バンド始めるまでの28年分の初期衝動があったんですよね
──“CからはじまるABC”が世に出てから、ライヴの動員は?
柴田 : 増えましたよ。30~40人ぐらい入るようになりました。それでもそんなもんですけど、そこから俺らの意識もやっぱりちょっと変わってきて、セカンドシングル『僕らチェンジザワールド』(2011年12月21日)を出す頃には、動員が100人弱ぐらいになってたんですよね。ただワンマンができるほど曲数はなかったから、最大で2マンみたいな感じで渋谷屋根裏と下北沢CAVE-BEでよくやってました。あと、このときぐらいに下北沢シェルターのオーディションに落ちてますね。当時は昼ライヴでオーディションみたいなのを受けて、ライヴハウス側がOKを出したら夜のライヴに出られるっていう、登竜門みたいな感じがあったんですよ。結局いまだに落ちたまんまですけど(笑)。
![](https://imgs.ototoy.jp/feature/image.php/2024032801/wasureflyer.png?width=1200)
──『CからはじまるABC』に入ってる曲は、ライヴ動員5人の頃からやっていた曲たちなんですか?
柴田 : そうです。“北極星”は、当時渋谷のガード下に「やまがた」っていう飲み屋があって、そこで浮かんだんですよ。もともと2ビートでズッタンズッタンっていう、ハイスタみたいなイメージで書いた曲だったんですけど、梅津(拓也/元メンバーのBa)君が「カントリーっぽくしたい」と言って「これ聴いてみて」って、アーティスト名忘れたけどカントリーの参考曲を聴かせてくれて。嫌々ながらそのリズムでやってみたら、「うわっめちゃめちゃいいな!」みたいな。やっぱり梅津君ってすごいなって。彼はプロデューサー気質があるんですよね。音楽知識はすごいし、センスがいいんですよ。組み合わせのセンスというか、アイデアマンだから。それを「やまがた」で作ったのを思い出しました。
──途中でレゲエになるアレンジも特徴的ですよね。
柴田 : あれもたしか梅津君のアイディアじゃないかな。そこら辺のアレンジの面白さ、リズムの面白さとかって、ぜんぶ梅津君だと思います。俺にあんまりそういう引き出しはないから。初期の頃はそういう梅津君の音楽センスにだいぶ頼ってたし、梅津君はそれを楽しんでたんですよね。後になってくるとそれがどんどんなくなって行って、俺が「ああしたい、こいうしたい」になって、しんどくなって行ったって後々本人が言ってました。
──“北極星”のサビで歌う、〈あの娘のあそこに訪れた春は 俺の心を北極星みたいにすんだ〉という歌詞は名文だと思います。これってどういう意味で書いたんですか?
柴田 : あれは良いパンチラインですよね!?意味はもうそのまんま、「好きな子に彼氏ができてしまった」っていうことを美しく…美しくはないけど(笑)、そう書いてるんです。〈あの娘のあそこに訪れた春は〉ってすごいですよね。もっと評価されてほしい。
──いや、これはもう文学として素晴らしいですよ。
柴田 : ね!?宮沢賢治「銀河鉄道の夜」みたいな(笑)。キラキラしてる下ネタっていうか、それをちゃんと北極星という詞に昇華するっていう。この曲を書いたとき何となく北極星っていう言葉が出てきたんですけど、北極星は動かないってことをそのあとに知ったんですよ。それもなんか歌の意味として正しいなって思います。
──セカンドシングルの表題曲“僕らチェンジザワールド”は、初期ライヴにおけるオープニング曲の定番ですね。
柴田 : 初期からのライヴ定番曲ですけど、いまだにやってます。この曲はMVのことをよく覚えてますね。この頃、『カイジ』で主人公の声をやっていた萩原聖人さんに気にかけてもらえるようになったんですよ。僕らの世代からすると、萩原さんってもう神なんですけど、ダメもとでMV出演をお願いしたらOKしてくださって。「マジか!?」って喜んでいたら、MV撮影当日に酒田(耕慈/元メンバーのDr)が集合場所の恵比寿駅前に大遅刻してきて(笑)。萩原さんの待つ山奥の撮影場所にもう絶対間に合わないから、みんな「ふざけんな!」って超ピリついて、澤藤さんが急いで車を出そうとしたら酒田が荷物をガサガサして「革ベストを忘れました!」って言い出して(素肌に革ベストを衣装にしていた)。慌てて恵比寿駅の近くにリサイクルショップを見つけて、「絶対ないと思うけど、もうあそこで探してこいバカ!」って、半分やけくそでみんな車の中でイライラして待ってたんですよ。そしたら、「ありました~!」ってすぐ戻ってきて(笑)。
──ははははは(笑)。
柴田 : 「あったんだ!?」って(笑)。Superflyみたいなフリンジ付きの革ベストを買ってすぐ帰ってきたんですよ。みんなブチ切れてたのに、「なんだよ、あったのかよ」って、さすがに面白すぎて笑っちゃいました。それで山奥の撮影現場に遅れて着いたんですけど、萩原さんは、「全然いいよ」ってまったく怒ってなくて。それどころか撮影が終わって帰る途中にメールをくれて「今日大丈夫だった?良い撮影になったかな?」って言ってくれたんですよ。萩原さんとは今も良いお付き合いをさせていただいてます。
──セカンドシングル収録曲も、ライヴでよくやってますよね。
柴田 : そうですね。“サンキューアイラブユー世界”は、この間ビルボードTOKYOで歌って、めちゃくちゃ良かったし、いい曲書いてたなって。この曲は下北沢の「餃子の王将」の前を通り過ぎたときに、なんかいきなり歌詞とメロディがセットで降ってきたんです。当時は曲を作り出したばっかりだったからポンポン出てたんだよなあ。ひねり出すみたいなことは一切してないですね。バンド始めるまでの28年分の初期衝動があったんですよね。
![](https://imgs.ototoy.jp/feature/image.php/2024032801/IMG_0393.jpg?width=2100)
![](https://imgs.ototoy.jp/feature/image.php/2024032801/IMG_0441.jpg?width=2100)