CROSS REVIEW 2 『THE ZOMBIE』
聴き手は、アイナによって保護されている自分に気づいてしまう
Text by 石井恵梨子
本当のところは知らないけれど、私にとってBiSHのイメージは、闇を抱えた女の子たちが懸命に走っている、それはもう全身傷だらけになりながら全力疾走している、というものである。アイナ・ジ・エンドのハスキーボイスはその象徴。数秒のCMソングであっても必ず耳に刺さっている棘が、傷口から絶えず流れる血の色を想像させる。
こちらは、だから、おのずと保護者の視点になってしまう。震える野犬を救いだし、ミルクでも用意して、あなたに愛を注ぐ人間もいると信じていいよと諭すような心持ちで、まずは優しく耳を傾ける。だが被保護者たるアイナは激しく牙を剥く。事実上のオープニング“ZOKINGDOG”は雑巾をかぶった犬の気持ちを歌ったもの。なんたる自虐か。曲のアレンジャーはスカパラ加藤隆志で、ホーン・セクションが入り乱れるハードボイルドなロックンロールは、愛を知らずに喚き叫ぶ少女のイメージと非常に相性がいい。
しかし、『THE ZOMBIE』を聴き進むにつれて印象はだいぶ変わってくる。この歌声は本当に保護すべきものか? 非力で虚無で不安な若者のそれなのか? 曲のタイプもバラエティも前作とはだいぶ違っているからはっきりとわかる。否である。
3曲目“ロマンスの血”で示されるのは、低音域から高音域までをしたたかに行き来するパワフルな喉であり、4曲目以降明らかになるのは、使い分ける表情の多彩さ、そして抜群のリズム感だ。高音部のハスキーボイスも、よくよく聴けば痛々しさと快感の境界線で巧みにコントロールされているよう。痛みと快楽が近いというのはセックスにも似た話で、事実、中盤の彼女はとんでもなく妖艶な蛇女へと化けていく。
うねうねとベースラインが反復する“Retire”は、セルフプロデュース能力の高さに舌を巻く一曲。プレス、気の抜けたファルセット、巻き舌、少し鼻にかかった演技声、ぐっと腹に力の入る熱唱、ここぞというタイミングで炸裂する掠れ声。もしや、と思う。〈痛い 痛い 痛い〉と繰り返しながら、アイナはむしろ、この声でリスナーがどれだけ身悶えているかを楽しんでいるのではないか。翻弄されているのは、明らかに私のほうだ。
さらには“家庭教師”。インタビューによると完全な妄想、ふざけて書いた一曲らしいが、岡村靖幸みたいなファンクに乗って描かれる世界のなんとも卑猥なこと。〈ねぇやめて 優しくして〉なんて囁き声を聴き、ゾクゾクするのはもちろん、全中学生男子が勃起するのではないかとオカン目線の心配さえしてしまう。演技力は椎名林檎に匹敵するし、それが他者のプロデュースによって導かれた境地ではなく、本人の積極的なおふざけであるのは確信犯的。〈教えてあげる〉などと言われたら、こちらは恥も外聞もなく尻尾を振るしかない。いつの間にか保護・被保護の関係は覆されている。もっと聴きたいと狂い出す耳を自覚し、聴き手は、アイナによって保護されている自分に気づいてしまう。
そして後半。それでも生きていていいよと微笑むように、曲調はどんどん明るく爽やかに、王道ポップスの説得力をまとっていく。闇がどうとか傷だらけだとか、最初に並べ立てたイメージがいかに貧困だったかを思い知る開放感。もちろん普遍的で聴きやすければOKとは言わないが、少しひねったポストロック的アレンジと、ストレートなJ-POPとしての熱量と、〈絵の具で顔汚す これ少し心地いい〉というBiSH/アイナ的な世界、この三点が分かち難く結びついた“ワタシハココニイマスfor雨”は見事な名曲でありオリジナルだ。
ファーストが「素材として凄い」アイナ・ジ・エンドを伝えたものならば、本作は「実は料理の腕も、品揃えもとんでもなかった」ことをアナウンスする作品。これ以上を期待するなら「皿の選び方」とか「意外なマリアージュの発見」だろうか。現状はすべて本人の作詞作曲。どうしたって内省の色が強い。意外な畑の才能とさらに混じり合い、第三者の言葉やメロディも受け止めてタフに歌い始めた時、この歌姫はさらに爆発的に開花すると思う。
石井恵梨子
1977年石川県金沢市生まれ。高校卒業後上京し、1997年から「CROSSBEAT」誌への投稿をきっかけにライターとして活動をスタート。洋楽・邦楽問わず、パンク、メタル、ロック等、ラウドでエッジのあるものをメインに幅広く執筆。