本当は自分の話がしたかった──新たに始動したEnfantsという場所で松本大はどう生きるのか
約17年間、LAMP IN TERRENのフロントマンとしてあり続けた、松本大。2021年12月に恵比寿LIQUIDROOMで前身バンドのラストライヴを開催し、翌年3月には正体を隠しながらひっそりとEnfantsを始動。そして1年後の今春ついに「新しくEnfants (アンファン)という場所で音楽をはじめました」と打ち明けた。その告白とほぼ同時期にリリースされた初作には、これまでにはあまりなかったパーソナルな内容が綴られており、「LAMP IN TERRENの松本大」とは一線を画した作品だということは明白だったように思う。人生のなかで起こった出来事を覚えておきたいという気持ちのもと、自分ありきの音楽を作っていく。それがEnfantsの最も大切な軸だ。Enfantsとはどういった場所で、松本大はどのような表現者でありたいのか。彼の哲学に迫る重要なインタビューとなった。
Enfantsのスタート地点となる、初作はこちらから
INTERVIEW : Enfants(松本大)
2021年末にLAMP IN TERRENの活動を終了させたあと、新たなバンド・Enfantsを始動させた松本大。LAMP IN TERRENが結成された2006年から現在に至るまで、約17年にわたりバンドマンを続けるなかで彼の考えは大きく変化したようだ。Enfants初の音源『Q.』が世に放たれてから3ヶ月、初の企画(共催)ライヴ〈TOKIO TOKYO × Enfants “Quest For Buried Music”〉を目前にしたタイミングで、音楽との関わり方、バンド観について語ってもらった。
取材・文 : 蜂須賀ちなみ
撮影 : 小杉歩
いまは自分ありきの作品になっているし、作品ありきの自分になっている
──Enfantsは最初の1年は正体を明かさずに活動していましたが、今年4月19日にファーストEP『Q.』を発表したタイミングで松本さんが新しくはじめたバンドだと公表しました。プロフィールを公にしたことで、誰に届くのかも分からないまま黙々と曲を作るような、壁打ち的な状況は終わったと思いますが、活動開始から現在に至るまで、どんなことを感じていましたか?
最初の1年は外からのリアクションがほとんどなかったから「じゃあどこに向けてなにをやればいいんだろう?」と迷子になっていたんですよ。音源をリリースして、新しくバンドをはじめたと正式に発表してからは、確かに壁打ち的な状況ではなくなったけど、今度は、自分の本来の性質と自分の作りたいものの整合性がとれていない状態になって。というのも、元々自分はサービス精神旺盛なタイプで、相手から求められたことは全部叶えてあげたいと思っちゃうところがあるんです。だけど本当は自分の話がしたかった。それがEnfantsというバンドのなかで俺がやりたいことだったんだなと改めて気づいたし、「自分の話がしたい」という気持ちはより強固なものになりましたね。まあ、結局迷子であることには変わりないんですけど。
──迷子になる可能性があることも承知の上でEnfantsをはじめたんだろうなと、『Q.』を聴いて思いました。整合性がとれなくて戸惑うこともあるかもしれないけど、とにかくこのバンドでは自分の話をするんだ、という。
そうですね。LAMP IN TERRENとして音楽を作っていた時は、「これは誰かのところに行く音楽なんだ」という意識が強かったから、自分のなかにあるインモラルな部分はできるだけ見せないようにしていたし、どこか気を遣った言葉遣いになっちゃっていたんですよ。だけど、そうじゃないものが作りたくなった。同時に、前のバンドのドラムから「バンドをやめようと思う」と言われたのがひとつのきっかけになって、音楽を作ることよりも、LAMP IN TERRENであり続けることの方が自分にとって重要になっていたんだと気づいた。自分で作ったLAMP IN TERRENのイメージに合わせて生きていくのは、なんか違うんじゃないかという気持ちになったんです。その結果、誰にも気を遣わずに自分の話ができるような、新しいバンドをはじめようという結論に行き着きました。いまは自分ありきの作品になっているし、作品ありきの自分になっているし、自分が身に纏うために音楽を作っています。
──自分の話だけをしている状態のまま、他者や社会と繋がれるかという点についてはどう考えていますか? LAMP IN TERRENの4枚目のアルバム『FRAGILE』の制作を通じて、可能性の片鱗を見たかと思いますが。
僕は自分の話を一方的にし続けているような感覚でいるんですけど、そこに共感してくれた人から「私の気持ちを歌ってくれている」というリアクションが返ってくることもあるんですよね。自分のクソみたいな人生を歌った曲は、俺の世界においては俺の話でしかないのに、その人の世界では、その人のための歌になった。そういう現象が起こるのであれば、恐れず自分の話をしようと思ったし、そういう価値観をもっと持つべきなんじゃないかと思いました。でも、誰かに求められているとは思いたくないな。基本的に自分のことが嫌いで、「俺なんかが求められているわけねえよな」と思いながら生きてきたような人間なので。誰かに求められていると思いながら生きるのは、正直な気持ちではないので。
──松本さんは過去のインタビューで「美しいものになりたい」「人としてカッコよくありたい」ということを結構おっしゃっていましたよね。それは人間の普遍的な感情だと思うし、共感できるんですが、そもそも松本さんのイメージする美しい姿ってどのようなものですか?
絶対無理だけど“忘れない瞬間”みたいなものがすごく欲しいんですよ。自分にとってプラスのことであれ、マイナスのことであれ、ちゃんと切り取って残したい。それをライヴとか曲とか、何かしらの形で残していくことが最近の……いや、人生のテーマになっているのかもしれないです。自分の人生のなかで起きたこと一つひとつをちゃんと覚えておくことで、結果的に美しくなれるのではと思ってます。
──プラスなことはまだしも、マイナスなことも覚えておきたいと思うのは?
犯罪を扱った映画やドラマってたくさんあるじゃないですか。加害者がいるということは被害者がいるということだから、犯罪自体は褒められたものではないけど、普段だったらマックス100%までしかいかない人間の感情が、120%に振り切れた結果、そういう行為に及ぶんだと思うんです。それがいいことだったとしても、悪いことだったとしても、欲望に忠実なものが輝いて見える瞬間があると思うんですよ。だからこそ犯罪も映画やドラマになるんだろうし。同じように、例えばクソみたいな曲を作ったとしても、そこに自分が飛び込んで、歌うことで音楽と融合した瞬間、輝かしいものになることもある。だけど忘れてしまったら、無に等しいので。
──なるほど。
多分、死にたくないという気持ちが強いんですよ。心を殺したくない。周りのミュージシャンでも「30歳を過ぎると新しい発想が出てこなくなる」「やり尽くしてしまったから曲が書けなくなっている」と言っている人が多いし、僕も「心が石になっていく感覚があるな」って最近すごく思います。だけど死んでいく感覚を確かに感じているからこそ「まだ生きたい」という力が湧いてくる感覚もあるし、「俺は生きていたいのか」という自分の熱意を発見する過程で気づくこともある。さっき、「切り取って残すこと」が人生のテーマかもしれないと言いましたけど、特に最近は「どんな欲望もちゃんと自分の中に収めておきたい」という気持ちが強くなってきていますね。