スペシャル・フォトギャラリー
水曜日のカンパネラのスペシャル・フォトギャラリーを掲載!ここでしか見られない写真たちをぜひ、存分にご堪能ください!
INTERVIEW : 水曜日のカンパネラ
水曜日のカンパネラの最新EP『ネオン』は、すごいEPだ。「織姫がギャルのラッパーになっていたら」とか「卑弥呼が朝のニュース番組の気象予報士だったら」とか、いったいどうやったらそんな発想が出てくるのか。楽曲を作るケンモチさんはとにかくイケイケのゾーンに入っている印象があるし、自由にパフォーマンスする詩羽さんもすごく面白い。しかし、インタヴューで話を訊くと、かなり冷静かつしっかりとした信念を持って活動していることがわかる。その想いがあるからこそ、新体制に移行してもウェルカムな雰囲気で迎えられたのだと思う。やっぱり、水曜日のカンパネラはおもしろい!
インタヴュー : 飯田仁一郎
文 : 西田健
撮影 : 大橋祐希
コムアイさんはコムアイさんだし、詩羽は詩羽
──新体制として活動がスタートし半年以上経ちますが、最初の頃と感覚的に変わったところはありますか?
詩羽 : 意識的にはあまり変わってはいないんですけど、あたふたすることが減ってきました。「水曜日のカンパネラになった自分」という環境に、自然と体が慣れてきたんだと思います。いまはひとつひとつの仕事を楽しんでやれています。
ケンモチヒデフミ(以下、ケンモチ) : いまの体制がはじまったときは、どういう印象で世間に伝えるか、やきもきしていた段階だったんですよね。少しずつ曲を聴いてもらったり、ライヴを見てもらったりして、上手く引き継ぎ期間がひと段落出来た感じがします。ここからまた新しいカンパネラとして、新しいモードに気持ちが切り替えられてきたかなと。
Dir.F : 期待値は高い感触はあるんですけど、ネットを見ていると「水曜日のカンパネラ、別の人に変わったんだね」みたいな反応がまだまだあるんですよ。新体制に変わったことを知ってもらうのは、思ったより時間がかかるのかなと。これからツアーをやったり、メディアにも露出を増やしていきながら、次のステップに上がっていきたいですね。
──ライヴでは、ボールの中に入ったり、巨大な招き猫の風船をステージに登場させたり... 実際にやってみてどう?
詩羽 : 招き猫はもはや相棒ですね。いつも一緒に出てきているので、逆にいないのが想像できないぐらい(笑)。でも、単純に楽しいです。曲にしてもライヴでの演出にしても、「いままでこういうことをやってたんだけど」って言ってもらったことに対して、「やばい!やりたい!」ってやらせてもらうことがほとんどですね。
Dir.F : “メロス”は「脚立がないとやりたくないです」って言うから、毎回用意してます(笑)。
詩羽 : “メロス”はお客さんと同じ目線で立って歌っちゃうと、神々しさが薄れちゃうと思っているんですよね。脚立に登って、そこにライトを当ててもらうだけで「なんかすごいな」って感じが自然と出てくると思うんですよ。そういう環境づくりをしてから思いっきりやりたくて、脚立に乗ってますね。
──ケンモチさんは、詩羽さん体制に変わってから、楽曲の受け入れられ方はどのように感じていますか?
ケンモチ : 毎回少しずつ毛色の違うものを出しながら、徐々に受け入れてもらおうかなという施策をしていたんですよ。最初の“バッキンガム”と“アリス”のときは、いままでのカンパネラと、新しいカンパネラのふたつを提示したんですけど、良い感じに皆さんに馴染んでもらえたんですよね。それから“招き猫”と“エジソン”で、結構変えていこうと。“招き猫”なんて、やりすぎなぐらいポップじゃないですか。だから、ちょっとドキドキしていたんですけど、好意的に受け入れてもらえた印象がありました。それからは躊躇するようなリミッターが外れて、「この辺はもう新しいカンパネラの曲として出しても許されるだろう」と思って作れるようになりました。
──確かに今回のEPも、やりたいことを存分にやっている印象があります。
ケンモチ : 過去に作ったカンパネラの曲を聴いていて、“シャクシャイン”と“ディアブロ”っていう激烈ポップチューンを同時に作ってた時期があったんですよ。「この頃の俺はすごかった、やばかったなあ」と自分でも感じて。そこで、「この感じって、いまの詩羽だったら上手くハマるよな」と思ったんですよ。マインドとしては、そのときの気持ちを取り戻しながらやっています。
──詩羽さんは以前のカンパネラのことはどのように感じていますか?
詩羽 : コムアイさんはコムアイさんだし、詩羽は詩羽だなと思っています。カタチは同じものではあるけど、私のなかでは本当に違う道ですね。コムアイさんはコムアイさんで進んでいた道があって。それがあるからこそ私はゼロからスタートじゃなくて、その途中からさせてもらっている感覚はあります。その上で、その別の道を自分がどれだけ進めるかでしかない。コムアイさんをライバルとして見ているかって言ったら、正直全然そういう対象でもないというか。もちろん人として尊敬していますし、純粋に人としてのリスペクトはありますけど、ライバルという存在ではないです。ライバルは、自分自身ですね。それは本当に変わらなくて、「自分がどこまで行けるかだな」って自分自身に言い続けている感じですね。