堂々と「いいだろう?」って言いたいーー佐野史郎率いるゼラチン・シルバー・ミュージック・クラブ・バンドが登場
佐野史郎 (Vo,Gt)、エマーソン北村(Key)、橋本潤 (Ba)、GRACE(Dr)の4人からなるロック・バンド、ゼラチン・シルバー・ミュージック・クラブ・バンドが、アルバム『ニュープリント』をリリース。このアルバムのリリースが決まった直後に亡くなったメンバーの橋本潤への哀悼の想いを込め、バンド名をSanchから改名。また、AKB48「風は吹いている」のカヴァー曲も収録、ジャケット・イラストは、蛭子能収が描き下ろしている。そして、収録曲「クスンと、カメラ」では、高田漣がバンジョーを、高橋香織がヴァイオリンを、目黒グリークラブがコーラスを担当、「悲しき熱帯」では高田がスティールギターで参加と、こだわり抜いた作品に仕上がっている。本リリースに際し、佐野史郎の音楽的背景に迫るべく、インタヴューを行った。佐野の情熱を感じていただきたい。
ゼラチン・シルバー・ミュージック・クラブ・バンド / ニュープリント
販売形式 : ALAC / FLAC / WAV / mp3
販売価格 : 単曲 250円 まとめ購入 2,000円
1. メロディハウス / 2. キングコング / 3. 燃えるより錆びつきたい / 4. セントラルアパート / 5. クスンと、カメラ / 6. 悲しき熱帯 / 7. 旅芸人の記録 / 8. 風は吹いている / 9. おやすみなさいの唄
INTERVIEW : 佐野史郎
知性的でありながら、ときに狂気的な演技で、圧倒的な存在感を放ち続ける俳優、佐野史郎。ビートルズやはっぴいえんどをリアルタイムで体感し、中津川フォークジャンボリーにも足を運んでいた熱心な音楽リスナーでもある彼が、気の置けない4人のメンバーとともに、そのロックへの愛情をアルバムとして作り上げた。ニール・ヤングを感じさせる冒頭曲「メロディハウス」から、佐野のソングライター、ギタリストとしての味がにじみ出す。音楽が音楽として独立しているというわけではなく、映画や演技などの文化と密接に結びついたロックンロール。その背景には、佐野の表現者としての確かな想いが詰まっていた。音楽を愛するロック・ミュージシャンとしての佐野史郎に、これまで歩んできた道のりについて、音楽との向き合いかたについて、話を訊いた。
インタビュー&文 : 西澤裕郎
写真 : 外林健太
センチメンタルな想いはあっても、いまの音だと思っています
ーー佐野さんは、リアルタイムでビートルズを聴いていたり、中津川フォークジャンボリーを生で体験したりと、かなりのロック少年だったんですよね。
佐野 : 歌や楽器が上手かったわけじゃなかったので、演じることの道へ進んだけど、スタート地点でロックは大きかったと思いますね。
ーー演技と音楽では、また違ったアプローチですけれど。
佐野 : 役を演じることで、自分を感じたり、お客さんとの共犯関係が結べるって意味では同じじゃないですかね? 1975年に今はなき渋谷の小劇場ジャンジャンで初舞台を踏んだんですけどシェイクスピアを毎月やっていて、複雑なストーリーではないし、3コードのロックンロールだと思ってやっていたんですよね。実際、生のロック・バンドがバックについていたし、舞台の戯曲も映画のシナリオも僕にとっては曲なんですよ。誰かが作った曲を演奏したとしても、そこに自分がどう感じているかは前面に出るわけですから。
ーー佐野さんにとって、演じることと音楽をすることは一緒だと。
佐野 : まったく一緒です。それを理解してもらうのが難しいわけで。わかる人にはわかってもらえるんだけど、ジャンルで分けてとらえる人に伝えるのは難しいといつも感じます。
ーー僕も、どうしても分けてしまっているところがあるんですよね。
佐野 : 例えば、ミュージシャンも俳優もやっている方って大勢いらっしゃいますが、コンサートにいったとき、急にお芝居をし出すとは思わないよね? それって芝居にしろライヴにしろ、その世界で楽しむ、っていう契約がなされている感じがするんですよね。でも例えばくるりの岸田(繁)くんだったら、何をしだすかわからないじゃないですか(笑)。じゃあ彼らがステージ上で衝動的に行動ばかりしているかって言われると、そんなことはない。エンケン(遠藤賢司)の新しいアルバムはすごかったけど、あれが全部事実かっていえば、そんなことはなくて、事実や想像を分け隔てない創作なわけですよね。でも誰も作り話とは思わないよね。そこがおもしろい。
ーー60年代とか佐野さんが青春時代を送ってきた時期は、作り手と聴き手の共犯関係がもっと強かったとも言えるのかもしれませんね。
佐野 : 強かったのかもしれない。
ーー佐野さんの書かれた文章を読んだり、作品を聴くと、10代20代のころに体験したことを大事にされているって感覚も伝わってきたのですが。
佐野 : 僕の出してる音は60年代70年代からの音の延長だし、そういう質感の音を聴きたいんだけど、あの時代はよかったっていうノスタルジーではなくて。センチメンタルな想いはあっても、いまの音だと思っています。
ーーそれこそ、1曲目の「メロディハウス」なんて、すごくニール・ヤングみたいな感じがしますよね。「燃えるより錆つきたい」もそうですし。
佐野 : ニール・ヤング、すごく好きですよ。最近、ジャック・ホワイト所有の1947年製Voice-o-Graphブースでパフォーマンスを行って話題になってましたけど、その音で育ったから、いま体現してみたいって衝動からやったと思うんですよ。懐かしいんじゃなくて、あの音を聴きたいんだよね、って。
ーーニール・ヤング自身、新譜が一番かっこいい、いまの人って感覚は衰えないですよね。
佐野 : 精神構造は僕もそういう気持ちでいますね。
僕の知っている東京の姿はなかったっていう喪失感をうけて
ーーそのなかで、原宿3部作という、佐野さんの青春時代における体験を楽曲に収めたのは、なぜなんでしょう。
佐野 : ああ。あれは自分の音楽体験として大きかったからね。自分が表現する側に足を突っ込んだときの空気とか音とか、その狭間の瞬間ですよね。受け手から、アウトプットする側にいく第一歩目の時間って自分にとってスタート地点で。そこから40年たって、向い合っている。自分に対して、「ぶれてないか?」って、鋭く言えば突きつけているし、向かいあっている。いまの表現の指針となるための曲ですよね。まったく方向感覚がわかんなくなっちゃうと、表現者として命の危険があるから。そこは自分でなにがあるかを確認するには必要な作業んじゃないかな。
ーーその骨組みみたいなものが、原宿3部作にあると。
佐野 : そこが大きいと思いますね。
ーー僕は82年生まれなので、ここで歌われているような危なげな世界は体験してないので、ワクワクというかドキドキします。
佐野 : 怪人20面相は怪しかったよね(笑)。僕は平気だったけど、恐い人は恐いだろうなって。だって、ドアノブがないんだから。呼び鈴を押すと、強面のリーゼントの兄ちゃんが出てきて開けてくれる。なにされるかわからないもんね(笑)。
ーー不良のたまり場ではないですけど、救済の場としてロックが機能していた時代でもあったわけですよね。
佐野 : キャロルの人たちが集まったりもしていたから。僕はそういう感じじゃなかったんだけど、好きで行っていたね。やっぱりストレートなロックンロールが好きなんだろうね。そこが基本じゃないかな。
ーーそのときは、すでに表現者として活動していたんですか?
佐野 : いやいや、表現する側に一歩足を踏み入れたころ。
ーー一歩踏み入れるときって、どんな気持ちでしたか。
佐野 : 混沌としていましたよね。どうしていいかわからないし、思うようにならないし。それでいて、根拠のないものすごい自信もあるし、絶望とかこの先どうしていいかわからない気持ちが入り交じってましたよ。
ーーいくつ頃のことですか?
佐野 : 19歳かな。
ーーちなみに、松江にはどれくらい住んでいたんですか。
佐野 : 6歳まで練馬で過ごしていたので、実際、松江には10年くらいしかいなくて。ただ、小中高の10年はやっぱり大きくて、島根県の松江も原風景のひとつではあるんだけど、東京オリンピックの前の風景が僕にとっての東京。だから、そこに帰りたいっていう帰巣本能はあったね。ものすごく強かった。でも帰ったら、僕の知っている東京の姿はなかったっていう喪失感をうけて。
ーー時代の変化とともに、東京の風景も変わっていたんですね。
佐野 : うん。それでも目に飛び込んでくるものは沢山あったし、まだ残っているものも沢山あって、そういうものはガンガン身体に入ってきていたし、そこは逃さなかったかな。唐十郎の芝居もその一つだよね。
ーー変わっていた東京の風景を嘆くのではなく、自分で新しく作っていこうと、表現を始めたという部分もあるのかもしれないですね。
佐野 : そう、再構築していくってことじゃないですかね。変わってしまったから、って文句を言っても仕方ないからね。それをグダグダいっているのが嫌いで、そんな時間があったら作ろうよって。
芸能、表現を通して何ができるのかと
ーー今回のリリースにあたって、バンド名も変えられて気合いを感じますが、どうしてこのタイミングでリリースしようと決めたんでしょう。
佐野 : 少しずつ音を録り貯めていたので、ここらあたりで一枚にしておきたいなっていう想いからですよね。
ーーじゃあ、曲ができた時期はバラバラなんですね。
佐野 : すごく古い曲もありますよ。それで『ニュープリント』っていう名前にしたんです。「アパート」は20年くらい前の曲じゃないかな。少なくとも15年くらいはやっている。1度レコーディングはしているんですけど、どうしてもこのメンバーで音を残しておきたかったから。
ーーそれくらいいまのメンバーが特別だったんですね。
佐野 : ここ10年近くは同じメンバーなんだけど、年数を重ねていくうちに、阿吽の呼吸が心地よくなってきて。3人ともみんなすごいミュージシャンだから。
ーーベースの橋本潤さんには、橋渡しの取材でお会いしたのですが、ニコニコしていて音楽のことを嬉しそうに話してくれて。亡くなってしまったのがいまでも信じられないです。
佐野 : いいヤツだったからね。僕もまだ、正直言うとどうしていいかわからないですよね。音源としては追悼の形にはなってしまうんですけど、今はただいい音を残してくれたっていう感謝の気持ちですね。
ーー昨年は大瀧詠一さんが亡くなったり、素晴らしい音楽家たちの訃報が続きますよね。
佐野 : 続く続く。
ーー30代のミュージシャンで亡くなる方もいたりして、いつどうなるかわからないっていう気持ちは僕なんかでもすごくあって。
佐野 : そうですね。それはありますよね。この間渋谷ですれ違ったばかりだったのに林隆三さんも亡くなってしまいましたし。だから自分がいつどうなるかわからないって感覚は本当にあります。音楽だけでなく色々な仕事が重なっちゃっているけど、やんなきゃいけないことがいっぱいたまっちゃっているので、駆け抜けていくしかないかなって。
ーー本作のリリースにあたって、かなり気合いの入ったライナーノーツも書かれてますよね。
佐野 : ロック史だよね(笑)。大瀧さんとかはやっていたけど、プレイヤーの側で残している人って少なくて。俳優の性で、こういう流れがあって、それってどういうことなんだろうって、どうしても台本を呼んでしまうんだよね。実人生のこととはいえ(笑)。ここがまさしく指針ですよね。どう進んでいけばいいのかって。
ーーなかでもインパクトが強かったのは、原発のことを書いている部分で。佐野さん自身が東電のCMに出ていたことを表明したうえで、原発反対と唱えていて。佐野さんくらい知名度のある方が、ここまで意見をはっきりもってパブリックに出ていくのは覚悟のいることだと思ったんですが。
佐野 : 「風は吹いている」をやる以上はそこに触れないわけにはいかないから。それに、映画ゴジラにも関わっているし、いろんな仕事を通して避けて通れないことで。むしろ、自分なりの考えを記しておく、いいチャンスだなと思って。この現状をこの先どう共有していくのかということを提示しただけです。そのために芸能、表現を通して何ができるのかと。東京新聞の取材を受けたときも、この話になって、ちゃんと載せてくださいねっていって載せてもらいました。
芸能、表現を通して何ができるのかと
ーーみんなそうだと思うんですけど、3.11がひとつの契機となってますよね。
佐野 : その前から録っていた音もあるけど、みんなそうでしょうね。
ーーそれこそ、あのときは社会が自粛モードだったじゃないですか。
佐野 : そうですね。ぼくも大きな企画が流れちゃって。松本隆さんの初期の現代詩や私小説、それにライヴで構成した「風街漂流記」という朗読ライヴを企画していたんです。それもあって、1970年代初頭の音楽の原点と、俳優としての言葉の原点みたいなところに立ち返って、そういうことをやってみたかったんでしょうね。はっぴいえんどの『風街ろまん』がJ-POPのルーツ的なこといわれるんだけど、それだけじゃないんだよなって。彼らは音と言葉を通して今を写し出す正真正銘のロック・バンドなんだって。そういうのを一度やっておきたかたんでしょうね。
ーー佐野さんとしては、ロックをやっているというより、ロック・バンドをやっているという感覚なんでしょうね。
佐野 : そうですね。バンドですね。「俺が俺が」は、できないんだよね(笑)。「俺が」でやれている人はすごく尊敬しますけど、だから俳優が本業なんだろうね。
ーー本作のジャケットを蛭子さんにお願いしたのにも理由があるんですか。
佐野 : ひらめいたんです。最初、大竹伸朗さんが浮かんだんですけど、この内容で大竹さんだとなんか気取ってる感じしません(笑)? あと、大竹さんはみんながすごいと思っているけど、蛭子さんのことはみんながたいしたことないと思っている気配がある(笑)。でも、本当にすごい人で、ちゃんと画家として美術館でも展示しているし、蛭子さんの監督している作品も好きなんですよ。そういうことを大真面目に話しても、本気で聞いてくれる人が少ないから、悔しいわけですよ。テレ東の旅番組に出て、つっこまれるだけの人じゃないんだよね、ってこともあった。あとは本当に好きだからですよね。ちょっと抜けている余白のある感じが。アルバムの音楽が結構びっしり詰まっているから、風通しをよくしたかったのもありますね。
ーー確かに、アルバムには佐野さんの想いがぎっちり詰まっていますからね。
佐野 : 曲数は多くないかもしれないけど、昔のレコードにしたらいっぱいいっぱいだよね。
ーー最後の「おやすみなさいの唄」が、ピアノのインストでゆったり終わるのがいいですよね。
佐野 : 映画をはじめたころに、嶋田(久作)と一緒にタイムスリップってバンドをやってったんだけど、それは自分たちが歌うためじゃなくて、女性ヴォーカル2人に歌うために発注して。やっぱり、「自分が自分が」、じゃないのが好きなんだよね。その原点に捧げるみたいなこともあるかな。70年代80年代を重ねて透かしてみると、その先には幼少期だったり少年期の自分もあるだろうし、もっというと古代もあるんだろうけど、遠くなっちゃうから(笑)。「旅芸人の記録」とかはそういう気持ちで作った曲ですね。
ーー今作は本当にやりきった感じというか、正面から届けたいって素直なアルバムなんですね。
佐野 : 正直、タイムスリップのころは、わかる人だけわかればいいやっていう気持ちもあったし、そのあとソロでバンドでやるようになってからも、どこかそういう部分があったことは否めないんですよ。それをいまのメンバーになって最初Sanchって名前で探っていったんだけど、それでもまだ悶々としていて。言っちゃえば、自己満足的なところは否めなかったなって思うんですよね。でも、この作品は堂々としてます(笑)。堂々と「いいだろう?」って言いたいし、けっこう名盤だと思うんですけどね。
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PROFILE
ゼラチン・シルバー・ミュージック・クラブ・バンド
2005年に結成されたバンドSanchは、アルバム『Short Movies』をリリース、同年にはフジロック・フェスティバルにも出演、その後も不定期ながら活動を続けてきた。このアルバムのリリース決定が決まった直後に亡くなったメンバーの橋本潤への哀悼の想いを込め、メンバーの佐野史郎 (vo,g)、エマーソン北村(key)、橋本潤 (b)、GRACE(dr)の音はそのままに、けれどこのゼラチン・シルバー・ミュージック・クラブ・バンドは世界観を共有するゆるやかな集合体として、音楽の手法を使いながらも、その先に感じられるものは映画や写真などの視覚的なイメージは元より、あらゆる感覚が開かれるようなものでありたいとバンド名も改められた。写真館の如く、映画館の如く、 大切なひと時を過ごしていただけるようにと願いをこめて。