ある日車に轢かれてしまい骨折を…
──今回の作品は歌詞もすごく共感ができるものばかりでした。聴く人それぞれの人生に引っかかる部分があると思います。
新津 : そう言っていただけて嬉しいです!『傑作』は、私の人生そのものだけれど、これは私だけの物語じゃないと思っているので、いろんな方の人生の風景に重なれたら本望です。・・・私も大人になってしまいました(笑)。
──それも新津さん自身がここまでキャリアを積んできたがゆえだと思いますよ。
新津 : ありがとうございます。アーティスト活動も長くなってきましたが、音大の講師や、若いアーティストのプロデュースをさせてもらった経験も大きかったと思います。音大の授業では、「想像力や感性を使ったソングライティング」という、すごく抽象的なテーマで作詞作曲を教えているんです。生徒たちと「こころを音楽にするってどういうことだと思う?」「妄想から始めよう!もっと自由にもっと変だっていいよ」って伝える中で、私が、音楽で心を伝えることや自由さをすごく大事にしているんだなって自分への理解も深まった気がします。
──今作を作っていくなかでキーとなった曲はありますか?
新津 : 制作中、心の支えになっていたのは“IDEA”という曲ですね。数年前仕事の忙しさに自分の時間が取れず、心が荒んでしまう〜と、1度大自然の空気を吸いに、従兄弟のお姉ちゃんが住む山梨の古民家に1〜2週間くらいリフレッシュしにいったんです。しっかり食べて、寝て、規則正しい生活をして。何にもしないで畑に座って、空を眺めてたらだんだん元気を取り戻してきて、そこで作ったメロディーが“IDEA”です。ボイスメモで、音の響きだけの造語「YUI語」で歌っていたんですが、言葉を乗せるとなんか薄っぺらくなるなと思い、この曲は「YUI語」のままでリリースしたいです!と光さんに相談しました。
──“IDEA”は、日本語でも英語でもない不思議な歌詞だったので、驚きました。
新津 : あの時に感じた、心に色が戻ってくる感覚は言葉にできないと思って光さんをなんとか説得しました(笑)。アルバムができるまでの3、4年間、どんなスランプがあっても“IDEA”を聴くと元気が出て、この曲を収録するアルバムを絶対作るんだ!って励まされていましたね。

──なるほど。今作を作るなかで陥ったスランプは、他にどんなことがあったんですか?
新津 : そもそも2020年にアルバムリリースやライブの予定が決まっていたのですがコロナ禍に入り、リリースもライヴも中止になって活動が止まってしまいました。今までのサイクルで動くことが難しいから音楽を届けるにはどうしたらいいかを改めてすごく考えるようになって。これまで以上にファンの方と1対1で寄り添って、産地直送的に音楽を届けていく時代だなと思い、制作裏側を公開するファンクラブを作って、ものづくりの工程全てを新津由衣の表現の一部として届けるようになりました。
──そんななか、2021年5月にはRYTHEMの再始動を発表しましたよね。
新津 : 「メロディ」という、新津由衣の楽曲をリリースに向けて光さんと制作していて、ファンの方への感謝を歌詞にしていたら、「この曲をYUKAの声と一緒にハモれたらもっと素敵だな〜」と考えているうちに、”二人じゃないと歌えない歌があるね”という歌詞が出てきて、これはRYTHEMで歌いたい曲だ!と思って、YUKAに再始動を提案しました。
──そういう経緯だったんですね。『傑作』に収録されている“黎明”や“祝祭のアンテニー”は、コロナ禍の中で完成したんですか?
新津 : どちらもコロナ禍が少し明けてきた時に完成しました。特に“黎明”はコロナ禍と重なって始まった戦争とか、色々世の中が荒れているのに何もできない自分のやるせなさが歌詞に表れていますね。
──コロナ禍でできた曲はどれですか?
新津 : “DanDunByaaan!”ですね。家にこもって脳内トリップしていました。遊びが必要だったんだと思います。

──反動的な曲ができたんですね。今作に収録されている “暴露”という楽曲のなかでは、婚約破棄という衝撃的な出来事も綴られています。
新津 : これは私も衝撃でした。家族への挨拶もして、式場や婚約指輪も整っていたなかで、突然「やめよう」と言われたんです。ドラマみたいな急展開に理解が追いつかず、どういうこと?どうしようと放心状態で歩いていたら、ある日車に轢かれてしまい骨折を…
──えー!?
新津 : ぼーっとしていたんですね。右足の複雑骨折で、即入院したんですが… コロナ禍で面会が出来ず家族にも会えなくて心身ボロボロでした…。手術後傷口にばい菌が入ってしまって、さらにもう1度手術があり、退院してからも目眩が続いてしまったり…。びっくり連続!散々でした〜。
──すごい経験でしたね。そこから「センキュー絶望!」という歌詞がでてきたのはすごいです。
新津 : 「センキュー絶望ーーー!」と口から出てきた瞬間に、「アーティストをやっていてよかった!ありがとう、音楽!」って笑顔で泣きました(笑)。
──“暴露”の歌詞には、そんな絶望のなか、お母様の手料理が沁みたことも書かれていますね。
新津 : そうですね。幸せな環境だと鋭い音楽が作れないのではないかと思った時期もあって、20歳で実家を出て一人暮らししていましたが、そもそも私は、新津家の愛情に支えられて、安心できる環境があるからこそ、幼い頃から妄想や創作に没頭できていたのかなぁと改めて気づきました。『傑作』のデモもほとんど実家で作っていて、幸せな環境で創作意欲が減るということはありませんでした。むしろ新津由衣ワールドを広げられるのは、あたたかい家族の愛情あってこそなんだと感謝が募りましたね。
