ターバンの中に秘められた覚悟──マハラージャンが社会へプレゼンする、メジャー・デビューEP

日本の音楽シーンに突如として現れ、ターバンを巻きスーツを着たその独特な風貌。そして、ガンジス川の如く洗礼されたサウンドで注目を集める、スパイス香るアジアの異端児・マハラージャン。3rdEP「セーラ☆ムン太郎」をリリースしメジャー・デビューを果たした彼に、今回OTOTOYはいち早くインタヴューを実施。「心が死んでいた」という音楽好きの会社員が、OKAMOTOʼSからハマ·オカモト、Ovallからmabanua&Shingo Suzuki、さらに石若駿、皆川真人ら豪華アーティスト陣を迎えた今作を作り上げるまでの軌跡を辿りました。背景が宮殿の庭に見えてくると評判の、王様感溢れる写真にも注目です。
マハラージャン / セーラ☆ムン太郎 Official Music Videoマハラージャン / セーラ☆ムン太郎 Official Music Video
INTERVIEW :マハラージャン

噂の男・マハラージャンがOTOTOYにやってきた。ゴールドのターバンを巻き、シュッと背筋を伸ばして、メガネの奥の澄んだ瞳でこちらを見ている。よく見るとメガネのフレームもゴールドだ。対面した者に否応なく期待を抱かせるこのビッグ・ビジネス感。いったい何者なんだ、マハラージャン。だがしかし、そんなビジュアルのインパクトと謎がどうでもよくなるぐらい、エンターテイメントに徹した楽曲たちが耳に心地良い。聴いているうちに自然と身体が疼き、じっとしてはいられない。気づけばあなたもインド映画のエンディングのように踊り出したくなるに違いない。そして、愉快な歌の奥で秘宝のように光を放つ社会への鋭いメッセージ。これだよ、これこれ。最近めっきり忘れてた、この心躍る非日常的な体験。これぞ、音楽が持つ魔法じゃないか。今の日本が、いや世界が求めている音楽界の新生、輝く希望の星。そう、それがマハラージャン。たぶん、そうなんじゃないかな。
インタヴュー・文 : 岡本貴之
写真 : YURIE PEPE
「死んでもやってやる!」というぐらいの、かわいそうな人でした。
――マハラージャンさんはこれまで会社勤めをしながら音楽活動をしていたんですよね。今も会社員なんですか。
マハラージャン:少し前に会社を辞めて、今はマハラージャンに専念しています。もともとバンドをやりたかったんですけど、「これだ!」っていう自分の音楽ができなくて。そうするとバンドも組めないなと。自分が納得するものができるまで、会社員をやりながらひたすら音楽を作り続けていました。
――YouTubeでゴダイゴの“モンキーマジック”を1人で演奏している動画を見たんですけど、いろんな楽器を演奏できるんですね?
マハラージャン:ギターは弾けますし、曲をずっと1人で作っている中でベースもまあまあ弾けるようになってきて。ピアノは弾けないんですけど、打ち込みだったら弾けなくてもなんとかなるので。ドラムも、叩けるというほどではないんですけど、打ち込みだったらなんとかっていう感じです。今作では“僕のムンクが叫ばない”は全部自分で演奏していて、ドラム、ベースは打ち込みです。
――そうして自分ですべてやるようになったのは、理想的なバンドサウンドを作りたいと思っていたから?
マハラージャン:やっぱり全体像をまず作りたいと思うので、そうすると必然的に自分である程度演奏できないと作れないなと思っていて、やり始めました。あとは細かいニュアンスとかも大事だと思っているので、ベースもできるだけ弾いたり。そこはこだわってますね。
――理想にする音楽って、どんなものですか。
マハラージャン:ダフト・パンクが大好きなんです。あとはジャミロクワイなんかも好きなんですけど、まずはダフト・パンクのようなものができればいいのになって思いながらやっていて、それで“いいことがしたい”(1stEP『いいことがしたい』収録)という曲が出来たときに、「これは良い曲ができた!」という感じになりました。
――打ち込みにしても、生演奏にしても、踊れる音楽が好き?
マハラージャン:そうです。大学のときにダンスをやったり、クラブに行ってみたりすることがあって。そんなに頻繁に行くわけじゃないですけど、クラブが好きなんです。そういうダンス・ミュージックには憧れてます。だからとっかかりはダンス・ミュージックなんですけど、あとはライヴで盛り上がってもらえる曲とか、運転しながら聴いてもらうにはこういう感じかなとか、発想を色々転換しながら音楽を作っています。
――ところで、マハラージャンという名前の由来は?
マハラージャン:作家のマネージメント事務所「油田LLC」に声をかけてもらったときに、自分は表に出てやりたいと話したところ、「じゃあ油田なんでマハラジャでどうですか?」「いいね」ということで、マハラージャンになりました。
――そこからこのビジュアルが生まれたんですね。ターバン姿というのはどんな心境なんでしょう。
マハラージャン:非常に落ち着きますね。優しく抱きしめられているような安心感があります。
――音楽も好きだけど、面白いことも好きなんですか。
マハラージャン:そこはそんなに気にしてないです。まあ面白いこともあればいいな、ぐらいで。
――経験上、ユーモアを前面に打ち出しているアーティストの方は、真面目で常識人な方が多い印象なんですけど、マハラージャンさんはいかがですか。
マハラージャン:真面目だと思います。まわりのみなさんから「真面目だね」って客観的な評価をされますので。
――なるほど。社会人経験もあるわけですし。いずれは会社を辞めて音楽だけで生きていこう、というのは前から決めていたわけですか。
マハラージャン:それはずっと思っていて、怨念のようにずっと。「死んでもやってやる!」というぐらいの、かわいそうな人でした。
――かわいそうではないと思いますけど(笑)。経歴を見ると「東京都出身、⼤学院卒院後、CM 制作会社へ就職」とあって、エリート感ありますよ。
マハラージャン:いや、まったくそんな気持ちはないです。社会人時代、とくにCM 制作会社時代はずっと「目が死んでるね」ってよく言われてました。音楽を作りたいという思いが強かったので、心が死んでたんでしょうね。もちろん映像も好きなんですけど、やっぱり第一希望は音楽だったので。映像の仕事をしているとそれができなくなってしまうので、だいぶつらかったですね。
――そこまでミュージシャンになることに憧れる理由って?
マハラージャン:自分は小4からトランペットをやってたんですけど、中学生のときに、「3年生を送る会」で全校生徒の前で「テキーラ」という曲でアドリブソロを吹いたんです。そのときに、後ろの方で座って観ていた生徒たちが立ち上がって、ワ~!って歓声を上げたんです。それがすごく嬉しくて。そのときの経験で、音楽をすごく意識し始めて、ずっと道を踏み外している感じです(笑)。本当は音大に行きたかったんですけど、ピアノが弾けなかったということもあって、普通の大学に行ったんです。それで音大に行っている先輩に、どうしたら音楽をやれるようになるか訊いたら、「とにかくたくさん聴け」って言われて。図書館とかTSUTAYAとかで借りたり買ったりして、民族音楽からクラシック、ジャズまで、色んな音楽を必死で聴いてました。そういう原体験があります。
――ブラック・ミュージックの要素も感じますが、そういう音楽の影響もありますか。
マハラージャン:いっぱい好きな音楽があるので、恐らくそういう音楽からの影響もあると思うんですけど、一番好きなのはフランスの音楽なんです。ダフト・パンクもそうですけど、フレンチエレクトロ、エド・バンガー・レコーズのアーティストとかが好きで。でも、ミシェル・ルグランとかも好きなんですよ。自分の中でそういう優雅さを入れたい気持ちがあります。“セーラ☆ムン太郎”はちょっとそういう気持ちが入っています。