
INTERVIEW : 水谷浩章
——もともと水谷さんは、どういう音楽体験をしてきたのでしょう?
水谷浩章(以下、水谷) : 10代の頃は、コピー・バンドでギターを弾いたり、ベースを弾いたりとかしていましたね。中学校の頃はビートルズを聴いてたり、スティービー・ワンダーを聴いたり。
——じゃあ、入り口はジャズというわけではないんですね。
水谷 : そうですね。高校の頃に先輩のバンドに入って、ベースを本格的に弾き始めて。その頃はジェフ・ベックとか、そういう音楽を好きでやっていて。大学でジャズ研に入ったんですね。最初からジャズがやりたかったわけではないんだけど、そのままジャズの現場で仕事をするようになったんです。

——それまでのロック的な流れと、ジャズ研に入ってからっていうのは自分の演奏スタイルも変わってきましたか?
水谷 : 自分は学校とかで音楽理論を勉強したわけでもないし、便利な教科書もなかったから、誰かに教わるか独学でやるかしかなかったんですね。ジャズ研に入ったら、自分で発明したと思っていた格好良いコード進行やスケールに全部名前が付いていて、先輩から「それはこれだよ」とか言われて、なんだみんな知ってたんだっていうのを確認したくらいですね(笑)。
——それからはジャズ寄りの現場で演奏していったと。
水谷 : そうですね。大学を長いこと留年していたんですけど、その間に仕事を始めて、ライヴもやるようになって、そのうち学校も行けなくなってやめちゃったんですけど。そのままジャズのプロのミュージシャンとしてやってたって感じですかね。
——phonoliteはいつ結成されたんでしょう?
水谷 : 2003年に1枚目を作りましたね。
——水谷さんが、phonoliteで一番やりたかったことはどういうことだったんですか?
水谷 : その前にリーダー・バンドをやっていたんですけど、それをやめてしばらく自分の名義の活動をしてなかったんですね。山下洋輔さんが可愛がってくださって、3つくらいのユニットで続けてやらせていただいたり、他の先輩方にもたくさん使ってもらっていたので、phonoliteを作ったときは、これまで自分がやってきたもの以外を「いち」からやり直そうかなと。優しい音楽が作りたいという気持ちのときだったんですね。漠然とですが。最初は、なんとなくそれだけでしたかね。
——その時に一緒にやろうって声かけたメンバーっていうのはどなたなんでしょう?
水谷 : 最初はドラムの外山明さん、パーカッションの大儀見元さんと、あとは真ん中で歌の中心になってくれるような方がほしいなと思って探してたんです。そしたら、たまたま中牟礼貞則さんというジャズ・ギターの大御所の方を紹介していただいて。僕なんかがお願いしても良いかわからないくらいの大先輩なんですけど、全然何のアポもなく電話してみたら「いいですよ」って言ってくださって。それが最初に決まって、あとはトロンボーンは松本治さんにお願いしようとか、サックスは竹野昌邦さんとか、それぐらいは決まっていましたね。
アレンジっていうのは宝の地図を書いてるようなものだ
——オルケスタ・リブレでは、芳垣さんが青木タイセイさんのことを後世に残るアレンジャーとして伝えていきたいっておっしゃっていて、音楽においてアレンジがすごく大切なんだなってことが伝わってきたんですね。水谷さんもアレンジをされていると思うのですが、実際アレンジがどのようにして行われていて、音楽にどういう刺激というか、要素を与えていくのかをお聞きしたいです。
水谷 : この間酔っぱらっているとき、Twitterに書いて反応が大きかったのは、比喩ですけど、「アレンジっていうのは宝の地図を書いてるようなものだな」って。それぞれのメンバーに渡している地図は別なんです。例えばヴァイオリンの人にはこれを渡す、サックスの人にはこれを渡すって感じで、それぞれパート譜ってものを渡すんです。で、せーので始めた時に別々の地図を見ながら皆で宝探しを始めるというか、どこ通ってくかはまだわかんない。そこから先はある程度サジェスチョンっていうのはありますけど、その日どういう風になってくかは冒険に出てみないとわからない、みたいな。

——その地図は水谷さんが用意するということですよね。意図的に違うものを用意するんですか?
水谷 : そこには演奏してほしいことが書いてあるので。細かい話をすればテナーサックスの譜面はB♭に移調したものを渡さなきゃいけないし、ビオラはハ音記号で書かなきゃいけない、チェロはヘ音で書かなきゃいけないとか、チェロの1番と2番は違うラインへ行くので違うものを書かなきゃいけないとか。
——宝を目指すっていうのは一致しているけれども、地図はそれぞれ違うと。
水谷 : 通ってく道も違うんですよね。同じところを目指してるはずなんですけど。まあ、だいたい、ここら辺にいてくれるんじゃないかなっていうのは思ってますけどね。
——アレンジャーっていうのは別々の地図を渡すまとめ役みたいなものですよね。
水谷 : そうですね。でも、今回の柳原さんのにもあったと思うんですけど、全員に同じリードシート(歌のメロディーとコード、簡単なガイドラインなどが記された譜面)を配って、ストリングスのみんなに任せる曲もありますし。ここまでは書いてあるけど、このパートは自由にやってくださいっていうのもあるし。別個の地図を渡すのが良いのか、同じ地図を渡すのが良いのかっていうのは、やっぱりその時々で考えますね。
——今回はライヴのために地図を書き下ろしたんですか?
水谷 : 全部書き下ろしたものなんです。インストの曲は別ですけどね。
——水谷さんから見た柳原さんのボーカルって、どういう風に映っていますか? 僕は柳原さんの歌ってすごく不思議だなって思っていて。一般的日本人男性の声っていう感じがするんですけど、言葉にしがたい深みがあるというか。役者でも、特徴のない平凡な日本人男性を演じるけど、かといってそこら辺にいる人と一緒とは違う輝きを持ってるみたいな、そういう人っているじゃないですか。
水谷 : そういうものはあるかもしれないですね。僕は近すぎてよくわかんないんですけど、柳原さんの書く曲は、詩も含めて声も含めて全部で1個だと思ってるので、歌がどうこうって取り上げて言われるのもあれですかね。

——なるほど。さきほど地図を渡すっておっしゃってましたけど、柳原さんに関してはどういう形で渡したんですか?
水谷 : 僕は彼のソロ・アルバムのアレンジで何回か関わらせてもらってるんですけど、基本ピアノかギターの弾き語りなので、なるべくそのままのものをやってもらって大丈夫なようにアレンジするんですね。今回に関しては「ストリングスだけで歌いたい」というリクエストだったので、じゃあどうするかってことから始まりました。逆に制約がないわけですよね。どこにでも持ってけるし、逆に元がないから難しいってところもあって。今回みたいな書き方をしたのは初めてじゃないですけど珍しいです。例えばこれまで、浜田真理子さんや青葉市子ちゃんとのライヴをストリングスでやったんですけど、そういうときは浜田さんのピアノとか市子ちゃんのギターとかを全部譜面に書き起こすんですね。歌のメロディーも細かく採って、ピアノも空で頭の中で鳴らせるくらいまで勉強するんですよ。そこまですれば、もう8割方書けているんです。頭の中で鳴らしながらぐるぐる回しているうちに、どんな色をつけるかだんだん浮かんできて、それをそのまま書くという。それがひとつのやり方です。柳原さんとやるときも、これまではこういうやり方を基本的にはしていたんですけど、今回はストリングスだけなのでちょっと違うというか。
——それはどういうふうにやられたんですか?
水谷 : いやもう… 七転八倒しながら(笑)。なんか捻り出すぞって感じですね。
——歌のメロディーだけはあったんですよね?
水谷 : もちろんありますね。
——で、楽器がないということですよね。
水谷 : はい。原曲は知ってる曲ばっかりなんですよ。一緒にライヴをやったことがある曲ばっかりだから。普段はギターをこういうふうに弾いてるとか、ピアノをこういうふうに弾いてるのも知ってるんですけど。ギターを弦でなぞったアレンジもあったりしますけど、そうじゃなくて考えるときに、どうするかっていうのがまた違いますからね。
——それは柳原さんから水谷さんへの挑戦って言ってもいいんですかね(笑)。
水谷 : いや、そうかもしれないですね(笑)。
——ある意味挑戦を受けて自分でアレンジして持っていった時は何かしら緊張みたいなものとかは?
水谷 : いや、こういう時だけじゃなくって毎回プレッシャーですけど(笑)。前の日は寝てないし。ぎりぎりまで書いてるから。
シンプルに個人的に音楽をやってるかもしれない
——ライヴに臨まれてどうでした?
水谷 : これね、面白かったです。2013年の1月にPIT INNで3daysをやらせてもらって、その中日だったので、この日だけの印象っていうのがちょっと薄れちゃってるんですけど、でも手応えはあったというか、楽しかったですね。
——柳原さんの声の特異さに、ストリングスが加わって歌が映えてるし、気持ちいいなって感じました。だから、まさかその裏にこんな緻密な攻防があったとは思いもしませんでした(笑)。
水谷 : やなちゃんの歌自体が最近変わってきている、っていうのは僕も感じていて。リブレの三文オペラとか見にいったんですけど、あ、もう大丈夫だと思って。もうこれは、歌だけで成立してるわと思ったのね。声だけで成立してるので、もうそんなに大変なこと書かなくてもいいなっていう開き直りはありましたよね。
——芳垣さんは普遍的に残るであろう曲を、ちゃんと残していかなきゃってことで、オルケストラ・リブレを始めたっておっしゃってたんですけど、そういう意味で水谷さんの音楽に対する接し方っていうものには何か変化がありますか?
水谷 : 僕は逆にシンプルに、個人的に音楽をやってるかもしれないですね。芳垣さんとはすごく付き合いが長いので、今そう思ってるんだろうなっていうのは端から見ててもよくわかるんですけど。僕はちょっと逆にシンプルに個人的に音楽をやってるかもしれないですね。

——ちなみにこのphonolite strings meets 柳原陽一郎っていうのは定期的にやっていかれるんですか?
水谷 : これでお客さんがついてくださったら、ぜひ(笑)。これまではphonoliteのゲストで何回か来てもらっていて、PIT INNとかでやってもらっていたんですけど、今回は柳原からのリクエストでストリングスでやりたいってことだったので、じゃあそっちでやってみましょうって。
——今回はのライヴで一番の面白みをあげるとすればどういうところでしょう。
水谷 : いわゆる弦カルっていうのはヴァイオリンの1番、2番がいて、ヴィオラがいて、チェロ、っていうのが普通の形態なんですけど、ヴィオラから始まってチェロが2本いて、その下にコントラバスなんです。普通の弦カルからするとかなり下のほうに下がってる。だから書き方自体がだいぶ違うし、アンサンブルの仕方も普通の弦カルとは全然違うんですね。ヴァイオリンがトップではなくて、ヴィオラがトップなので。このメンバーだからできるっていうところもあって。アンサンブルの絡み方が、ものすごく面白い感じになってる。それがまず演奏するだけでも面白いってことと、あと特殊な編成なのでいわゆる弦カルではできないことが書けるっていうことがあるので。編成がちっちゃいから動きやすいっていうのもまずありますね。
——聴いていてそこまで重低音の重みを感じないっていうのが面白いなって思っていて。その低音感がしないというか。
水谷 : そうですね。僕からすると普通の弦カルが高音に寄りすぎなんじゃないかなって思う気がするんですけどね(笑)。
——面白いですね。その過程だとか、編成のことを聞くとより楽しみが増えますね。これを全部独学でやられてきたっていうのはすごいですね。
水谷 : そうですね。
——最後に何か言い残したことがあれば。
水谷 : こんな感じなので、変わった編成ですけどぜひ使ってくださいね、皆さん(笑)。
PROFILE
phonolite strings
水谷浩章が主催する"phonolite"(flute、reeds、trombone、strings 等を含む12人編成のオーケストラ。2003年~)より、ストリング・セクションのみを抽出したコア・ユニット。梶谷裕子(ビオラ) 橋本歩(チェロ) 平山織絵(チェロ) 水谷浩章(コントラバス)という変則的なストリング・カルテットに 太田朱美(フルート)をゲストに、2010年より活動を始める。
柳原陽一郎のレコーディング・サポート、クランボンの原田郁子、さがゆき、DiVaの高瀬"makoring"麻里子らとのコラボレーションでの評価も高い。2012年、アルバム『phonolite strings』をリリース。