最終的に数えたら25曲作っていて
――映画自体はいかがでしたか?
荻野:いやあ、本当に完成するまでわからなかったっていうのが正直なところで。着地点がここだっていうのだけしかわからなかったので、謎の部分は多かったですね。観る方がどのように感じられるのかもわからなかったです。ミステリアスといえばミステリアスなんですけど、やっぱり三谷さんらしいすごく細かい笑いがあって。ゲラゲラ笑うんじゃなくて、「ククク…」って噛みしめるような笑いが詰まってるシーンがいっぱいあるので、それをどういうふうにまとめるんだろうっていうのが、出来上がるまでちょっと想像つかない感じはありました。
――三谷監督とは、もともと舞台でご一緒されたのが始まりなんですよね。
荻野:2000年に「オケピ」というミュージカルがあって、服部隆之さんが作曲されていて、私はステージの下にある実際のオーケストラピット(オケピ)のピアノを弾いていたんです。もちろん作曲されたのは隆之さんなんですけど、もう1人メインのピアニストさんがいて、私はそのエキストラだったので自分が実際弾くというよりは、稽古中もずっと見学してることが多くて、三谷さんとお話する時間も結構あったんです。それで仲良くさせていただいて、せっかくなんで「私も作曲するんですよ」って、デモテープをお渡しして売り込んだりして(笑)。でも別にすぐ仕事に繋がるというわけではなくて、共通の知人がいたりとかして、何回かお会いする機会があったりしてるうちに、劇団東京ヴォードヴィルショーの音楽を作りませんかって声をかけていただいたのが最初なんです。
――三谷監督の音楽のこだわりというのは、特にどんなところに感じられますか。
荻野:もちろん映画もそうですけど、音楽の造詣が深い方なので、いろんな曲をご存知ですし、知識が半端じゃないんですよ。それと、音楽を言語化されるのがすごく上手というか。作った曲に対して駄目出しもされるんですけど、「もっとこういうふうにしてほしい」とか、「こういうところが違うんだ」っていうことがすごくわかりやすいんです。すごい時は、曲を流してて、「ここ!この音が違うんだよ。この音がもう少し高くなればいいんじゃないかな」とか、そういう具体的なことまで言われたりするので。そういう意味では厳しいですけど、すごくやりがいがあるというか。毎回試されてるなっていう気がして、チャレンジしていこうという気持ちにさせてくださる方だなって思います。
――今回もチャレンジが多かったですか?
荻野:今回は本当に初めてなぐらい、壁にぶち当たったんです。一番最初のオープニングの曲が、とにかく監督のイメージに全然合わなくて。何回作り直しても、「違う、違う」って毎回注文がどんどん増えていって、最終的に私が「もう無理です」ってなりながらも作っていて。その当時はちょっと気が滅入るから数えなかったんですけど、最近数えたら25曲作っていて!そのくらいすごく厳しかったし、イメージに近づけなかったんですよね。初めてでした、それは。
――そうだったんですね。もう阿吽の呼吸で一発OKぐらいの感じでやってらっしゃると思っていました。
荻野:いやもう、とてもじゃないですけどそんな感じじゃなかったですね。逆に“ヘルシンキ”は一発OKだったんですけど(笑)。
――やっぱり5年ぶりの新作ということで、シビアな目を向けていたんですかね。
荻野:そうだったのかもしれないですね。やっぱりオープニングが肝な感じもしますし、まずそこでこの映画がどんな映画だっていうことを伝えるために、ミステリーっていうことが前面に出た方がいいし、お客さんをわくわくさせる掴みっていうものにすごくこだわられたんだと思うんです。なかなかその域に達することができなかったその時間が本当に苦しかったですね。
――結果、出来上がったときは満足感が大きかったのでは?
荻野:出来上がった当初はもう、夢中になりすぎて自分でもよくわからなくなっていたので、レコーディングしても「本当にこれで良かったのかな」って、正直手応えがわからなかったんです。でもやっぱり映画館でちゃんと流れたのを聴いて、「ああ、よかったなあ」って思いました。
――サウンドトラックが完成してから、三谷監督からはどんな言葉をかけられたんですか。
荻野:「苦労した分、いいものになりましたね」みたいなことは言っていただいて、CDのブックレットにも書いていただきました。私は「本当かなあ」って斜に構えてしまったんですけど(笑)、「いや本心を書きましたよ」っておっしゃっていました。
――荻野さんのルーツについてもお伺いしたいんですが、どんなところから作曲家として出発しているのでしょうか。
荻野:ルーツ的なことで言うと、私はそもそもエレクトーンから始まってる人間なんです。ヤマハのエレクトーン教室の流れで、あたりまえのように「曲を作りましょう」っていう環境で過ごしてきたので、自分の中で曲を作ることは特別なことじゃなかったんですよね。高校生ぐらいからは、舞台を観に行くのがすごく好きになって、「舞台音楽を作りたいな」って思うようになったんです。それとは別に映像にも興味があって、ドラマとかで最後に音楽を作った人の名前がテロップで流れるのが素敵だなと思って、「いつかここに名前が載る人間になりたいな」っていう気持ちが、舞台音楽を作りたいという気持ちと一致したんですよね。人が芝居をしたりすることに音楽をつけるのは、自分に合ってるような気がしたんです。
――その当時、影響を受けたミュージシャンはいましたか?
荻野:ジョン・ウィリアムズが大好きだったんです。中学の頃に、『E.T.』を観たときの衝撃が忘れられなくて、サントラで曲を聴いては、シーンを思い出して涙するっていう(笑)。「こういう曲を作れる人がいるんだ!」と思って、そこから「目指せ、ジョン・ウィリアムズ」みたいな感じになったんです。
――壮大な音楽への憧れから始まってるんですね。曲を作るときに、ご自分の中で舞台というか映像とかが頭に浮かんでいたりするのでしょうか。
荻野:そうかもしれないです。1人っ子だったこともあって、1人で遊ぶ時間が長くて、ぬいぐるみとかをキャラクターにして物語を作って遊んだり、妄想でお話を作ったり、自分で勝手に世界を作るっていうのは好きだったので。ひたすら妄想してる子供だったことを覚えてます。





























































































































































































































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