CROSS REVIEW 2 『RUBY POP』
『RUBY POP』は救いの1枚にもなりえる
Text by 坂井彩花
――どうしようもなく、羨ましい。
『RUBY POP』を一聴して、そう思わずにはいられなかった。
自分のなかにある劣等感やもどかしさを音に乗せて昇華した私小説的な『THE END』、病むのに飽きてポップへ舵を取った等身大の『THE ZOMBIE』を経て辿りついた、3年ぶりのアルバム。いったいどんな世界が広がっているのだろうと再生ボタンを押した先に待ち構えていた音楽が、なんと愛に溢れていたことか。『THE ZOMBIE』に収録されている「ペチカの夜」では“明日はおだやかな女になりたい”なんて歌っていたが、今のアイナ・ジ・エンドは、まさに“おだやかな女”に思えてならなかった。
辞書で“おだやか”と引くと「何事もなく静かなさま。安らか」と出てくる。感受性豊かな彼女のこと、おそらくこの言葉通りではないだろう。それでも、今のアイナ・ジ・エンドを“おだやかな女”だと思ったのは、歌声に揺るがないしなやかさを感じたからだ。烏滸がましいことを百も承知で言わせてもらうと、「人生が鳴ってる」と直感的に思った。ひとつひとつの言葉に乗せられる重心、ロングトーンで蠢く言葉にならぬ想いなど、彼女から発せられる表現のそこかしこに情報がギュッと詰まっている。その情報量こそ、アイナ・ジ・エンドが越えてきた3年間を物語っているのではないだろうか。
BiSHの東京ドームライブ、解散。映画『キリエのうた』やミュージカル『ジャニス』での主演。彼女自身も「前作からの3年間は、成長できた期間」と語っているように、数々の出来事はアイナ・ジ・エンドという人物に大きな変化をもたらしたのだろう。BiSHの活動が終わって、何もやりたくない時期に突入しつつも、求められることとやりたいことを調和させながら続けた楽曲制作。ソロになったからこそ感じた孤独や周りにいる人の大切さ。見慣れない日常が多かった日々のなかで、彼女はたくさん感じ、考え、進んできた。そして、愛おしい存在をただ大切にする自分に巡り合ったのだ。

スーッというアイナの深いブレスから、『RUBY POP』は幕を開ける。その息遣いの柔らかさといったら、ゾンビが新たな命を得て、赤子に生まれ直したのかと思うほど。繊細で脆くて儚いのに、懸命に煌めく命の凛々しさを「風とくちづけと」はまとっている。コーラスと共に紡がれる“集めた日々に くちびる交わしてる 守りたいから行こう”の真っすぐさよ。「大切なものを守る」という沸々とした決意が、音や言葉と一緒に飛んでくる。
それでいて、昔の傷だって軽やかに愛でてみせるのが今の彼女。「Poppinʼ Run」では疾走感あるサウンドに乗せて、“つけてきた傷跡だってアクセサリー”や“これからの傷跡だって隠さない”と言い放つ。痛みや傷に苦しんでのたうち回るのではなく、「全部アクセサリーにするくらいじゃないと、その経験の意味がないじゃん」といったマインドで、颯爽と前を向くのである。
そして極めつけは、ラストを飾る「はじめての友達」だ。「周りの人を愛でて、愛でて消えよう」と気持ちが詰めこまれた1曲は、じんわりとした温かさを放つと同時に、痛いほどにギュッと胸を締め付ける。それはきっと、彼女が歌声でなぞっていく愛しい日々のような時間が、自分にも心当たりがあるからなのだろう。「過ぎ去っていった時は決して戻らないが、いま目の前にいる大切な人に精一杯の愛を伝えることはできる」という忘れたくない想いを、穏やかなエモーショナルが呼び起こしていく。
また、『THE ZOMBIEに収録されている「はっぴーばーすでー」の先で、「はじめての友達」が生まれたという事実も興味深い。「はっぴーばーすでー」について「いままで人に散々求め散らかして、愛を振りまくことが自分にとって生きがいだったんですけど、愛を振りまける相手がいることにまず感謝したほうがいいし、その人がいついなくなるかなんてわからないから、本当に感謝しないとなって思いました」(2021年11月掲載のOTOTOYのインタヴュー記事より)と語っていた彼女が、今作では「大切な物や人をなるべく愛でて、愛おしいと自覚して死にたい」(2021年11月掲載のBillboardのインタヴュー記事より)と思うまでになったのである。愛されるために愛するのではなく、ただ愛おしいから愛する。そういうフェーズを、現在の彼女は生きているのではないだろうか。
大切なものを守る凛々しさも痛みや傷を慈しむ逞しさも、今のアイナ・ジ・エンドは持っている。だからこそ、大きな愛でもって、大切な人や物をなるべく愛でて死にたいと願うし、歌声にはその心意気が籠るのであろう。そういった健やかな愛に溢れたマインドを抱いていることが、本当に心底羨ましい。
とはいえ、ソロ活動を始めた頃の彼女が、“長所のない私です”なんて歌っていたのも事実。つまるところ、自我でがんじがらめになって生きにくい人にとって、『RUBY POP』は救いの1枚にもなりえると思うのだ。しっかり絶望と向き合いきれば、病むことにも飽きて、ただ愛おしい人に愛を伝えられる自分になれる。アイナ・ジ・エンドの音楽は、そう証明してくれている。
