いわゆる青春パンク的な雰囲気のバンドはわりと珍しかったかもしれない
──『この高鳴りをなんと呼ぶ』には表題曲のほか、根強い人気曲 “中年かまってちゃん”も入ってます。
柴田 : “中年かまってちゃん”も良い曲。この曲も冴えてますよね。
──曲も歌詞もアレンジも冴えてますね。
柴田 : 冴えわたってる!このときはやっぱり乗ってたんだろうなあ。なぜか星野源さんが「すごく面白い曲がある」ってこの曲の歌詞をラジオで朗読してくれたんですよ。
──〈エロサイトの深夜サーバーに負荷がかかって つながらんのは俺がひとりじゃないから〉というフレーズが音楽シーンに刻まれました。
柴田 : なに言ってんだって感じですよね(笑)。
──そういうことも含めて、『この高鳴りをなんと呼ぶ』の反響はどう感じていましたか。
柴田 : 嬉しかったです。すっごく嬉しかった。その喜びを知ってしまった分、そこから地獄が始まるんですけど(笑)。
──次に出るのが4枚目のシングル『僕らパンクロックで生きていくんだ』(2013年6月12日)です。このタイミングで「僕らパンクロックで生きていくんだ」という宣言をしたのはどうしてですか?

柴田 : 「パンクロック」っていうのはやっぱり大事にしてたんです。パンクロックをやりたいって強く思ってたし、自分たちはパンクロックを愛しているしそれをやる集団であるっていうのは、世の中に発表したかったんですよ。「舐めんな!」っていう。当時はどんなバンドが特に活躍してましたっけ?
──The SALOVERS、cinema staff、KANA-BOONとか若いバンドが世に出てきて活躍していた印象です。
柴田 : ああ、なるほど。そうすると俺らみたいないわゆる青春パンク的な雰囲気のバンドはわりと珍しかったかもしれないですね。あとこのシングルは、ジャケットも素晴らしいものが出来たと思ったんですよ。
※『僕らパンクロックで生きていくんだ』ジャケット
メンバーそれぞれが「S」「E」「X」を体で表した初期のアー写“SEXジャンプ”を模した写真をSNSで公募。採用されたのは、東日本大震災で被災して取り壊すこととなった福島にある高校の校舎に描かれた桜の木の前で、卒業生の女子生徒3人が卒業式の日に飛んでいる写真。


──大きな反響があった前作に続くシングルでしたが、手ごたえはいかがでしたか。
柴田 : すごく自信があったんだけど、これはあんまりいかなかったんです。“僕らパンクロックで生きていくんだ”のメロディーは、ずっと温めていたんですよ。すげえいい曲だなと思ってたんだけど、“この高鳴りをなんと呼ぶ”ほどは反響がなくて「あれ?」ってなって。そのときに、すごく何か得体の知れない苦しさを感じたんです。ノイローゼの前兆というか。
──自分が思っていたような反響じゃなかった?
柴田 : 全然、なかった。「あれ!?そんなわけない」っていう。というか、むしろ “高鳴り”で感じた奇跡みたいな感動を脳みそが覚えちゃって、それが与えられないと苦しくなるみたいな感じでした。そうそう、恋愛でフラれたときにキツいのは、そういうことだって聞きますけどね。フラれると、恋愛のドーパミンが出まくっていたのが一切出なくなるわけじゃないですか?でもその快楽を脳みそが覚えちゃってるから、それがもう出ないことに対する中毒症状みたいなことらしいですよ。それと同じで、“高鳴り” で世の中に認められたって思ったから、それが “僕らパンクロックで生きていくんだ” で思ったほど達成されないことの苦しさみたいなことを感じたんですよ。
──シングルとしては3曲入りで、“おしぼりを巻き寿司のイメージで食った”、“戦って勝ってこい”と、エモい曲と面白い曲が両方入っているのはバンドの個性を表していて素晴らしいと思います。
柴田 : そうですよね。でもやっぱり“高鳴り” ほどのインパクトはなかったんですかね。ただ、曲づくりは余裕で出来てました。今ほど苦しんでなかったというか、ポンポン曲が書けてましたね。だから、これは今も好きなシングルです。
