあとも続けられたのかもしれないけど、あのまま続けていたら、新しい曲ができる喜びよりも、いなくなってしまった悲しみを自分たちもファンの皆さんも感じ続けることになるんじゃないか、っていう想像が容易にできてしまって。「じゃあ、新しいことをやろう」と始めたのが、Enfantsなんです。
――はい。
Enfantsを始めて一番大きかったのは、ドラムの嵩の存在ですね。嵩は、音楽を追求する気持ちもあるし、自分のプライドも強く持っている人間で。彼からは「俺がお前らを変えてやるぜ」くらいの気持ちを感じるんです。あいつのドラムには「俺がナンバーワンだ!」感があるんですよ。「もっと俺を褒めてくれ!」っていう、飢えている感じも含めて(笑)、嵩は僕に一番必要な人間だったような気がします。あいつがいたから、もう一度バンドの形を取り戻していけたのかなと思う。嵩に呼応するように、健仁も着実にグルーヴを掴んできている。Enfantsは、ぶっちゃけ呼び方はなんでもいいんです。都合のいいときは「ソロ・プロジェクトだ」というし、都合のいいときは「バンドだ」と言うし(笑)。でも、間違いなく、段々とバンドになっている感じはします。























































































