
5年ぶりの新作を先行販売&フリー・ダウンロードで
Ryo Hamamoto & The Wetland / Ryo Hamamoto & The Wetland
10年以上にわたって日本のインディー・シーンにおいて絶大なるリスペクトを集めるmooolsのギタリストとしても活動するシンガー・ソングライター、Ryo Hamamoto。ソロ作のリリースから5年ぶり、バンド名義としては初となるアルバムが完成! 1年近くかけてようやく完成した本作は、滋味あふれる唄声、芳醇なメロディー、豊かなグルーヴなど、彼の才能が爆発した極上の一枚となった。
1. Dark Clouds Rushing By / 2. Sleep Walker / 3. 汗とシーツ / 4. Sally Lee / 5. Sweet Sweet Sweet / 6. Short Piece No.3 / 7. 雪の坂道 / 8. Feathers / 9. The Last Day At The Disco (For A Friend)
販売形式 : mp3 / wav
>>「Sally Lee」のフリー・ダウンロードはこちら(期間 : 3/1〜3/8)
Ryo Hamamoto INTERVIEW
「これはずっと昔から作らなければいけなかったレコードなんだ」
ついに機は熟した。ソロ・シンガーでありながら、10年以上に亘って不動の3ピースだったモールスに正式加入することを許されたギタリスト、浜本亮。彼が初めてバンド名義での作品を世に送り出す。タイトルは『Ryo Hamamoto & The Wetland』。これまでのキャリアにひとつの決着をつけるべく、長い時間をかけて完成させた、まさに渾身のアルバムだ。

浜本がバンド・メンバーを率いて活動するようになったのは、2007年にソロ・アルバム『Leave Some Space』をリリースして以降のことだが、この『Ryo Hamamoto & The Wetland』に収められたサウンドの構想は、それよりもはるかに前からあったものだと彼は言う。実際、彼はシンガー・ソングライターとしての活動を開始した04年に『From Now To When』という9曲入りのCD-Rを残しているが、この作品には新作の冒頭を飾る“Dark Clouds Rushing By”を始め、“汗とシーツ”や“Sleepwalker”といった楽曲がすでに収録されている。
「たとえば“汗とシーツ”は、自分がいつでも立ち返ってこれるような曲を書こうとしてつくったんだけど、実際に書いたら演奏がすごく大変で。あの曲では〈行き先は告げずもっと遠くへ行こう〉と歌っていて、やっぱり演奏にもそういうドライヴ感が必要だった。おまけに特殊な3拍子で、転調も激しい。テンション・コードもがんがん入ってくる。そこにちょっと不穏な空気も入っていなきゃいけないから、とにかく難しかったですね。バンドでギターを弾いてはいたけど、当時はまだ人前で歌ったこともないような状態で。でも、自分はいつか歌わなきゃいけないとずっと思ってた。そうしないと、僕の作家性みたいなものは完結しないだろうって、内心では音楽をやろうと決めた10代の頃からずっと思っていましたね」
中学生の頃には意識的に音楽を志すようになったという浜本。しかしその決意は気の合う仲間と共に和気あいあいと育んだものではなく、孤独感に苛まれる最中で生まれたものだったようだ。
「5歳から11歳まで、僕はアメリカで暮らしていたんです。早い時期にアメリカの景色や空気をものすごい勢いで吸収して。それがいきなり日本で生活することになったら、それまでに見てきた景色や体内にある空気、言葉のリズムが一気にオーヴァーロードし始めて、どこか行き場のない感覚になったんですよね。しかもそれってまわりの人間とはまったく共有できないもので。そういうのもあって、自分の出身地と呼べるものを改めてつくらなきゃいけないような気がして。そこで、自分は音楽しかないと思った。早くそう思い込まなきゃいけなかった。じゃないと、僕はどこにも根っこがない人間になってしまうような気がしたんです。むかし読んだ本に“人間は見てきた景色でできている”みたいなことが書いてあったんだけど、まさしく僕がそうで」
おそらく誰が耳にしても、浜本の音楽にはアメリカのトラッド・ミュージックからの影響を強く感じるだろう。しかし、それは日本に数多ある「アメリカ文化から影響を受けてつくられた音楽」とは決定的に違うものだ。彼の音楽に宿る土着性はアメリカで培われたものであり、本人が意識しようとしまいと、浜本の発する声や演奏には、彼が少年時代に吸い込んだ匂いが染み付いてしまう。

「僕の暮らしていた北東部は、針葉樹が鬱蒼としていて、曇りの日は魔女でも出てきそうな雰囲気で。夏場はカラッとした芝生の匂いがして、アメリカの都市独特の古さといかがわしさがあった。あと、家族と中西部の方々を旅した時に見た風景がずっと抜けないんです。かれこれ20年以上も前のことなのに、僕は今でもずっと、自分の体内にある風景と実際に見ている景色の折り合いをつけようとしている。だから、毎日の暮らしの中で見たものを自分なりの音に変換しようとすると、絶対に自分の中にある景色に引き寄せられて、結局そういう音像になっちゃうんです。ただギターを弾いているだけでもね」
Ryo Hamamotoの音楽に込められた和声感覚とグルーヴ
早くして自分が生きていく上での基軸を音楽活動に定めた浜本だが、当時の彼が考える音楽とはポップ・ミュージックのことではなかった。程なくして彼はロックンロールと出会うことになるが、浜本亮の音楽に込められた和声感覚はそれ以前に磨かれたものだったようだ。
「母親の影響もあって、小さい頃はクラシックしか聴いていなかった。歌謡曲なんて耳にする機会もなかったですね。でも、ロックを意識する前から、U2はすごく好きだった。いま思うと、当時からケルトっぽい音楽はすごく好きだったみたいで。あと、たまたまCHAGE & ASKAを聴いた時はびっくりしたな。もう半端じゃなくハーモニーが豊かで。和声と曲の練り方がものすごかった。『SUPER BEST 2』はよく聴きましたね(笑)」
そう考えると、彼の手にした楽器がエレクトリック・ギターだったというのは実に興味深い。実際、浜本は弾き語りのステージでも、アコースティック・ギターではなくエレキを肩から下げ、立って演奏することが多かった。その佇まいは「シンガー・ソングライター」というより、「たったひとりのバンドマン」と呼んだ方がふさわしいのかもしれない。
「ギターしかなかった。ちょっと間違っていたらドラマーだったかもしれないけど、やっぱりハーモニーを出せるものがよかった。ピアノは自分の意志で始めたものじゃなかったし、演奏しながら動き回れないのが俺には少し物足りなくて(笑)。それに、10代の頃の俺にとって、ギターは当たり前の楽器じゃなかったから、すごく目新しいものに感じたんですよね。母親には嫌がられたけど、ものすごくエレキに執着してましたね。完全に一方的な偏見だったけど、アコギってコード・ネームを見てジャンジャカ鳴らすイメージしかなくて。生意気にも、どうせ音楽をやるならそんなに簡単にするなよって思ってた(笑)。それよりも僕はメロディが弾きたかった。ギター・ソロを聴くのもすごく好きだったから、しばらくは勘違いしてイングヴェイなんかも聴いてたし(笑)。当時はグランジやオルタナのブームがあったから、後追いでガツガツとコードを鳴らす楽しみ方も覚えていったし、いま聴くとパンクってものすごく豊かな音楽なんだけど、当時はそういうのが物足りなかった。突っ張ってたんだろうな。自分のハーモニー感覚を盲信していたんだと思う」

ポップスの中にも自分の琴線に触れるハーモニーを見つけたのは、間違いなく彼にとってはひとつのきっかけとなったのだろう。しかしそれ以上に大きかったのが、ロック・バンドにしか出せない「グルーヴ」を発見したことだ。ここから彼は一気にロックンロールに魅了されていく。
「なにが一番かと聞かれたらレッド・ツェッペリンって答えちゃうくらい、僕にとってグルーヴっていうものはすごく大事で。あと、ロックを始める人って、なにかしらにムカついてたりするじゃないですか(笑)。そういう殴りかかるような衝動と、音楽への探究心をちょうどいい具合に組み合わせようとすると、ロック・バンドみたいな形式は俺の肌に合っていると思った」
こうして一歩遅れる形でロックンロールに目覚めた彼は、まずは歌い手ではなく、演奏家としての追求を始める。そこで彼が仲間と共に始めたのが、プログレッシヴ・ロックを演奏するインストゥルメンタル・バンドだった。
「思い描いていることをすべてギターでやれるようになりたくて。20歳を過ぎた頃は、現代音楽の本を読んだり、音楽学を勉強し始めるようになって、継続力や演奏力といった、うたとは別の部分をひたすら補強していた。そのバンドで僕がやっていたのは、いろんな人のバックグラウンドを再現していくことで、バンドの力学や僕の知らない音楽をどれだけ吸収できるか試す場だったんです。いずれひとりで歌うだろうと考えながら。もともと僕のバックグラウンドにジャーマン・プログレとかはなかったし。その当時つるんでいた友達には知らない音楽をたくさん教えてもらいました。たとえば、俺の中にラテンの血ってほとんどないと思うんだけど(笑)、まわりに詳しいやつらがけっこういて。クラブ・ミュージックも好きだった。友達のDJが出るイヴェントで遊んでいるうちにヒップホップの力学や構築美、記号性で遊ぶ面白さもわかるようになった。あの頃はひとまず自分のルーツを探すことに固執しないで、いろんなものを無責任に聴いてみようとしていましたね」
ソロ・アーティストとしての活動と出会い
一時的にロックと距離を置きつつ、それまで知らなかった音楽と接点を増やしているうちにバンドは解散。ちょうどこの頃に浜本は、彼の運命を変えるバンドと出会いを果たす。
「たまたまモールスのライヴを見る機会があって。他のバンドのことも大して知らなかったくせに、この人たちが東京で一番すごいバンドだと思ったんです。酒井さん(酒井泰明)はもちろん、有さん(有泉充浩)は日本有数のベーシストだし、うっちーさん(内野正登)みたいなパワフルで歌心があるドラムなんていないから。その3人がひとつに固まって演奏しているバンドなんだから、間違いなく一番だと思ったし、やっぱりロックンロールだなって思った。それがひとつのきっかけになって、自分でも歌おうと思ったんです」
こうして彼はようやくソロ・アーティストとしての活動をスタートさせる。卓越したギター・テクニック。そして雲の切れ間をすり抜けていくような美しいハイトーン・ヴォイス。もし機会があれば、ぜひ『From Now To When』を聴いてみてほしい。浜本はこの時点で、とても静かではあるが、早くもその才気を発揮し始めているのがわかるはずだ。また、浜本はステージ上でたびたびカヴァー曲を披露していた。こうしたところからも彼のアーティスト性が垣間見える。ボブ・マーリー、ヴァン・モリソン、ブライアン・イーノ、ケイス・ブルーム。筆者が耳にしたものをざっと挙げるとこんな感じだ。一時はイギー・ポップ「TV eye」やピエール・バシュレ「エマニエル夫人のテーマ」などもよく歌っていた。
「実際に演奏してみないとわからないことってたくさんあって。うたって、なにも自分のことを歌えばいいってものでもないですよね。時として僕は、こういう音楽を伝達するメディアみたいなものになっても構わないかなって思うこともあって。ディランとか、昔のフォークの人なんか、まさにそうじゃないですか。僕は自分のルーツを突き止めたいっていう意識がすごく強かったから、カヴァーすることで改めて自分の身体のなかにいろんな曲を入れてみることが重要だったんだと思う。そこで自分の好きな音楽に共通するものを発見することもあって。そういうものが曲を書くときの指針にもなってたし、自分にとって曲を書くという行為がどういうことかを知るきっかけにもなったと思う」
ソロ・アーティストとしての認知を少しずつ高めていく中で、浜本は07年にファースト・ソロ・アルバム『Leave Some Space』をリリースする。抑制を利かせたバンド・サウンドと、色気たっぷりの歌唱が見事に捉えられたこの素晴らしい作品について、浜本は一定の満足はしつつ、かねてから目指していたサウンドとはまた別のものだと話す。
「もちろん完成度が高いと思える楽曲は入っているけど、あれは僕が一緒にグルーヴを練り上げたドラマーと作ったものではないから。それにあのアルバムはエンジニアの浜野泰政さんと一緒にアレンジとディレクションをやったから、僕はレコーディングの現場で踏む手順をまだよくわかっていなかったんです」
そしてちょうどこのアルバムの制作期間に、浜本は神谷洵平というドラマーと出会う。レコーディングには間に合わなかったものの、彼らは意気投合し、ドラムとギターのデュオでライヴ活動を始める。
「いま思えばホワイト・ストライプスみたいな編成だけど、僕は逆フリクションだと思ってたんですよね(笑)。神谷くんは僕ほどパンクやハードコアみたいな音楽を通ってなくて、ブラック・ミュージックやジャズが好きな人だったから、ふたりでゼロからロック的なリズムを練り上げていこうと思って。彼は元々のタイム感がすごく面白くて、黒人のセッション・ドラマーみたいなこともやっちゃうんだけど、実際はもっと爆発力があるはずだと思って。で、一緒にやってみたら、案の定すごくパワフルに叩くようになったんです。神谷くんのドラムに僕はかなり鍛えられたと思っているし、彼とライヴを何度も繰り返しながら練り上げたものがなかったら、今回のレコーディングに踏み切ろうとは思わなかったかもしれません」
かねてから思い描いていた理想のサウンドを形にすべく動き出した浜本は、もうひとりの男に声をかける。『From Now To When』から浜本のレコーディングをサポートしている旧友であり、padokというソロ・ユニットで活動する渡部牧人だ。
「彼とは馬が合うというか、いろんな話をしてきたから、お互いの共通点や好きな音像、倫理観なんかもよくわかってて。ミックスやアレンジの作業はほとんど彼とふたりで作り上げていった。またこうやって渡部くんとやることになったのはすごく自然な流れだったと思う。とにかく彼は和声感覚がすごいんですよ。よくひとりでこんなもの作れるなって思う」
mooolsへの加入
渡部をベーシストに加えて3人体制となり、バンド活動が一気に本格化していくなか、浜本はまた大きなターニング・ポイントを迎える。彼がソロ活動を始めるきっかけを与えたバンドでもあるモールスから、新作のレコーディングに参加してほしいという申し出がやってきたのだ。こうして『Weather Sketch Modified』収録の“影も形”でレコーディングに参加したのを機に、浜本はモールスのライヴにもギタリストとして参加することになる。そこから両者は一気に急接近していき、浜本はWolf Paradeとのアメリカ・ツアーにも同行。ついには正式メンバーとして加入することになる。
「なんの躊躇もなく飛び込びましたね。俺がものすごい敬意を持っていたバンドに参加しているんだから、それはやっぱり感慨深いです。それに、自分のギターを余すところなく活かせる場所ができたんだから。あのバンドでは直感的にやることだけを心がけています。10年以上3人で続けてきたからこその揺るぎない基盤があのバンドにはあって、俺はそこに身をあずけるつもりなんです」

音楽的なアウトプットを余すことなく放出できる環境はここにきてようやく整いつつあった。彼はモールスの活動と並行して、ついにRyo Hamamoto & The Wetlandとしてレコーディングに臨むことを決意する。
「実はここまでにいろんな形で録音は試してきたんだけど、なかなか納得がいかなくて。(レコーディングが長期戦になることは)もちろん覚悟していました。だって、自分の出身地はここだと言えるような作品をつくろうとしていたんだし、それを完成させないと前に進めないこともわかっていたから、そのためならどれだけ時間がかかっても惜しくないと思っていましたね」
神谷、渡部、そして岩谷啓士郎をエンジニアに迎えて臨んだレコーディングは約1年にも及んだ。かくして完成したアルバムのタイトルに、彼はバンド名をそのまま与える。ここに収められたのは、浜本が長年に亘ってひとりで歌い続けてきたものから、暴走するガレージ・パンク、深淵なアシッド・フォークとさまざまだが、なによりもこの重厚なハーモニーとグルーヴには唖然とさせられる。作品を聴き終えた時の、まるで広大な地平線を前に立ち尽くすしかできなくなったような感覚。浜本のなかにあった故郷とは、ここまで途方もないスケールだったのだ。長年に亘って脳裏に描き続けてきた作品をようやく形にした浜本。彼の表情はかつてなく晴れやかだ。
「ようやく自由になれたっていう感じ。自分が理想とする作品をつくるためのリミッターから解放されたし、しかも今はモールスでギターも弾ける。音楽活動に関しては、いまはストレスがかなり少ないです」
周囲からその才能を認められながら、自分の理想像に迫ることができないことに長く苦悩し続けた天才、浜本亮。しかしそんな季節もついに終りを迎えたようだ。この先に彼がどんなキャリアを歩んでいこうと、なにも心配はいらないだろう。『Ryo Hamamoto & The Wetland』。彼はいつでもここに戻ってこればいい。
「今までは、こういうのをつくらなきゃいけない、という気持ちだけでやってきたから。これからは俺が面白いと思ったものをすぐにつくれるし、もっと新しいことをやっていけそうな気がする。またいろんな音楽を聴くことが楽しくなるかもしれないし。それに、ここ1年の間におこった出来事は、やっぱり無視できないから。僕は特定のなにかを題材にしたり、そこに直接言及するようなことはとんどしないけど、そういうものを一周させた音楽が今後はもっと出てくると思うし、いまも出てきている」
さあ、新しい浜本亮の音楽がここから始まる。
(インタビュー&文 : 渡辺裕也)
LIVE SCHEDULE
& records presents OWEN Japan Tour 2012
2012年3月3日(土)@名古屋 K.D JAPON
w / OWEN / Climb The Mind
2012年3月5日(月)@新代田 FEVER
w / OWEN / 磯部正文 / 平林一哉
2012年3月6日(火)@京都 UrBANGUILD
w / OWEN / ゆーきゃん
2012年3月7日(水)@大阪 digmeout ART&DINER
w / OWEN / dry river string / YeYe
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moools / Weather Sketch Modified
トータル・タイム65分というバンド史上最長アルバム。生粋のライヴ・アクトであるモールスが4年をかけて熟成し、最早ライヴ・クラシックと化した全12曲が収録されている。OGRE YOU ASSHOLE『アルファベータ vs. ラムダ』、YOMOYA『Yoi Toy』を手掛けたプロデューサー斉藤耕治&エンジニア多田聖樹の不動のプロダクション・チームとの共同作業による丹念な制作に加え、ブレント・アーノルド(Modest Mouse、Quasi他)、さや(テニスコーツ)やRyo Hamamotoなどのゲスト参加も作品に彩りを与えている。ボーカル、酒井が描く独創的な日本語詩とバンドならではの自由自在なグルーヴ感。ジャンル分け不能、日本で最もねじれた究極のポップス、モールス・ワールドへようこそ。
OWEN / GHOST TOWN 日本でも確固たる人気と評価を得るOwenの6作目のアルバム。更に磨きをかけた元々のOwenサウンドと、近年の様々な活動が結実した新たなOwenサウンドを感じることが出来る傑作。今作の日本盤ボーナス・トラックにはThe SmithやWilcoのカヴァーも収録。
ツチヤニボンド / 2
土屋貴雅(Vo, Gt, Ba, e.t.c)による音楽プロジェクト、ツチヤニボンド。「トロピカリズムとはっぴいえんどの融合」というキャッチ・コピーと、楳図かずお作画によるジャケットを携え、2007年にデビュー・アルバム『ツチヤニボンド』をリリース。MUSIC MAGAZINEでは音楽評論家の岡村詩野から「ムタンチスが日本に来てファルセットでヒップ・ホップやソウルをやっている」と、indies issueでは「ビーチ・ボーイズっぽいコーラス、ブラジル音楽的ギターにディスコ・ビート、あるいははっぴいえんど+ヒップ・ホップ+サイケ」と評される。制作着手より3年を経てリリースされたセカンド・アルバム。
PROFILE
シンガー・ソングライター浜本亮率いるトリオ。プログレ・インスト・バンドをやっていた浜本がバンド空中分解後、2004年頃ギターで歌い始める。同年、渡部牧人(Padokとしてソロでも活動。様々な楽器を演奏し歌ものもテクノも制作。ツチヤ二ボンドのサポートも)の手を借りて9曲入り弾き語りアルバムCD-R『From Now To When』を制作。一部では隠れ名盤とされる。それと同時に池ノ上のバーBobtail(その後Bar ruinaとして営業)を中心に活動を開始。その間、神谷洵平(現在自身のユニット、赤い靴 月球、大橋トリオのサポートなどで活躍中)と知り合う。2人でE.ギターとドラムの変則的デュオでライヴを重ねる。2006年頃からRyo Hamamoto名義での1stアルバム『Leave Some Space』をエンジニア浜野泰政と制作、2007年にToy’s Factory Musicのレーベル、おもちゃ工房からリリース。その後も相変わらずBobtailを中心に、トリオ編成やデュオ編成など不定形ながらもライブを続ける。浜本、神谷、渡部の3人に加え、何度かギタリスト、エンジニアの岩谷啓士郎(トクマルシューゴ&ザ・マジック・バンド、日暮愛葉 and LOVES!、LEO今井など)をギターに迎えてライヴを行う。2009年の8月にmooolsの『Weather Sketch Modified』の「影も形」のレコーディングにリードギターで参加。翌年2010年moools&Quasiのスプリット・ツアーにギタリストとして帯同。その後のツアーもライヴも継続して参加、WOLF PARADEとのアメリカ・ツアーにも一部帯同、その後正式にメンバーとなる。2011年11月、新代田FEVERにて2日間開催されたモールスまつりでは、2日間ともmooolsのギタリストとして演奏したのはもちろん、Ryo Hamamoto & The Wetlandとしても参加。bloodthirsty butchers、BEYONDS、佐々木健太郎(アナログフィッシュ)、toddle、GELLERS、nhhmbase、YOMOYA、SuiseiNoboAz、赤い疑惑、太平洋不知火楽団、快速東京らと共演。また、12月には、mooolsとして、JACCSカードの「あなたの夢に応援歌」キャンペーンに参加、曽我部恵一BAND、カジヒデキ、LOST IN TIME、THEラブ人間、住所不定無職、N’夙川BOYS、撃鉄、MOROHA、SEBASTIAN X、奇妙礼太郎らとともにTV CMに出演する。mooolsと平行して2010年前半、再び渡部、神谷そして岩谷啓士郎をエンジニアに迎えて、レコーディングを開始。1年近くかけてようやく完成された1stアルバム『Ryo Hamamoto & The Wetland』は、mooolsで存分に披露している卓越したギター・テクニックはもちろん、滋味あふれる唄声、芳醇なメロディー、豊かなグルーヴなど、すべてが日本人離れした彼の才能が爆発した極上の一枚となった。
>>Ryo Hamamoto & The Wetland ページ(& records)