気持ちよさを求めて──札幌の街を吸収するGlansの音遊びと探求心
GEZAN主宰レーベル〈十三月〉から、札幌の5人組バンドGlansがアルバム『slow tree』をリリースした。昨年は〈Road Trip To 全感覚祭〉に出演し、そのパフォーマンスが話題となったのも記憶に新しい。変則的な進化をみせるアーティストが数多く存在する、札幌を拠点とする彼らは、どのように音楽と向き合ってきたのだろうか。ただの遊び友達だったというメンバーが共有してきた音楽から、今のGlansにとってのターニングポイントであるクラブミュージックとの出会い、そして制作中に訪れた「全員ノイズを鳴らす時期」についてなど、話してもらった。音と快楽を追求するに至る街のあり方、そこに喰らいつく彼らの“音”への貪欲さが、インタヴューによって垣間見えてくる。
〈十三月〉からリリース、アルバム『slow tree』
INTERVIEW : Glans
「グランズっていう、やばいバンドがいるらしい」という話をいつからか耳にするようになった。昨年1月開催の、the hatch主催サーキットイベント〈Speed of Faith〉でライヴを見てからは、それを言って回る側になった。goatや空間現代のようにテクニカルかつサイケデリックな演奏をしながら、INUを彷彿とさせる前のめりさもあり、本能的なダンスを掻き立てられる。そんなあべこべな印象をその時は受けた。それまで感じたことがない感覚だったのだろう。
そして今年6月にリリースされたアルバムを聴くとまた印象が変わった。ドローンなどの空間的な音響アプローチにはじまり、その静謐さに差し込まれる直線的で幾何学的なビート、時間感覚を操られているようなサイケデリアを誘発するエフェクトやノイズには、ダンスフロアでたびたび起こる、あの感覚がたしかにあった。
アルバムを聴いて、そして昨年夏に出会った、札幌のフロアを駆け回る江河達飛(Gt,Vo)の姿をおもい、話を聞いてみたいと思った。札幌の土地には、各国からサウンドシステムを求めて人々が訪れる〈Precious Hall〉や、かつてFUGAZIも来日したハードコア・パンクを軸とするライヴハウス〈KLUB COUNTER ACTION〉といった歴史ある場所が存在する。そんなハードコア・パンクとハウスとサウンドシステムの街で、彼らはどのように遊び何を思ってバンドをやっているのだろう?
そんな経緯で行われた今回のインタヴュー。〈中野ムーンステップ〉でのCARTHIEFSCHOOL主催〈動物墓地〉出演前のメンバーに話をきいた。(が、色々あり時間が足りなかったので後日リモートでもインタヴューを行っている。そのため後半はメンバーが不在だったりします。また、昨年加入したパーカッションのヒデト・チンポはインタヴューに参加できず、また次回。)
インタヴュー&文 : TUDA
昔、俺らは爆音大好きの集まりだったはず
──音楽をはじめに意識した、もしくはバンドをやりはじめたのはいつですか?
陸人:自分が組んでたメンバーと達飛がバンドをはじめたときに知り合ったのがGlansの中では最初で、どっちも高校生のとき。俺はノイズが好きで、部室でひとりでシューゲイザーごっこしてました。
達飛:当時、The culture recordというバンドを組んでいたんですけど、ナンバーガールを聴きまくってたときの感じをやっていました。
陸人:俺はナンバーガールはそんなに聞いてなくて。札幌の喃語とSpartankixx、あとSuiseiNoboAzがめっちゃ好きでした。ベースの怜と一緒にその3組とDischarming manのイベントを観に、はじめてライヴハウスに行ったんです。そこで真面目にギターを“弾いてる”場合じゃないなと思って、弾かなくなっていきました。音楽を聴くきっかけは太平洋不知火楽団とかうみのてだったし。だからギターを弾きはじめて1年くらい経ったとき、Cコードも覚えてない状態だった(笑)。あと僕と怜は幼馴染で、幼稚園から中学まで一緒で。
怜:陸人からSuiseiNoboAzを教えてもらってハマったり。その後、自分が高校生のときにファズファクトリーというエフェクターをおもちゃ感覚でいじっていて、陸人にその録音を送ったらバンドに招待されました。当時はとにかくノイズを出したくて。ジャンルとしてのノイズは全然聴いてなかったんですけど。
ノブヲ:俺は高校生のときポップスのバンドとかやってましたね。でも聞いてたのはザ・ストーン・ローゼズとかザ・ローリング・ストーンズとかスライ&ザ・ファミリー・ストーンとか。あとデリック・メイも。テクノは500円の中古CDを買い漁って。でも、いまみたいなディグを始めたのは札幌で達飛に会ってから。このなかで俺だけ旭川の隣にある東川町っていう田舎の出身で。旭川のライヴハウス〈MOSQUITO〉でバイトもしてたんだけど、もっとおもろい人がいるところに行きたいなと思って。だから高校の夏休みと冬休みの間は、ホームレスしながら札幌でずっと遊んでました。ひとりで狸小路をカホン持って叩きながら練り歩いてた。
──ドラム自体はいつからやってるんですか?
ノブヲ:小学5年生からやってます。一年間で軽音の曲を全部コピーして、ドラムに飽きたときにDTMで曲を作り始めました。当時は好きな曲がなかったから、「じゃあ作ればいいや」と思って。自分のいちばん好きな曲がどこにもないから、結局それは自分のなかからしか出ない、だからそれをどうやって作るのか? いまもずっと考えてる。
──その自分のなかから出る曲は何に影響されていると思いますか?
ノブヲ:それは、ピアノの音だと思う。母さんがピアノ教室をやってたんだけど、そこで5歳のときショパンの「革命のエチュード」を聴いて泣き始めたことがあって、それをまだ覚えてる。だから最近のものっていうよりかは、昔のものの方が影響を受けてる感じがあります。
──達飛くんは結構小さい頃からライヴハウスにいると聞いたんですけど
達飛:お父さんがバンドやってるんで、それで連れて行かれて。SLANGのライヴとか。札幌だと〈KLUB COUNTER ACTION〉(*1)、昔の〈SPIRITUAL LOUNGE〉(*2)、〈SOUND CRUE〉(*3)とかはよく行ってました。
*1:1995年3月にオープンした老舗ライブハウスで、札幌のハードコア・パンクシーンの中心地と思われる。コロナ禍に一時的に閉店したものの、2023年4月に場所を新たに営業を再開した。SLANGのヴォーカルKOがオーナーを務める。
*2:約18年間すすきのに店を構えていたライブハウス。2021年3月に閉店。ローカルのバンドから来日アーティストまで出演していた。
*3:大通り近くに位置するライブハウス。この記事に出てきたバンドの多くがここに出演している。バー営業も行っており、サロン的な役割も果たしていそうだ。
陸人:〈KLUB COUNTER ACTION〉は移転直前の頃に一回だけやせてもらったよね。めちゃくちゃ音がデカくて、めちゃくちゃ気持ちよかった。俺がはじめて行ったときは、達飛にいきなりevepartyのライヴ観に行くよって連れていかれて。そこで喰らった。
──上の世代のそういうハードコアの人たちにも影響されているんだろうなと
陸人:昔、俺らは爆音大好きの集まりだったはず。俺は当時「爆音」ってめちゃいってた。