the chef cooks meのニュー・アルバム『回転体』のリリースを記念して、2013年9月3日(火)にOTOTOYのTV♭にて行われた公開インタヴューの模様をお届けしたい。出演していただいたのは、もちろんthe chef cooks meの下村亮介、佐藤ニーチェ、イイジマタクヤの3人。そしてもうひとり、このアルバムのプロデュースを手掛けている後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)にも登場してもらうことになった。途中でMVの放送も挟みながらの1時間という限られた状況ながら、話は両者がこうしてタッグを組むに至るまでの変遷から、アルバムの制作にまつわることまで多岐にわたった。the chef cooks meの最高傑作と呼ぶにふさわしい、この感動的なアルバム『回転体』は、いったいどのようにして生まれたのか。その背景が読み取ってもらえる内容になっているので、楽しんでいただけたら幸いだ。
インタヴュー&文 : 渡辺裕也
the chef cooks me / 回転体
【配信形態】
(左)HQD(24bit/48kHz) 単曲300円 / アルバム購入 2,200円
(右)WAV 単曲300円 / アルバム購入 2,200円、mp3 単曲250円 / アルバム購入2,000円
【Track List】
01. 流転する世界 / 02. ケセラセラ / 03. 適当な闇 / 04. パスカル&エレクトス / 05. 環状線は僕らをのせて / 06. うつくしいひと / 07. ゴールデン・ターゲット / 08. 四季に歌えば / 09. 光のゆくえ / 10. song of sick / 11. まちに
※アルバム購入のお客様には、CDと同様の歌詞ブックレット(PDFファイル)が付きます。
>>レヴューはこちらから
the chef cooks me×ゴッチ公開インタヴューUstream!!
――今日はニュー・アルバム『回転体』の発売日前日、いわゆる店着日です。アルバムのリリースとなると、シェフのみなさんは前作から3年半ぶりということになるんですよね。
下村亮介(以下、下村) : 流通がかかった音源だと、もう4年ぶりくらいになります。今日はさすがにずっとそわそわしてましたね(笑)。
佐藤ニーチェ(以下、佐藤) : もうそんなに経つんだね。
後藤正文(以下、後藤) : 4年ぶりって、もはや外タレだよね(笑)。
――一方の後藤さんは、今回はプロデューサーとして関わった作品のリリース日となるわけで、アジカンの時とはまたちょっと違った気持ちでこの日を迎えたんじゃないでしょうか。
後藤 : いやあ、なんかもう素直に「おめでとう」っていう感じですね。自分のときだと、やっと肩の荷が下りる感じなんですけど。今日は本当にうれしい。リリース日ってミュージシャンにとっては本当にめでたい日なんだなって、改めて思いました。
佐藤 : でも、ここ1週間はホントにあっという間でしたね。
下村 : そうだね。今回は全曲試聴もやっていたので。
――そう。今回のアルバム『回転体』では、明日の発売日にいたるまで、only in dreamsのサイト上で収録曲を1日1曲ずつカウントダウンで先行公開していくという試みが行われていたんですよね。このアイデアはどのようにして生まれたんですか。
下村 : 僕らはそこまで名前が知れているバンドじゃないので、何よりもまずはたくさんの人に聴いてもらいたいと思っていたんです。それで、1日1曲ずつアルバムの内容が明らかになっていったら、きっといろんな人が興味を持ってくれるんじゃないかって。
――その曲が聴けるのはもちろん重要なんですけど、その曲がかかる前にみなさんの楽曲解説が入るというのもまた、この企画の面白いところですよね。
下村 : 曲解説ともいえないような雑談ですけどね(笑)。でも、ツイッターのリプライやハッシュタグなんかで曲への反応を送ってもらえるので、それがすごく僕らにとっては支えになりました。
――そして後藤さんは、何日か前にブログで面白いことを書いていられましたよね。「プロデューサーの仕事がだいぶ誤解されている」って。つまり、プロデューサーと聞くと、つんく♂さんや秋本康さんみたいな方をイメージされるリスナーが多いということなんですが。
後藤 : そうなんですよ(笑)。プロデューサーというと、曲を書く人だと思う方もけっこういるんですよね。でも、一般的なロック・バンドのプロデューサーは、作曲まではやらないんです。まあ、チャットモンチーのときは一緒に曲をつくったりもしましたけど、実際はそういうことってあんまりない。それにこのthe chef cooks meのメンバーにしたって、僕がオーディションで決めたわけではないので(笑)。
下村 : (笑)。たしかにそうですよね。
後藤 : だから、基本的に僕は「どういうふうにして良いアルバムをつくるか」というところでしか関わっていないんです。つまり、曲づくりには参加していない。その曲を録る段階でどうしたらよくなるかを考えるんです。たとえば音数についてとか、アンプはどれを使ったらよいかとか、そういう話ですね。
――つまり、機材や音色のチョイスということですね。あるいは楽曲のアレンジ面でアドヴァイスされたりもするのかな。
後藤 : そうですね。でも、それを僕が決めるというわけではなくて、僕もバンドに混ざって一緒に考えていくんです。あるいは僕の持っている機材やギターもたくさんスタジオに持っていって、その選択肢を増やすっていうのもあるかな。
――では、後藤さんを迎えたシェフのみなさんにもお話も聞いてみましょう。後藤正文というプロデューサーはいかがでしたか。
下村 : もう、最高でしたね。そもそも後藤さんは実際にバンドをやっていて、自分で書いた曲を演奏して歌う方なわけで。僕らよりもはるかにたくさんの経験をされているから、僕らが迷ったときにはっきり意見を言ってくれるんです。「こっちの方がいいよ」って。で、僕らもその意見にまったく疑いがないというか、「この人が言うことだから信じられる」という気持ちでした。だから迷うことが一切なかったんですよね。
――プロデュースをお願いした段階で、それだけの信頼関係が築けていたんですね。
下村 : もちろん。だって、めちゃくちゃ忙しい方がこうして僕らに付き合ってくれるわけですから。
後藤 : 俺、熱出して2回くらい倒れたんだよね(笑)。ほとんどソファーで寝たまま、「今のオッケーだよー」とか言ってたな(笑)。
下村 : あのときはかなりしんどそうでしたね(笑)。
ついがんばりすぎる部分を「そんなにがんばらなくていいんだよ」って言ってくれて
――それは大変でしたね。各々のプレイに関しては、どんなやりとりがあったんですか。
佐藤 : 僕のギターに関しては、後藤さんの「選択肢を増やす」という話の通りで。でも、実際に選択肢が目の前にたくさんあるときって、ちゃんと方向性が見えていないと迷っちゃうんですよね。でも、今回はそれがあまりなかった。僕が後藤さんに「どっちがいいと思います?」って訊くと、即答で「こっち」って返してくれたので。それが助かったし、すごく楽しかったんです。
後藤 : まあ、僕までそこで迷っちゃうと、なにも決まらなくなっちゃうから、そこだけはビシッとね(笑)。特にギターの場合は、僕が貸している機材であれば、「ニーチェ、このギターでこのアンプだったら、こうすれば一番いい音になるよ」みたいに言えるので。
佐藤 : そう。それがすごくわかりやすかった。
後藤 : まずはその設定から始めるんです。あとはその音をバンドのなかに取り込んでみて「足りないな」と感じた目盛を上げていけばいい。そういう話をよくしましたね。
――アンプの目盛ひとつに至るまで気にかけてくれるんだ。演奏家にとってはかなり具体的なアドヴァイスですよね。
後藤 : 僕もそういう作業を楽しみながらやってたし、自分にとっても勉強になることはたくさんありましたよ。たとえばジマのドラムを聴いて「なんでここの音、こんなに詰まって聴こえるんだろう?」と思ったら、なんとか自分で研究してみるんです。それでスネアの位置を動かしたら、一気によくなったりね。出来る限りのいいテイクを録れるように、そういう細かいポイントには注意していました。
――イイジマさんはどうでしたか。
イイジマタクヤ(以下、イイジマ) : 後藤さんは、普段はついがんばりすぎる部分を「そんなにがんばらなくていいんだよ」って言ってくれて。
後藤 : え、俺そんな自己啓発みたいなこと言ってた(笑)?
イイジマ : いや、あくまでもドラム・プレイに関することですよ(笑)。でも、僕がつい力んでやってしまいがちなところを、もっと力を抜いてやれるように言葉をかけてくれてたっていうことです。逆に音が足りてない部分もちゃんと指摘してくれたし。
後藤 : そうなんだよね。ジマはいい加減そうに見えて、意外と遊びがないから(笑)。見た感じだと、変な健康食品とか売りつけてきそうじゃないですか。
イイジマ : まあ、ふざけたやつによく見られます(笑)。
後藤 : ジマはキャラがすごくいいんですよ。だから、そういうアルバムとはまったく関係のないところでも仲良くやってましたね(笑)。
彼らならもっとすごい日本語のロックを作れるんじゃないかなって
――ちょっと訊く順番が逆になっちゃいましたけど、そもそもシェフのみなさんはなにをきっかけにして、後藤さんにプロデュースを依頼することになったんでしょうか。
下村 : あれは2010年頃だったかな。僕らはメジャーのレーベルにお世話になっていたんですけど、そこを離れることになって。元々メンバーが5人いたんですけど、こうして3人になったんです。それで「これじゃまずい、なにか作らないとバンドが解散になっちゃう」と思って。それで流通をかけずにアコースティック・アルバム(『Joy & sorrow & tears & smiles』)を2010年3月に出したんです。
――あのアルバムはそういう状況で作ったものだったんですね。
下村 : で、アジカンが毎年やっているNANO-MUGEN CIRCUITっていうイヴェントがあるんですけど、そのゲストでアメリカのラ・ラ・ライオットというバンドが出演したときがあって。僕は彼らが大好きだったので、ゴッチさんがツイッターで彼らの単独公演を紹介していたときに「行きたい!」とリツイートしたんです。そうしたら、ゴッチさんから返信がきて、フォローもしてもらえたので、そこでそのアコースティック・アルバムをゴッチさんに送ってみることにしたんです。
――その段階で、後藤さんはシェフのことをご存じだったんですか。
後藤 : 知ってましたよ。なんかね、英語で歌っているバンドだと思ってました(笑)。洋楽志向が強いバンドのひとつっていうか。でも、その音源を聴いてみたら、思っていたものとちょっと違ってたんですよね。まず歌詞が日本語だったし。それで彼らも「よかったら感想を訊かせてください」みたいな感じだったので、めちゃめちゃ長文の感想を書いてメールした記憶がある。
下村 : そうでしたね。
――そのメールがどんな内容だったか覚えてますか。
下村 : 「音楽が好きなことはよく伝わるんだけど、日本語で歌うなら、くるりくらいに良い歌詞を書かないとだめなんじゃない?」みたいな感じでしたね(笑)。
後藤 : 「お前、そんなこと簡単に言うな」って話だよね(笑)。「くるりの歌詞って、とんでもなくいいんだぞ」って(笑)。
――最初からウィーク・ポイントに突っ込んできたんだ。
下村 : そうなんです。本気で向き合って聴いてくれて。
後藤 : なんか、いろんな音楽からの影響が見え隠れしているんだけど、そこに音でも歌詞でもいいから、もっとthe chef cooks meらしさが確立されていくといいなと思って。まだ日本語詞を書き慣れていない感じもしたし。いまとなっては「おお! すごい」って思わされるものがたくさんあるんですけどね。でも、その時の僕は生意気にも感じたことをそのままメールしたんです。シモリョーはそれでムカついたらしいんですけどね(笑)。某雑誌に太字で書いてありましたよ。「俺はムカつきました」って(笑)。だから、シモリョーがまだ怒ってないか、いまだにちょっと心配なんだけど。
下村 : 怒ってないですよ(苦笑)。まあ、ムカついたって言ったのは本当なんですけど(笑)。でも、そうやって海外のバンドや日本の若手を率先してフックアップしていたバンドって、少なくとも当時はアジカンくらいだったし、僕はすごくゴッチさんを尊敬していたんです。その人がちゃんと僕らの音源を聴いて、しかも感想をくれたんですから。それで自分がムカついたのは、やっぱり言われたことが図星だったからなんですよね。だからそこで「クソ! やってやる!」みたいな気持ちになったのはすごくよく覚えているし、それはメンバーにも伝えたと思う。
――そもそもそういう熱量のあるメールを送るということは、その音楽に惹かれるものを感じたからっていうことですもんね。
後藤 : うん。音楽的にはものすごくたくさんのアイデアを持っているバンドだと思った。自分が思っていたより、ずっとおもしろいバンドだなって。彼らならもっとすごい日本語のロックを作れるんじゃないかなって。「しょうもなっ!」って思ったら、そもそもメールしなかったでしょうし。そうじゃなきゃ、会ったこともない人の音楽にダメだしするなんて失礼なことやれないですよ(笑)。
「こんなにいい曲を書くバンドをほっといたやつ、誰だよ!」って(笑)
――佐藤さんとイイジマさんは、後藤さんからの反応をどう受け止めましたか。
佐藤 : 「あのアジカンの後藤さんが僕らの音楽を聴いてくれたんだ」っていう、それだけでもう気持ちがいっぱいでしたね。それに、僕ら自体がそのころはがむしゃらにやっている時期だったので。
下村 : バンドそのものが瀕死寸前レヴェルの微妙な状態だったんですよ。もう気合だけでなんとかしているような感じでした。
――でも、その前作から3年半というスパンは、決して短くはないものですよね。後藤さんの反応を受けて、またすぐ次の作品に向かおうという気持ちにはならなかったんですか。
下村 : たしか、その時期はあんまり曲も作っていなかったような気がする。
後藤 : でも、そのあとにね。大阪のFLAKE RECORDSで彼らの新しい7インチ(「PASCAL HYSTERIE TOUR」。2011年リリース)を聴いたときに、僕は「これは!」と思ったんです。「めっちゃくちゃいいじゃん!」って。そういえば、どうしてあのタイミングでバンドにあんな変化が起きたのか、結局レコーディング中は訊かなかったね。どうしてあの時期にあの2曲がつくれたの?
下村 : まずひとつ大きかったのが、東日本大震災ですね。あと、その直後に、ストレイテナーのひなっちさん(日向秀和)が中心となって、いろんなミュージシャンが一緒にアコースティック・ライヴをやる〈HINATABOCCO〉っていうイヴェントに僕も出させてもらったんですけど、そのときに初めてゴッチさんにもお会いして。そこにはthe HIATUSの細美武士さんとか、第一線で活躍しているミュージシャンが大勢いたから、そんな場所に自分がでてきたところでなにも望まれてないだろうと思って、僕は単純に楽しく演奏させてもらって。でも、そのときに見たものすごく大きかったんですよね。あの時期って、やっぱりみんな、何がなんだかわからなくなってたじゃないですか。でも、そんな時に自分がまだ音楽をやっているっていうことに、なんだかすごく考えさせられたんです。で、その「PASCAL HYSTERIE TOUR」に入っている2曲は、どちらも内容はまったく違うんですけど、自分のなかでは「あ、こういうことかもしれない」っていうふうに思えた曲なんです。
後藤 : ニーチェなんかはどうだったの?
佐藤 : ずっとアコースティック編成で一年くらいやってたんですけど、あの頃は「じゃあ、これをこのまま続けるの?」みたいなところまでバンドが行き詰まってたんです。で、もう辞めようってなりかけてた。でも、その前に一度、ブラス楽器とかを加えた大編成でやってみないかっていう話になって。
下村 : 昔からそういう話は出ていたんです。大人数の編成で音楽をやってみたいって。
佐藤 : で、実際にそんなことを言いはじめたら、その先のことはともかく、まずはやってみたいっていう気持ちが強くなって。
下村 : 夜中に電話したんだよね。「もう解散だね」みたいな話をしていたんです。「最後にこれだけやって、それがうまくまとまったら、それでいいんじゃないか」って。それをふたりと電話でした記憶があります。
――あの7インチはまさに起死回生の1枚だったんですね。
佐藤 : でも、だからといって「これに賭けてみよう」みたいな感じでもなかったんですよ。単純にそれが楽しそうだからやってみたっていう、それだけで。で、その直後に震災があったんです。でも、それでも自分たちがバンドを続けていたのは、たぶんそのときの手ごたえがよかったからなんですよね。
後藤 : なるほどね。
下村 : あと、これはホントに期せずしてっていう感じなんですけど、ゴッチさんが『THE FUTURE TIMES』という新聞をつくっているじゃないですか。あれはゴッチさんが自分でTシャツをつくって、それの売り上げを新聞の製作費にしているという話を聞いて。そのときに俺は、なんでもいいから無償でこの人を手伝いたいと思ったんですよね。それで物販を何回かやらせてもらったことがあって。
後藤 : そういえばあったね。「なんでシモリョーが俺のTシャツを売ってるんだろう?」と思ったけど(笑)。「あいつ、いいやつだな」って。それにしてもあの7インチにはめちゃくちゃびっくりしましたよ。「これ、俺が録りたいな」って思いました。
――あ、その時点ですぐに関わりたいと思ったんだ?
後藤 : うん。もっとスケールが大きいものになると思ったんですよ。ちゃんとディレクションすれば、かなりの射程まで届く作品がつくれるんじゃないかって。でも、それが一緒に作業していくうちに、だんだん俺もムカつきはじめちゃってね(笑)。
――え、どういうことですか?(笑)
後藤 : 「こんなにいい曲を書くバンドをほっといたやつ、誰だよ!」って(笑)。そういう怒りみたいな思いがモチヴェーションにもつながっていきました。最高の音源をつくって、ギャフンと言わせてやろうって。
――なるほど。そういう攻撃的な気持ちがプロデューサーにあったとは。
後藤 : 僕はありましたよ。「これは世の中に対する告発だ!」って。「すごいアルバムをつくって、俺がthe chef cooks meを放っといた人たちを告発してやる」って。作業中はずっとそういう気持ちをもっていました。
――なるほど。だんだんと話が熱くなってきたところですが、ここでいったん、『回転体』に収録されている“環状線は僕らに乗せて”のMVをご覧になっていただこうと思います。