青葉市子の3rdアルバムが完成
2011年1月に2ndアルバム『檻髪』を発売後、salyu×salyuのイベントへの出演、七尾旅人との共演、内橋和久とのスタジオ・セッション音源『火のこ』(小山田圭吾がゲスト参加)をリリースしたりと、2011年も話題を振りまき続けたシンガー・ソングライターの青葉市子が、3rdアルバム『うたびこ』を完成させました! 先行でフリー・ダウンロードを行った「IMPERIAL SMOKE TOWN」「奇跡はいつでも」のほか、敬愛する大貫妙子&坂本龍一による名曲「3びきのくま」のカヴァーを含む全8曲。満を持してリリースされる本作は、深みを増した彼女の歌が詰まった一枚です。 OTOTOYでは、CDの発売に先駆けて1週間先行で販売開始。さらに本作の24bit/48kHzのマスタリングを高橋健太郎が手掛け、CDよりも高音質でお届けします!
青葉市子『うたびこ』
1. IMPERIAL SMOKE TOWN / 2. かなしいゆめをみたら / 3. 私の盗人 / 4. 裸足の庭 / 5. あなたのかざり / 6. 3びきのくま / 7. 奇跡はいつでも / 8. ひかりのふるさと
販売形式 : mp3 / HQD(24bit/48kHz)
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青葉市子 INTERVIEW
呼吸を整え、弦を鳴らすまでのおよそ18秒間。「IMPERIAL SMOKE TOWN」の冒頭に収められた、この沈黙がゆっくりと破られる瞬間を耳にするたびに、背筋がゾクゾクとする。前作からわずか1年で、青葉市子がまたしても凄まじいアルバムを完成させた。さらに磨きをかけた独創的なガット・ギター奏法。そしてなにより、この澄んだウィスパー・ヴォイスの美しさといったら! デビューからここに至るまで、このいまだ21歳の歌い手にはいつも驚嘆させられてばかりだ。
『うたびこ』というタイトルにも表れているように、本作にはお互いが呼応し合うようにして生まれてきた楽曲郡が並んでいる。これまでにリリースされた『剃刀乙女』『檻髪』と同じく、彼女はこの作品に特定のテーマを与えてはいないようだが、ここに収められたいくつものうたに“青葉市子の視点で描かれた3.11以降の叙情詩”という共通項を見出しても、あながち間違いではないと思う。
話を聞くと、前作をリリースしてから、彼女は大きな転換期を迎えたという。それはここまでの創作活動の積み重ねによって必然的に訪れたものであるのと同時に、この1年にあったいくつかの出会いによって引き起こされたものでもあるようだ。そして、あの東日本大震災と原発事故が無関係でないことは、前述した「IMPERIAL SMOKE TOWN」を聴けば明らかだろう。他者や環境とより深く触れ合いながら、新たな局面に突入した青葉市子。『うたびこ』は、ここまで深く内面に沈み込むことで美しい調べを奏でてきた彼女が、期せずして時代と向き合うことで生み出した、まさに記念碑と呼ぶべき傑作だ。
インタビュー&文 : 渡辺裕也
一番大きかったのは、七尾旅人さんとの出会いでした
――今回も無地のアートワークですね。1作目『剃刀乙女』は真っ白。前作『檻髪』は、ちょっと肌色っぽい感じでしたが、今回の緑がかった色合いに決めたポイントはなんでしょう。
なんとなくですね。「3びきのくま」を除けば、今回のアルバムに収録されている曲は、すべて3.11を体験したあとに出てきた曲です。あの体験によって、今まで見えなかったものが見えるようになった。それはきっとみなさんも同じだと思うんですけど、私は人間として地球の上で生きてるということを、今までよりも深く考えるようになったんですよね。自然、木や海の水に触れてみる時も、ただ触れるのではなく、こうやって触れたことで自分とつながったんだという意識を持つようになりました。そうして自然と接していく中で生まれてきたのが今回の曲たちなので、触れ合った自然の緑がジャケットの色にも飛び込んでいったんじゃないかなと思います。
――あの震災の翌日、市子さんは「ピアノにむかって」というタイトルで、即興演奏の様子を撮った映像をYouTubeにすぐアップされていましたね。さらにその翌日には「自宅にて1」というタイトルのセッション音源もアップされていました。市子さんはどういった思いからあのようなアクションを起こしたのでしょう。
あれは、もちろん3月11日がきっかけにはなっていますけど、自分の中でとても大きな変化を迎えるだろうと思い始めたのは、2011年の2月頃だったんです。その頃から「海にいかなくちゃ」とか、「自然と会話をしなくては」という気持ちが強くなってきて。ただ出てくるものを待っているのではなくて、自分から掴みにいこうという意識がだんだん芽生えてきた時期だったんです。それまでの自分は、ただ出てくる音に従っているだけの生き物だったんです。でも、自分が生産・発信するものとしての役割があるということを意識するようになって、自分と作品をもう少し近づけていこうと思ったのが、ちょうどあの時期で。あのセッションで一緒に演奏している友人はネイリストさんなんですが、実は3月10日も彼女と会って爪のメンテナンスをしてもらっていたんです。これは言っていいことなのかわからないんですけど、その時に「大きな地震がくる夢を見たよ」という話を、私は彼女にしていて。「だから、なにかを作らないとね」って。まさか本当にくるとは思っていなかったんですけど、そんな会話をしたあとだったので、これは本当になにかしなければと思って、録ったんです。
――「ピアノにむかって」に添えられた説明の文末には“これからも引き続き 自分に出来ることを探していきたいと思います”とありましたが、あれから実際に見つけられたものはありましたか。
ありました。まず、人との出会いですね。一番大きかったのは、七尾旅人さんとの出会いでした。4月くらいだったかな。ツイッターで知り合ったんですけど(笑)。
――旅人さんには元々どんな印象を持っていたのでしょう。
まったく知らなかったんです。どこかで名前をお聞きしたことはあるとは思ったんですが。(ツイッターに)こんにゃくの煮物の写真を載せた時に、“うまそう”と反応してくれて。そこで調べてみたら、ギターを弾いて歌っている人だということを知って“はじめまして”と挨拶をしたことがきっかけです。そこで七尾旅人さんのドアをひとつ開けてみたら、そこからは木の根っこや枝みたいに、原田郁子さんや飴屋法水さん、salyuさんといった調子で、どんどんつながっていって。旅人さんは私に人と会う機会をたくさん作って下さった方です。
――彼の歌はいかがでしたか。
するっと身体の中に入ってきました。それも耳で聴いて新たにキャッチしたような感じではなく、もともと自分が持っていたものと深いところで繋がっていくような、なにかを思い出すような感覚でした。男の子だったらこういう声が出したかったなとも思いましたね。
――その後、市子さんは旅人さんの「圏内の歌」をカバーされています。彼が原発事故を受けて書いたあの曲を、市子さんはどんな思いで歌ったのでしょう。
あの曲とはUSTREAMを通して出会ったんですけど、旅人さんが中継先の福島で「この前にできた歌です」と言って歌ってらっしゃったのを、私は家でギターを持って、画面に向いながら、旅人さんの演奏を追うようにして弾いてたんです。それで旅人さんに、私も「圏内の歌」が弾けるようになったと報告しました。 そのあとだったかな。吉祥寺のキチムで独奏会をやった時に、旅人さんが奥さんと一緒に来て下さって。その時が初対面だったんです。終演後に旅人さんと向かい合って弾いて見せて、これで「合ってますか?」と聞いたら「合ってる」と言って下さって。あれ。質問の答えとは少し違ってしまったかな。
――つまり「圏内の歌」は、自ずとギターを手にとって歌いたくなるほど、市子さんの中にすんなりと入り込んでくる曲だったということですね。
そうですね。聴いて思った事は「あ この曲を 歌わなくては」 それだけです。
――市子さんは、旅人さんを始めとしたさまざまな人たちと出会う以前は、人との出会いをそれほど重要なものと考えていなかったのでしょうか。
それまでは殻の中でよかったというか。ひとりの世界の方があったかくていいという、ちょっとした甘えもあったのかな。でも、その世界でしか生まれなかったものもきっとあったでしょうから、それはそれでいいとも思っています。でも、2011年は、外も外でけっこう心地よいぞと自分に語りかけていた期間だったのかな。だからといって、やたらめったらいろんな人と話したいとは思っていないですけど(笑)。でも、いま自分の目の前に与えられた機会というものを、以前よりはずっとありがたく受け取っていますね。
――自分から音楽を掴みに行こうという気持ちが強くなったり、人との出会いを大切に考えるようになれば、自ずとステージに立つ時の意識にも変化が起こりそうですね。
それは変わりましたね。実を言うと、ファースト・アルバムが出てから1年くらいは、ぼぉっとしているうちにライヴが終わってしまう感じだったんです。ずっと夢の中をうろうろさまよっているようなイメージで生きていたんですけど、人と会うことで自分がちゃんとここにいるんだという実感が持てるようになってからは、ライヴの質が変わりました。時間がより濃密になった。これは失礼な話ですけど、お客さんがオブジェではなくなったんです。それまでは(ステージと客席の間に)くっきり境を作ってしまっていた時もあって。「ここにいるのは歌っている私だけだ」という気持ちで、見に来てくださっているお客さんのことを深く考えていなかったんですよね。それってすごく失礼なことで。だけど、お客さんのひとりひとりと結ばれて、扇の要になっていると知った時から、一気に変わりました。
自分と作品の距離が縮まって、ちゃんと会話ができている
――では、曲作りに関してはどうでしょう。自分の音楽を求めている人たちに届けたいという気持ちも生まれましたか。
うーん。頭の隅にはありますけど、人に聴いてもらうための音楽というところまでは譲っていませんね。やっぱり生み出す元はここ(自分自身を指す)しかないので。まわりを気にしながら出していると、たぶん削らなくてもいいところまで削ってしまう気がするんです。だから、曲が生まれる瞬間は、その時の気持ちを大事にして、そこにフォーカスして作っていると思います。
――そういえば、以前の市子さんのツイートで興味深かったのが、“放射能物質と会話をしている”という内容のもので。あの一連のツイートはきっと「IMPERIAL SMOKE TOWN」に繋がるものだったんじゃないかと思ったんですが。
その曲に限らず、すべての出来事につながっていると思います。「IMPERIAL SMOKE TOWN」は、たしか6月か7月くらいに作った曲だったかな。人でもモノでも、空間であってもそうですけど、すべてのものを自分が生み出しているものとして考える。考えるというより思い出す感じですね。その感じを手に入れた時にとてもしっくりきたんです。その時に放射能のことも一緒に感じていたので、それを“会話している”という表現でつぶやいたんです。もちろん、実際に声をかけていたとか、そういうことではないです(笑)。いま起こっていることは、私の中にあるものがすべて世界になっているだけであって。たぶん渡辺さんにとってもそれは同じで、渡辺さんが見ている世界や、いま話している私も、すべては渡辺さんの鏡なんだと思って。そういう関係性にすごくしっくりきたんです。
――すごくざっくりした質問ですけど、このアルバムの収録曲を生み出していったこの一年間の気分を一言で表現するとしたら、どんな言葉になりますか。
(笑)。(しばらく考え込んで)“ひとつ”、ということですね。私にも渡辺さんにも、こうして皮膚があって、間があるけど、元々はひとつのものなんだということを、どんな時でも思っています。だから、自然とよく触れ合うようになったのかもしれない。当たり前ですけど、生きているのは人だけじゃないし、どの物質だって、元々は同じものだったんだから。だから、“ひとつ”です。自然と触れ合う機会はそれまでだってあったけど、それを自分の中で腑に落としてなかった。ただ過ぎ去っていくひとつの景色としてしか扱ってなくて、ちゃんと自分の中に取り込んでなかったんだと思います。
――「3びきのくま」のカバーは、もうずいぶんとライヴで歌い込んできましたよね。市子さんは大貫妙子さんへの尊敬の気持ちを公言されていたので、きっとお好きな曲はいくらでもあると思うんですが、そんな中でもこの曲を選んで、アルバムの中に入れるまでに至ったポイントはなんなのでしょう。
「3びきのくま」をカバーし始めた当初は、やはり憧れの気持ちから弾いていたところが強かったんですけど、曲と一緒に時間を過ごしていくうちに、自分とこの曲の持っているエネルギーがぐっと近づいてきたんです。そこで「じゃあ、いま作っているこの中(アルバム)に入ってみる? 」みたいな感じで、それで入れました。すごく嬉しいことです。
――そういえば、最近はカバー曲をいくつかネット上にアップされてましたね。ユーミンの「卒業写真」とか。あと、ASPIDISTRAFLY(アスピディストラフライ)でしたっけ?
そうですね。彼らはシンガポールでKitchen.というレーベルをやってらっしゃる男女の二人組で。去年は電子音楽を演奏される方と触れ合う機会がたくさんありました。haruka nakamuraさんという方からヴォーカルで参加してほしいというお誘いを頂いて、山梨までツアーに行ったこともありましたし、10月にはテイラー・デュプリーさんというニューヨークの方ともご一緒しました。ASPIDISTRAFLYともその界隈の人たちを知っていく中で出会って。彼らの作品は、モノがすごく美しくて、ぜひこのCDは手元におきたいと思ったんですよね。それで12月15日の発売日に渋谷のタワー・レコードまで買いに行きました(笑)。その中で一番好きだった曲をなんとなく演奏してみたんです。
――もともとエレクトロニカのような音楽は好んで聴いていられたんですか。
まったく聴いてなかったです。初めて聴いた時は、不思議だなと思いましたよ。「なんだこのピコピコは? 」って(笑)。でも、だんだん聴いていると、こういうものも自分の中にあるなと思って。だから、もっと繋がってみようと思いました。
――内橋和久さんとの『火のこ』に代表されるように、ここ最近は他のミュージシャンと共演する機会も増えましたね。
人と演奏すること自体が最近になって始めたことだから、あまり知ったようなことは言えないんですけど、なかには一緒に演奏していても一人の時とまったく変わらない感覚で演奏できる方もいたし、逆にもつれ合ったり擦れちゃうところがあって、あまり心地よくは感じなかった時もありました。内橋さんと小山田さんの3人でやった時は、とっても楽しかったですね。今までのライヴとは異常なくらいにまったく違っていて。あれはなんて言ったらいいんだろう。……とにかくすごかったです。いま、自分でもびっくりしているんですけど、あの日のことを言葉にしようとすると、どうしても途中で止まっちゃうんですよね。ブログにも何回か書こうとしたんですけど。やっぱり言葉って、意味が限定されてしまうじゃないですか。でも、そこまで凝縮させなくていいようにも思えて。うまく言えなくてすみません(笑)。
――ツイッターやブログで何かを発信する時も、やはり多少は慎重になりますか。
非常に気を使うところですね。間違いなく自分と結ばれている言葉や音というものは、やはり楽曲でしかないんです。いま話している言葉やツイッター、ブログ。つまり曲以外のものはすべて、自分にとっては感覚が薄くて。そこでなにかを表現しようとすると、すごく疲れます(笑)。
――(笑)。でも、最近はそういったコミュニケーションの取り方に率先してチャレンジしているようですね。
そうですね。人間活動というのでしょうか(笑)。もうちょっとこういうこともがんばっておかないと、自分は人じゃなくなってしまうかもしれないと思ってしまう時があって。というのも、私は没頭してしまうと、「このまま死んでもいいや」くらいのところまで行っちゃう時があるんですよね(笑)。それがあまりに行き過ぎると、本当に死んじゃいますから。
――(笑)。そうした人間活動は楽しめていますか。
楽しんでますよ(笑)。いろんなことにチャレンジ中です。そこで返ってきた言葉に驚かされたり、安心させられたりすることもよくありますし。
――では、最近特に驚かされたことがあれば教えてください。
そうだなぁ。ちょっと具体的ではないんですけど、自分の想像したことがすぐに目の前に現れるということですね。
――予知ということ?
でも、みんなそうなんじゃないかな。すごく自分の状態がよくて、心が澄んでいるときは、その自分と同じような質を持った人や出来事、言葉が集まってくるんですよね。でも、いろんな雑念にまみれている時は、やっぱりそういうものばかりが自分のところにやってくる。だから、始めは「なんだこれは?! 」と驚くんですけど、それは私の思ったものが目の前に現れただけだったんです。ということは、自分の求める光をちゃんと見ていれば、それが目の前にやってくるんだなと思った。それが最近になって気づいたことですね。どんな状態であろうと自分のキャパシティは同じなんだし、どうせ取り入れるのなら、やっぱり明るいものの方がいいですよね(笑)。一方で、作品をつくる時は、すでに体験したことに目線が向くんですよね。過去に体験した辛いことといま目の前にあるものを組み合わせてみようと考えるから、作品をつくることに関してはまた別になります。
――では、今回の『うたびこ』というタイトルはどういうところから生まれたのでしょう。
“やまびこ”と“うた”が合わさった言葉なんです。自分と作品の距離が縮まって、ちゃんと作品と会話ができている状態をイメージして、このタイトルをつけました。
――以前に市子さんは曲を作るときの心境を「泣いている状態に近い」と話してくれたことがありましたが、それは今も変わらない?
(笑)。もう少し客観視できるようになってきました。感情の行き着く先に頼って作っていたのがファースト・アルバムだったんですけど、最近は生まれてきたものと会話ができるようになってきたので、今回のアルバムにはさまざまなエッセンスを調合して生まれた曲もあります。以前はそれがなかったので、ただ自分から出てきたものを見ては「なんだこれは? 」みたいな感じでした。
――今回は先行で2曲を無料で配信して、市子さんも“好きに使ってください”とコメントしていましたね。なんかあれで、楽曲との付き合い方が変わってきたのかなと思いました。
そうですね。みんなのものだと思ってます。生み出すときはもちろん私のものですけど、子供でも世に出せば勝手に生きていくじゃないですか(笑)。そんな感覚で「揉まれておいで」というような気持ちを込めたところもあったかな。
――一前回のインタヴューでは、とにかくがむしゃらに前をかき分けていた状況だったところから、少しずつ道が見えてきたところだとおっしゃっていました。あれから一年が経って、市子さんの目の前にある景色はどのように変化しましたか。
今は思いのままだと思います。行きたいところに行ける。
――視界はすこぶるクリアだと。
クリアにもできるし、ちょっと濁ったものがいいなと思ったら、きっとそこに行くでしょう。
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内橋和久とのスタジオ・ライヴ音源『火のこ』
レコーディング・スタジオでの一発録りをライブとして公開し、そこでDSD収録した音源を配信するイベント“Premium Studio Live”。その第5弾として、クラシック・ギターの弾き語りで独特な歌世界を展開する青葉市子と、アルタードステイツやソロで即興演奏を展開するギタリスト内橋和久の2人を、サウンドバレイA studioに招いて行った際の記録。この日のために2人で合作した「火のこ」では、観客が割るエアーキャップの破裂音で“火の粉”が飛び散る様子も演出。後半からはゲストとして小山田圭吾も参加し、ドラマティックな即興演奏やsalyu × salyu「続きを」のカバーを披露。稀有な才能を持つ歌い手の潜在能力を、稀代の演奏家が唯一無二のサウンドで解き放っていくさまを確かめてほしい。
ライヴ音源『かいぞくばん 2010年12月7日』
青葉市子が初のLIVE音源をOTOTOY独占でリリース。本作は2010年12月7日に青山EATS and MEETS Cayにて行われたワンマンLIVEの模様を記録したもの。ギター1本と自信の声だけで、まるでオーケストラのような壮大な音世界を描く青葉市子が、まさにその本領を発揮するLIVEの魅力を思う存分に詰め込んだ全8トラック。収録曲には『剃刀乙女』、新作『檻髪』からの楽曲に加え、これが初の音源化となる楽曲も。
>>『かいぞくばん』特集ページはこちら
2ndアルバム『檻髪』
「パッチワーク」「レースのむこう」「日時計」を含む、全八編の叙情詩。青葉市子独特の生々しい音像と、聞く人に美しい情景を思い描かせるハーモニーはそのままに、奥底に隠れていた彼女の小宇宙が覗けるような作品。独自性を持ちつつ、ギター一本で表現する彼女のポテンシャルは今作でも底がない。青葉市子の第2章がここから始まる。
>>『檻髪』特集ページはこちら
1stアルバム『剃刀乙女』
弱冠19才にして、エバーグリーンな歌声と驚くべき演奏力、そして、卓越したソング・ライティング能力を兼ね備えた青葉市子の記念すべきデビュー・アルバム。縦横無尽なフリー・スタイルで奏でられた叙情詩全8篇を収録。約27分間の「2010年 音楽の旅」。
>>青葉市子 初インタビュー前編
>>青葉市子 初インタビュー後編
青葉市子 PROFILE
青葉市子(あおばいちこ)
1990年 生まれる。
2007年 クラシックギターを弾き始める。
2008年 作品が生まれる。
2009年2月 青葉市子として初演奏。
2010年1月 1stアルバム「剃刀乙女」発売。
2010年7月 FUJI ROCK FESTIVAL '10に出演。
2011年1月 2ndアルバム「檻髪」発売。
現在は東京都内を中心に精力的にライブ活動中です。