ともに変化を遂げるKeishi Tanaka × 村松拓 対談──ふたりが考えるソロ活動とは?

ライブハウスや野外フェスでのバンドセットから、ホールでの11人編成ビッグバンド、さらには小さなカフェでの弾き語りなど、さまざまな形態で楽曲を届けるKeishi Tanaka。そんな彼がソロ活動10周年を迎え、5枚目のフル・アルバム『Chase After』をリリースした。本作にはKeishiとプライベートでも交流がある、村松拓(Nothing’s Carved In Stone、ABSTRACT MASH)が制作からレコーディングまでを手がけた“青のサーカス”も収録されている。今回はKeishi Tanakaと村松拓を招き、同曲をはじめとしたお互いの楽曲制作や同世代ならではのエピソードについて語ってもらった。
村松拓も参加!Keishi Tanakaの新作アルバムはこちらから
INTERVIEW : Keishi Tanaka × 村松拓

ソロ・デビュー10周年を迎えたKeishi Tanakaが12月7日に5枚目のアルバム『Chase After』を配信リリースした。ライヴやツアーを軸に置く彼がライヴでも馴染みのメンバー、小宮山順平、田口恵人(LUCKY TAPES)、四本晶(oysm)、別所和洋(パジャマで海なんかいかない)らに加え、関口シンゴ(Ovall)がギターで参加するなど、新たなミュージシャンも迎えている。そのなかでKeishiと弾き語りライヴを行い、またプライベートの友人でもある村松拓が作詞作曲を行い、レコーディングにも参加した“青のサーカス”も収録。今回はふたりの対談を実施。同曲やアルバムを軸にKeishi Tanakaのアーティスト像、同い歳である1982年生まれの世代観についてもじっくり訊いてみた。
インタヴュー・文 : 石角友香
写真 : 山川哲矢
ここ数年一緒に変わってきている
──そもそもおふたりの出会いのきっかけってどの辺りなんですか?
村松 拓(以下、村松):僕がやってるABSTRACT MASHっていうバンドの方がNothing’s (Carved In Stone)より全然長いんですよね。そのバンドでKeishiがRiddim Saunterのヴォーカルやってる時に対バンして。最初はそうでしたね。
Keishi Tanaka(以下、Keishi):俺は対バンした時に──毎回言ってるんだけど、高松の打ち上げの記憶がすごいあって。拓ちゃんは移動しなきゃいけなくてみたいな行程だったんだけど、その時に場をちゃんと盛り上げてからスッと帰るみたいなことをやってて、「粋な男だな」と思った(笑)。
村松:いや、もっとグダグダだったと思うよ(笑)。
Keishi:そこにある酒をイッキ飲みして帰るみたいな。みんなを納得させてその場を去った記憶がすごい残ってて。しかも同い年だったからその辺から仲良くしたいなあと思った記憶はあります。で、Nothing’sはじめたっていうのを聞いたり、フェスで会った時に喋ったりとかをしてて。グッと近くなったのは、5年ぐらい前に僕の〈ROOMS〉っていう弾き語りのイベントに拓ちゃん呼んでからかな。そうこうしてる間に別の〈四弦一揆〉(Tanaka、村松とストレイテナーホリエアツシ、the band apartの荒井岳史による弾き語りイベント)っていうイベントもはじまったりして。その辺からは皆さんご存知の通りみたいな感じですね。
──おふたりが20代だった頃、いまの弾き語りをやるような状態って想像できました?
Keishi:バンドマンが弾き語りしてとかっていうのがあんまりなかったから、そういう意味では自分では想像できてなかったですけど、30歳ぐらいになった時に僕はソロになって、弾き語りもやれたらいいなみたいなことは、はじまった頃から考えはじめて。もうひとつには震災もあって、ちょっとフットワーク軽くしたいって思った人も多分たくさんいたと思うし。
村松:大きいよね。20代の頃は人のために音楽があるみたいなこととはかけ離れたところが根底にあったりしたんで。でもKeishiも言ったけど、震災のこともそうですけど、音楽続けてきて音楽を人に届けることの意味みたいなのが変わってきて、で、ひとりで音楽を鳴らすみたいなところがだいぶ馴染んできて。それも途中からKeishiみたいにソロで活動してて、その概念をKeishiに輸出してもらって(笑)、取り入れて変わっていくみたいなことがあって、結構デカかった気がしてるんで。ちょっとどのタイミングでこの感覚になったかというのは曖昧なんですけど、ここ数年一緒に変わってきてる感じがありますね。
──たしかに震災のタイミングで、歌ひとつでなにができるのかっていう試行はちょっと上の世代のTOSHI-LOWさん然りGotchさん然り、はじめた事実はありますね。
Keishi:みんな弾き語りをやると思ってた人たちでもないと思うし。でもそうやって変わっていくことがダメじゃないっていうか、むしろ必要じゃないですか。そこで頭硬くなって「弾き語りは好きじゃない」とか決めちゃってもおもしろくないだろうし、それをもし10年前に自分が言ってたとしたら、全然なにも活動できてなかったんじゃないかなと思うし。

──1982年生まれっていうところでなにか共通するバックボーンは感じますか?
村松:世代が一緒だから聴いてた音楽が結構一緒で。10代の頃に聴いてた音楽は多分似てるよね。
Keishi:それこそTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTのコピーを僕が高校生の時やってたという話をしてて、拓ちゃんも「俺もやってた」みたいになって、その曲のカバーを一緒にやったりはしてます。
──70年代後半から80年代生まれぐらいは日本のギター・ロックを形成している厚い層で。そのなかでも82年生まれってどういう世代だなあっていうふうに思いますか?
村松:82年のやつと集まって話すと、“キレる若者”とか言われてたなって(笑)。そんなこともなかった気がするけど。
Keishi:拓ちゃんは久々に同い年で、こんなにつるんでる人だけど、世代が理由じゃないかもしれない。もちろん先輩もたくさんいるし、先輩はいつまでたっても先輩だけど、だからといって自分は言うこともやることも変わってないと思うので、あんまり世代を意識したことないのかもしれないですね。あと例えばLUCKY TAPESのメンバーとかいて、10個くらい下ですけど、そこも別に後輩とバンドやってるって感じもないし。
──いわゆる一生活者としての世代観のようなものはありますか?不惑の40代に突入して。
Keishi:惑ってますけどね(笑)。 ま、ずっと惑ってていいかなっていう曲も書いてて、今回で言うと。みんな悩みとか迷いみたいなものってなくならないと思うし、あんまり悪いもんでもないというか、そういうのをネガティブに捉えてないというか。そういう迷いがあって、解決するために追い求めてくっていう意味での『Chase After』だったりもするので…というか、惑うってなんですか?(笑)
村松:惑うというか、惑わされるっていうね。
Keishi:ああ、そうか。人から言われたり受けることで惑うことは確かに少なくなってきてるかもね。不惑っていうのはそういうことかもしれないけど。自分のなかから出てくる考えみたいなところで、思い悩むことはずっとあるだろうし、それがなくなったら終わりかなとも思うし。それが解決した瞬間から違うなにかを探し求めている方が精神状態が良いというか、健康な感じ、豊かな感じがする、自分が。
──新たに出現する課題をどうにかしたいと思うパワーがなくなったら怖いですね。
Keishi:本当そうです。
