LOST IN TIMEは、東京厚生年金会館大ホールも日比谷野外大音楽堂を埋めた。その先には、それでも苦難が待っていた。メンバーが定まらず、自問自答を繰り返し続けた。何度も、やめてしまおうって思っただろうな。やっとメンバーが定まり『ロスト アンド ファウンド』まで漕ぎ着けた。雑草のように強い楽曲群。言った言葉は「俺はまだ音楽で飯食っています」。格好良すぎるじゃないか!? 海北大輔からは、パンクを感じるんだ。同じ匂いを感じるんだ。
text by JJ(Limited Express (has gone?))
LOST IN TIME / ロスト アンド ファウンド
3ピース・バンドならではの緊張感とストレートに鳴り響くギター・サウンドに加え、 シンプルながらも味わい深いバンド・サウンドへと成長し続ける彼らの6枚目のアルバム。生きることの大切さや痛みを、時に激しく、時に切々と歌う海北大輔の伸びやかな歌声、それを支える大岡源一郎のタイトなドラム、サポート・ギター三井律郎によるバンド・サウンドは、冷めた心に光を灯してくれるかのように響くことでしょう。もどかしい毎日を過ごす全てのひとりぼっちに贈る歌「ひとりごと」、友人の結婚式のために書かれた「陽だまり」など、LOST IN TIMEならではの魅力が詰まった全11曲。
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INTERVIEW
——6th albumのタイトルは『ロスト アンド ファウンド』ですが、LOST IN TIMEが、なくしたものってなんでしょうか?
海北大輔(以下 海北) : LOST IN TIMEっていうバンドは、オーバーグラウンドでもアンダーグラウンドでも、どちらでもいけるようなフラットなスタンスでやってきた自負があるんですよね。それを意固地に維持しようとするあまりに、どっちにも付けない半端な足跡を残してしまった気がするんです。でもそれを信じてやって来たってことに否定はなくて、ようやくその1つ1つが時間をかけながら芽を出し始めたと思うんです。だから今の現状を悲観することはないですね。むしろ「届ける」ってことに対して、間に挟んでいるものが減って来ているので、もっとダイレクトに動くことが出来ることにワクワクしていますね。後は、無いからやめようっていうのをやめようとしているんです。
——「無い」と言うと?
海北 : お金がないから出来ないとか、時間が無いから行けないとか。今あるものでどこまで出来るのって考えて、限界ギリギリまでやった方が生産的だし、バンドをやってて楽しいっていうところに立ち帰れたんです。経験がそういう気持ちの部分を支えてくれているんですよ。人間的には明るい部類ではないですけど、暗くても前向きになれるんだよって思いますね(笑)。
——「今あるもの」って?
海北 : 自分の歌とメンバー3人で鳴らしているサウンドですね。
——ドラムの大岡(源一郎)さんは、変わってないですよね?
海北 : はじめからずっと居てくれています。彼が居てくれるのも、俺の自信の裏付けになっているのかなって。
——彼の魅力は?
海北 : やっぱり俺の歌をずっと信じてくれているんですよ。多分、源ちゃんは「海北の性格めんどくさいなぁ」と(笑)、時に迷いながらも、俺から出て来るメロディーや歌詞をずっと信じてくれていると思うんですよ。面と向かっては言ってくれないですけどね(笑)。
——作曲は皆さんで?
海北 : 最近は3人でもやっていますね。でもお互いに干渉し合う時には、俺が最終的な着地点を決めるんですよ。そこに3人でアプローチをしていくんです。例えばですけど、ギターの三井(律郎)君がリフを作って来て、俺が気に入ってこれでいこうってなっても、彼が満足出来なくてOKを出さなかった事があって。じゃぁ、今度のリフはそれを越えてくれないと嫌だよって、感情的にならずに、ぶつかりあうことができたんです。最終的には三井君が、前よりいいギター・リフを作って来てくれたんですけど。そんな風に今回は妥協なくレコーディングのギリギリまでお互いに詰めあうことが出来たんです。そのきっかけは、前作から3人での編成に戻って、三井君も制作に携わってくれて、新しく竹内修さんというプロデューサーにも入ってもらって、皆の居心地がいい環境で作れるようになって。そうしたら、前作が凄い手触りの良い優しい作品になったんです。それが1つの自信になったんですよね。で、今度はLOST IN TIMEの柔らかい良さは出せたけど、そこだけじゃないよねって話になって。もっとファースト・アルバムの頃みたいなザラザラした部分もあるはずだから、そこにも挑んで行こうよって三井君が言ってくれたんです。暗くするっていうと感じ悪いですけど、ちょうど俺がそういう気分の時期だったし、無駄に明るく振る舞う必要もないかなって。もっとストイックなところで自問自答を繰り返してやっていきたいなって思った時の三井君の提案だった。三井君が入ってからは、俺がその曲ごとにやりたいことを汲んでくれて、話し合ったり、スタジオ入って、3人のお互いの気持ちをぶつけあいながら、「この歌はこういう風にしたい」っていう元々のビジョン通りのアルバムになったと思います。プラスして予期してなかったバンド・マジックもあったし。だから今までで1番バンドっぽいアルバムですね。
——暗いというよりも強いアルバムだと思いました。バンドとして5人から3人になった時はどんな状況だったの?
海北 : 5人になった最初のタイミングはしんどかったですね。3人である程度うまく行ってた時に、前のギターの榎本君が抜けちゃったんです。それで、どうやってバンドを続ければいいのか分からなくなって。そんな時にスタッフから俺の歌を中心にした新しいスタイルを提案されて。そこで弥吉淳二さん(ギター)、有江嘉典さん(ベース/VOLA & THE ORIENTAL MACHINE)、渡辺シュンスケさん(キーボード/cafelon)という凄いサポート・メンバーを集めてもらって。メンバーには恵まれたんですけど、自分がこうやりたいって覚悟がないまま、動き出したんです。どうやって行こうっていう気持ちが定まっていないので、ライヴの時でもお客さんに伝わったと思うし... その時期は、すごいもがいていましたね。でもそこで思いっきりもがけたのが、今となっては動じない心の筋トレになったんじゃないのかなって思います。そういう色々な経験があって、それでもバンドを続けてこれたっていう運と巡り合わせの良さを最近は感じます。三井君にしても、仙台に住んでいるのに困ってる時に「やるよ」って言ってくれたし、今も彼がやっているTHE YOUTHのメンバーも「行って来い」って送り出してくれた。今度は、逆に俺が力を貸すタイミングがあれば素敵だなって思いますね。
ポロシャツ着て、頭クリクリにして、ドクター・マーチン!
——無理にでも明るく見せていた時期があったんですね。今作で見つけたものとは具体的にはなんでしょうか?
海北 : 自分が何者なのかっていうのを問い続ける事が、LOST IN TIMEにとって大事なものなんだなってことを見つけましたね。「どこに行こうとしているんですか?」 って、よく言われるんです。でも本当に大事なのはどこに行くかっていう目的地ではなくて、自分が一体何者で、どういった歌を歌うのか。その真意を見つけた感じはありますね。俺が好きなバンドは、そこがブレていないバンドばかりだった。先輩達って、俺らよりもバンドでライヴをするってことのハードルが高かったと思うんですね。ライヴ・ハウスがもっと恐い場所であって、ギターを持っているだけで不良扱いされてしまったりとかって流石に今は無いじゃないですか? それこそ今の中高生は楽器持ってると親が安心するらしいですよ(笑)。ライヴ・ハウスを知っている世代が親になっているわけだから、どういう所かも分かっているんですよ。俺なんかライヴ・ハウスに行ってて帰りが遅くなった時なんか「何時だと思ってんだっ! 」ってオヤジにボッコボコにされて、フォーク・ギターを捨てられたりしてますからね(笑)。
——(笑)。今回、改めて先輩のバンド達に影響を受けたってことですよね? どういったバンドですか?
海北 : やっぱりbloodthirsty butchersであり、eastern youthであったりの、あの世代のバンドです。後は、下からも刺激を受けました。北海道のtacicaとか。
——北海道出身じゃないのに、北海道の先輩バンド達に魅力を感じるのは?
海北 : 高校生の頃にハイ・スタンダードを筆頭にメロディック・パンクが来て、皆英語で歌詞を書き始めたりとかしてたんです。俺はその頃パンクを聴いていて、ハイスタも好きでしたけど、皆が同じことをやるなんてパンクじゃないよって思ってたんですね。その時に当時のメンバーと話してて面白いバンドがいるって言われて聴いたのが、壬生浪なんです!
——壬生浪ですか!?
海北 : 高校生の頃は、壬生浪のコピー・バンドをやっていたんですよ。ポロシャツ着て、頭クリクリにして、ドクター・マーチンは買えないんで地元の土建屋で安全靴を買ってましたね(笑)。そしてイースタンを知ったんです。96年ぐらいですかね。あの時代ってスペシャル・サンクスでバンドを知ったりするじゃないですか? で、イースタンのスペシャル・サンクスを見ると、fOULとブッチャーズが必ず書いてあったんです。それでどんなバンドなんだろうって思ってたら、Less Than TVからfOULとブッチャーズのスプリットが出るって知って、そのCDで初めて聞いたブッチャーズの曲が「LOST IN TIME」なんですよ。「LOST IN TIME」も、もちろん最高なんですけど、「ESCAPE」っていう曲があって、それが1番好き。だから「ESCAPE」っていうバンド名になっててもおかしくなかった(笑)。で、「極東最前線」っていうイベントを知ったりして。その頃俺等はサイクロンや屋根裏、あと20000Vとかでもやったりして。あと、今スタンス・パンクスでベースを弾いてる(川崎)てつしさんは、上京の時に大きな影響を与えてくれた人なんです。そのテツシさんが昔武将っていうバンドをやっていたんですけど... もう衝撃を受けたんですよね。こんなに凄いことをやっている人達がいるんだって思ったんです。だから東京に出て来てからは、武将周りのライヴによく行ってて、その前後で「極東最前線」で怒髪天を知ったり。俺の雑食性って、埼玉・熊谷の土地柄も関係しているんです。高校生の頃なんて熊谷VOGUEっていうライヴ・ハウスしか無くて、そこにはメロディック・パンクは来るは、ヴィジュアルは来るは、おっさんのブルースマンも来るし、ハードコアもメジャーなアーティストも来るんですけど、それをなけなしのバイト代握って、パチンコ行って増やしてライヴ・ハウスで使うって生活を繰り返してた。バンドの数も少なかったんで、そこで情報交換したり。それとは別に北海道のシーンを掘り下げる為に、高崎線で新宿のオールマンに行って極東のチケットを買うか、レコード一枚を買うか悩んで、結局どちらも買わずに帰ったりとか...。埼玉って、東京に行けない距離ではないんです。でも、山の方なんでガキにとって電車の往復で4、5千円かかるなんて厳しいじゃないですか。もしかしたら逆に離島の人よりも、東京に対するコンプレックスは強いかもしれないですね。
——だから北海道にも共鳴してしまうのかもしれないですね?
海北 : 札幌などの東京では無い場所に、自分達の居場所を持っている人が凄い羨ましく思うんです。
——もう一度昔の考え方に戻ってきたってことですか?
海北 : 心づもりなので、サウンドにはリンクしてないと思うんです。自分はパンクとハードコアが好きなんだなって再確認出来たんですよね。LOST IN TIMEの歌詞の綺麗な側面を評価してくれる人がたくさんいて、それが自分の居場所なのかなって思っていたんですけど... そこではなかったみたいです。それを考えた時に、自分のメンタルの中のハードコアの部分をもう一度見つめ直そうって意識を今回のレコーディングのテーマにもしました。
——パンクやハードコアなものっていうのは?
海北 : う〜ん。そもそもLOST IN TIMEを組んだのは、2000年頃の青春パンクがドッと来た時なんですよね。それこそどこかで聴いたことがあるような歌詞と演奏が溢れていた時に、違うことをすることがパンクだと思っていたんです。性格的に天の邪鬼っていうのも大きいと思うんですけど(笑)、「周りと同じことをして安心してちゃいけない。そのフィールドの中で、思いっきり歌ものをやってやるよ」って作ったのがLOST IN TIMEだったから。
——だからハードコアだったんですね?(笑)
海北 : そうですね(笑)。勿論、今までやって来た確固たるものもあって自信となっているので、後はどれだけ噛み付けるかなんですよね。今1人で弾き語りツアーをやっているんですが、レコーディングしてアルバムが出るまでに、2ヶ月以上かかっちゃう。で、当たり前のようにジャケット周りとかツアーの準備をするんですけど、それを理解している自分を1回置いといて、アルバム出来た次の日からツアーをやっちゃおうよって考えたんです。でもバンドとしての時間がない、予算がない、ツアーで回る経費もないってなると、1人で行ってきますって。実際、濃厚な旅になってますね。時間的にしょうがない時以外は、新幹線は使わないんですよね。鈍行で行って名古屋まで7時間かかったりとか、大阪、岡山も鈍行で行きましたね。関西は新快速使ったんで、姫路までは早かったんですけどね。そこからめっちゃ長かったです(笑)。
——1人で旅を回る経験は、とても大きいものになりますか?
海北 : そうですね。昔は、バンドに凄いこだわってやっていたんですけど、いざ1人でやってみたら、これはバンドに還元出来ることなんだなって思えたんです。
——それはどういうこと?
海北 : 種を撒いてそこに芽が出て水をやりに行って収穫する。バンド1つとっても、畑に例えるとそういうことなんです。バンドを耕耘機で回そうとすると凄い費用がかかるじゃないですか? でもそれを種背負った籠1つで回りさえすれば、出来るんですよね。耕耘機は必要な時に使えばいいってことになりますし。じゃぁ置いていかれたメンバーを腐らせないためにはどうすればいいのかなって思ったんですね。そこでバンドの為に俺が1人で行くんだよってしっかり明確にしたことで、ドラムの個人練習の時間が増えていたり、次のための準備とかしたんです。「ただ留守番しているだけじゃねぇぞ」っていう形を、メンバーが示してくれたんですよね。だから、増々いいバンドになって来たなって感じますね。
俺はまだ音楽で飯食っています!
——アーティスト自らが動きだすと考え方も変わってきますよね。
海北 : 分かんないですけど.. バブルで札束を紙みたいに使っていた大メジャーな人達にはちょっと休んでもらいましょう(笑)。それが今、1番音楽業界が健全になる近道だと思うんです。歌ってたアーティスト達には罪は無いです。もっと身の丈にあったやり方にはめれば、音楽でもう少し飯を食える人が増えると思います。俺は、金銭的な面で今の方が音楽で飯を食っているって意識が強いんですよ。「俺はまだ音楽で飯食っています」って言えますよ。しかも諦めてもいないんです。普通に働いているバンドマンは沢山いて、俺より給料のいいバンドマンももちろん沢山いると思うんですよ。でも俺には音楽で飯を食ってるっていう意地もあって。それをより自分達のものとして盤石なものにしたいんです。プロ意識っていったら変ですけど、働いたお金でチケットを買って観に来てくれるわけじゃないですか? だったら絶対喜んでもらいたいし、満足して帰ってもらいたいっていう気持ちは常にあるし、裏切っちゃいけないと思ってます。ハードコアやパンクが俺の中の核なんで、1個1個の疑問符になんでなんだろうって思ってなきゃいけないんですよ。それが最近ようやく取り戻せましたね。
——海北君が「俺、飯食ってますから」って言うのって大事だなって思います。
海北 : 夢じゃないですか!? 金もないし、来年もどうなるかわからないけど、飯はとりあえず食えているってだけで大きいですよ。俺が一番危惧しているのは、バンドは食えないってなって、バンドをやる若い子がいなくなっちゃうことなんですよ。俺が中学生の頃にブルー・ハーツを聞いてギターを握って、イースタンを聞いてライヴ・ハウスに通うようになりましたけど、その先輩達だって金銭的には苦しかったりした時期もあって... そんな人達が音楽に対して純粋に向き合っている姿に感動したんですよね。だから俺らの活動でも、次の世代に対してそこまで観せる事が出来るようになりたいんですよね。そして、俺らのライヴを観て楽しんでもらって、バンドをやりたい気持ちになってもらえると嬉しいですよね。
——また3人になって、何が一番変わりましたか?
海北 : フット・ワークかな。サポート・メンバーが忙しかった事もあって、下手にメジャー・ライクなやり方でライブや露出を控えたりしてましたからね。実際、俺らは地べたを駆けずり回っていた方がいいんですよ。その事を、活動が1回止まったことによって確認も出来たし、色々な土地で出会う先輩や後輩も含めて、今後面白いことが出来ていく感じがするんですよね。来年のツアーもびっくりするぐらい面白い事になりますよ。
——好きなバンドを集めたんですか?
海北 : そうですね。大好きなバンド。今は無名でも、これから名を上げていくであろうバンドも含めてですね。このバンドとなんで出来るのかっていうと「LOST IN TIMEだからだよ」って言える並びになっていますね。
——自分もLess Than TV文脈で知ったぐらいですから、LOST IN TIMEの交流は広いですよね。
海北 : わけ分かんないですよね。ウチのドラムの源ちゃんがLess Than TVで働いてる本間さんとバンドをやってたりとか、割と接点があるんです。だからサウンドが入り口の人と、バンドのシーンを見ている人で、LOST IN TIMEの見え方が全然違うと思うんですよ。それを含め、俺は楽しんでいるんです。
——音楽、大好きなんですね。
海北 : 洋楽あまり聴かないし、そんなに詳しくはないんです。ただ自分の足で観に行けるライヴ・ハウスのシーンのバンドが好きなだけなんです。
LOST IN TIME
海北大輔 (Vocal、Bass、Piano)、大岡源一郎 (Drums) & 三井律郎 (Support Guitar)from THE YOUTH
2001年
1月 同じ音楽専門学校で出会った海北 大輔(vocal、bass)、大岡 源一郎(drums)と 現在THE LOCAL ARTで活動中の横内 武将がギターで参加し結成。バンド名は尊敬するbloodthirsty butchersの曲名から付けられた。
2002年
6月1st Albumとなる「冬空と君の手」をリリースする。横内がTHE LOCAL ARTの活動に専念するため脱退。その後、榎本 聖貴がギターとして参加。10月には奥田民生、椎名林檎、松任谷由実などが参加したスピッツ・カヴァー・アルバム 「一期一会〜Sweets for my SPITZ」にも参加。(参加楽曲は「田舎の生活」)
2003年
1月 1st Single「群青」をリリース。収録楽曲「列車」がviewsic(現MUSIC ON TV)のVRに決定。
8月 初の夏イベントに参加(ロックロックこんにちはin 仙台、KOIWAI ROCKFESTIVAL等)
9月 2nd Single「ココロノウタ」をリリース。この曲がSPACE SHOWER TVのPOWERPUSHに決定。
12月 「COUNTDOWN JAPAN 03/04」に出演。
2004年
2月 初の単独公演を日本青年館で行う(完売)。
6月 2年振りとなる2nd Album「きのうのこと」をリリース。
8月 RISING SUN ROCK FESTIVAL、ROCK IN JAPAN FESTIVAL等、夏イベントに多数参加。
11月 SHIBUYA-AXでのツアーファイナルは即日完売となる。
12月 「COUNTDOWN JAPAN 04/05」に出演。
2005年
11月 3rd Album「時計」を発売し、仙台、名古屋、大阪、そして東京厚生年金会館大ホールにてワンマン・ライヴを敢行。
12月 「COUNTDOWN JAPAN 05/06」に出演。
2006年
7月 方向性の違いを理由に榎本(g)が脱退。その後、弥吉淳二(g)、VOLA & THE ORIENTAL MACHINEの有江嘉典(b)、カフェロンの渡辺シュンスケ(key)の3人をサポートに迎え、五人編成での活動をスタートさせる。
2007年
3月 5人編成での4th Album「さぁ、旅を始めよう」を発売。
5月 リリース・ツアーのファイナルを日比谷野外大音楽堂で行う。
2008年
サポートギターにTHE YOUTHの三井律郎を迎え、スリーピースでの活動を再開。 11月 シングル「希望」を発売。
2009年
3月、2年振りとなる5th Album「明日が聞こえる」を発売。
ずっとファンだったというtacicaに誘われてtacicaのツアーに参加。
2010年
9月 Album「ロスト アンド ファウンド」制作中に『いち早く、新曲をみんなに届けたい』という思いが生まれ、海北弾き語りの旅「ひとりはみんなのために弾き語る」を敢行
11月 6th Album「ロスト アンド ファウンド」をリリース
12月 レコ発ワンマンツアーを開催