解散した後のことを考えてしまいました
——6月28日には、その“Bye-Bye Show”も収録したベストアルバム『BiSH THE BEST』がリリースされます。これまでの楽曲の再録もしたそうですが、松隈さんとのレコーディングはどうでしたか?
ハシヤスメ:久しぶりに下北沢の〈SCRAMBLES〉で録ったんですけど、松隈さんはリモートで参加だったんですよ。リンリンが言うには「リモートだった理由は、現場に行くと俺は泣いてしまうからだ」と言われたらしいんです。それをリンリンから聞いたときに、「松隈さん大好き! 」って思いましたね。
——良い話ですね。
ハシヤスメ:松隈さんに大きくなった姿を見せられてよかったですね。いままで何百回と歌ってきたので、もう松隈さんからディレクションされることないのかなと思っていたんですが、「最後にもう一度、ハシヤスメ節聴かせてみてよ」って言われたんです。例えば、“プロミスザスター”のサビでは、今までやったことのない、ガチャガチャした歌い方で歌ってみました。松隈さんのディレクションは、やったことのない自分を引き出してもらえるので、毎回本当に嬉しいです。松隈さんの方言や声を聞くと、安心しますね。

——BiSHの衣装を担当している外林健太さんもお世話になった1人だと思いますが、彼については今、どのような想いですか?
ハシヤスメ:そってぃー(外林)さんは、常に全力でBiSHに命を捧げていたんだなと思いますね。衣装だけでなく写真もずっと撮ってもらっていますし、本当に寝る間も惜しんでデザインを考えてくれているんです。
——外林さんが作った衣装についてはどう?
ハシヤスメ:そってぃーさんが作ってくれる衣装は毎回大好きですね。加入する前までは、私は膝上のスカートばかりはいていたんです。でもBiSHに加入してはじめて、ロングスカートにスニーカーという、いままで着たことのない組み合わせを着ました。そこからパンツやロングスカートの衣装が続いて、「自分はこっちの方が似合うんだ」とそってぃーさんから教えてもらった気がします。
——彼の観察眼はすごいですよね。
ハシヤスメ:見ていないようで見ているんですよね。そってぃーさんは、私が誰にも強制はされていないのに、「ハシヤスメ・アツコ」という人を徹底していたことを早い段階から気づいてくれていたんです。感謝しかないですし、BiSHが終わった後は肩くらい揉ませてもらって、ねぎらいたいですね。

——〈PUNK SWiNDLE TOUR〉の途中で、アイナさんが撮影中に怪我をするという事故がありました。最初にこのことを伝えられたときはどう思いましたか?
ハシヤスメ:マネージャーさんから「明日からの予定、スケジュール組み直しです」と言われたとき、言葉の意味はわかっていても、なにを指しているかよくわからなくなりました。当たり前にBiSHの活動が東京ドームまで続いていくと思っていたのに、それが急に途絶えてしまったんです。そこで改めて、いまの状況が「当たり前じゃないんだ」と気づきました。当日テンパりながらもアイナに急いで連絡したら、割とすぐに返信がきて、「生きていて本当によかった」と思いました。事故はこれからも起こってほしくはないですけど、この期間があったからこそ、残りの6人でのBiSHの時間を大切にしたいとより一層思えるようになりましたね。
——アイナさんがお休みの間は、どう過ごしていましたか?
ハシヤスメ:時間があったので、久しぶりに街を歩いてみたんです。景色や匂いを感じて、細かい変化に気づけるようになりましたね。みんなに24時間与えられていますけど、BiSHにいる24時間とただただ何もしない24時間は全然違うんですよね。私はいかに速い流れの中で生活していたか気づきました。この時期は“Bye-Bye Show”発売のタイミングだったので、CDショップに行ったりもしたんです。でもしばらくして再び寄ってみると、全然違うアーティストさんのコーナーになっていて、ちょっと寂しい気持ちになりました。まだ活動は終わっていないですけど、解散した後のことを考えてしまいました。
——アイナさんが復帰した秋田公演ではアイナさんをカバーしあっていましたが、振り返っていかがですか?
ハシヤスメ:いつ何が起こってもおかしくなかったし、頑張り屋のアイナは本番で張り切ってしまうかもしれないと思っていました。だから、ずっとアイナをサポートしようと思いながらライヴをしていました。