曽我部恵一が、ソロ名義での新作を発表! 先日OTOTOYでフリー・ダウンロードを実施した「サマー・シンフォニー」をはじめとする12曲が、ヴォーカルとギター、そしてハーモニカのみの完全な弾き語りで表現されている。「ここにはぼくの声とギター以外に何もありませんが、ぼくのすべてが詰まっていると感じています」という言葉通り、シンプルながら彼の魅力が存分に楽しめる、晩夏にぴったりの作品。
けいちゃん / 曽我部恵一
1. 夕暮れの光 / 2. サマー・シンフォニー / 3. パリへ行ったことがあるかい? / 4.愛ってやつを / 5. ネコとネズミ / 6. ねむり / 7. 恋は風とともに / 8. そしてぼくはうたをうたう / 9. 線香花火 / 10. さよならを言う時に / 11. おかえり / 12. 夏の夜の夢
販売形式 : mp3 / WAV(16bit/44.1kHz)
INTERVIEW(後編) text by 渡辺裕也
——もともとは曽我部さんの音楽を発信するためにスタートしたROSE RECORDSですが、今では様々なアーティストの作品もリリースしていますよね。
人との繋がりの場だから。友達が「レーベル探しているんだけど、どこも出してくれないんだよね」って言ってたら「じゃあ出せば? 一応流通とかも出来るし」みたいな感じの時もある(笑)。
——(笑)。そんなにカジュアルなんですか?
うん(笑)。僕がやりたいのは町のお店屋さんみたいなもんなんだ。近所の人から「こんなもん作ったんだけど置いてもらっていい? 」って言われたら「いいよ。勝手に値段付けて置いといて」みたいな感じ(笑)。もちろん自分が最高だと思うものを出す場でもあるよ。同時に困っている友達を助けるための場でもある。そのふたつって、俺にとってはそれほど変わらないものなんだ。若い子達が「俺の作品をリリースさせてください」って言いに来て「しょうがねえな」って言いながら出す場合もあれば、例えば豊田道倫くんみたいな、もともと好きで聴いてきた人の作品を自分のレーベルから出せるってこともあるからね。いろんな人が入り乱れて面白いことが起こればそれでいいし、別に起こらなくてもそれでいいんだ。
——ひとつの交差点を用意しているような感じなんですね。
そうそう。名作揃いのかっこいいレーベルっていうのも世の中にはあるけど、自分ではもうそれは無理だから。若い子が持ってきたわけのわからないノイズ・コアみたいなものを出しちゃったりしてるからね(笑)。でもそれでいいんだ。俺に説教をされるための要員みたいなやつらもいるからね。「お前ら、ホントだめだな」って(笑)。そういうものから何かが始まっていくと思う。スター選手を揃えればいいチームになるかというと、そうじゃないでしょ? みんなボロボロのユニフォームを着てがんばっているチームの良さっていうのもあるからさ。そいつらは、優勝は出来なくても、スター・チームには起こり得ないようなドラマを起こしたりするし、そこに宇宙があると思っているんだ。万が一優勝しちゃったりしたら、それはもうすごい盛り上がりになるしね(笑)。
——『LOVE CITY』を出した翌年には、もうひとつのソロ・アルバム『blue』、そして曽我部恵一ランデヴー・バンドという名義で『おはよう』という作品をリリースされましたね。
『blue』は、『LOVE CITY』の姉妹盤ですね。『LOVE CITY』がホットな秋や冬のアルバムだとしたら、『blue』はひんやりとした夏のアルバム。ランデヴー・バンドはそれとはまた別で、仲間のミュージシャンと集まってやっていたものです。弾き語りでライヴに誘われた時「これにベースとかパーカッションを加えたいな」と思って、友達を誘ったりしながらやっていたりしたのがきっかけ。そこで「ソロでもないから、ランデヴー・バンドって名前でも付けておくか」って感じでテキトーに名付けた(笑)。ランデヴーっていう言葉には待ち合わせっていう意味もあるから、これでいいかなって。そんな感じで演奏した曲が徐々にたまってきたから、一日で録ってみたアルバムだね。だから、ランデヴー・バンドっていうバンド自体は存在しないの。誰が入ってもいいし、抜けてもいい。例えば誰かと2人で演奏する時にそう名乗ってもいいし、名乗らなくてもいいんだ。
DIYがいいと思ったことは一度もない
——2008年には曽我部恵一BANDとして最初のオリジナル作品『キラキラ!』がリリースされました。ソカバンとして活動を始めてから、リリースまで随分かかりましたよね。
そもそも曽我部恵一BANDとしてのアルバムを作るのかどうかも最初は疑問だったから。このバンドは僕のハードなロックンロールの部分を演奏してくれるバンドという意味合いだったから、それがひとつのバンドとしてアイデンティティを持って作品を出すようになるとは考えてなかった。でも活動していく中で「あ、これはバンドだな」と思い始めて、曲が仕上がっていくうちに「もしかしたらこれは出来るな」という感じになっていったんだよね。
——そこからはもう早かったですね。ライヴ盤『トキメキLIVE!』そして2nd『ハピネス!』と、一気にリリースを重ねていきます。この時点では、曽我部さんの活動の機軸がソカバンになってきているような印象もありました。
それは経済的なことも関係しているんだ。俺がライヴをやる上で一番動きやすい形なんだよね。みんなが車を運転出来るし、いつでも、どこにでも行ける。それがあったからあの形に落ち着いたとも言えるんだ。もしここにホーンやキーボードが加わったりしたら、機材車一台では間に合わなくなるから、今みたいな感じにはならなかったと思う。でもあの4人だと、機材もメンバーも一台の車に乗り込んでどこにでも行けるし、物販や片付けもみんな文句も言わず協力的にやっていけるから、すごく自然だったんだよね。バンドってそうやって自然に出来上がったものが一番強固なんですよね。今でも同世代とか年上の人達から「どうやりくりして、そんなにライヴの本数を打ってるの? 」ってよく言われるんだけど、俺達はお金を使わないんですよ。かかっても足代くらいだし、ホテルもすごく安いところか、場合によっては泊まらない時もある。とにかくみんなの生活があるから、赤字には出来ないんだ。それだけが約束で、もし黒字になればその分を割ればいいだけだから。
——メンバーの3人とはどうやって出会ったんでしょうか?
『STRAWBERRY』の時にダブルオー・テレサというバンドをバックにつけてツアーを回ったんだけど、彼らの活動をスポイルすることは出来ないってことで、一時離れたんだ。そしたらその間に彼ら解散していたんです(笑)。だからそのベースとギターを呼んで、ドラマーにオータコージくんが加入してくれて、今に至る感じ。鉄壁のメンバーです。運転も完璧です(笑)。ベースの大塚(謙一郎)はROSE RECORDSの立ち上げの時にスタッフをやっていたから、ライヴのブッキングも担当してくれていたんだ。
——まさにDIYですね。
それは始めからそういう仕組みでしかやれない形で始めちゃったからそうなっただけで、DIYがいいと思ったことは一度もないです。清貧とか、いやですもん。むしろ俺は儲かったら金のチェーンとかジャラジャラさせたいですよ(笑)。ギターの上野(智文)はソカバンをやっているうちにバイトが出来なくなって、バンド以外の収入がなくなっちゃった時期があったんだ。で、彼はもともと町田でシェフをやっていて、彼のパスタがもう絶品だったのね。そこで俺が友達とやっていたカフェがあったから、「じゃあうちの店でパスタやればいいじゃん! 」って話になったの。キッチンもめちゃくちゃ狭いし、ランチをやるなんてことは難しかったんだけど、なんとかやり始めた。それが今となってはもう週末は満員になるくらいになってるよ。
——その店がCITY COUNTRY CITYですね。
もう彼がCITY COUNTRY CITYになってるからね(笑)。それも自然発生の繋がりから生まれたものじゃないですか。自分でパスタが美味い店を作ろうとしても、そううまくはいかないよ。でもそこに人が集って、やりたいことをやってみたら、うまくいったんだよね。僕の人生はそればっかりなんです。風任せで、その日暮らし(笑)。計画性ゼロだけど、友達が困っていたら助けたいっていう、ただそれだけのことだから。自分もそうやって助けられながら生きてきたし、そこからいろんなものが生まれていくと思うんだよね。CITY COUNTRY CITYは、店長をやっている平田くんがもともと親友だったんだけど、その彼がある時「レコード屋がやりたいんだよね」って話してきて。当時彼はdisk unionで働いてたんだけど、「移動するレコ屋がやりたい。ワゴンに積んでいろんなフェスとかを回って売るんだ」とか言いだして(笑)。で、話が進んで「下北でやりたい」っていうもんだから「だったら夜はバーにしようよ。そっちは俺が回すから」って提案したの。そしたら後日、彼が「バイト辞めてきたから物件探そうよ」って言って来たんだ(笑)。もちろお店を経営するノウハウなんてなかったから、もうわけのわからないまま店を始めることになったんだよね。俺もとりあえずバーテンとかやってましたよ。それが今となってはそれで暮らしている人達がいるんだからね。僕は今やただのお客さんだから、「いい店だな」って思いながら見てますよ。いい店になったのはいいスタッフやお客さんが集まってくれたからなんだよね。僕だけで始めていたら到底無理だったことだからね。それはバンドもレーベルも全部一緒だよね。
そもそも音楽に値段なんてあるの?
——『Sings』というカヴァー・アルバムのリリースもありましたね。とてもユニークな選曲で、曽我部さんの知られざるルーツを垣間見るような作品でした。
あのカヴァー・アルバムに関しては、いつかデラックス・エディションも出したいですね(笑)。今まで演奏してきたカヴァーの中で発表されていないものがたくさんあるから。歌本とかを見ながら人の曲を演奏するのは楽しいし、それが歌の一番いいところだと思う。歌には作った人の思いとか、芸術性とかももあると思うんだけど、歌本を見ながらアコギとかで歌う時に、その歌はただひとつの歌として誰かの口に移っていくんだよね。そういうところが歌のすごさだと思う。
——今でもロックンロール・モードは続いているのでしょうか?
今はわりとフォーク期。つまり言葉ですね。やっぱりボブ・ディランとか友部(正人)さん、ニール・ヤングとか、すごいなぁと思っていますね。特にここ数年、世界的にボブ・ディランがブームじゃないですか。アコギを持って、ハーモニカ・ホルダーだけを付けて、人前に立って自分が住む世界のことを3分間で歌える人って、やっぱりスーパーマンですよ。フォーク・ミュージックって結局それなんだと思う。で、今はそれがラップ/ヒップホップだと思ってるんだ。自分の中ではラップとフォークって同じなんだよね。それは高木完さんが「ヒップ、ヒップ、フォーク」っていう曲で歌っていることとまったく一緒で、ボブ・ディランとヒップホップの人は変わらないと思っているし、僕は今そこにいますね。メロディを洗練させていくことよりも、どういう風に言葉を歌にしていくかに興味が行っていて、ボブ・ディランがその象徴なんです。逆に、今のアメリカにヒップホップがあるのかといわれると、僕はあまりそう感じていなくて。でも今の日本には、若い子がマイクを持って、その日のことを歌うっていうスタイルがまだ残っているんだよね。
——ちょっと話が前後しますけど、一時期は曽我部さんの活動がソカバンにフォーカスされていくような印象があったんですが、今はまた変わってきていますよね。それこそサニーデイで新作『本日は晴天なり』をリリースしたのもありましたが。
サニーデイだけはどうしても別個になりますね。やっぱり3人でずっとやってきたバンドだから、それを一人のものにすることは出来ないんです。自分のプロジェクトの中にあのバンドを組み込むのはかなり難しいことですよね。サニーデイは、あくまでサニーデイの音楽が聴きたかった人に聴いてほしいかな。最初は自分のソロのフォーマットの中にサニーデイが入ってきたらいいかな、という気持ちもあったんだけど、やっぱり無理でしたね。例えばソカバンのライヴに来ている人達に、サニーデイみたいな音楽を再度提示できたらいいなと思っていたところはあったんだ。でも今はあまりそう思っていないかな。ソカバンも弾き語りも俺のすべてだから、すべて聴いてほしいっていう気持ちはあるんだけど、サニーデイだけは別になるんだよね。
——では、今創作中のアルバムはどのような作品になりそうでしょうか? 『LOVE CITY』から数えると、ほぼ4年になりますよね。
そういう意味もあるね。今度は、とことんまで削り取った、下手したらアコギ一本とハーモニカとヴォーカルだけでもいいとも思っています。でも俺の要素はすべて詰まってる。あくまで構想段階だからまだわからないですけどね。今回の「サマー・シンフォニー」に関しては、夏に出したかったっていうことと、ちょうどフリー・ダウンロードの話を頂いていたから、無理を言って夏に出させてもらうことにしたんです(笑)。今、音楽の値段がわからなくなってる中で、「そもそも音楽に値段なんてあるの? 」っていう根源的な疑問をみんなが抱えたまま商売をしているでしょ? だから一回は0円でやってみないとしょうがないなと思って。その結果、お金ではないもので何が還元されてくるのかを知りたい。アルバムが3000円っていうのも、ここ数十年で決められた音楽の値段に過ぎないしね。例えば俺がガキの頃は2曲入りのシングル盤が700円とかだったんだけど、それがマキシ・シングルになって1000円くらいで売られるようになっていった。でも、CDにはもっとデータが入るし、はっきり言っておかしな話だったんだよ。それが一度崩れたってだけだからさ。だからもう一回「果たして音楽っていくらなの? 」とか「そもそも歌うことで飯は食えるものなのか? 」ってことを改めてみんな考えればいいんじゃないかな。いや、考えることはないな。感じていればいい。答えはすぐに結果として表れてくるんだから。それで「音楽で飯は食えません」になったら、それはそれで他に仕事でもすればいいんだからさ(笑)。「音楽でどうやって飯を食おう? 」なんて考えるからおかしなことになるんだし。いつの時代でもみんなが音楽を欲しているのは変わらないんだから、それが700円で売られている時代もあれば、0円でこんな大名曲が手に入る時代もあるんだからね(笑)。しかも、スタジオで聴いているものと同じ高音質で届けられるんだから、素晴らしいじゃん! だから受け手に考えさせちゃだめだと思ってる。音楽を聴くって、その「考える」ことから如何に離れられるかなんだよ。だから「疑問を提示しました」みたいな音楽はあまり好きじゃないんだ。ノッていけるかどうかだから。僕らは20年くらいCDで音楽を売ってきたけど、CDってけっこうまどろっこしいものでもあってさ。例えば、ある人にとってコミュニケーションの手段として一番美しいのは手紙を書くことだとするよね? それを音楽に置き換えたら、俺にとって一番美しいのはやっぱりレコードになるんだよ。アナログ盤にそっと針を落とすと音が聴こえてくるっていうことが、ものすごく美しいと思うのね。そこが確固としてあるから、それ以外は配信でもなんでもいいんだ。
——アナログ以外はすべて並列なんですね。
そう。むしろCDにはものすごく大きな恨みがあります(笑)。俺、71年生まれで、高3の時が89年だったのかな? その辺りの時期からCDでしか日本盤が発売しなくなったんだ。だからストーン・ローゼスの新譜とかもCDでしか売ってなくて、俺はずっとアナログで育ってきたから、CDプレイヤーなんて持ってなかったんだ。そんなある日、朝日新聞に「針が製造されなくなってアナログが聴けなくなる」っていう大プロパガンダが打たれたのね。結局それは嘘だったんだけど、「あぁ、CDにしなきゃいけないんだ」って、ものすごくショックだった(笑)。それでCDプレイヤーを買いはしたんだけど、やっぱりアナログで出ているものは全部アナログで買ったし、CDで音楽を聴くことは今でもけっこう少ないんだ。でも、俺にとってのアナログ盤みたいな感じでCDを愛している人もいるんだよね。「こんなに大好きなCDが配信に移っていくのはいやだ」って思ってる人もたくさんいる。それと一緒だよ。だから自分の聴き方を持っていればいいんだ。iPodで歩きながら聴かないと音楽を感じられないっていう人がいてもいいし、それが正しいと思う。たまに配信の是非を問うような議論があるじゃない? それっておかしいよね。音楽を誰がどんな風に聴こうが勝手だよ。それにそういう議論の裏には、お金の動きを心配している大人の顔しか見えないからさ(笑)。
遂に配信開始! 曽我部恵一 バック・カタログ
PROFILE
曽我部恵一(そかべけいいち)
1971年生まれ。香川県出身。ミュージシャン。ROSE RECORDS主宰。ソロだけでなく、ロック・バンド曽我部恵一BAND、アコースティック・ユニット曽我部恵一ランデヴーバンド、再結成を果たしたサニーデイ・サービスで活動を展開し、歌うことへの飽くなき追求はとどまることを知らない。プロデュース・ワークにも定評があり、執筆、CM・映画音楽制作やDJなど、その表現範囲は実に多彩。下北沢で生活する三児の父でもあり、カフェ兼レコード店CITY COUNTRY CITYのオーナーでもある。