「さあ立ち上げよう 命がけで遊ぼう」ソロ活動を選択した永原真夏が、発信する今ーーソロ門出を祝す、まさかの親子対談!

4月30日の東京・赤坂BLITZ公演をもって活動休止期間に入ったSEBASTIAN Xのフロントマン=永原真夏。ソロ活動が発表され、初のシングル作品『青い空』を先日リリース、OTOTOYにてハイレゾ配信もされている。今作品は、"永原真夏+SUPER GOOD BAND"を名義に掲げ全3曲を収録。サポート・バンドとなるSUPER GOOD BANDにはSEBASTIAN Xで共に活動した工藤歩里(Key)、フジロッ久(仮)の藤原亮(Gt)ら、6名のミュージシャンが参加した大編成となっている。タイトル曲である「青い空」はSEBASTIAN Xと一度離れる永原自身が、歩み出す一歩に込めた新たな決意の1曲である。今回は彼女の活動をずっと見守り続けてきたとある人物にインタヴューを行った。
青い空 / 永原真夏 + SUPER GOOD BAND
【Track List】
01. 青い空
02. 応答しな!ハートブレイカー
03. ホームレス銀河(Good Night Ver.)
【配信形態】
24bit/96kHz(WAV / ALAC / FLAC / AAC) / MP3
>>ハイレゾとは?
【価格】
24bit/96kHz 単曲 300円(税込) / アルバム 900円(税込)
MP3 単曲 249円(税込) / アルバム 750円(税込)
「青い空」「青い空」
INTERVIEW : 永原真夏×永原康史

今年4月をもって活動休止状態に入ったSEBASTIAN Xのフロントマン=永原真夏が早くも始動。「永原真夏 + SUPER GOOD BAND」名義として初のシングル「青い空」をリリースする。そこで今回のインタヴューはソロ・デビューを控えた永原本人はもちろん、そんな彼女の活動を近くで見守ってきたある人物にも同席していただける運びとなった。永原とともに登場していただくのは、グラフィック・デザイナーで多摩美術大学教授の永原康史(やすひと)。お察しいただけただろうか。そう、永原真夏の父である。SEBASTIAN Xの一員として駆け抜けてきた7年間。そのバンドの活動休止と今回のソロ・デビューを、父・康史はどう捉えているのか。父の本音が、ついにここで明らかになる!
インタヴュー&文 : 渡辺裕也
写真 : 大橋祐希
デザイナーの父から受けた恩恵
——お父さんはグラフィック・デザイナーとして、音楽関係の仕事に携わったこともあるんだとか。
永原康史(以下、康史) : はい。そもそもグラフィック・デザイナーとしてのスタートは、音楽関係の仕事だったんです。
永原真夏(以下、真夏) : 「ヒップランドミュージック」の前身にあたるところでも、フライヤーを作ったりしてたんだよね?
康史 : うん、雑誌やライヴのポスターとか。(1980年ごろ、大阪で、現在の「ヒップランド・ミュージック」の前身といえる『HIP』という音楽を中心としたカルチャーマガジンが刊行されており、永原康史はそこでデザインや原稿の執筆をしていた)ただ、そのころはまだ音楽がビジネスになってなくて。ロックが少しずつ仕事になっていく過程で、僕もデザインが仕事になっていったような感じでしたね。
——ということは、まなっちゃんの家ではお父さんが好きな音楽なんかもよくかかってたりしたのかな?
康史 : あんまり家では音楽かけてないよね?
真夏 : お母さんはいつも音楽をかけてたよ。ご飯の時間はテレビは消して、その代わりにCDをかけるんです。

康史 : へえ! そうだったんだ。
真夏 : 知らなかったでしょ(笑)。そのころにはもうお父さんは家から旅立ってたから、私は母と姉と3人で仲睦まじく暮らしてたんです。(※真夏の両親はその頃に離婚している)お父さん、私が何歳のころに旅立ったんだっけ?
康史 : 真夏が小学校に入る前だから、4〜5歳の頃だね。
——その当時、お父さんと真夏さんの間ではどんなやりとりがあったんですか。
真夏 : 毎日のようにファックスを送ってたよね(笑)。月イチくらいの間隔で一緒にお出かけしてたし、連絡はほぼ毎日とってました。
——そのころからお父さんがどういうお仕事をしているのかはわかっていた?
真夏 : まったくわからなかったです。デザイナーだってことは知ってたけど、それがどういうお仕事なのかはぜんぜん。どんな仕事かわかるようになったのは、ここ2〜3年くらいのことじゃないかな(笑)。それこそ自分がデザイナーさんと関わるようになって、ようやくわかった感じなので。
康史 : ここ2〜3年って(苦笑)。がっかりだなー。

——(笑)。じゃあ、制作に関することでお父さんに具体的なアドヴァイスを求めたりしたことは?
真夏 : それはしょっちゅうあります。たとえばフライヤーを自分でつくるとき、最近は色調補正くらいならiPhoneとかで誰でも上手にやれるけど、やっぱり文字は難しいんですよ。だから、「ここのフォント、どうすればいいのか教えて!」とかってお父さんに聞くことはよくあって。
康史 : ( 手元にある「青い空」の紙資料を指して ) この文字を選んだのは僕です(笑)。
真夏 : あと、SEBASTIAN Xで『FUTURES』というアルバムを出したとき、歌詞のブックレットを活版印刷でつくったことがあるんですけど、あの活版印刷の職人さんを紹介してくれたのは父なんです。それに詩集をつくったときも協力してもらって。少し前にSEBASTIAN Xの写真展をやったときも、お父さんはカメラマンのキム(木村泰之)に写真用のプリンターを貸してくれてたんです。そういう具体的なことで、間違いなく私は父の恩恵を受けてますね(笑)。
たとえ語り口がネガティヴでもポジティヴでも、行き着くところは漠然とした虚無じゃないですか
——では、そんなお父さんから見て、真夏さんが音楽に関心を持ち始めたのはいつごろだったか覚えていますか。
康史 : 小学生のころだったかな。学童保育の夏祭りに出てきた地元のバンドに、彼女は憧れてたんですよ。その様子を見て、「あぁ、この子はバンドがやりたいんだな」ということはすぐにわかりましたね。
真夏 : うん。たしかにそれがバンドをやりたいと思った最初のきっかけでした。それは自分でもすごく覚えているし、私って本当にわかりやすい子供だったから。「私、絶対にバンドやる!」なんて言ったことは多分ないけど、家族から見れば、きっと「こいつ、どう見てもバンドやりたそうだな」みたいな感じだったと思います(笑)。
——その真夏さんが実際にバンドで歌っているところを最初に見たのはいつでしたか。
康史 : 高校の学園祭ですね。
真夏 : そのコピー・バンドをやってたときには、もうすでに歩里が一緒ですからね。しかも、その歩里とお父さんが最初に会ったときのエピソードが、超おもしろいんですよ。
——へえ(笑)。どういう感じだったの?
真夏 : 歩里が地べたに座って友達としゃべってたところを、お父さんと私が偶然通りかかって。そこで私は「友達の歩里だよ」って紹介したんです。で、歩里はそこで地べたに座ったまま「こんにちはー」みたいな感じで挨拶したんですけど、そうしたらお父さんが歩里に向かって「どうして地べたに座っているの? 椅子を持ち歩けばいいのに」と言い出して… 歩里も「え、どういうこと?」みたいな(笑)。
康史 : (笑)。

——そのまなっちゃんと歩里ちゃんの音楽活動が徐々に本格化していく過程は、どのように見ていましたか。
康史 : そうですねぇ。SEBASTIAN Xになる前のバンドを見たときは、いろいろ思うこともあったかな。
真夏 : え! どういうこと?
康史 : なんていうか、音楽的にはパンクな曲調のぎゃーぎゃーとした感じなんですけど、歌詞がずいぶんと虚無的だったんですよね。
真夏 : 虚無!!
康史 : それがとても印象に残ってます。しかもそのときは歩里とのツイン・ヴォーカルで、観客も10人いるかいないかっていうくらいだったので。
——お父さんはいま「虚無的」と表現していたけど、実際に当時のまなっちゃんはどんなことを歌ってたの?
真夏 : うーん。でもあまり今と変わってないと思う。もちろん発してる言葉は違うけど、歌ってる気持ちとしては、そんなに違いはないんじゃないかな。だって、たとえ語り口がネガティヴでもポジティヴでも、行き着くところは漠然とした虚無じゃないですか。
康史 : まあ、そうだね。それに当時の彼女はハイティーンですから、それが特別なことだとは思わなかった。家にいるときのこの子はそんなに明るくはないですから。まあ、家にいてもステージ上みたいな感じだったら、それはそれで困りますから当たり前ですけど(笑)。
真夏 : ちょっと、なんでそんなこと言うのよ! でも、そういえば昔、家で降神の曲を爆音でかけながら、家中のロウソクに明かりを灯したことがありましたね。で、それを見たお父さんが「家が燃えちゃうよ!」といって、すぐに火災保険の契約をしたんです。私の暗いハイティーン時代は、火災保険によって終わりましたね(笑)。
お母さんは「ロックやで!」みたいなことしか言ってこないですね(笑)。山あり谷ありだけど、ミュージシャンはそれでいいんだって
——その後の真夏さんの表現には、どんな変化を感じていますか。
康史 : やっぱりちゃんとエンターテイナーになってきたのは感じます。曲と曲の切れ目がわからないような構成で、全体でひとつのストーリーが見えるようなライヴになってきたときは、「ずいぶんよくなってきたな」と思いましたね。
——その真夏さんの活動母体であったSEBASTIAN Xが、先日のライヴをひとつの区切りとして活動休止状態に入りました。この決断について、率直にお父さんはどう思われましたか。
康史 : まず、バンドがメジャーに行ったばかりの時期だったじゃないですか。だから、ここでやめたら迷惑かけるんじゃないかってことは、なによりも先に思いました。
真夏 : 「私たち、活動を止めることにしたの」といったとき、お父さんから返ってきた言葉は「契約は大丈夫なのか?」だったんですよ(笑)。でも、たしかにそこはちゃんとやらなきゃいけないところですからね。
——それこそお父さんからすれば、娘さんの生活はもちろん、その活動に携わる人たちにも関わってくることですからね。
康史 : そう。あと、実をいうと彼女の母親もソニーからデビューしてるんです。で、シングルを1枚だけ出してすぐに解散してるんですよ。
真夏 : えー! それ、ホントに!?
康史 : うん(笑)。だから、本当にお母さんと同じだなって。
(※真夏の母はかつて「杏(あんず)」という女性2人組のフォーク・デュオで活動し、1973年にメジャー・デビューしている。杏の解散後は、「ウェンディスープ」というバンドを経て、ニューウェイブ・バンド「ネオ・マ チス」を結成。その後、「Memi」名義でソロ活動も行なっていた)
真夏 : なんで今まで教えてくれなかったのー! まさか親子で同じことを繰り返していたとは…。
康史 : でも、当時と今では状況がぜんぜん違うよね。それこそ当時はメジャー・デビューしたら、それで食っていけたじゃないですか。でも、今の時代は必ずしもそうじゃない。だから、僕はエイベックスに行くという話を聞いた時に、「よく考えなさい」と言ったんです。メジャーに行けば、今までみたいに好きなことはできなくなるかもしれないんだからって。
——そのアドヴァイスをまなっちゃんはどう受け止めましたか。
真夏 : 「それでもやらなきゃわからないし、やりながら考えよう」と思ってメジャー・デビューを決めました。とはいえ、あのときは事務所を独立したばかりだったし、メジャーに行ったあともひたすら夢中で動いてたから、今にしてみればそんなに考えてる余裕はなかったんですけど。
——じゃあ、バンドの活動休止について、お母さんからはどんな言葉をかけられたんだろう。
真夏 : お母さんは最終的に「ロックやで!」みたいなことしか言ってこないですね(笑)。
康史 : ハハハハハ!
真夏 : でも、お母さんと話してると、「でも、その通りだよな」っていう気持ちになるんです。山あり谷ありだけど、ミュージシャンはそれでいいんだって。歩里も「一緒にやろうよ」と言ってくれたし。私に「ソロやろうよ」と言ってくれたの、実は歩里なんですよ。
とにかく今作れるものをつくって、それを買ってくれる可能性がある人にちゃんと届けていきたい。だって、私は音楽家なんだから!
——まなっちゃんのソロ・デビューは歩里ちゃんからの提案でもあったんだ。ふたりは"音沙汰"というデュオも組んでるわけだけど。
真夏 : そうなんです。でも、歩里は「真夏のソロにしようよ。で、私もちゃんとそこに関わらせて」と言ってくれて。実際、「私と歩里で新バンド結成」とかはしっくりこないし、「音沙汰の豪華版」みたいなものもちょっとイメージしにくかったんです。そこで歩里から「真夏のソロ名義ならいろんな方向にいけるし、活動を限定されることも少ないからいいじゃん」と説得されて。じゃあ、やってみようかなって。
——歩里ちゃんのその判断はすごいね。このふたりの関係性について、お父さんはどう見ていますか。
康史 : 歩里は… あんまり変わらないね(笑)。でも、大人になったのはたしかに感じてます。それに、歩里はきっとどこでもやっていけると思うんですよ。でも、今の彼女(真夏)は歩里がいないとしんどい。それこそバンドならヘッド・アレンジ(譜面に記さず、口頭で編曲指示する方法)で曲をつくっていけるけど、もしこれからセッションの相手がそのつど変わるようになっていくとしたら、今の彼女の技術ではきびしくなってくるし、そこでは絶対に歩里のような人が必要になる。でも、歩里は彼女がいなくても、きっとプレイヤーとしてやっていけますよね。そういう力関係でも、このふたりはうまくやっていけるんだろうかってことは、正直思いますね。
——たしかに、今こうしてまなっちゃんが新しい活動を始めるうえで、メンバーに歩里ちゃんがいることはとても大きいと思います。アカペラから始まるまなっちゃんの曲作りを誰よりも理解しているのは、間違いなく歩里ちゃんなわけで。
真夏 : うん。歩里がいてくれるのは本当に大きいですね。でも、私にとってはそうした技術面よりも、精神的なところで助けられてることのほうが多くて。私、いつもバンドに楽曲を持っていくときは、まずその楽曲の基になるメンタリティみたいなものを持ち込むので、そこである程度の信頼感がないと、メンバーとのディスカッションがうまくできないんですよね。それに、歩里は本当に鉄のメンタルを持ってるから。まぁ、ものすごい面倒くさがりでもあるんですけど(笑)。それこそ私からも「アレンジャーとかピアニストとしても活動できる場所を探してみたら?」と話したりもしてたんですよ。でも、歩里からしたら、「自分の名前は出さなくていいから、真夏のソロで好きにやらせてよ」みたいな感じなんだと思う。だから、いま私と歩里と関係性はウィンウィンだと思ってます(笑)

——そんな歩里ちゃん達と共に、まなっちゃんはこれからソロとして新たなキャリアを歩んでいくわけですが、今後の彼女の活動に関して、お父さんはどうあってほしいと思っていますか。
康史 : まず、こういったスタイルのポップ・ミュージックって、職業的には成立しなくなってきていますよね。僕はそれをよく詩人にたとえるんです。それこそ昔の詩人は詩を書くことで食えてたけど、今の時代にそんな人はそうそういないですよね。少なくとも僕が中学生くらいまでは、現代詩を書く人が一定数いて、書店にはその人たちの詩集コーナーがあって、ぼくらはそれを読んでいた。でも、今そういうものはない。で、今のポップ・ミュージックも今後きっとそうなっていくんだと思うんです。
——職業としては衰退していくと。
康史 : 僕はそうなりつつあると思ってます。ただ、そこで彼女が音楽家としての活動をしっかり安定させていく方法はあるとも思ってて。それは詩人として本を売ることかもしれないし、あるいは誰かの楽曲に歌詞を提供することかもしれない。今でも詩人として生きている人がいるように、音楽の作り手としての生き方が彼女にはあると思うんです。この縮退していくジャンルの中で、ちゃんと生きていける人になってほしいと思ってます。
——職業としての衰退を感じていながら、そこで娘さんが活動していくための可能性も見出しているんですね。じゃあ、まなっちゃんは音楽家としてこれからどう動いていこうと考えてますか。
真夏 : そうだなぁ。それこそ20歳くらいのときは、「10年後をイメージしながらやってた方がいいのかな」とも思ってたけど、実際は来年がどうなってるのかもぜんぜんわからないじゃないですか。だから、私はとにかく今作れるものをつくって、それを買ってくれる可能性がある人にちゃんと届けていきたい。それだけですね。もちろん時代の変化に対応していく必要はあると思うけど、そういうやり方ばかりを語るだけで、音楽をやってるつもりにはなりたくはない。だって、私は音楽家なんだから!
——素晴らしい! そこはやっぱりそこはお母さんの血を受け継いでるところですね。
真夏 : 本当にそうですね。「いろいろあるけど、ロックやで!」って(笑)。
LIVE INFORMATION
※音沙汰(永原真夏+工藤歩里)での公演を含む
永原真夏 自主企画/名古屋編
2015年8月6日(木) @名古屋・鶴舞K.D ハポン
出演 : 永原真夏+SUPER GOOD BAND / 奇妙礼太郎 / おとぎ話
永原真夏 自主企画/大阪編
2015年8月7日(金) @大阪・心斎橋Pangea
出演 : 永原真夏+SUPER GOOD BAND / N'夙川BOYS / THEラブ人間
下北沢にて'15-夏- セーラー服とロックンロール
2015年8月16日(日)@下北沢成徳高校 ミモザホール&ホワイエ
出演 : 音沙汰 / THEラブ人間 / Wienners / 平賀さち枝 / never young beach
音沙汰ワンマンライブ in沖縄2015
2015年8月21日(金)@那覇SMOKE
出演 : 音沙汰(ワンマン)
Hell's GiG
2015年8月22日(土)@那覇G-shelter
出演 : 音沙汰 / 坂口喜咲(ex.HAPPY BIRTHDAY) / Funnynoise / offseason
空きっ腹に酒「相手にされたい「愛と哲学」リリースツアー」
2015年8月27日(木) @岡山CRAZY MAMA 2nd Room
出演 : 永原真夏+SUPER GOOD BAND / 空きっ腹に酒 / ミソッカス / ペロペロしてやりたいわズ / SPARK!!SOUND!!SHOW!!
空きっ腹に酒「相手にされたい「愛と哲学」リリースツアー」
2015年8月28日(金) @広島Cave-Be
出演 : 永原真夏+SUPER GOOD BAND / 空きっ腹に酒 / SPARK!!SOUND!!SHOW!! / フィッシュライフ / 他
西風vol.29
2015年9月12日(土) @福岡PEACE
出演 : 永原真夏+SUPER GOOD BAND / THE VOTTONES / DJ : tomohisa / 他
西風よしフェス
2015年9月13日(日)@宮崎LIVEHOUSEぱーく.
出演 : 音沙汰 / 潮田雄一(QUATTRO) / O.A. : ヤギナツキ
GGC6
2015年10月12日(日)@群馬・エテルナ高崎
出演 : 永原真夏+SUPER GOOD BAND / D.W.ニコルズ / Negicco / 他
たぬき音楽祭'15
2015年10月18日(日)@島根・来待 ストーン特設会場
出演 : 音沙汰 / 奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 / 道化師ふくろこうじ /片想い / フジロッ久(仮) / やけのはら+ドリアン / BLACK BOTTOM BRASS BAND / 他
PROFILE
永原真夏
2008年2月結成から、2015年4月の活動休止までSEBASTIAN Xのヴォーカリストとして活動。作詞作曲、アート・ワークやMV、グッズ・デザインなどを手がけていた。バンドのクリエイティヴの中核として、1年に1枚以上のペースで制作を7年続けていた原動力は永原から次々と溢れてくるクリエイティヴに他ならない。 バンドの活動休止という大きな分岐点においても、止まらずクリエイトし続け、バンドの活動休止からわずか19日後にソロ活動開始を宣言、新たに6人のメンバーと共に新プロジェクトを始動、7月には1stソロEPをリリースする。
現在、ソロ・プロジェクト「永原真夏+SUPER GOOD BAND」やkey.工藤歩里とのピアノと歌によるアコースティック・ユニット「音沙汰」などで活動中。
>>永原真夏 公式サイト
>>永原真夏 Twitter
>>永原真夏 Tumblr.
永原康史(ながはらやすひと)
グラフィックデザイナー、多摩美術大学情報デザイン学科教授。2005年愛知万博「サイバー日本館」、2008年スペイン・サラゴサ万博日本館サイトのアートディレクターを歴任。現在、あいちトリエンナーレ2016の公式デザイナーを務める。タイポグラフィの分野でも独自の研究と実践を重ね、フォント「フィンガー」(タイプバンク)をリリース。『デザインの風景』(BNN新社)など著書多数。