DJパーティー・FREE THROW、20年の答え合わせ──3人で結び直す現在地

弦先誠、タイラダイスケ、神啓文(L→R)
弦先誠人、神啓文、タイラダイスケの3DJによるDJパーティー・FREE THROWが、2026年5月に結成20周年を迎え、全国ツアーを開催する。クラブとライブハウスを横断しながら独自のスタイルを築いてきた彼ら。その20年の軌跡と現在地に迫るとともに、これまで語られてこなかった胸の内や葛藤にも踏み込む。
彼らは何を続けてきたのか? その全体像を確かめるため、いま再び動きはじめた。
▼ FREE THROWの20年を総ざらい! 年表でたどる活動記録
FREE THROW、結成20周年ツアー開催&恵比寿LIQUIDROOMでのツアーファイナル決定!
全国約30箇所を巡る本ツアーには、DENIMS、rega、QOOPIE、Orlad、Ålborg、Mama Rag、Night、NLTBA、TGMX(FRONTIER BACKYARD)、KOHKI(BRAHMAN / OAU)、さかしたひかる(ドミコ)、TAXMAN(THE BAWDIES)、Turntable Films、思い出野郎Aチーム、Suueat.、安孫子真哉、のりちぇん、山口直也、峯田和宜、CAR10、UNDER SOCKS、sprite、Wanna-Gonnaらが参加!
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INTERVIEW : FREE THROW

DJ × LIVEという従来のCLUBシーンではほとんど成立例の無かった新しいパーティーのスタイルを確立させ、クラブ・シーンとライブハウスの垣根を無くし、その距離を縮める。2026年5月より20周年を記念した全国20箇所以上のツアーも開催決定。
インタビュー : 飯田仁一郎
文 : 石川幸穂
撮影 : 内村祐貴
走り続けた果ての疲弊と葛藤──2010年代
──前回のFREE THROW特集連載は2011年頃でした。読み返したら神さん特集もやっていて(笑)。
タイラダイスケ(以下、タイラ):その頃、神さんは結局、俺の家に7年くらい住んだんですよ。
神啓文(以下、神):そんなにいた?
タイラ:俺が新宿MARZを辞める前、2011年の夏ごろから住み始めて、引っ越したのは2018年の年末くらい。その間、家賃は通算2万円しかもらってないし、それとは別で3万円貸してるのもちゃんと覚えてます(笑)。
神:そのあとお互い引っ越したんですけど、どこに住んでるか知らなくて。コロナのときに電話したら、二人とも川口に住んでることがわかって。住所を送ってベランダでタバコ吸ってたら、もう外にタイラがいるんですよ。「なんでいんの?」って聞いたら「チャリで1分でした」って(笑)。
──すごいですね(笑)。弦先さんの引きこもりエピソードも出ていました。
タイラ:家を出る前にストーン・ローゼスかレディオヘッドを聴いて、勇気を出してスーパーに行くっていう話でしたよね(笑)。
弦先誠人(以下、弦先):そうだったかも。
神:そういう際どい話もちゃんと残ってるんだもんね。
タイラ:でも当時はこんなに続くとも、こうして振り返るとも思っていなかった。先のことは考えずにやっていましたね。
■2011年2月〜8月、OTOTOYにて全6回にわたるFREE THROW特集連載を掲載
──当時の記事は、コンピレーション・アルバム『FREE THROW COMPILATION』(2011年3月2日リリース)を発表し、新木場STUDIO COASTでのパーティー直前に東日本大震災が起き、イベントが中止になったところまででした。その後はどのように過ごしてきたのか聞かせてください。
弦先:中止になったSTUDIO COASTを2012年3月にリベンジできて、すごく盛り上がったんですよ。そこからタイラと神さんがDJでめちゃくちゃ忙しくなって、月に15〜20本くらいやっていて。
タイラ:俺がMARZを辞めてからコロナになるまでの8年間は、多い時は年間150本くらいDJしていて。2012年4月には拠点を新宿MARZから新代田FEVERに移して、レギュラーを続けながら2014年3月に3枚目のコンピを出して、そのツアー・ファイナルを同年10月に恵比寿LIQUIDROOMでやる、という流れでした。
ただ、そのあたりで「コンピを出して大きい会場でリリース・パーティーをやる」という繰り返しの閉塞感を感じてしまって。「この先どうしよう」と低迷していたんですよね。
■2013〜2014年 FREE THROW フォト・ギャラリー
弦先:最初にSTUDIO COASTでやったときは、勝手がわからない分、自由にできていたんですよ。出演者も友達ばっかりだし、デイイベントだけどちゃんとDJパーティーとして成立していた。でもLIQUIDROOMではライブ寄りになってしまって、大きい会場でDJパーティーをやる難しさを感じました。
タイラ:「このまま続けてもきつい」と2人に話したときに、誠人さんが「2人はいろんな人にDJ呼ばれるからいいけど、俺はFREE THROWがなくなったらやる場所なくなるから嫌だ」と言われて、そのまっすぐな言葉に負けて完全に止まることにはならなかった。すごいピュアだなと思って。
──そのとき、お二人はどう感じていましたか?
弦先:タイラがしんどそうだなというのは覚えていて。神が「辞めるんじゃなくて、ちょっと一旦落ち着こう」と言ったんじゃないかな。それで自分は別の方向も探ろうとしていたと思います。
神:あの頃は忙しすぎて、自分も自分でちょっと飛んでた気がするんですよね。記憶もあいまいで。毎晩のように酒飲んでDJして、メンタルもやられていたと思う。続けるか辞めるかというより、自分としても「ちょっと休みたい」って感じでしたね。働いてもないのに休みたい、みたいな(笑)。
──それだけ活動していた中で、DJで生活していこうとは思わなかったんですか?
神:一時期はできていたけど、その先につなげようという意識がまったくなかったんですよね。
──それはなぜだったんでしょう。
タイラ:DJをしている=音楽の仕事をしていること自体に価値を感じていたんだと思います。ただ、目の前のパーティーだけに向き合っているだけでは、マーケット全体としての広がりにはつながらなかった。今振り返ると、もっと俯瞰して周りのみんなも含めてお金が回る仕組みなりを考えるべきだったと感じますね。それは自分の未熟さだったなと。

──そこからコロナ前まではどんな流れでしたか?
タイラ:2014年11月にMARZへ戻ってからは、HAPPY、Yogee New Waves、never young beachを呼んだりして、次のモードは見えていたし、ポジティブにやれていたと思うんですよ。NOT WONKやドミコ、TENDOUJIとかも出てきた時期で、パーティー自体は毎回楽しかった。
ただ、そこからさらに大きな会場へ進むビジョンは描けていなかったですね。Yogee New Wavesの世代は自分たちより10歳くらい下で、音楽は本当にかっこいいけど、シーンを一緒に発展させるのが自分たちの役割なのか迷いもあった。だから4枚目のコンピを作ろうという気持ちにもあまりならなくて。
弦先:FREE THROWは、自分たちが楽しむことと同時に、お客さんに還元することを大事にしてきたんですけど、MARZに戻ってからは客層の変化もあって動員が減ったり、自分の生活も親が亡くなったりと変化があった時期で。
前までは同世代のバンドとお互いのイベントに行き来して一緒に盛り上げていたけど、下の世代でめちゃくちゃいいバンドがいても、時間も余力もなくなっちゃってなかなか遊びに行けなくなっちゃったんですよ。「仲良くしたい」と思っても、「向こうはそう思ってないかもしれない」とか考えてしまったりもして。
──神さんは?
神:2017〜2019年は忙しすぎて、関わっていたレギュラー・パーティーを減らしていってたんですよ。ほんとに疲れちゃって、遊びにも行けなくて。いちばん弱ってた時期かもしれないです。やってたのはFREE THROWと新宿 BE-WAVEのTrigger Happyくらいですね。
その頃もタイラと一緒に住んでいて、一度だけ「ちょっときついかも」とこぼしたことがあって。そしたら次の週に「キャッチボール行きましょう」って言われて、気ぃ使わせたなって。
タイラ:あれは、飲み屋「えるえふる」の人たちが「新代田キャッチボールクラブ」というキャッチボール同好会をやっていて、気を使ったというよりも人が足りなかっただけかもしれない(笑)。
──タイラさんから見ても当時の神さんは相当疲れていた?
タイラ:パーティーのあとはいつも荒れてましたね。家が同じだから一緒に帰るじゃないですか。その道中でずっと。
神:終わってから「あそこがダメだった」とか「ああすればよかった」とか考えちゃうんですよ。「楽しかった!」だけじゃ絶対終わらなくて。
タイラ:神さんは問題意識や気づく力がすごく高いんですよね。ただ、それを解決する仕組みがすぐに作れるわけじゃない。そのジレンマもあったと思います。同じ現場にいるから感覚はわかるので、「じゃあ次はこうしよう」と一緒に整理していく感じでしたね。
そういう問題を解消しようと「プロモーションのために毎日何かしらのアウトプットしよう」ということも言っていたけど、インプットもアウトプットもDJだけだとブログで「今日もよく寝れた」くらいしか書くことがなさそうで(笑)。状況的にも限界に近かったと思います。
神:枯れてた。自分でもどうしようもなかったもん。












































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































