TALK SESSION : なおこ (少年ナイフ)× 野中モモ × 岡村詩野
結成から40年以上に渡り活躍しているロック・バンド、少年ナイフ。ニルバーナのカート・コバーンをはじめ、ソニックユース、レッドクロスなどのアーティストから絶大な支持を受け、ロックシーンに独自のポジションを築いてきた彼女たちは、これまでどのような経験をして、どのような想いで表現活動をしていたのか。少年ナイフというバンドを知る上で、本当に貴重なインタヴューです。
お手紙が直接来て、カセットアルバムを出してもらうことになりました
岡村 : 少年ナイフは40年以上に渡り活躍されていますが、なおこさんにとってこれまでの活動はどのようなものでしたか?
なおこ : 自分は過去を振り返ることは全然ないんです。ちょっと前の(先の)やるべきことだけを必死に対処しているだけなんですよ。遠い未来の計画もないし、いまの時間だけを生きています。でも、この日のために自分のやってきたことを振り返ってきたんですよ。
岡村 : ありがとうございます。お聞かせいただいてもいいでしょうか。
なおこ : 1981年12月29日にはじめてバンドの練習をして、その日が結成日です。翌年の82年3月に初ライヴをしました。80年代の前半は、関西や東京のアンダーグラウンドでライヴをしたり、アルバムを出したりしていました。80年代の後半になってから、アメリカのKレーベルのカルビン・ジョンソンさんからお手紙で「自分のレーベルからカセットアルバムを出しませんか?」という話がきたんです。それが海外で始めるきっかけです。それから89年にはじめてロサンゼルスでライヴをしました。91年にアメリカでライヴをやった時には、ニルヴァーナのカートがライヴを見に来てくださったみたいで、92年にはそのニルヴァーナのサポートで全英ツアーをしました。それから現在に至るまで、海外と日本を行ったりきたりしながら活動しています。
岡村 : 本当にワールドワイドに活躍されていますね。
野中 : 結成時の伝説的なエピソードとして、お家の中でメンバー募集をしたという話を聞きました。
なおこ : バンドを組むにしても、もともと知っている人と一緒に演奏すると楽しいだろうなと思ったんです。だから半分遊びみたいな感じで、妹と友達の3人でやることにしました。「メンバー募集のチラシを自宅の冷蔵庫に貼ったら妹が応募してきた。」というエピソードは、雑誌のインタビューの答えを面白くするためにギャグで作った話ですが。
野中 : バンドを結成した時点で、すでに就職していらっしゃいましたよね?
なおこ : そうですね。バンドをはじめたのは、就職してすぐでした。妹はまだ高校生でしたね。
岡村 : 海外での活動のきっかけは、カルビン・ジョンソンさんから直接お手紙をいただいたという話ですが、どういう流れでオファーがきたのでしょう?
なおこ : カルビンが大学の卒業旅行かなにかで、東京に来たらしいんです。カルビンは東京のレコード店で、たくさんの日本のバンドの作品を買っていて、そのなかで少年ナイフのファースト・アルバムのレコードが気に入ったみたいです。そのあと、私たちにお手紙が直接来て、カセットアルバムを出してもらうことになりました。
岡村 :当時、日本の女性バンドの音源が海外のレーベルから出るのは、とても誇らしかったです。なおこさんとしては、海外のレーベルからリリースすることをどう思っていましたか?
なおこ : お手紙が来た時は、やっぱりうれしかったです。でも別に海外だからというより、自分たちの音楽を聴いて楽しんでくれる人がいるとわかったことが、とても嬉しかったですね。
野中 : そもそもの話ですが、いつ、どこから音楽を好きになったのかをうかがいたいです。
なおこ : 最初はKISSが好きでした。70年代の後半になって、ラモーンズやバズコックス、ザ・ジャムが出てきて、その辺のバンドが大好きになりました。パンクやニューウェイヴと呼ばれるバンドのなかでも、メロディー・ラインがきっちりしている楽しいバンドが好きでしたね。高校生ぐらいからはレインコーツも好きでした。2010年にイギリスで行われている〈All Tomorrow's Parties〉というフェスティバルでレインコーツと一緒になったんです。2016年の秋には、大阪で一緒にライヴをしました。すごくワクワクしたのを覚えています。