デビュー25周年を迎えた岡本真夜──意外な素顔とアーティスト像に迫る

1995年のデビュー以来、「TOMORROW」や「Alone」など数々の名曲をリリース。さらに多数アーティストへの楽曲提供など、多方面で活躍し続けている岡本真夜。2020年5月10日にはデビュー25周年を迎え、翌年7月には大手町三井ホールで記念ライヴを開催。こちらの模様を収めたライヴ映像作品〈25th“+1”ANNIVERSARY Concert 2021~Thanks a million~〉がリリースされたタイミングで、同ライヴの感想を改めて語ってもらった。また彼女の長い軌跡を辿りながら、最後には理想のアーティスト像についてもきいている。なお映像作品にはセットリストからセレクトされたライヴ音源も一緒にパッケージングされており、こちらはOTOTOYでも配信中。生の臨場感を高音質でどうぞ!
25周年記念ライヴを収録した映像作品はこちらから
25th“+1”ANNIVERSARY Concert 2021~Thanks a million~〉トレーラー25th“+1”ANNIVERSARY Concert 2021~Thanks a million~〉トレーラー2020年5月10日にデビュー25周年を迎えた岡本真夜の6年ぶりのライヴ映像作品がリリース! コロナ禍のため、デビュー日から約1年遅れで1年7ヶ月ぶりの有観客ライヴとなった本公演は、デビュー曲の「TOMORROW」から最新曲「旅人よ」まで、まさに歩みを振り返るようなセットリストになっている。同ライブ音源からセレクトされたライヴCDも封入されている。
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INTERVIEW : 岡本真夜
「私は、作品さえ認めてもらえれば幸せだから、人前に出るとかテレビでスポットライトを浴びるとかがいまも本当に苦手」と語る岡本真夜は、知れば知るほど職人気質なアーティストだった。1995年に「TOMORROW」で鮮烈なデビューを飾り、はじめて出演したTV番組が『紅白歌合戦』という華々しい経歴を持っているが、デビューから27年が経っても「自分はあくまでシンガーソングライターであって、芸能人ではないんです」と話す。そんな彼女にとってライヴこそが、唯一人前に立ちたいと思う聖域。3月2日にリリースされたライヴ映像作品〈岡本真夜 25th”+1"ANNIVERSAY Concert 2021 ~Thanks a million~〉には、彼女の歩んできた27年が浮き彫りになっていたと同時に、素顔はどういう人なのかと興味を持った。今回は幼少期から現在まで、世間ではあまり知られていないアーティスト・岡本真夜と人間・岡本真夜に迫った。
インタヴュー・文 : 真貝聡
写真 : 作永裕範
皆さんが持たれているイメージは、私からすれば反対のことが多いんです
──「TOMORROW」でデビューされた1995年、僕は小学2年生でして、音楽の授業でよく歌っていたんです。そんな真夜さんにインタビューをする機会をいただけて、すごく嬉しいです。
岡本真夜(以下、岡本) : アハハハ、良かったです。小学2年生で歌っていたんですか?
──先生が「"TOMORROW"を歌いましょう!」と言って、よく弾いてくれました。
岡本 :(感慨深そうに)わぁ……すごいなぁ。
──これだけキャリアが長いと「子供の頃から聴いてました」なんて人も多いですよね?
岡本 : 最近増えてきました(笑)。不思議な感じがしますけど、嬉しいですね。
──僕が小さい頃から抱いていた真夜さんのイメージは、抜けているところがないというか。何事もきちんとされている印象があるんです。
岡本 : ふふ、実際は真逆だと思いますよ。
──でも、言われますよね?
岡本 : そうですね。皆さんが持たれているイメージは、私からすれば反対のことが多いんです。「フランス映画を観ていそう」とか「難しい本を読んでいそう」とか言われるんですけど、実際はアクションの方が好きですし、アメコミ系の映画ばかりを観ますし、結構違うんです(笑)。
──オフィシャルサイトのラジオでも「真夜さんはソファーでゴロゴロなんてされないと思うんですけど……休日はどう過ごされていますか?」と質問されている方がいましたね。
岡本 : 普通にゴロゴロしますよ。イメージって怖いですよね、ふふ。

──その辺は意外とベールに包まれているといいますか。これまでのインタビューや出演番組を拝見していると、あまり幼少期のお話しをされていない気がするんですけど、どうでしょう?
岡本 : 言ってなくはないんですけど、そうなんですかね?
──小さい頃にご両親が離婚されて、お祖父様とお祖母様に育てられたんですよね?
岡本 : そうです。祖父母が両親の代わりとなって、私を高校卒業まで育ててくれました。
──親御さんが離婚するとなったら、子供はどちらかの親についていくケースが多いと思うんですけど、どういう流れで祖父母と暮らすようになったんですか?
岡本 : んー、その辺はよく分からないんです。私も知りたいんですよね。
──真夜さんの意志ではなかった?
岡本 : 違います。生まれてすぐに引き取られたので、いまだに謎のままですね。
──お祖父様が警察官で、お祖母様は教師をなさっていたんですよね。おふたりはどういう方だったんですか?
岡本 : ふたりとも厳格な人でした。小さい頃から祖母がつきっきりで勉強を教えてくれまして、いまとなればありがたいんですけど、当時は学校から帰って家でもみっちり勉強をさせられるのが嫌でしたね(笑)。そういう家庭だったので、私が高校卒業を機に東京で音楽活動をしたいと言ったときは、本当に大変でした。
──東京で音楽活動をするアテはあったんですか。
岡本 : 高校1年生で歌が好きになり、高校2年生で「歌手になりたい」と思いまして。その時は曲作りをする気は一切なかったので、ドリカムと今井美樹さんと中森明菜さんの楽曲を歌ったものを家で録音して。雑誌に載っていた東京の音楽事務所にデモテープを送っていました。高校2年の夏、とある事務所の方から「卒業したら、ウチに来なさい」というお話をもらったんです。
──じゃあ、確約は取り付けていたんですね。上京すると伝えた時はどうでしたか?
岡本 : 祖父母からすれば東京は都会ですし、音楽業界は華やかな世界に見えていたので「大事な娘をそんなところに行かせられない」と。やっぱり真面目なふたりだから音大へ進学して、教師とか安定したお仕事をしてほしいと願っていたと思います。上京当日、祖母は家の前で見送ってくれましたけど、祖父は頑固な人だったので「絶対に許さん!」みたいな感じで喧嘩したまま家を出ちゃいました。