ダブ、レゲエの歴史的系譜に続く本格派バンド、Tam Tamがデビュー!!
新鋭現る。これこそミュート・ビートを出発点として30年に亘る変遷を辿っていった日本のダブ・バンドにおける最新形態だろう。ジャマイカでルーツを育み、クラブ・ミュージックを通過しながらダブ・ステップなどに派生していったのが現在のダブだとしたら、このTam Tamが鳴らすのはそうした最新のビート・メイカーからの反響をバンド・アンサンブルに加えつつ、オーセンティックなソング・ライティングを基調とさせたサウンド・コラージュであり、その最もポップな形を提示したのが、彼らのファースト・フル・アルバム『meteorite』だ。そう、なによりもこの『meteorite』というタイトルこそ、このバンドがダブ/レゲエの歴史的系譜に続く本格派であることを物語っている。すなわちそれはサイエンス・フィクション。詳しくはぜひ以下の鼎談に最後まで目を通していただきたい。
今回はバンドからフロント・マンの黒田さとみとベースの小林樹音に加え、本作のプロデュースを手がけたHAKASE-SUN(リトルテンポ、ex フィッシュマンズ)をお招きし、『meteorite』の制作にまつわる話を中心に、2012年におけるダブ・ミュージックのあり方について語って頂いた。
インタビュー&文 : 渡辺裕也
Tam Tam / meteorite
初の全国流通盤となる、Tam Tamの1stフル・アルバム。プロデューサーにex フィッシュマンズ、現リトルテンポのHAKASE-SUNを起用。Tam Tamの持ち味である「年齢に似合わない深みのある音世界」はそのままに、よりダイナミクスを強調したサウンド・プロダクションによって、ダブ/レゲエ・ファンだけでなくロック・ファンにも届く間口の広さを獲得している。
【販売形式】 HQD(24bit/48kHzのWAV)、mp3
1.Akkeshi Dub / 2.Dry Ride / 3.Clay Dance / 4.Elevator / 5.Skit / 6.Eyes Of Danger / 7.Stop The Alarm / 8.Space Debris / 9.Inside The Walls / 10.Train / 11.Wasureta / 12.Proof
黒田さとみ×小林樹音×HAKASE-SUN (リトルテンポ、ex フィッシュマンズ)
――結成当初からこのバンドの音楽的な指針は決まっていたのですか。
小林樹音(以下、小林) : ざっくりと「ダブがやりたいね」という話はしていました。ただ、ダブをやるためには必要な機材とかがけっこうあるんだろうと思っていたので、まずはレゲエやロックステディみたいなエフェクト要素のない音楽をやっていました。あと、最初はとにかくカヴァーをやっていましたね。
――どんな曲をカヴァーされていたんですか。
黒田さとみ(以下、黒田) : ホレス・アンディ、ソウル・シンジケート、ジェイコブ・ミラーとかをやってました。
小林 : たまにボブ・マーリーとかもね。最初の頃はライヴで演奏する曲も5曲のうち4曲くらいがカヴァーだったんです。曲を作るのにすごく時間がかかって。
――ダブをやりたいと思うに至ったきっかけもぜひ教えていただきたいです。
小林 : 僕の場合は、単純にいろんな音楽を聴いていく中でダブから受けた衝撃がすごく大きかったんです。演奏にしても、弾いてないところで音の鳴っている感じがすごく不思議で、気持ちいいなと思って。自分が音楽を始めたらダブをバンドでやりたいという気持ちがどんどん強くなっていって、それでみんなに声をかけていったんです。
黒田 : 私たちは音楽を通じたコミュニティのなかでの友達同士だったので、お互いの趣味も大体は掴めていたんです。
――では、メンバーそれぞれの音楽的な趣向性を簡単に教えていただけますか。
小林 : 僕はイギリスのヒップ・ホップとテクノがすごく好きで、そこから派生してダブを知りました。まずは音響効果としてのダブを聴いて、そこからオーディオ・アクティヴなどを知って、そこからダブのルーツにも興味を持ちました。だから僕の原点はクラブ・ミュージックということになるのかな。あと、僕は地方出身でまわりにお店もそれほどなかったので、高校生の頃はとにかく音楽雑誌を熟読してたんです。好きなライターさんが書いていたものを調べてみたり。当時は家にインターネットがなかったのもあって、とにかく足を使って音楽を探していましたね(笑)。
――すごくリスナー気質が強いんですね。
小林 : 僕は完全にそうですね。少なくとも上京するまでは、僕の音楽との接し方はほぼ聴くことだけでした。
黒田 : 私も高校生の頃まではそんな感じでしたね。ルーツ・レゲエを含めた黒人音楽がすごく好きで。ソウル、ジャズ、ファンクなんかも雑多に楽しんでいたんですけど、その中でもルーツ・レゲエとラヴァーズ、スカ辺りは特にディグしてました。そこから徐々に聴くものの幅が拡がっていくうちに、エレクトロニカやブリストルものにも興味を持って、そこでダブを知って。
――Tam Tamのオーセンティックな要素を多く含んだ楽曲には、やっぱりリスナーとしての蓄積が反映されていたんですね。では、HAKASE-SUNはどういうきっかけでこのバンドと接点を持ったのですか。
HAKASE-SUN : 呑みの席で、石本さん(石本聡 /〈mao〉レーベル・オーナー)がすごく嬉しそうに彼らのことを話してくれて(笑)。で、その時に音も聴かせてもらったんですけど、それがえらくよかったんです。若い世代でオーセンティックなダブをやるバンドは今までもいくつか出てきましたけど、Tam Tamにはそれだけでない、特別な華を感じたんです。それで石本さんに「これは売れるね!」って(笑)。
――音からポピュラリティを獲得できる可能性が感じられたということですね。
HAKASE-SUN : そうですね。あとは彼女の声。今まで音楽を聴き続けてきたなかでなんとなく感じる「これはポピュラリティを得られる声質だな」というのが、彼女の声にもあったんです。それがまずリスナーとしての僕の感想ですね。で、それから何ヶ月かして、石本さんからTam Tam主催のイヴェントにゲストで出ないかと誘われて、ステージを共にした感触もすごくよくて。
死んだ子が蘇るというと大げさですけど、なんかそういう感覚がありました
――実際に音を合わせてみて、サウンドを聴いた時の印象と変わったところはありましたか。
HAKASE-SUN : こういう音楽をやってるくらいだから、ちょっと突っ張った感じなのかと思ってたんですけど、みんなすごく真面目で礼儀正しくて(笑)。でも、なにか秘めているものもあって、そこは自分に近いものを感じました。そのあとに石本さんからプロデュースを頼まれたんですけど、僕は「そんなことしなくていいよ。これでばっちりじゃないか」と返したんですよ。それは断ったというより、僕がわざわざ手がける必要を感じなかったからで。でも、石本さんはどうしてもとおっしゃるので、それならばと。
――石本さんはHAKASE-SUNにどんな役割を期待してプロデュースを頼んだのですか。
石本聡(以下、石本) : アルバムを作るにあたって、第三者的な視点がほしかったんです。それは本来なら僕がやるべきことなんですけど、僕は彼らのライヴでPAもやっているし、自主制作盤のミックスとマスタリングもやっていて、あまりにも彼らに近づきすぎていたので、客観的なジャッジができなくなってたんですね。そこで、HAKASE-SUNならきっとそういう役割を担ってくれるだろうと。
HAKASE-SUN : とにかく石本さんの熱意がすごかったんですよ。「これを俺のエンジニアとしての代表作にしたいんだ」という泣かせる一言まで出てきてしまって(笑)。そこで僕もグっと気持ちが入りましたね。
――本人たちのいない場所でどんどん状況があたたまっていったんですね(笑)。
黒田 : こっちはこっちで、「えー! HAKASE-SUNって、あの!?」って(笑)。
小林 : 最初に連絡が来たときも、まさかそれはないだろうと思ったよね(笑)。石本さんと話していくうちにだんだんと実感は湧いてきたんですけど、それでもHAKASE-SUNがプロデューサーとして僕らにどう接してくれるのかはまったく想像できなくて。それが実際にスタジオで体感としてわかった時は、すごく嬉しかったですね。それこそ、曲の細部も楽譜に起こしてスタジオに持ってきてくださって。「ここはこうしてみたらどう?」「今の演奏、最高だよ」「こうしたらもっとよくなるんじゃないかな」と声をかけていただきながら、細部から全体像に至るまでのすべてを見てくれて、僕ら全員の能力が引き出されているのを体感しました。今まで見えなかったものが音を出していくうちに見えてくるので、本当にびっくりしましたね。
――バンドを鼓舞させつつ、ロジカルな指示を出されていたんですね。
HAKASE-SUN : 実は個人でなくバンドをプロデュースするのは今回が初めてだったので、自信は正直なかったんです(笑)。でも、彼らはアルバム単位での制作が初めてだったので、僕はまずいいアルバムの作り方を自分の経験から提案していこうと思っていました。あとは細かいところですね。
――その細かいところも気になります。HAKASE-SUNがこのバンドのどういう部分を主に抽出しようとしたのか、ぜひ教えてください。
HAKASE-SUN : 20代前半の子達がつくるファースト・アルバムと聞いて、世の中の人がなにを期待するかというと、やっぱり初期衝動的な勢いだと思うんですよね。少なくとも僕だったらそうで。その上で2012年のダブ・アルバムとはどういうものかを考えました。たとえばドライ&ヘヴィなんかが出てきた当初というのは、ダブが音楽的にすごく衝撃的なものだったんですけど、いまの時代にちょっとダブをやったくらいでは、それなりに音楽を聴いているリスナーならそう驚かないですよね。そこで僕が彼らの音楽を聴いてもっと押し出していきたいと思ったのが、彼らの持っているロック的な要素で。つまり、ギターですね。そこはリスナーにもすごく伝わりやすいポイントだと思いました。あとはダブのエッジですね。ミュートやディレイをかけるにしても、1音1音の角をちゃんと立てていくことが重要だと考えていました。
――確かに、いろんな音楽の要素がアレンジだけでなく、ソング・ライティングとして活かされているのがこのバンドの面白さだと僕も感じました。ベーシックにある音楽がすぐには見えてこないくらいに、曲調の幅が広くて。
小林 : このバンドは全員が曲を書くんですよ。
黒田 : それぞれのメンバーがデモを持ち寄って、それをみんなで肉付けをしていくんです。私は骨子だけの部分でも、とにかく量産して、どんどんバンドに持ち込むタイプなんですが、他のメンバーにはそのデモ段階で完全に作り込んでくる人もいて。
小林 : キーボード(川村知未)は楽譜まで用意してくるよね。コード譜とメロディを書いて、ちゃんと全体のイメージも伝えてくれる。僕の場合はDAWで打ち込んで、いろいろエフェクトなんかもかけて、ある程度の状態まで作り込んだものを持っていく時がけっこうあって。僕らは作ってきた人のやりたい音楽を優先させるようにしているんです。たとえばルーツ・レゲエの曲だったら、その人の考えるルーツ・レゲエの雰囲気や質感を生かすようにしていて。だから、僕らは4人のバンドだけど、もしかするとこのアルバムからはオムニバスみたいなニュアンスも感じ取ってもらえるかもしれません。
――確かにそういう感じもありつつ、作品としての統一感もちゃんとありますよね。もしかするとそこはHAKASE-SUNの果たした役割も大きいのでしょうか。
HAKASE-SUN : たしか、持ち曲が30曲くらいあったんだよね? 選曲をする段階で、収録予定の倍以上は曲が用意されていたんですけど、その中には独特のオリエンタル感を持っている曲がいくつかあって。つまり、東洋的なメロディ・ライン。これは西洋人には出せないものだと思いましたね。そこでまずはそのメロディを生かした歌モノとしての作品をイメージしました。僕は楽曲個々への思い入れがない立場だったので、そこはジャッジする上での強みになりました。僕の判断でどんどんピック・アップしていったので、彼らからすれば「なんでこれを外すんだ?」ということもあったかもしれませんが。
黒田 : 個人的には「え、これが選ばれたの?」と思った曲も実はあって(笑)。でも、HAKASE-SUNから指示をいただきながら録音していくうちに、だんだんと曲にメリハリがついてきて、しっくりくる形に変化していったんですよね。
小林 : ライヴでほとんどやってこなかった曲もあって。でもそれをまず素の状態に戻して磨きをかけてもらっているうちに、バンド内だけでは気がつかなかったものが見えてきたんですよね。死んだ子が蘇るというと大げさですけど、なんかそういう感覚がありました(笑)。
HAKASE-SUN : アレンジも構成も、詰め込むというよりは削る意識でしたね。あと、比較的ダークな曲調が多かったので、その中でどうやって作品のメリハリをつけていくかを考えて。それこそ僕はひとつの作品としての流れをきちんと出したかった。
とにかく自分たちが思っていること、やりたいことを形にしたい
――では、もともとリスナー気質の強かったおふたりは、HAKASE-SUNというアーティストにどういう印象をもっていたのでしょうか。
黒田 : こういう音楽をやっている人を静と動で分けるとしたら、HAKASE-SUNには静のイメージがありました。それこそロジカルなやり方で、聴いた時に気持ちいいものを無駄なく形にしていく冷静さがあるアーティスト。HAKASE-SUNはその代表格ですね。リトルテンポ然り、フィッシュマンズ然り、HAKASE-SUNの関わるプロジェクトにはすべてそういう魅力を感じていました。
小林 : すごく美しいメロディを書く人というイメージが僕は強くて。僕が好きなリトルテンポのダブ・アルバムもそうだったし、『人のセックスを笑うな』のサウンド・トラックを聴いた時も、メロディの印象が強く残っていました。
――ここまでお話を聞いて面白いと思ったのが、このダブ・アルバムの制作にあたってみなさんが気に回しているのが、どうやら音響面以上にメロディや構成などにあるということで。そこでお伺いしたいんですが、ダブの音作りにおける個性とはどういうところにあるんでしょう。というのも、ダブってどれも同じに聴こえるという方も実はけっこういると思うんですよ。
HAKASE-SUN : それは確かにその通りですね。「ディレイを飛ばしておけば大丈夫だろう」みたいなものも実際にあります。そこで、僕らがいろんな作品と触れていく中で知っているちゃんとしたダブ・ミュージックというのは、やっぱり演奏が素晴らしいんですよね。ディレイをかけるにしろ、ミュートするにしろ、もとの演奏がよくないとダブ自体が光らないんですよね。つまり、ダブ以前にダンス・ミュージックとしてしっかりとしたものでなければいけないんです。
黒田 : こういう音楽って、音だけじゃなくてカルチャー的な側面も重要視されますよね。たとえばジャマイカの人たちだったら、バビロンとかマリファナなんかも含めた文化を総括してレゲエを捉えているし、実際にまわりからはそういうイメージも込みで見られる音楽で。私はそこを理解してこういう音楽に臨んでいる人もかっこいいと思いつつ、ひとまずそこは置いておいて、とにかく自分たちが思っていること、やりたいことを形にしたいと思っていて。そこはもしかすると自分たちの個性と言えるかもしれません。見た目も私たちはもやしっ子ばかりだし(笑)。それこそジャマイカで生まれたレゲエがイギリスに伝わって、少しヘンテコな形になって返ってきたりするのがすごく面白いと私は思ってて。それを日本の私たちはどういう形にしてそれを返そうかなっていう、ちょっと実験的な面白さをこの音楽に感じているんです。
HAKASE-SUN : ダブという言葉はすごく広い意味で世の中に拡がりましたけど、いまの2012年に純粋なジャマイカン・ダブを引き継いでいる日本のバンドは、もしかするとTam Tam以外にいないんじゃないかと思ってて。それこそドライ&ヘヴィ以降では現れてなかったような気がします。実際に今回のアルバムはそういった原理主義的なダブのリスナーが聴いても唸るようなものになったし、同時にそういう音楽をまったく通ってない人にもアピールできると思ってて。
――さっきの思想性とも繋がる話になるかもしれませんが、リリックに関してはどういう意識で臨んでいるのでしょうか。
黒田 : 深い意味があるのかと言われると、答えるのが辛いところなんですが(笑)。私、SF小説を読むのが好きなんですよ。そこで読んだ本の世界観を頭で巡らせて、その妄想を言葉にしていくこともあって。まあ、私が好きなのは宇宙系のハードSFではないんですけど(笑)。
――アルバム・タイトルはそこに由来するものなんですか。
黒田 : そうです。SF好きなのは彼も一緒で。部屋の機材が宇宙船のコックピットみたいにチカチカしているんですよ(笑)。
小林 : 僕はまさにその宇宙好きな方なんです(笑)。
黒田 : そういう人がこのバンドには多数いて(笑)。あと、このアルバムが隕石みたいなインパクトの強いものになるといいなという思いで、このタイトルにしました。ちなみに「Space Debris」(宇宙ゴミ)は彼が書いた曲で。
小林 : 僕がタイトルをつけると、どうしてもSFっぽくしちゃうんですよね(笑)。でもそこには理由があるんです。というのも、たとえばリー・ペリーやPファンク、あとデトロイト・テクノの作品には、思想を宇宙と結びつけたものがあって。さっきの話とちょっと矛盾しちゃうようですけど、僕はそういう思想もありつつ、音感としての広がりにも宇宙みたいなものを感じられるのがダブの面白いところでもあると思ってて。SFというものは、作られた真実でもありながら、“Based On True Story”より真実味があって、痛烈な社会批判をポップに見せたものが多くて、そこが面白いんです。個人的にはそういうものを匂わせる音が好きなんですよね。
――今回は初のフル・アルバムというのもあって、Tam Tamのキャリアを一度総決算したところもあると思うんですが、みなさんは今後どういうところを詰めて音楽に取り組んでいこうと考えていますか。
小林 : 僕らには最低限のルールがあって。つまり僕らはダブをやっているということ。ジャマイカから始まって、いろんなものを雑多に組み込んでいくうちに枝分かれしていったこの音楽を、僕らは今でもダブと呼んでいるんです。そのダブをやろうとしたのが今回のアルバムで。だから僕らはこれからそのダブを越えていきたいと思っていて。この音楽のマナーを守りたいと思いつつ、その先にも行きたい。つまり、ダブという音楽をもっと大きくしていきたいんです。今はダブという言葉がすごく拡散しているけど、僕らはそこをちゃんとルーツとつなげてから先に進んでいきたい。
黒田 : そこは私も同じですね。面白いことをやりつつ、自分が最初に心をつかまれたこの音楽のトラディショナルな魅力を大切にしたいと思ってます。
――そんな彼らにHAKASE-SUNはどんな期待をしていますか。
HAKASE-SUN : そんな彼らを頼もしく思いつつ、世の中の流れに振り回されずにやってほしいなと思ってます。この作品は世の中に広く知られていいものになったと思いますから、そこは自信を持ってほしいし、とにかく長く、良い形でバンドを続けていってほしいです。彼らはまだ若いだけに、いい意味で定まっていないところもあって。つまり彼らはここからいくらでも変わり様があるんですよ。そこが楽しみですね。
LIVE INFORMATION
2012年5月3日(木)@恵比寿バチカ
2012年5月4日(金)@池袋鈴ん小屋
2012年5月19日(土)@長野県松本りんご音楽祭
2012年5月27日(日)@タワーレコード渋谷店インストアライヴ
【meteorite Release Tour】
2012年6月23日(土)@大阪なんばロケッツ
w/ BEMBE /ha-gakure / 池永正二 / jew's-ear / and more
2012年6月24日(日)@名古屋新栄vio
w/ BEMBE / Qu-ki / pangea
2012年7月7日(土)@東京青山月見ル君想フ(ツアーファイナル)
スペシャルゲスト : HAKASE-SUN / 画家
RECOMMEND
ナイヤビンギをmicroshotテイストで料理した「libertine」、MUTE BEAT直系のタイトなリディムとウェットな質感が滲む「ambrosia」は彼等の真骨頂ともいうべきキラー・チューン。70'sレゲエ・フレーバーたっぷりの「G summa special」、ラヴァーズ・ロック・テイストの「lilacnotes」など、レゲエ・ファンなら思わずニヤリとさせられるエッセンスが満載。
>>>DUB座談会(microshot×こだま和文×石本聡(mao) )はこちら
あらかじめ決められた恋人たちへ / CALLING
2008年に大阪から東京へ拠点を移し、以降はバンド編成でのライヴ活動を主軸に行なってきた彼らの姿が、ようやくスタジオ・アルバムとしてパッケージされることとなった。初聴でも入り込める懐の深さと中毒性が同居した、あら恋の最高傑作。そして、他に類をみないアーバン・ダンス・ミュージックの誕生でもある。
泰山に遊ぶ / 上海旅遊
アルバムの裏テーマとして彼等が憧れる東アジア文化の象徴とも言える「上海万博」へのオマージュがあり、オリジナル曲にはいずれも上海の街並みや万博にまつわる事柄がアイテムとして散りばめられている。録音を担当したのはThe BOOM、アン・サリー、原田知世などを手がけたこともあるフジイサトル。ダブ・ミキサーとして、まつきあゆむ、バンド内でDUB PAを担当するprof.watanabe、神谷千尋などのサポートもつとめる沖縄ミュージック・シーンの重鎮ベーシスト/プロデューサー、ドン久保田、maoオーナーでもあり、自身のユニットpasadenaやあらかじめ決められた恋人たちへ/ワールズ・エンド・ガールフレンドのDUB PAもつとめるイシモトサトシが参加。各自の個性が浮き立つダブワイズを展開している。
PROFILE
Tam Tam Biography
2008年12月結成。現在のメンバーは、
黒田さとみ : ボーカル、トランペット、鍵盤ハーモニカ
小林樹音 : ベース
高橋朋之 : ドラムス
川村知未 : キーボード
ライヴではこの他にサポートとして
鈴木雄介 : ギター
石本聡 : DUB PA
が加わる。
メンバーの平均年齢が20代前半となるヤング・ダブバンド。ダイナミクス溢れるソウルフルなボーカルを軸に、強力なリディム・セクションがボトムを支え、ギター / キーボードが彩りを添えるバンド・サウンドは、メンバーの年齢からは想像できない完成度をほこり、レゲエを土台にしつつそこにクラブ・ミュージックの良質なエッセンスを注入した音楽性も相まって、ベース・ミュージック・シーン、インスト・ロック、ジャム・バンド界隈からも厚い支持を得ている。
2010年5月に制作したオリジナル2曲、リミックス3曲入の自主制作CDRが局地的に話題となり、噂を聞きつけた「あらかじめ決められた恋人たちへ」のライヴ・ダブPAもつとめる、maoレーベルのオーナー石本聡がライヴを見に行き一目惚れ。自ら志願しPAを担当するなどレーベルをあげて全面的にバックアップしはじめる。
2011年2月3日に自主制作ミニ・アルバム「Come Dung Basie」をDIYリリース。自主制作にも関わらずiTSの「今週のシングル」に楽曲が取り上げられ、レゲエ・チャート4位になる。アルバムへはこだま和文 from Dub Station、大石始、カツオ(渋谷タワーレコード2Fレゲエコーナー)、クリテツ(あらかじめ決められた恋人たちへ)、浅野裕介(asana/BEMBE)、吉川真緑(microshot)がコメントを寄せ、ミュージック・マガジン、indies issue、Quick Japanにアルバム・レビュー掲載。
その後もコンスタントにライヴ活動を続け、2011年に行った3回の自主開催イベントではいずれも100人以上を動員。同年末に西麻布新世界で行われたカウントダウン・ライヴではリクルマイバンド、AO INOUEらとの共演も果たした。また、ベーシストの小林樹音はJitteryJackal名義でのトラックメイカー、DJとしての活動も行っており、先程発売された術ノ穴のコンピレーションにも楽曲提供をしている。