〈QUATTRO Alternative〉日韓のオルタナティヴが開いた夜──ライブ・レポート&メール・インタビュー

渋谷クラブクアトロが新たに打ち出すイベント〈QUATTRO Alternative〉の初回が、2026年2月24日に開催された。2024年の秋以来、ステートメントとともにライブ活動の終焉を告げたParannoulの久々のライブであり初来日、昨年のフジロックにも登場したBalming TigerのMudd the studentも同じくソロでは初の日本ライブ、そこに君島大空が迎えうつ形で開催された本イベント。そんなトピックスもあり、会場は大入りで、入れなかった人も多かったであろうこの日の様子をレポート、そして後日行ったメールインタビューをお送りする。 韓国と日本という近くて遠いそれぞれの場所で、シューゲイズ、digicoreという共通項を持ち集った三組のライブからは、なにより本人たちがこの場を待ち望み挑んだのだということが窺い知れた。
LIVE REPORT : 君島大空、Mudd the student、Parannoul
文&メールインタビュー作成 : 風間一慶
撮影 : Kazma Kobayashi
「CLUB QUATTROの可能性を拡張させる試み」としてローンチした〈QUATTRO Alternative〉。100人に尋ねれば100通りの解釈が返ってくるであろう「オルタナティブ」という語を一つの定義に収斂させることなく、目の前で起きている現象によって意味を肉付けしていくような夜として、その初回がセッティングされた。そしてそれは、「日韓のエッジィなアクトの競演」という枠にも最早収まらない、ライブという行為の内的原理に立ち返ったプリミティブな景色を、結果的に描いてみせた。

最初に姿を表したのは君島大空。ステージの上にはガッド・ギターに加えてラップトップがセッティングされており、ステージに登場すると机の上のそれを触り出した。ユーフォリックなシークエンスの中で、生成りのシャツのように変幻自在な手触りのサンプルが数多重ねられ、鈍いキックが天井を揺らす。そして「オオゾラ・キミシマ・イズ・デッド」という音声が突然挿入される。重奏形態でもトリオでもなく、そしてギターと声のみによって演じられる独奏形態でもない、まさにオルタナティブ仕様のセットだ。
アブストラクトなフレーズから「除」や「嵐」に接続され、伸縮するトラックの上でハンドマイクの君島が歌う。浮かぶのは彼のホームであるSoundCloudで培養されたdigicoreの遊戯性、そして昨今盛り上がりを見せているEpic Collageの重力を忘れたような縦横無尽っぷり。君島自身の身体がそこに付与されることにより、強烈なライブアクトとしてライブ体験が増幅される。ガッド・ギターに持ち替えて「19℃」や「向こう髪」を奏でるパートでも、繊細なピッキングのニュアンスと過剰な手数により、自身のイマジネーションを際限なく顕現させていく。

MCでParannoulを過去にライブへ誘ったものの「もうライブもやらない」と断られたことがあると明かす君島。「でも今日があります」と感慨深く語り、ローファイなテクスチャーの「映画」やトーンを落として意識を澄ませた「-nps-」でエレクトロ・セットへと戻った。この日のステージライトは明確にセンターを照らすのではなく、逆光が刺すような演出だった。あくまでショーの主役は音の波の中で出会う身体であり、スピーカーの前では誰もが等しく平等だ。ラストはこの日のためにオリジナル Ver.を短縮してまで披露した「Gogo No Hansyakou」。デビューEPのタイトルトラックとは異なった趣の、ごく初期に制作されたコラージュ色の強いナンバーだ。《耳の側で呟いた声がまた喉に帰ってゆくような/うろ覚えの愛の言葉なんざずっと抱いてるんだ》という綿のような言葉が暴流のような音の中で浮かぶ。貫くようなサブベースを残し、圧巻のうちに幕を閉じた。


続いて登場したのはMudd the student。今やグローバル・スターとして活躍するBalming Tigerではサウンド面でのクリエイティブを支えながら、ポストパンクやインディー・ラップを巧みに組み合わせたソロ・プロジェクトではその才気を爆発させている。最新作『LAGEON』のジャパンツアーを兼ねたダブルネーム公演として「QUATTRO Alternative#1」が企画されたという背景もあってか、フロアは沸騰寸前でそのステージを待ち望んでいた。
冒頭、4ピースのスタンダードなバンドセットで『LAGEON』から「cache」をドロップするMudd the student。ほのかにユーモラスでケレン味のあるノイズ・ポップの側面が強調されたアルバムが、バンドセットではハードコアとして再提示される。ボリュームのある赤い髪を振り乱しながら、Mudd the studentはラップと歌唱の間を漂うようにフローを重ねていく。苛烈なトラップと激しいバンドサウンドを組み合わせる様はhyperpop〜digicore以降の感性であり、君島とは別の方面から身体性にアプローチしていく。ハンドマイクに切り替えた「APA freestyle」ではパンク方面のアレンジへと大胆に舵を切り、迫力を増したサウンドでフロアを制圧。「東京もっといけるだろー!」と日本語で煽るMudd the student、まさにライブハウス然とした光景だ。


シューゲイザー然とした「Best Thing」を挟み「ソウルから飛んできたマッドです。東京、静かすぎない?」と日本語でさらなる加熱を期待するMCを投げかけるMudd the student。韓国語で饒舌にスピーチした後にメンバー紹介、上手でギターを構えていたAsian Glowの名が告げられるとオーディエンスの間でどよめきが起こった。この後に登場するParannoulと共に2020年代の韓国におけるインディーズシーンの先頭に立つ才人が……と呆気に取られていると、なんと飛び入りゲストとしてParannoulが呼び込まれた。2024年の秋以来となる公の場でのパフォーマンスがMudd the studentとのステージというミラクルに、客席は一層どよめく。コラボレーションするのは「Active Now」、アルバムで共作した一曲だ。轟音の最中で聞こえる麗しいピアノの音、ParannoulとMudd the studentが《生きているんだ(살고 있어)》と何度も声を張り上げる。

終盤の「123」ではバンド・サウンドにエレクトロニカを組み合わせ、『LAGEON』の世界観をグリッチ・ポップらしく肉付けしてみせる。またもやハンドクラップを煽りライブハウスらしい光景を再度作りだすMudd the student。彼がベッドルームという異文脈を経由してハードなバンドに回帰したという現象は、ここ数年のトレンドを象徴しているようにも感じられた。セルフ・アンコールではFugaziの「Waiting Room」をオマージュした上に最後は客席に降りてハンドマイクで歌い上げるなど、奔放にそのイマジネーションを開陳してショーは幕を閉じた


先ほどのステージの余韻を引きずったまま、Parannoulがセッティングをしているのを見ていた。パーカーを着た青年がギターを持っている。ブレイクスルーとなった2021年の『To See the Next Part of the Dream』がエレキギターを用いていないシューゲイザー・アルバムとして話題を呼んでからちょうど5年。一時はライブ活動を休止していたParannoulが、ギターを持っている。そのことについて思案しながら待っていると暗転、この時点でフロアの期待感はごく高い地点まで引き上がっていた。
真っ黒な舞台でギターを抱えて操作するParannoul。「日本のみなさんこんにちは。私はパランノウルです」というGoogleの読み上げ音声がラップトップから流れる。挨拶の次に聞こえてくるのは電車の音、「何聞いてるの?」、「リリィ・シュシュ」、ドラムのフェードイン、轟音。『To See the Next Part of the Dream』の冒頭を飾るアイコニックな「Beatiful World」だ。深いディストーションを纏い、ハウリングを伴いながら裂き切れそうに唸りを上げるギター。青い照明が逆光となって、託宣のようにステージを照らしている。この景色を何よりも待ち望んだオーディエンスが恍惚の表情で、瞼を閉じて、下を俯き全身でリズムを取って、様々に満たされていくのが見える。

曲が終わると万感の思いでステージを見守っていた観客が一斉に拍手を送る。程なく流れたのは痺れるようなドラムブレイク、「Excuse」だ。幅広いコンテクストの中に位置付けられるParannoulだが、ライブで際立つのはエモとしての側面。キメの一つ一つがラップトップから鈍重に放たれ、Parannoulの抱えるギターはさらにそれを増幅させる。繊細な声やピアノ、それに鉄琴の音が対比される様も美しい。
「小学生の頃、『エアーマンが倒せない』と『思い出は億千万』を聴いていました」と( Googleの読みあげ機能を通して)語るParannoul。彼にとってインターネットを介した日本のカルチャーも重要なルーツの一つなのだ。その象徴かのように、爽やかなゼロ年代を彷彿とさせる「Analog Sentimentalism」が始まる。ここまでの3曲は『To See the Next Part of the Dream』のトラックリスト通り。いみじくも「QUATTRO Alternative#1」の開催前日は本作のリリース5周年だった。彼にとっても、そして世界中のリスナーにとっても忘れ難いノスタルジーと結びついた音が、会場を突き破らんとするほどのスケールにまで増幅されている。
「『ライブはやめる』と言っていたのですが、尊敬してる人たちとの出会いはやめられなくて、これからライブを楽しんでいこうと……」というアナウンスに歓声で応えるオーディエンス。この日のために作ったという新曲は四つ打ちをミックスしたヘヴィ・シューゲイザーであり、開放的なフィーリングのナンバーだった。「Analog Sentimentalism」からの、ある意味でスーパーカーが辿った道程を表すような流れにより、フロアの熱量がまた一段と上昇する。

近頃Parannoulが動かしているMydreamfever名義のアシッド・フォーク風のサイケデリックなトラックに接続され、再び『To See the Next Part of the Dream』に戻り「Chicken」がドロップされる。《もしもう一度チャンスがあったなら/今とは違う自分になれていただろうか(어떠한 일이 생겨도 아무것도 선택하지 않아/비가와도 눈이와도 변하지 않는건 변하지 않아)》という述懐が吹き抜けるようなサウンドの中で歌われる。思えば今日のアクトは増幅 amplifyの霊性について真摯であった。ある者は綿のように浮遊するイマジネーションを、ある者は脳内に停留するノイズを、そしてある者は今ここに抱えている怯えを、指先一つで音波へと転化させた。手段として選ばれたのはマイクとラップトップとギター、それらは感情を指し示すコンパスに過ぎない。絶えず増幅する轟音の中で、一瞬出会う台風の目のように静かな瞬間を、彼らと私たちはただ待っていた。あの日の渋谷クラブクアトロに何度か訪れたのは、それだった。
……チャイムが鳴る。「White Ceiling」の目覚めるような音が会場を覆っていく。自室の変わらない日常が憂鬱を纏っていく中で、制御不能になったノイズをギターによって四方八方に放つParannoulの姿には、彼がライブを通して繋がる意味を必死で希求しているのだと直感させるだけの刹那が宿っていた。最終盤、激しいストロボライトが焚かれる。流れる街中の雑踏やアニメの音声を凌駕するほどの音量にまでハウリングの音は増幅され、振り解くようにしてギターから離れたParannoulは即座にステージから去っていた。残っているのはハウリングしたままのギターのみ。永遠に続くかのような──事実、PAが何もしなければ永遠に続いていただろう──ハウリングを眺めるように見つめていた大勢のオーディエンス。しばしの間、何もないステージを虚ろに見ていた彼らの姿こそが、この夜への何よりの賞賛だろう。そしてもう一つの賞賛として、音が止まり会場のライトが点いた瞬間に、大歓声が送られた。














































































































