未来を担うシンガー・ソングライター“伊集院幸希”の新作が登場!
2011年に、ミニ・アルバム『あたしの魂(ソウル)』でデビューを果たしたシンガー・ソングライター、伊集院幸希。マライア・キャリーをきっかけに、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、サム・クック、キャロル・キングといった優れた音楽家から多くの影響を受け、音楽的バック・ボーンには1960~70年代のソウル/R&Bの影響が色濃くみられる彼女のセカンド・アルバム『This Is My Story 憐情のメロディ』がリリース。作詞、作曲を全て自分で手掛ける彼女が、心の底から伝えたいメッセージを歌い上げた全12曲を収録。
伊集院幸希 / This Is My Story 憐情のメロディ
01. あたしのこの路 baby,this my way featuring ロニー・バリー(スクーターズ) / 02. SUNNY / 03. 迷子 featuring 鬼 / 04. Dirty Man ~痛みの快楽~ / 05. Tonight / 06. Hard workin' Blues / 07. WINDY CITY / 08. わるいゆめ / 09. 挽歌(エレジー)~僕たちの愛よ~ / 10. 家に帰ろう / 11. LIFE TIME / 12. 大きな世界
【価格】
mp3 単曲 150円 / アルバム 1500円
wav 単曲 200円 / アルバム 2400円
伊集院幸希 INTERVIEW
前作『あたしの魂(ソウル)』のリリースからもうすぐ一年というところで、伊集院幸希が初のフル・アルバム『This is My Story~憐情のメロディ』を完成させた。これが、思わず彼女のキャリアにおける決定打と呼びたくなるほどの素晴らしい完成度なのだ。60年代のソウル・ミュージックを基調にしたヴィンテージ・サウンドと、思わず胸が高鳴るようなビートに乗せて、彼女はこの時代を生きる中で必然的に伴うような痛みや孤独を歌い、それを吹き飛ばす歓喜の叫び声を上げる。
つまり、この作品はどこまでもオーセンティックで、本質的なのだ。たとえば海外でエイミー・ワインハウスやアデルなどが現代のモダン・ソウルとして受け止められたように、彼女の歌声もこれから、同時代と寄り添ったものとして多くの聞き手に響いていくのでないか。そんな思いに胸を膨らませつつ、本人に話を訊いてきた。
インタビュー&文 : 渡辺裕也
自分の心と向きあって曲を作る
——前作『あたしの魂(ソウル)』をリリースされて以降は、伊集院さんを取り巻く状況も少しずつ賑やかになってきたように感じているんですが、そうした環境の変化は新作にどんな影響を与えましたか。
あたしはどの曲をつくるときも、基本的にはすべてを世に出すという気持ちで書いているんです。前作と今回ではちょっとやり方が違っていて。前作ではアレンジなどに関しては、自分の考えていることをお伝えした上でお願いしたんですけど、今回はプリプロから音を作っていく作業のすべてに自分が関わっていくようにして進めていったんです。ヴォーカルにもけっこうこだわって。曲に合った表現をするために、いろんな歌い方を試してみたりしました。
——アレンジのイメージはどのようにして伝えているのですか。
自分の曲のイメージに近いものを参考にしてもらって、そこに言葉で補足していく感じですね。ただ真似するのではなく、そこにいろいろなアイデアを加えていくんです。岡田ユミさん(アレンジャー)はすごく理解のある方で、もちろんスキルも素晴らしいので、スムーズにできましたね。
——つまり、作品の全体像が伊集院さんのなかで明確に出来上がっていたということですね。
それは、そうですね。だいたいは出来上がっています。アルバムを作り始める前の段階ですでに何曲かあって、そこからどんな曲が必要かを考えていく感じでした。あとはバランスを考えながら進めていって。曲は、楽器を手にする前からイメージが出来上がっているものもあるし、こういう曲を作ろうと考えていく中でアレンジを思いつくこともありますね。今回はあたしが信じているものを思いきってやりたかったんです。信じているものというのは、自分の言葉とか、今まで聴いてきた音楽のセンスとか、そういうものですね。
——では、実際に伊集院さんがどんな音楽に触れてきたのかを教えて頂けますか。恐らくそのほとんどはリアルタイムで出会ったものではないですよね?
そうですね。中学生の頃にマライア・キャリーを聴いたのがはじまりで、そこをきっかけにR&Bやブラック・ミュージックをたくさん聴くようになっていきました。そこからは自然と年代の古いものに惹かれるようになっていきましたね。
——中学生だった伊集院さんは、マライア・キャリーのどんなところに引っかかるものを感じたのでしょうか。
音楽そのものもそうだし、一番はやっぱり声だったと思います。たぶんその頃は技術的なこともなにもわからずに聴いていたと思うんですけど、それでもなにか伝わってくるものがあって。もちろん歌われている言葉の意味はわからなかったんですけど。
——マライアと出会ってからはどのようなアーティストを発見していったのでしょう。
ジャクソン5あたりを聴くようになって、そこからはマーヴィン・ゲイとか、モータウンの音楽を知っていきました。あとはアレサ・フランクリン、オーティス・レディング、サム&デイヴとか。どんどん広がっていきましたね。
——それは一人で自主的にディグしていったんですか。それとも身近に教えてくれる方がいたのでしょうか。
自分でいろいろ調べていって。他になにもやりたいことがなかったし、なんとなく音楽だけは自分にとって特別なものだってわかっていたから。それはもう歌い始める前からそう思っていました。なんていうか、音楽を聴いていたら、身体に入り込んでいくものを感じた時があって、きっとこれはあたしにとっての間違いない道なんだなって勝手に思っていたんです(笑)。それからは自然とのめり込んでいきましたね。
——では、そうやってリスナーとして音楽と接していたところから、どのようにしてご自身で歌うようになっていったのでしょう。
自分で音楽を作り始めるのは、もっとあとになってからのことですね。最初はシンガーになりたかったんです。だから、もともと自分で曲を作るつもりはなくて、(インタヴュー録音用のICレコーダーを指さして)あたしもこういうものを使って、キャロル・キングとか、いろんな曲を歌ったデモを作って送っていたんです。でも、いまいち反応が返ってこなくて、そうしているうちに、シンガーだけではやっていけないんだなと思うようになって。それで自分で曲を作ってみることにしたんです。
——とはいえ、いざ書こうと思っても、なかなかすぐに書けるものではないですよね。
そうですね。はじめはギターを持って、なんとなくメロディを口ずさんでいました。あと、その頃のあたしは英語の曲しか聴いてこなかったから、なにを歌詞にしてよいのかがまったくわからなかったんです。そこでとりあえず知っている簡単な英語を並べていって曲にしてみたら、それが自分でも悪くないと思えたんですよね(笑)。またデモを作って送ってみたら、けっこういろんなところから反応が返ってきて。それであたしは曲づくりに向いているんじゃないかと思ったんです。そこからですね。
——では、どのようにして現在のような歌詞表現を身につけていったのですか。
ウルトラ・ヴァイヴにデモ・テープを送っていたときに、高さん(高護。ウルトラ・ヴァイヴ代表取締役)から「もっと自分の心と向き合って曲をつくりなさい」というアドヴァイスを頂いて。それが一番のきっかけだと思います。
——実際に自分の心と向かい合ってみて、なにか発見はありましたか。
いっぱいありました。それから日記をつけ始めて、自分の考えていることや、心の中がわかりやすくなって。
——つまり、伊集院さんのつくる楽曲にはパーソナルなものが色濃く反映されているということですよね。
すべての曲で私自身のことを歌っているわけではないんですけど、たしかにそうですね。
ずっと長く聴かれていってほしい
——楽曲を通して自分の内面的な部分を見せることに躊躇はありませんでしたか。
いや、逆に嬉しかったですね。自分にもこういうものが書けるんだって思えたことが嬉しかった。別になにか目標にしているものはないんですけど、自分でもどんどんよくなっていってるのがわかったので。
——曲を書くほどに自信を深めていったということですね。では、アルバム・タイトルにある“憐情”という言葉について教えてください。この言葉に伊集院さんはどんな思いを込めているのでしょう。
もともとは曲をつくったときに“恋情”という言葉を使っていたんですけど、その響きがなんとなく気に入って、これはなにか使えないかと思っていろいろと字を調べていったんです。そうしたら“憐情”という言葉が出てきて。あたしの詞の中には、闇や孤独が表れている部分があるんですけど、そこにネガティヴな意味合いはまったくないんです。そういう部分って、人生のなかで起こっているリアルなことを歌おうとすると出てくるものだから。そこに“憐情”という言葉は綺麗にあてはまると感じたので、この言葉を選びました。
——確かに伊集院さんのリリックには痛みや孤独を感じる部分があります。その一方で、曲調や作品全体のムードはとても高揚感がありますね。
それはやっぱり音楽なので、楽しんでもらいたいんです。自分も昔の音楽を聴いて楽しませてもらってきたから、それと同じように、人を楽しませるアーティストになりたいんです。
——エンターテイメント的な要素が重要だということですね。でも、それと赤裸々な感情表現を両立させることってきっと簡単ではないと思うんですが、どうでしょうか。
それはうまくバランスをとってやっているつもりです。でも、そういうことを考えられるようになったのは比較的最近のことで。作曲を始めたばかりのころはもちろんそんなことは考えられなかったですね。
——アルバムにはゲストとしてスクーターズのロニー・バリーさん、そしてラッパーの鬼さんが参加されています。このお二人の参加はどのようにして決まったのでしょうか。
ロニーさんはアルバムを作る前の段階からお願いしていたんです。鬼さんの場合は、あたしがアルバムにフィーチャリングで参加させてもらったことがあって(『蛾』収録の「帰れないふたり二人」)、そのときに「次はあたしのアルバムに参加して下さい」とお願いしていたんです。そうしたらOKを頂けて。ラップはほとんど聴いたことがなかったですけど、鬼さんのラップを聴いたら、リリックがものすごくて。それですぐに入り込むことができました。どちらも、一緒にやりたいっていう一心でお願いしたんです。ジャンルとかは関係なく、いいものはいいです。
——こうしてリリースを間近に迎えているわけですが、伊集院さんはこれからアーティストとしてどんなステップを踏んでいきたいと考えていますか。
とにかくこのアルバムを多くの人に聴いて頂きたいと思っています。そうすればきっとなにかは感じて頂けると思うので。自分の歌がたくさんの人にずっと長く聴かれていってほしいし、ずっと残っていくものを作っていきたいですね。
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PROFILE
伊集院幸希
14歳の時に天啓を得て音楽の途を志した伊集院幸希はマライア・キャリーをきっかけに、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、サム・クック、キャロル・キングといった優れた音楽家から多くの影響を受けた。彼女の音楽的バック・ボーンには1960~70年代のソウル/R&Bの影響が色濃くみられる。それは例えばタイロン・デイヴィス、シャイ・ライツのBrunswickやサム&デイヴ、オーティス・レディングのStax、シュガー・パイ・デサントやエタ・ジェイムスのCHESSといった数々のアーティストやレーベルに代表される高次なサウンド・プロダクションや個性に溢れた歌唱である。
伊集院幸希の大きな特徴は作詞作曲と歌唱のすべてを自らがこなすことである。自在性とヴァリエーションに満ちた旋律を伴う、深いメッセージが込められた歌詞は21世紀のリアルな現実や心象風景が独自の言葉で綴られる。熊本市出身。岩谷時子と安井かずみを敬愛する。女性。
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