日本のあらゆる場所でそれぞれの色を持ったカルチャーが起こり、東京ほど流れが速くない分、煮詰められて色も濃い。さらに今の時代、インターネットのおかげでカルチャーの輸出・輸入も難なくできるから、アーティスト達は上京せずとも自分達の作品を遠くまで飛ばすことができる。今回取材した名古屋のバンドTWO FOURに東京からSkypeで話を聞いたように。
名古屋の路上でのジャム・セッションから生まれたバンド、TWO FOUR。ブルース、ヒップ・ホップ、サーフやカントリーなど雑多な音楽をジャム・セッションならではのグルーヴでまとめあげ、ポエトリー・リーディング調のラップをそっと乗せる。奇をてらわずに独特の音楽を奏でる彼らだが、今のメンバー編成になったのは最近とのこと。今に至るまでのバンドの変遷について、震災後の心の動きと活動の変化、地元での活動にこだわる理由について話を伺った。
インタビュー&文 : 水嶋 美和
配信限定楽曲第2弾!!
TWO FOUR / Triangle Jam Theory SIDE B
【Track List】
1. Street Poet / 2. Ready for the blue... / 3. Clappers delight / 4. Coast to coast / 5. Stardust ~あの娘を照らすのさ~ / 6. ステイフレッシュ(2011ver.)
第1弾配信楽曲もお見逃し無く!
TWO FOUR / Triangle Jam Theory SIDE A
【Track List】
1. Sparkling Hour / 2. スニーカーブルース / 3. ならそう / 4. Park Jam / 5. Think of LG-1 / 6. ダンス ダンス ダンス(2011ver.)
TWO FOUR INTERVIEW
——名古屋の路上でジャム・セッションを始めたところからバンドが始まったんですよね?
若杉厚介(以下、若杉) : そうですね。やってます。
——あ、今も続けてるんですね。
若杉 : ライヴが忙しくてしばらくやってなかったんだけど、最近また始めました。3人だけじゃなく友達も呼んだりして。
——サークルみたいなノリというか、結構ラフな感じで集まってるんですね。
若杉 : そうですね。最初は仲間うちで始めたんだけど、僕らを見て面白がって他の人が集まってきたり。かなりラフです。
——いつ頃から始めたんでしょう?
若杉 : TWO FOURの結成は2003年で、路上でのセッションはもっと前から。
——そこからTWO FOURを結成したということは、仲間うちでわいわいやるだけでは満足できなくなってきた?
若杉 : という訳でもないんだけど、その中でも特にセッション大好きだった晶ちゃん(濱口晶平/B)や他のメンバーと、楽しいねって言いながらジャムる延長でバンドを結成した感じですね。
濱口晶平(以下、濱口) : 最初、メンバーは5人で1人ピン・ボーカルがいたんですよ。彼が抜けてから当時のドラムと厚介が半々で歌うようになって、またドラムが抜けたから厚介が一人で歌うようになった。
——ボーカルが変わったことにより音楽性に変化はありましたか?
若杉 : 基本的には変わってないですね。歌ったりラップしたり、ブルージーだったりヒップ・ホップだったり。僕がTWO FOURを結成する前からやりたかった音楽って、ジャム・バンドの中でもG LOVE &Special Sauceなんです。今のTWO FOURはかなりそこに近い音楽をやれてると思います。
——ジャム・セッション発って聞くともっと複雑で音数の多い音楽を想像してしまうんですけど、TWO FOURの音楽はすごくシンプルですよね。
濱口 : 今は「曲」って感じだけど、最初はもっとインプロっぽかったです。とはいえ、今も曲の中である程度の決まりがあるけど、その合間で自由に遊んでる。そんなには変わってないかもしれませんね。
——3人抜けて1人入って今の3人になった訳ですが、石井さんが加入したのはいつ頃でしょうか?
石井あき(以下、石井) : 去年の2月からサポートで入ってて、正式なメンバーになったのは今年の5月です。最近ですね。
——3人の好きな音楽ややりたいことは元々合致してましたか?
石井 : … 。
——今、石井さんの眉毛がピクってなりましたね(笑)。
石井 : いやあ、私だけ2人とは違うんですよね。よくこんなドラム叩いてんなあって感じですよ。そうですね、ミスチルとか… 最近は関ジャニばっかり聴いてます(笑)。
——それは確かに意外ですね(笑)。では、なぜ石井さんを誘おうと思ったのでしょう?
濱口 : 特殊なんですよね。いいドラムを叩くからっていうのはもちろんなんだけど、固定概念が何もなくて、いいと思うものに対しては抵抗をもたない。頭が柔らかいから、飲み込みも早いんです。
——「俺色に染まれ」的な感じですね。石井さんをTWO FOUR色に染めようと。
若杉 : そういう訳でもないけど、まあそうです(笑)。
——それまでサポートだった石井さんをメンバーに迎えようと思ったきっかけは何ですか?
若杉 : 震災があってから、まず自分達のやれることを全力でやらなきゃっていう考えが出てきて。バンドを動かすためにもあきちゃん(石井)の加入は大きかったです。
——震災時、名古屋はどういう状況でしたか?
若杉 : 震度3ぐらいで直接被害はほとんどなく、パニックにはなってなかったけど街中のみんなが情報を知る為に動いている感じがありましたね。その情報を得た上で、今自由に動ける自分達がちゃんと行動しないといけないと思った。小さい力ではあるけど、ちゃんと音楽を回さなきゃって。今回配信限定にこだわったのもそこなんです。
——それは、スピードという意味で?
若杉 : そう、気持ちをすぐ伝えたくて。僕たちはジャム・セッションで音楽を作るので、その時の温度をそのまま作品で出せればそれが一番いいんです。気持ちが強い時期だから早く届けたかったというのもある。
——前にリリースした『Triangle Jam Theory SIDE A』の「スニーカーブルース」で「レコードカセット/MD/CD/MP3/入れ物が変わる」「変わらないモノがあるとするなら/踊れるか踊れないかって事さ」と歌ってますよね。まあ今回の配信はMP3だけじゃなくて高音質HQDの配信もあるのですが(笑)。そういう音楽業界の流れについて考えたのも震災後?
若杉 : あれは震災以前に出来た曲ですね。そういうことは前からよく考えていました。音楽を売る為には色んな人が色んな関わり方をしていて、寝ずに働く人もいればそれで家族を養ってる人もいる。その中で見失ってはいけないのは、ただの音楽ファンだということ。そこに対してアーティストが純粋なメッセージを伝えられる場所であればいいなと思うんです。今回も、配信限定なのにTOWER RECORDSの友達がポスターを貼ってくれたりサンプラーを置いてくれたりして、結局は音楽に対する気持ちなんだなと思いました。
——何度もメンバーが変わる中で色々と苦労もあったと思うのですが、一番辛かったことは何ですか?
濱口 : 前のドラムがすごく個性的だったので、彼がいなくなった時はどうしようかと思いましたね。で、その後にあきちゃんがサポートで入ってくれて、また4人になった。でもギターもやりたい事が合わずに抜けて、逆に今の3人になってふっきれましたね。何をやってもいいかなって感覚になれた。
——それまでは凝り固まってるものがあった?
若杉 : 確かに、そういう感じはありましたね。人数が増えればそれだけアイディアがぶつかり合うし、良くも悪くも本来考えていた曲の在り方とは違う方向に行ったりする。その頃は一カ月かけて一曲作ってたんだけど、今は一日で出来ることもある。今の3人になって一番最初に始めた頃に戻った感じがありますね。
——TWO FOURの曲はシンプルで自由な印象がありますが、それはバンドの雰囲気を映しているんでしょうね。変に気をてらったところがないのも、人物の色が出ているのかも。
若杉 : そうですね。元々はAIR JAM世代のメロコア・パンク好きで直接的なメッセージにドキドキしてた奴らなんで、素直な気持ちは大事にしたい。音楽って芸術の部分も大事ですけど、僕らの場合は素直にシンプルにナチュラルに、という感じで。
東京がなんぼのもんじゃい
——TWO FOURの音楽には2面あると思うんです。一つは「Sparkling Hour」のような浮足だったパーティー感のある歌や、「Coast to coast」でのロマンチックな情景を描いた曲。日常と非日常に片足ずつ足を突っ込んでる感じ。
若杉 : 意識してる訳じゃないんですけど、確かにそういう感覚は好きですね。3人になって思い描いたものをそのまま出すことができるようになったので、表現力は上がったかなと思います。
——もう一つの面は、FREE THROWの神さんの言葉を借りると「さらっとしてるようで実は諸行無常を歌っている」。
若杉 : そんなに重たいつもりはないんですけど(笑)。
——でもいいキャッチですよ(笑)。これ、「スニーカーブルース」みたいな若杉さんの思考を反映させた曲のことを言ってると思うんですよね。
若杉 : 僕にはごまかす癖があるというか、オブラートに包む表現をすることが多いんです。でも最近は伝えたい気持ちがすごく強い。なので、オブラートをちょっと外すようになりました。諸行無常というよりは、単純に対象の相手が居て、そこに向かってる曲を書くという感じです。
——そういう曲が重くならないのは、音が爽やかだからでしょうね。
若杉 : 泥臭くはならないようにしてます。グル—ヴィなのが好きなので、歌詞は勝手に跳ねてくる。だからマイナスな気持ちを歌ってもそんなに暗くならないのかな。
——では最後に。一度上京を考えたけど名古屋に残ることを選んだと聞いたのですが、そこについて話を聞かせてください。
若杉 : 前の論評でそう書いて頂いてましたけど… 。
——あら? そういうわけでもない?
若杉 : という訳でもないんですけど(笑)、cinema staffや僕らの仲のいいバンドが立て続けに上京して、「どうする? 」って話にはなりましたね。
——その話を出したのは、今いないメンバーですか?
若杉 : そうですね。その彼は今東京に出ました。
——それは音楽をやるため?
若杉 : そう… ですかねえ?
——さっぱりしてますね(笑)。
若杉 : はい(笑)。で、僕と晶ちゃんで名古屋でやっていこうって話になったんです。
——地元にこだわろうと思ったのはなぜでしょう?
若杉 : こだわりというよりむしろ逆で、音楽を作る環境はどこでもいいと思ったんです。自分達のやりたい音楽をやれるのであれば場所は関係ないかなと。もちろん、「東京がなんぼのもんじゃい」的な気持ちもあります。
——東京で勝負してみたいとは思わない?
若杉 : カルチャーがいっぱいあって、それが色んなところで速く動いているというのが東京の魅力ですよね。だから勝負する場所というよりは、面白い人がいっぱいいる面白い場所というイメージです。名古屋と東京で場所は離れていても今みたいにskypeで顔を見ながらお話できるし、アイディアさえあれば何でもできる時代ですから。
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DJ / FREETHROW
PROFILE
TWO FOUR
日本のセントラル・シティー、名古屋ストリート発、Vo.Gt、Ba、Drのスリー・ピース・ジャム・バンド。幾多のストリート・セッションから生まれた独自のラップとも語りとも言える歌と、愛嬌のあるミニマルな生音グルーヴは全国のアルコール片手のパーティー・ピープル達をシンガロングでピースフルな空気に酔わせている。ブルース、ヒップ・ホップ、カントリーやサーフなどを独自に昇華した彼らのグルーヴは必踊の価値あり!