元Xのベーシスト、TAIJIとのバンド・ユニット、TAIJI with HEAVEN'Sで、ヴォーカリストとして活動してきたDAIが、ソロ・デビュー。ストリングスがかったバンド・サウンドに、DAIの感情のこもった歌が重なる、バラードを中心にした作品となっている。今まで貯めていた楽曲から、最新の楽曲までが収録されたDAIの集大成であり、まさにこれからの活動の第一歩となる記念すべき作品だ。これまでほとんどインタヴューを受けてこなかったDAIに、本作のリリース・タイミングでロング・インタヴューを敢行。DAIのルーツから、TAIJIとの出会い、これからの活動まで、その歩みを辿った。音源とともにご堪能いただきたい。
DAI / The Materialized Garden
【配信形態】
wav / mp3
【価格】
単曲 200円 / まとめ購入 2,000円
【Track List】
1. The Materialized Garden / 2. Stand and Fight / 3. 追憶の花 / 4. Stay with me / 5. 赤い空 / 6. 遥か友よ / 7. underground beauty / 8. What is Love? / 9. 深愛 / 10. Wish
INTERVIEW : DAI
幾度の挫折を乗り越えて、ひとりのアーティストがついにデビュー作を完成した。このDAIというアーティストは、かつてXのオリジナル・メンバーとして活躍したTAIJIが自ら牽引していたバンド、TAIJI with HEAVENSのヴォーカリストを務めていた男である。TAIJIの死によってバンドが活動停止を余技なくされたあと、いったんは音楽活動から完全に離れていたという彼は、それまでの回想を繰り返すなかでふたたびミュージシャンとして立ち上がることを決意。そしてついに届けられた『The Materialized Garden』は、過剰なほどに重厚なバラード集に仕上がった。彼はなぜここでもう一度歌おうと思ったのか。そしてこの作品に込めたものとは。DAIに語ってもらった。
取材 & 文 : 渡辺裕也
バラードを歌う一方で、頭をガンガンに振るメタルもやっているXに衝撃をうけた
——こうしてソロ作品を出すという構想はいつ頃からかかえていんですか。
正直なところを言うと、まったくなかったんですよ(笑)。この話はあとから詳しくさせていただくことになると思いますけど、元XのTAIJIさんと一緒にやるなかで、もしそれが終わったら音楽活動は完全に辞めようと決めていたので。あれでやりきったというのはおかしいですけど、一区切りついた感じはあったんです。
——なるほど。今日はそのあたりのことはもちろん、DAIさんのキャリアを最初から一気に辿っていきたいと思っていて。まずは音楽活動を始めたきっかけから教えてもらってもいいでしょうか。
小学校の頃から、いわゆるベスト10に入っているような歌謡曲が好きで。それこそまさに当時のヒット曲ですよ。WINKとか(笑)。それをカセットに集めて聴いているうちに、だんだんと自分でも作れないかなと考えるようになっていって。ちょうどそういうタイミングに出会ったのが、Xっていうバンドだったんです。それで「ENDLESS RAIN」がどうしても弾きたくなって。中学生になってから、親に頼んでピアノ教室にちょっとだけ通ったんです。意識的に音楽をはじめたのはそこだったと思います。
——音楽を始めようと思った時点で、すでにXからの影響があったんですね。DAIさんはXのどんなところに衝撃を受けたんですか。
やっぱりギャップなのかな。音楽って、インパクトがすごく重要じゃないですか。Xってものすごくきれいなバラードを歌っている一方で、頭をガンガンに振るメタルもやってて、その衝撃がストレートにきたんです。それで「自分もバンドをやりたい!」っていう気持ちがどんどん大きくなっていったんです。
——そこからスムーズにバンド活動は始められたんですか。
最初に組んだのは高校生の頃で、コピー・バンドでした。その当時は僕、ドラムだったんですよ(笑)。友達にドラム・セットを持ってるやつがいて、練習できる環境もあったので。
——Xファンにとって、ドラムは花形のパートですからね。
たしかにそれもあったのかもしれないですね(笑)。そのバンドは学園祭でちょっとやった程度でしたけど。ちなみにコピーしたのはボン・ジョヴィでした。
——そこからはどんどん本腰を入れて?
ところがそうでもなくて(笑)。大学に進学してからは趣味みたいな感じで、学園祭とか小さなライヴ・ハウスにちょっと出る程度でした。でも、当時の自分は勉強とか就職に対する意気込みもまったくもてなくて。大学を卒業して就職するっていうイメージが、自分のなかでなかったというか。自暴自棄になってたんです。で、どうやったら楽しく人生やってけるだろうと思ったら、やっぱりバンドがやりたくなって。そんな気持ちで大学を2年で辞めて、音楽をやるとそこで決めたんです。それで20歳のときに名古屋の実家から上京して。
——そこでいよいよ決心されたんだ。とはいえ、いきなり地方から出てきて、なかなかメンバー探しとかも難しかったんじゃないですか。
そりゃぜんぜんうまくいかないですよ(笑)。最初の1年間はライヴもなにもできませんでした。東京に行けばきっと夢を持ったやつらがたくさんいるだろうと思ってたら、そうでもなかった(笑)。それで1年間、あまりにも進展がなくて、いきなり挫折しかけてました。かといって、それで実家に帰るなんて言えませんから。曲をつくるのは好きだったので、とりあえずどんどん曲を貯めていました。
——ちなみにその当時はどんな曲を書いていたんですか。
実はその当時の曲も今回のアルバムに入ってます(笑)。今回のアルバムに入っているのは、その当時から、TAIJI with Heavensの頃にかけてつくられた曲がほとんどなんです。だから、20歳から34歳くらいまでに書いたものですね。「wish」は20歳そこそこの頃に書いた曲なんですけど、TAIJI with Heavensでもやってましたね。あれはよく「Xの曲に似ている」と言われてたんですけど、実際にモロに影響を受けてた時期に書いたものですから。上京したばかりの頃は髪の毛を立てて化粧してましたし。自分も俗にいうヴィジュアル系と呼ばれるなかで活動していたんです。
親に「Xのメンバーから連絡きたからちょっと行ってくる」と伝えて(笑)
——まさにXが原点なんですね。話が飛んでしまいましたが、そのうまくいかなかった最初の1年間を経て、DAIさんはどう動いていったんですか。
そんな状況でもいい出会いはたくさんあったんですよ。メンバーを探そうと考えて変なプレッシャーも感じちゃってたんですけど、それ以前にまずは友達を増やそうと頭を切り替えることにして。そんななかでようやく「バンドをやろう」っていう話が出せるようになってきて、メンバーとスタジオに入り始めたんです。でも、なかなか続きませんでしたねえ。みんな1年未満で辞めちゃうんです。なんでだったんだろう。僕の性格に問題があったのかな(笑)。
——(笑)。バンド活動がうまく軌道に乗り出したのはいつ頃から?
25歳の頃にやってたKilahっていうダークなメイクをするバンドは1年くらい続いて、CDも2枚出してるんです。ただ、僕は若い頃に納得できるバンドがやれてたのかっていうと、正直やれなかったんですよね(笑)。バンドがうまくいったなと思える自分の基準って、ワンマンで1000人くらいは集められるとか、そういうことだったので。で、Kilahのあとにもうひとつバンドを組んで。それは年齢的に少し落ち着いてきたのもあって、メイクもほとんどなしの横道なハードロック・バンドだったんですけど、結局それも終わって。それで音楽を辞めると親に話して、名古屋の実家に帰ったんです。それからは普通に会社員をやってました。
——そうだったんだ。TAIJI with Heavens以前にも一区切りがあったんですね。
変な未練を残しちゃだめだと思って、当時持っていた機材やソフトも全部売っちゃって。それで1年間は普通にサラリーマンをやったんですけど、その生活がもう、ホンットーにつまらないんですよ(笑)。夢を見ながら東京で好きなように生活してたから、その仕事場と自宅を往復するだけの変化のない毎日が耐えられなくて。1年でも自分ではよくやったと思ってます(笑)。で、結局デジタルピアノを一台買っちゃったんですよね(笑)。
——結局は音楽が捨てられなかったんだ(笑)。
それでまた曲づくりを始めたら、また音楽の機材が少しずつ増えていって(笑)。そうこうしながら、自分が20代のうちにやれることってもっとないのかなと思うようになっていって。そこで思ったのが、「Xのメンバーに会ってみたい」っていうことだったんです。とにかく憧れの人に会ってみようって。それで最初は曲をつくって送ろうと思ったんですけど、きっとそれはたくさんの人がやってることだろうと思って。だったら、Xの曲をそのまま歌って送ったらどうだろうと思ったんです。実際に自分の声ってTOSHIさんと少し似たところがあったので、もうちょっと意識的にそこに寄せてようとしたんです。それで家とカラオケボックスで7~8曲を録って。
——それはバラード主体?
半々でしたね。「Silent Jealousy」や「Week End」、それにTAIJIさんがいた頃の「 Voiceless Screaming」とかも入れてみて。それでTAIJIさんのところと、ロスのYOSHIKIさんのスタジオに送ったんです。それで1週間くらいしたら、TAIJIさんから電話があって。
——そのときはどんな会話があったんですか。
「一度会って声を聴いてみたいから、ちょっと東京に来てくれない?」って。それで親に「Xのメンバーから連絡きたからちょっと行ってくる」と伝えて(笑)。それでとりあえず東京で会うことになって、そのままカラオケボックスに連れて行かれたんです(笑)
——カラオケボックス!
カラオケボックスでふたりきりになって、Xの曲をTAIJIさんの目の前で歌うっていう、いま思えばとんでもない状況でしたね(笑)。TAIJIさんもすごく真面目に聴いてくれてるし、自分もすごく緊張したんですけど、なんとか自分のなかではやれるだけやって。お酒とかもなしでした。とりあえず会って話すのかと思ってたら、まさかすぐに歌うことになるは思わなかったので、「え、これオーディションなの?」って。
——憧れていたXのTAIJIさんに会って、まずはどんな印象を持ちましたか。
やっぱり信じられない気持ちでしたね。「これって夢じゃないんだな」って。それこそテレビとかを通して見てきた人だから、自分のなかで勝手にもっているイメージがあるじゃないですか。でも、実際に会ったらそれとはまた違った面をいくつも見せてくれるので、そのひとつひとつがすごくうれしかったんです。TAIJIさん、けっこう優しいんですよ(笑)。それもギャップとして魅力的でしたね。
——その出会いから、どのようにふたりの話は進んでいったんですか。
それから2~3日間、TAIJIさんの家に泊めてもらって(笑)。自分の目の前で「 Voiceless Screaming」なんかを演奏して見せてくれたりしたんです。「いま、自分の目の前でとんでもないことが起きてるな」と思ってましたね。で、TAIJIさんから「これから新しいバンドをつくろうと思ってるんだけど、まだメンバーも決まってないから、とりあえずヴォーカルの候補としてまた連絡させてほしい」と言われたんです。それでまた実家に戻って。
——それはまたDAIさんの気持ちも揺れちゃいますね。
そうですね。「やっぱり東京っていいな」と思っちゃいました(笑)。で、それからしばらく、TAIJIさんとメールでやりとりを続けていくうちに、「一緒にやりたい」っていう言葉をもらえるようになったんです。それでまた東京に出ようと決心しました。その時はこれから憧れの人と一緒にバンドをやるっていうことを親も理解してくれてたので、がんばってこいと言ってくれて。
自分は明るくて楽しい曲が書けないんですよね
——それでTAIJI with HEAVENSがようやく動き出したんだ。楽曲制作はおふたりでされていたんですか。
そうです。とにかくお互いがやりたいことを制限なくやろうと言ってくれて、俺の曲も聴いてくれて。それにTAIJIさんにはいろんなミュージシャンとのつながりがたくさんあったので、名古屋から出てきて何ヶ月かしたときに暫定的なメンバーでライヴをやってるんです。そのときはカヴァーで、ホワイトゾンビとか、サプライズとしてXの「Desperate Angel」と「Miscast」もやることになって。その時もTAIJIさんは僕のことを試していたんでしょうね。そこで自分がXの曲を歌うっていうのは、すごいプレッシャーでした。
——これは本来TAIJIさんに伺うべき質問ですが、彼はDAIさんのどんなところに光るものを感じたんだと思いますか。
それは確かに僕も訊いてみたいですね(笑)。でも、雑誌のインタヴューで「TOSHIくらいの声量があるヴォーカルはなかなか他にいない」って話してたから、やっぱりそこは比較されたんじゃないかな。
——TAIJI with HEAVENSはミニ・アルバムを1枚リリースされていますが、バンドが本格的に動き出したのもその頃?
2010年にはかなり動きました。さっき話したライヴが06年なんですけど、実はそれからの3年間はライヴもなかったんです。その間にタイジさんはD.T.Rを復活させたり、他にかけもっている活動がいくつかあったので、僕はその間に曲をつくり続けていました。でも、3年は長いですよね(笑)。その期間もTAIJIさんとは週1くらいでTAIJIさんとは会ってたんです。だから、バンド・メンバーでありつつ、ちょっと兄弟みたいな感じになってた。自分も兄のように慕ってたし、遊びに行くときはいつでも一緒に連れてってくれたんです。だから自分もそんなに焦らず曲を貯めていました。1か月以上、一緒に住んでいたこともありましたから。
——ふたりの関係性はずっと良好だったんですか。
いや、ぜんぜんですよ(笑)。優しい方でしたけど、やっぱりガラっと変わる瞬間もあるので。そのへんはあまり僕の口から言うことではないですけど。
——TAIJI with HEAVENSは残念なかたちで活動を終えることになってしまいましたが、DAIさんはどこまであのバンドの未来を考えていましたか。
ちょうどTAIJIさんが亡くなった年には、韓国でのライヴは決まっていたり、やろうとしていたことはいろいろあったんです。編成を変えて動いていこうというタイミングだったから、やっぱりそういう意味でも残念ではありました。「もっとやりたかった」っていう気持ちはありましたね。
——そこでいったんは音楽活動からまた手を引く、と。
うん。そこはもう決めていたことだったので。この人との活動が終わったら、もう次はないなって。それからバンド自体はもうやらないって決めたんです。というか、できなかった。それくらいにTAIJIさんの存在は自分にとって大きかったので。
——そこからどのようにして今回のような作品をつくろうという気持ちに変わっていったんですか。
TAIJIさんのおかげで自分に励ましの言葉をくれるファンの方も少なからずいてくれて。それに、TAIJIさんの思い出を語れる人ってやっぱりそんなにいないんです。だから、それをファンの人に伝えていくのは自分の役目かなと思って。そこで当時TAIJIさんと作った曲や、まだ世に出してなかったバラードを引っ張り出して、出してみようと思ったんです。
——アルバムがこうした重厚なバラードを主体とした作風にしたのは、どんな思いから?
自分は明るくて楽しい曲が書けないんですよね(笑)。どうしても人間の冷たい部分にあてた曲になるというか。でも、自分にとってはいちばん表現しやすいのがこういう曲なんです。
——制作は完全におひとりで行ったんですか。
はい。自宅でやりました。昔に録ったものを編集して、最近のものとバランスを揃える作業が大変でしたね。このアルバムでは4~5年前に録った歌も録り直さずに入れているので。
——こうしてDAIとして作品を世に出すことになって、またアーティストとしての活動がスタートしました。これからはどう展開していこうと考えているんでしょうか。
やっぱりライヴがやりたいです。今はバラードをしっかりと聴かせるライヴのやり方をいろいろ考えているところで。それに曲も作っていますよ。実は今、中国語で曲をつくってて、それは中国でも配信するんです。ここからはもっとグローバルにやろうかなと(笑)。今回のアルバムはこれまでの総決算みたいなところがあるんですけど、自分はそれで終わらせたくないんです。過去も連れて未来に行きたいと思ってるし、そこにはもちろんTAIJIさんもいるので。
LIVE SCHEDULE
2013年7月14日(日)@吉祥寺曼荼羅
ボーカル : DAI
ピアノ : 奥村雅彦
(くろふくろうずワンマン・ライヴ オープニング・ゲストとして)
RECOMMEND
UCHUSENTAI:NOIZ / JAPAN TOY'S PANIC TOUR KING OF ONEMAN SHOW 「HIGH FIVE」FINAL ATTACK at SHIBUYA O-EAST(HQD ver.)
ライヴを「パトロール」と称し、音楽で世界平和を目指す自称銀河系バンド、UCHUSENTAI:NOIZ。コンセプトは「地球の平和を守る為、遥か遠い宇宙からやって来た5人の戦士達」で、「音楽で世界が平和に出来ると、割と本気で思っています。」と公言しながら、年間130本以上のライヴを行っている彼らが2012年6月24日@渋谷0-EASTに行ったライヴを音源化&配信決定!
VA / 洋楽バラード ALL TIME BEST
60'sから80'sまで、ポップスからソウル〜ロックまで、いつの時代も愛され続けている洋楽バラード名曲集。先行配信のiTunesストアでは<ヴォーカル>チャート第1位を3ヶ月間獲得のロング・ヒット!
PROFILE
DAI
名古屋市出身、1976年5月13日生まれ。
中学時代から楽器に興味を持ちアコースティック・ギターとピアノを始め、高校時代にドラムとしてバンド活動を開始したが、後にボーカルへ転向。20歳で上京し、幾つかのロックバンドを経験する。2006年元XのベーシストTAIJI に誘われ2人でTAIJI with HEAVEN'Sというバンド・ユニットを結成した。2009年には同バンドで『TAIJI with HEAVEN'S』を発売。2013年、今まで貯めていた自身の曲をまとめソロ活動を開始する。
4月24日『The Materialized Garden』を世界リリース。