
4年ぶりの新作をリリースするオルタナティヴ・パンク・バンド、Limited Express (has gone?)。OTOTOYでは、7月27日から先行フル試聴で、いち早く彼らの新譜をお届けしてきましたが、ついに先行配信がスタート!! 通常のMP3音源に加えて、OTOTOY限定で24bit/48kHzの高音質wav音源もご用意しました。さらに、ギター&ヴォーカルのJJが14年の歴史を振り返るインタヴューを掲載! メンバーの心血を注いで作成したという最新作『JUST IMAGE』を聴きながら、彼らの14年間の歩みを辿ってみませんか?
緊急開催!! Less Than TV×OTOTOY
第2回『内SHOCK TV』case of ”JUST IMAGE / Limited Express(has gone?)”
放送日時 : 2013年8月11日 14:00〜15:30
チャンネル : OTOTOY TV♭
出演 : YUKARI、JJ(Limited Express (has gone?))、谷ぐち順
前代未聞のCD作成内職Ustream、好評だったかはわかりませんが、もう一度やっちゃいます!! ゲストも交えたトークとライヴ、そしてひたすらCDを制作。完全D.I.Y.とは、まさにこのこと!!
Limited Express (has gone?) / JUST IMAGE
【配信価格】 mp3、HQD(24bit/48kHzのwav)ともに
単曲150円 まとめ購入1500円
【Track List】
01. TVフラット / 02. PU/AR / 03. I See I See I See / 04. セルロイド / 05. we love this country like banana / 06. KEY / 07. JUST IMAGE (I don't want) / 08. Spotify / 09. affirm it / 10. 融点 / 11. CUT / 12. NEW YORK SHOCK CITY
※ゲスト・ミュージシャン : DODDODO、谷ぐち順、Ryota Komori(Miila and the Geeks)
走り、立ち止まり、創造し続けた14年を語る。

ものごとを自分たちの手で作っていくことの力強さ。それをLimited Express (has gone?)というバンドは体現している。そして、そこに誰よりも強いプライドをもって活動している。約4年ぶりとなる4作目のアルバム『JUST IMAGE』は、音楽はもちろんのこと、パッケージ、MV、ツアーなども自分たちの手で行い、妥協することなく作り上げたクリエイティヴな作品だ。もちろんここに至るまでには、京都、東京を中心に、さまざまな出会いと別れがあった。そのひとつひとつが血となり肉となり完成した、まさに現時点での集大成的な作品といっても過言でないだろう。前回の取材では、ヴォーカル/ベースのYUKARIにアルバムについて話を聞いた。そして、今回はリミテッドのギタリストでブレインでもあるJJに、バンド結成当時から現在までについての話を聞いた。あまりに膨大な行動を行ってきたリミテッドだけに、その軌跡の一部しか掲載できていないことをお断りしておく。そして、その軌跡は現在も膨大な量とスピードで更新中だ。いまからでもいい。リミテッドの歩みを一緒に体験していってほしい。かっこいい音楽は目の前にあるのだ。
インタヴュイー : JJ (Gt、Vo)
インタヴュー & 文 : 西澤裕郎
>> 『JUST IMAGE』リリースについて、YUKARI(Vo、Ba)のインタヴューはこちら<<
京都篇
1998年
立命館大学の音楽サークル「ロックコミューン」にて結成。(サークルの先輩にくるりや越後屋等)
ーー結成当時のLimited Express (has gone?)(以下、リミテッド)のメンバーって、どんなタイプの人たちの集まりだったんでしょう。
いわゆるサブカル好きの3人だったかな。ストレートで大学に進学していたし、ちょっとイキがってたと思う。そんな自分たちの鼻っぱしらを折ってくれたのが、くるりとかキセルもいたロックコミューンの先輩たちで、オリジナルをしていないようなやつとは同じ目線で話してくれなかった。それがすごく悔しくて、後にレコード屋で働く動機になったし、ライヴ・ハウスに足を運んでアンダーグラウンドやオルタナティヴな音楽に触れるきっかけになったのかも。
ーーリミテッドが持つ素っ頓狂な要素は、最初から出そうとしていたのではなく、自分たちの中で徐々に開花していったんですね。
そうだね。「音楽は本当におもしろい!」と思えたのが、ボアダムスとかKIRIHITOとか、TAG RAG周辺のバンドをライヴ・ハウスで見た時で、「聴いたことのない音楽」に出会う喜びを知ったんです。それがスタートかもしれない。
※ボアダムス
EYEが中心となり1986年に結成された日本のロック・バンド。初期の音楽性はノイズ・ミュージックとハードコアを主体としたオルタナティヴ・パンクだが、1998年にリリースしたシングル『SUPER GO!!!!』以降は、民族音楽などを取り入れた太陽崇拝トランスへと大幅な転換をむかえる。日本国内外で活動し、海外での評価、特にライヴ・パフォーマンスは評価が高い。
※KIRIHITO
1994年結成。GROUPのメンバーでもあり、UAのライヴ・バンドや、一十三十一やFLYING RHYTHMSの作品に参加している竹久圏(Gt、Vo、Key etc.)と、GAKIDEKA、高品格でも活動する、THE BACILLUS BRAINSのサポートも務める早川俊介(Ds、Vo etc.)のデュオ。
※TAG RAG
元エッグプラントのPAオペレーターであり、スタジオ“オメガ・サウンド”のオーナー兼エンジニアの小谷哲也と、フリーのPAオペレーターの前川典也により1993年に設立されたレーベル。1994年2月の有『具体』からリリースを開始。作品のリリースだけではなく、シリーズ・イベント“TAG RAG NITE”も開催し、多くのアンダーグラウンドのバンドを紹介した。
2001年『NEO22op.1』
3月 自主レーベルClickを立ち上げ、1st demo CD-R『NEO22op.1』リリース。
ーー当時、いわゆる京都のバンド・ブームだったわけですが、その状況をどうみていたのでしょう。
僕らが大学2、3回生のときに、京都の大学生バンドの青田買いが始まって。悶々とそれを観ていて、「俺たちも認められたい」「音楽性を確立したい」と思って、そこから『NEO22op.1』を作るに至ったわけです。それをメジャー・インディを問わず、かっこいいバンドのアルバムを発売しているレーベルに送っていって、そのなかでジョン・ゾーンから電話があったり、九州のfolk enoughがすごい反応してくれたりして、世界が繋がっていきました。
※ジョン・ゾーン
アメリカ合衆国ニューヨーク州出身のサックス奏者、インプロヴァイザー、音楽プロデューサー、バンド・マスター。これまでにあふりらんぽ、大友良英、灰野敬二、ROVO、山本精一らと共演。
※folk enough
福岡が生んだジャンク・ブルース・ロックンロール・バンド。そのD.I.Y.精神に富んだバンド活動は多くのバンドからの注目、リスペクトを受ける。くるりやズボンズ等を虜にし、3rdアルバム『BLUES』は、ミュージック・マガジンで満点の評価を得た。その後、自主レーベルe.g.recordを立ち上げ、LIVEアルバムと4thアルバムをリリース。JUNK Lab Recordsに移籍し、5thアルバム『DISCO TAPE]]』をリリース。

2002年
10月 京都大学西部講堂でボロフェスタをはじめる(以降、毎年10月開催。京都の名物イベントに)。
ーー2002年10月には、自分たちで自分たちをアピールする場を作ってしまおうということでボロフェスタが始まるわけですけど、手応えはどうでしたか。
ちょうど、FUJI ROCK FESTIVALが始まって5年目だったかな。京都にはそんなイベントなかったし、自分達で出来るんじゃないかって思って、何もわからなかったけど、とにかくやってみようって。1500人を呼ぶイベントを自分たちでできたっていうことは相当自信になりました。泣きそうになるぐらい大変だったけど、全部の時間を使って成功させたので、感動も大きかったし、このとき泣いたことは一生忘れないかもしれない。
2003年3月 1st album『Feeds You!』をジョン・ゾーンのTZADIK RECORDSよりリリース。『Feeds You!』
7月 FUJI ROCK FESTIVALに出演。
ーーそして1stアルバム『Feeds You!』をニューヨークのジョン・ゾーンのレーベルTZADIKからリリースして、イケイケな時期に突入していくわけですよね。3月にリリースして、8月にはフジロックに出演しています。反響があったわけですね。
ジョン・ゾーンとの出会いは強烈だったなぁ。片言の日本語で「シーディーダシマセンカー」って留守電に残ってた(笑)。でも幸か不幸かわからないけど、誰もプロモーションしてくれなくて。海外から出してもらったので、基本的に自分たちで東京の店とか一軒一軒まわってサンプルを渡していた経緯があるんです。それに反応してくれた人たちがいたってことだと思います。
2004年『Makes You Dance!』
11月 初のAustralia、New Zealand TOURを行う。Australiaの101 barでのショウは、そのベニューの年間ベスト・ライヴに選ばれ、その模様は、『Limited Ex Live at 101 bar』として収録される。
2005年
1月 音楽評論家の高橋健太郎が主宰するレーベルMEMORY LABから、2ndアルバム『Makes You Dance!』発表。
ーーその時期に高橋健太郎のレーベル、MEMORY LABから2ndアルバムをリリースすることが決まります。
やっぱり心のどこかで、メジャー・レ―ベルと契約してちゃんと給料をもらいたかったし、次のレーベルも探していたんですよ。その中で高橋健太郎さんがすごく反応してくれて、手紙をくれて。その手紙の感じが信頼できたのと、SAKANAの『BLIND MOON』っていう絶対的なアーティストのアルバムを作った人というのも大きくて。
※MEMORY LAB
高橋健太郎の主宰するインディペンデント・レーベル。 2000年にSAKANAの「BLID MOON」を第一作としてリリース。以後、PHAT、新川忠、Apples、YAMAUCHI、Taisuke Matsuo、Limited Express (has gone?)などのアーティストのCDをリリースしている。関連レーベルにasahi-chikuon、Wasabi Disc。
※SAKANA
1983年より活動を開始。何度かの編成変更、メンバー・チェンジを経て、2004年以降はポコペン(ヴォーカル、ギター)、西脇一弘(ギター)の2人組として活動中。今までに15枚のアルバムと2枚のシングルを発表。2011年2月に、約5年ぶりのアルバム『Campolano』をリリース。ライヴでは、セッション・メンバーを迎えて3〜4人で演奏する事もある。
2005年4月 初のKOREA TOURを行う(4カ所)。『生け贄のJesus Child』
5月 2週間に渡る2度目のAustralia TOURを行う。岡村詩野監修のkittenの表紙を飾る。
9月 約1ヶ月に渡る2度目のUSA TOURを行う。Numbersと一緒にツアーし、Deerhoof、Mika Miko、xbxrx、WHY? 等と共演する。
11月 約1ヶ月に渡る初のEurope TOURを行う。
2006年
1月 『生け贄のJesus Child』のシングル・リリース。Riow Arai、DODDODO、RUBYORLAのリミックス入り。
2月 ドラマー奈良崎幸司が脱退する。松下隆也が加入。
ーーそこから、さらに勢いを増していった印象はありますか。
MEMORY LABから2ndアルバム『Makes You Dance!』を出して、韓国ツアーやオーストラリア、アメリカとかを回って、敵なしぐらいな感じだったけど、裏ではそうじゃない出来事もたくさんあって。たまっていた無茶がドーンってきたのが2005年の12月。2006年2月にドラムが脱退することになったんですけど、不思議なことに、そのときできたのが僕らの定番曲になる「生け贄のJesus Child」なんです。でもこの曲を作ってから全然曲が作れなくなったんです。この曲以上のものができないっていう不満とかもあって。

ーー初期の3人でつくったわけですもんね。
それだけに、メンバーの脱退はめちゃくちゃ落ち込みました。それから松下(隆也)さんっていう昔から応援してくれていた人にドラムを頼んだんだけど、俺はリーダーとしてとにかく焦っていたし、YUKARIの状況やリミテッドの状況も本当によくなくて(ワンマンのスタート1分前まで、その日ライヴが出来るかわからない等、書けないこといっぱい…)。さすがにこれ以上は続けられないと思って、一回ストップしようって。
2006年
12月31日 Limited Express (has gone?) 解散
ーー解散を決めたのはいつぐらいなんですか。
YUKARIと相談して、このままじゃできないから休止か解散かどっちかにしようって言って。そのときにYUKARIが「休止なんかカッコ悪いことはしない。解散する」ってことで、解散することにしました。僕は状況整理をしたがる人間なので、状況整理をして前に進みたかったけど、12月31日に一回解散することにしたんです。
東京篇
2007年
3月 JJ、車にギターを積んで上京する。
ーーそのあと、JJは東京に出てくるわけですが、ミュージシャンという立場はもちろん、音楽を巡る環境を作っていくという立場も強くなっていきますよね。
自分のなかで音楽を売るってことがすごいモチベーションのひとつになっていたんです。もともと、KIRIHITOとかTAG RAG勢とかに出会って「聴いたことのない音楽に出会う」喜びを知ったので、そんな音楽を創るアーティストたちを世の中に伝えたいと強く思っていて。自分が影響を受けたり、周りにいた「聴いたことのない音楽」を創っている人たちは、もっともっと認められないといけない!! ってふつふつと思っていたんです。
2007年
7月24日 復活を発表し、ドラマーとしてTDKが加入。
9月 復活後初ライヴは、山形DO IT。
10月 復活後東京初ライブは、渋谷O-nest w/younGSounds(初ライヴ)
ーーJJは、解散後の京都時代には、ULTRA BIDEのHIDEさんと、元ni-hao! のREOさんと、ULTRA Jr.というバンドも組まれていますよね。
すごく恥ずかしい話だけど、バンドって家族とか恋人と一緒って言うじゃないですか。ULTRA Jr.を組んでわかったんですけど、どうしても飯田の世界になってしまったんです。つまり、「聴いたことのない音楽」は生み出せなかった。そのときに、でもLimited Express (has gone?)なら、その飯田の世界をぶっ壊して「聴いたことのない音楽」にしてくれるっていうことに気づいて。どっちともなく電話で話して、YUKARIは東京にいたから、もう一回ゆっくり初めてみようかって。となると、ドラマーがいるなと思ってPANIC SMILEの吉田(肇)さんに相談して、JOYをやっていたTDKさんはどう? って話になり、音をあわせたら、なによりも楽しかったんですよね! それで2007年の7月に、復活とTDKの加入を発表しました。
※ni-hao!
BLUE・YUKARI、RED・ARIKOの2人組。ツイン・ベースにサンプラーやキーボードも織り交ぜ、変幻自在な「聴いたことのない音楽」を奏でる。

2007年
11月 西村道男(Nur.)と共に、ライヴとDJの融合パーティー「eetee」をスタート。後に「PACKaaaN!!!」と改名。
2008年
2月 YUKARIとLess Than TVの谷ぐち順の子供、共鳴誕生。
3月 大阪にてSAL CULTUREを開催。
5月 JJ、OTOTOYの編集長となる。
6月 スプリット・アルバム『Limited Express (has gone?)×DODDODO』をLess Than TVよりリリース。
ーー新生リミテッドを始めることになり、どのようなことから始めていったのでしょう。
新たに東京でやるにしても3、4年かかることはわかっていたから、まずはペースを整えてちゃんとやろうと思って。とにかくいい音楽を作るために、ちゃんと楽しんで、ちゃんと生活をしようと。あと、Less Than TVの「打ち上げを率先しては行わない文化」が地方出身者にはすごく衝撃的で。彼らは、”アフター5レーベル”って言っているんですけど、仕事をがんばった後に、最高にかっこいいライヴをして、そのまま明日仕事だから「じゃぁっ!」って帰っていく。もちろん呑みたい人は、ふらっと呑みにいく。なんか自由に感じたんですよね。活動の中で、どっかで、バンドマンはこうしないといけない、打ち上げにいかないといけないみたいな縛りができていたのかもしれません。だから、そういうLess Than TVの精神的な部分に出会ったことは大きかったです。
※Less than TV
谷ぐち順が主宰する天衣無縫の至宝レーベル。
2008年
10月 JJ、JUNK Lab Recordsをゆーきゃんと共にスタート。
ーーレーベル、JUNK Lab Recordsも東京に出てきてから始めたんですね。
(京都大学の)西部講堂にWHY? とかストラグル・フォー・プライドを呼んだイベントだったり、2006年4月にやったチャイナの追悼イベントだったり、僕やゆーきゃんが2人でやるイベントのことを「LIVE JUNK」っていっていたんですけど、MY DISCOに音源を出してほしいって言われて。そのころ、僕らのまわりの人たちもレーベルがなくなったりしたので、近い人たちの受け皿になればいいなと思って立ち上げたんです。
※WHY?
ヨニ・ウォルフのソロ・プロジェクトとして90年代末にスタート。アングラ・ヒップ・ホップ界の名門レーベル、Anticon.の中心的存在として知られる。ドリーミーで甘いメロディがポップでありながら、サイケデリックかつLo-Fiなサウンドが幅広い音楽好きの心を捉え、国境を越えて多くのファンを獲得している。
※ストラグル・フォー・プライド
日本のハードコア・パンク・バンド。1993年(平成5年)に結成された。極端に大きいギター・ノイズと極端に小さいヴォーカルを特徴とし、クラブ・カルチャーを通過したエクストリームな演奏で数々のイベントに参加。
※チャイナ(西浦真奈)
羅針盤、少年ナイフ、DMBQ、drillman、droop、M.S.A.Y.A.… などなど、数多くのバンドのドラマーとして活躍。
※MY DISCO
世界有数の音楽都市、豪州メルボルンにて反復と構築を繰り返し、ついに1000人規模の会場を軒並みSOLD OUTさせるまでの強度を獲得したMY DISCO(マイ・ディスコ)。ひたすらにストイックなライヴは、見るものを圧倒の渦に呑み込む。
ーー東京にきてスタジオに入るペースなどは変わりましたか。
3人で集まってやる練習は少し減ったかもしれない。でも、ちゃんと自分たちは音楽を軸にした生活をするんだってことは、メンバー各々意思としてあって。バンドの成長につながること = 3人で練習をすることだけではないってわかったんです。もちろん、それはキャリアがあってのことですけどね。
2009年
6月 TOKYO BOREDOMに参加。
5月 JJがキュレーターを務めた廃校フェス2009に参加。
9月 JJが、主催メンバーとして関わる東京BOREDOM #3 in 東京大学に参加。
10月 3rdアルバム『LTD』リリース。
ーー東京BOREDOMが始まったり、『LTD』の曲をつくっていったりと、2008年が準備の年で、2009年に形になってきた感じがしますね。
そうですね。共鳴(谷ぐち順とYUKARIの息子)が生まれたのも2008年だし。ひょんなことから、みんなで支えあいながら共鳴を育てるってことにもなって、精神的な固まりも強くなっていきました。
※東京BOREDOM
ライヴ・ハウスをおもしろいものにするために作り上げられた、新しい形のライヴ・イベント。
>> 東京BOREDOM 特集ページ
ーーJJはいくつかのイベントにかなり深く関われていますが、特に影響を受けたものってなると、どのイベントをあげますか。
2008年の「DO IT 2008」は相当大きくて。こんだけのことを山形のバンドであるSHIFT周辺の人たちがやったことに対してすごい共鳴して、ボロフェスタを続けようと思えたし、やっぱり「聴いたことのない音楽」っておもしろいなって再認識できた。このフェスが掲げた「テレビの中の音楽より隣で鳴っている音楽の方がメチャクチャカッコいい。」って言葉はいまもテーマになっているんですよ。山形のちっちゃいローカル・シーンで3000人呼んじゃったってのは、ほんとうに美しかった。なんだ、みんな「聴いたことのない音楽」に出会いたいんじゃんって。
※DO IT 2008
現在閉館となっているシネマ旭を舞台に、山形で活動するSHIFT等のバンドを中心に行われた山形最大級のインディペンデント・ミュージック・イベント。「テレビの中の音楽より隣で鳴っている音楽の方がメチャクチャカッコいい。」を掲げ、多くの音楽好きの共感をよび、3000人の音楽ファンが、山形のシネマ旭に訪れた。
※SHIFT
山形県を中心に『笑顔が世界を平和にする』をモットーに活動している、無意味な殺生が大嫌いな4人組アヴァンギャルド・ダンサンブル・オーケストラ。とにかく親しみやすくひらすらハッピーで、メッセージ性の強い音楽を奏でている。
ーーその後、3rdアルバム『LTD』を2009年にリリースするわけですが、このリリースでバンドが期待したことってなんだったと思いますか。
求めることは1stとそんなにかわってないかな。今のリミテッドを知ってほしい、聴いてほしい。3年やってきた軌跡を盤にするんだって気持ちをもっていたし、2ndを出してから時間がたってしまったから、音源を出したかった。ただ、『LTD』のときは、僕とYUKARIのルーツはオルタナで、パンクを完全に消化するのは簡単ではなかった。そしてTDKのルーツはやっぱりパンクで、オルタナを消化するのも簡単ではなかった。その3人の違いを、どうリミテッドの音に、ビートにしていくかが最大の課題で、一番面白い所だったんだけど、それが本当に形になったのは今作の『JUST IMAGE』だと思う。
2013年
8月 4thアルバム『JUST IMAGE』リリース。
ーー『JUST IMAGE』が完成するに至るまでは、3人のバンド以外の環境変化も強く影響しているんじゃないですか。
TDKは、リミテッドもSiNEもあるし、それ以外に3つくらいバンドやっている(笑)。YUKARIは、共鳴がいるしni-hao! もある。僕もボロフェスタがあって、JUNK Lab Recordsがあって、OTOTOYもSCRAPもある。もちろん3人には、Less Than TVもあるし! それぞれが激動の中でがんばっていて、でも根底にはリミテッドの動脈が熱い温度で流れている。それが集まったときどう太くなるかが今なんだと思っています。
※SiNE
2008年のエンドオブサマー、最高の夏を忘れないために結成。WORD IS OUT ! より、2010年に1stアルバムをリリース。

ーーそれぞれが影響を持ち寄って、バンドとしての幹が太くなっているんですね。
それは終わりもあることを、みんな理解しているからだと思うんです。だからこそ、いまやれることをいかに楽しく、いかに全力で粘り強くやれるかってことをなんだと思います。今しか創れない自分達にとっての「聴いたことのない音楽」を全力で創りたいと思っているんです。
Limited Express (has gone?)の過去音源はこちら!

LIVE INFORMATION
2013年8月4日(日)@渋谷O-WEST+o-nest&7th floor
METEONIGHT2013
2013年10月5日(土)@新宿風林会館ニュージャパン NEW!!
PACKaaaN!!!
2013年10月25日(金)26日(土)27日(日)@京都KBSホール&METRO
ボロフェスタ2013
Limited Express (has gone?) 4th album release tour『JUST IMAGE』
2013年8月24日(土)@徳島大学常三島キャンパス音楽ホール
わかものまつり~Limited Express (has gone?) 4th album 「JUST IMAGE」レコ発ツアー~
w/ ni-hao! (東京、京都) / soma(愛媛) / アルパカス(高知) / NAMiDA/MTJ / ばるぼら / ヤングパーソンクラブ
2013年8月25日(日)@京都 livehouse nano
ナノボロフェスタ2013
2013年9月7日(土)@福岡キースフラッグ
w/ asoboys / マクマナマン / folkenough / BeHereNow! / deltas
2013年9月8日(日)@佐賀ラグジー
w/ JenniferIsolation / 白痴 / folkenough / BeHereNow! / deltas
2013年9月28日(土)@旭川 電気猫
「re-diary」Limited Express(has gone?) 4th album『JUST IMAGE』release tour
w/ FOLK SHOCK FUCKERS / DESERT / THE DAYSIES and more…
2013年9月29日(日)@札幌 SPIRITUAL LOUNGE
import clothes TAKE presents「Neoceratodus"KIKUZUKI"」~Limited Express(has gone?) 4th album『JUST IMAGE』release tour~
w/ FOLK SHOCK FUCKERS(東京) / DESERT / MosomosO / Color Me Blood Red / BIRTH RITUAL
2013年10月5日@新宿
2013年10年27日@京都
2013年11月3日@名古屋
2013年11月4日@金沢
2013年12月1日@大阪
2013年1月某日@新宿
詳細は後日発表!!
PROFILE
Limited Express (has gone?)

2003年、US、ジョン・ゾーンのTZADIKから1st albumをリリースし、世界15カ国以上を飛び回る。その後、高橋健太郎主催のmemory labより、2nd album、best albumをリリース。WHY?、DEERHOOF、そしてダムド等の日本公演のサポートを行い、名実共に日本オルタナ・パンク・シーンを率先するバンドになるも、2006年突然の解散宣言。半年後、突然の復活宣言。なんとニュー・ドラマーには、日本が誇るPUNK BAND、JOYのドラマーTDKが正式加入!!! メンバーのJJは、ボロフェスタ、PACKaaaN!!!、東京BOREDOMを主催。YUKARIは、ni-hao! のリーダー、TDKはSiNEのギタリスト等、各人の活動は多岐にわたる。DODDODOとのsprit albumと3rd albumを経て、2013年、Less Than TVから4th albumをリリース予定。
>> Limited Express (has gone?) official website