マッカーサーアコンチ待望の新作アルバムは、ライヴで人気の楽曲をまとめた、まさにベスト・オブ・マッカーサーアコンチ的内容。プロデュースは8otto、モーモールルギャバンや海外アーティストを多く手がけるヨシオカトシカズ。
マッカーサーアコンチ『感受性ドン』
1. 感受性ドン / 2. KI MO NO / 3. 天〜TEN〜 / 4. O.MO.RO.I / 5. ドタマカチワルゾ / 6. NEWYORK NO NEWYORK / 7. POPO / 8.NINJA '77 / 9. ICHIRO SUIZUKI / 10. I LOVE YOU
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『感受性ドン! 』リリース・パーティ「ドタマカチワルゾNIGHT」
東京編
2011年01月22日(土)@下北沢BASEMENT BAR
open 18:30 / start 19:00
w / ワッツーシゾンビ / 奇妙礼太郎トラベルスウィング楽団
大阪編
2011年01月26日(水)@梅田シャングリラ
open 18:30 / start19:00
w / 8otto / THE SUZAN
>>「KI MO NO」のフリー・ダウンロードはこちら(2010/12/23〜2010/12/29)
INTERVIEW
大阪とニューヨークは似ているという話を聞いたことがある。街の人々が自由で、その自由さゆえに様々な文化が乱立し、それを誰も整理しようとしない。そのごちゃまぜ感が形成する街のカオスを見苦しく思う人も居るかもしれないが、それこそが宝の山で、感受性の山なのだ。結成当初から大阪で活動を続けるマッカーサーアコンチは、2006年から2度ニューヨークでツアーを行っている。この2つの都市の特に色の濃い部分を切り取った様な今作のタイトルは、ずばり『感受性ドン』。10年近い活動の中でこれが初のフル・アルバムとなる。
結成時は大所帯のパーティ感溢れるファンクバンドの印象が濃かったマッカーサーアコンチだが、15人近いメンバーの変化を経て5人編成となった現在、70年代の埃っぽい匂いがする鋭いロックへと変わりつつある。この10年間でどういった変化があったのか。そしてこの10年間はどのようにして始まったのか。リーダーのアチャコマイノリティに、時々笑いを、時々熱を交えながら、マッカーサーアコンチの始まりから今に至るまでを語ってもらった。
インタビュー&文 : 水嶋美和
こいつとやったら面白いんちゃうかな
——アルバム・タイトルを『look at me,me,me』から『感受性ドン』に変更したんですね。これはなぜですか?
東京から大阪に帰る車の中で、メンバーの阿部ロールスロイスに前のタイトルを否定されて(笑)、「じゃあ『感受性ドン』は? 」って切り返すと納得したんで、これに変えました。何となく今回のアルバムは日本語って感じがしたし、以前からライヴのMCで使ってた言葉なんで馴染みもあって。ちなみに次のアルバムのタイトルも決まってますよ! 『Let’s DA DA DA』! 『レッツ・ダンス』よりももっとダンスしてるイメージ。次はこれでいく... かも(笑)!
——また急に変わる... かも(笑)! マッカーサーアコンチの活動はいつからですか?
2001年結成ですね。僕1人でメンバーを集める作業から始めるんですけど、その頃居たストーンド・ソウル・ピクニックっていうバンドでトロンボーンを吹いてる女の子がめちゃくちゃかっこよくて、いきなり楽屋に行ってほぼ初対面で「一緒にバンドやらへん? 」って声かけたんが、アングリーアイちゃんです。で、また別の日に、僕がお客さんで行ったライヴにすごいかっこいい後ろ姿の人が居て、追いかけて誘ったのが阿部ロールスロイスです。
——どんな後ろ姿だったんですか?
レゲエのライヴをラモーンズみたいな奴が見てるんですよ! その違和感がものすごくて、掴まえて「君、ギター弾ける? 」って聞いたんですけど、逃げちゃったんですよ。
——逃げたんですか!? 走って?
外人が来たって思ったんじゃないですかね、当時を振り返ると(笑)。その時ライヴをやってたのがまだ音源も何も出してない頃のBAGDAD CAFE THE trench townなんですけど、どうやら彼らの同級生でライヴを見に来てたみたいなんですよね。彼らに「君らのライヴを見に来てたボーダー服のガリガリの子、連れてきて」って仲介に入ってもらって、二回目「君、ギター弾ける? 」って聞いたんです。そしたら黙って首を横に振って、横に居た子が「鍵盤なら弾けます」って答えてくれて、じゃあ一緒にやろう!
——阿部さん、一言も発さずに加入したんですか?
はい、それが始まりですね。スタジオにもBAGDAD CAFE THE trench townのメンバーが4人ぐらい保護者みたいにして連れてきて、逃げへんように着替えを持って、スタジオが終わるまで外で車で待ってあげてました。で、実際スタジオ入ったら全然弾けなかったんですけど(笑)。オッケー、やろう! って。こんな音楽がやりたいからバンドをやろうというよりも、こいつとやったら面白いんちゃうかなってところから始めましたね。
——マッカーサーアコンチってファンクと70年代ロックの要素が強いと思うんですが、元々そういうのがやりたかった訳ではないんですか?
結成当初のビジョンとしては確かにそういうのをやろうと思って始めたんですが、そこからメンバーが、最初から数えると多分15人前後変わってるんですよね。人が変わればサウンドも変わるので、時期によって傾向はバラバラかな。最初は7人編成でもうちょっとパーティ感のあるファンキーなサウンドで、そこからルーツのロックに近い感じになって、2003〜4年ぐらいにガラッとメンバーが変わってガレージ・サウンドを目指すようになった。で、今はメンバーが5人になってタイトになったかな。
——5人に減った時、新しい人を入れようとは思わなかったんですか?
ベースが抜けた時に新しい人を誘おうとも考えたんやけど、いや、今居るメンバーで出来ることを一回やってみようって話になって、オルガン弾いてた阿部がギターを持って、トロンボーン吹いてたアイちゃんがシンセ・ベースをやるという編成を一回やってみたんです。それが2008年ぐらいかな。この編成ではどうしてもできない昔の曲もあるんやけど、今の5人で出来るベストなサウンドを作ろうっていうので、出来たのが今回のアルバムですね。だから今までから考えるとすごいシンプルになってる。バックの演奏は同じ事を続けながら、その中でどうメロディを変えれるか試したり、最近はそういう作り方をする傾向がありますね。
——このまま5人でいきますか?
いくんですかねー... わかんないですね、先のことは! でも変わり続けると思います。この10年を振り返ってもそうやし、これから先も変わってくんやろな。
元を辿れば愛がある
——今作ではどういうサウンドに変化したと思いますか?
僕は10代の頃にヒップホップやレゲエを聴いてて、10代後半ぐらいからロックにのめり込んでいったんですけど、そういう自分のルーツになってる部分が無意識的に出てますね。20代の頃は意識的に避けてたんですけど。
——なぜ避けてたんですか?
ロックにヒップホップの要素を入れちゃうと、どうしてもミクスチャーっぽいヘビーなロックになりがちじゃないですか。そういうのがすごく嫌で避けてたんですけど、今作ではそれとは違う形でロックと黒人音楽を融合させれたんちゃうかな。
——「KI MO NO」「NINJA’77」「ICHIRO SUZUKI」って日本的なタイトルが多い。しかも、外国人から見た日本って感じがするなと思ったんです。「街角にいる外国の方に日本のイメージを聞きました」ってアンケートで出てきそうな単語。そういうのは意識しましたか?
そうですね。「KI MO NO」「NINJA’77」に関しては、2006〜7年に2回NYツアーがあったので、海外で勝負するのを頭に入れて作りました。けど、結局は音の響きなんですよね。タイトルの響きが曲に気持ち良ければオッケー。だから僕の場合、曲作りもタイトルが決まった時点で8割終わったようなもんなんですよ。後はつるつる出てくる。
——タイトルはいつも響きで決めますか?
響きですね。「ドタマカチワルゾ」とか、一番汚い大阪弁って何やろうって考えた時にここに行きついたんですよ。
——でも、何かキャッチーですよね。
でしょ!? カタカナにすると何かキャッチーなんですよね。
——「POPO」って響きもかわいいですよね。このPV、お金はかかってなさそうなんだけどすごい手が込んでて、色もポップで面白かったです。他にPVを作る予定の曲はありますか?
予定では、このアルバムの10曲全部に作る予定です。そして全部の映像を繋げて、ひとつのストーリーにするつもりです。逆サントラ!
——それは最初から考えてたんですか?
いや、さっき。ほんまについさっき、そこの駅の改札で決めた。10曲分のPVを作ることは決めてたんですけど、それならサントラみたいにしてみよかって。後付けで(笑)。大阪のクリエイターが集まって作ります!
——曲ごとに作る人は違うんですか?
はい。今回、絵を描いてる人、会場設営してる人、写真を撮る人、服作ってる人、映像を撮った事のない人達に作ってもらう予定です。そっちの方が映像を撮る人に無い発想が出てきそうでおもろそうやなって。
——確かに、それぞれ視界に入るものとか違いそうだし面白そうですね。
でしょ!? 各クリエイターが違うジャンルをやるのも見てみたいなって。まさに『感受性ドン』!
——それはDVDとしてリリースするんですか?
それおもしろいですね... 頂き!
——ありがとうございます(笑)。このアルバムを一番最初に通して聴いた時、ただ単に響きのいい言葉を選んで集めてるのかなって思ったんですけど、聴き込むと印象に残る言葉が多いんですよね。それが意味ありげに聴こえてくるんです。「感受性ドン」の「全部嘘もんなんでしょ? 全部演技なんでしょ? 」とか。
そういう風に、言葉ごとにちょっとだけひっかかってくれたらいいです。今回の歌詞でも日常で思うこと全部言わせてもらってるし、ライヴのMCでも色んなこと言ってるけど、全部届けとは思ってないんで。ライヴの帰りの電車の中で「あの言葉何やったんやろう? 」とか、CD聴きながら歌詞カード見なくても1個ワードがひゅっとリスナーの耳に入ったなら、それでいいです。
——「ICHIRO SUZUKI」はなぜイチローなんですか?
これにはメッセージがあって、未来の子供たちの為に作った曲なんです。渋谷の街歩いてて、ほんまにクソみたいな音楽しか流れてへんなーって苛々してて、これじゃ子供たちに悪影響だ! ちゃんとした、未来の子供たちの手に残るような曲を作ろうぜ! と思って作ったのがこの曲です。ま、未来の日本の子供たちがみんなイチローぐらい頑張ったら、そら日本ええ国なるな。GDPもぐーっと上がるんじゃないかなって。
——確かにそれはすごい国になりますね。そしてその後に「I LOVE YOU」が来て、しっとりと作品を締めるのが意外でした。
10年間の中でマッカーサーアコンチ、初のラヴ・ソングです。難産でしたね。
——どれぐらいかかりました?
68時間ぐらい? 意外と短いね(笑)。いやしかし難産やった〜! 構想から考えるともっと何カ月もかかってるんですけど。
——何でラヴ・ソングを作ろうと思ったんですか?
世の中ラヴ・ソングばっかやな〜薄っぺらいのが多いな〜って思ってて、だから今まで書かなかったんですけど、アルバムを作る上で自分に1つ課題を出して、何かに挑戦しなくてはと思ったんです。いざやろうと思ったらめちゃくちゃ難しい! 今まで10年かかったわ! でもその難しさをクリアして愛を歌えたのは嬉しかったですね。でもこんなに苦労するのに、みんなどんな気持ちでラヴ・ソング歌ってるんやろう? 「ほんまに!? ほんまに思ってる!? 」って! 僕は作りながら何度も胸がぎゅーってなりましたよ。絞り出しました。そして枯れました(笑)。
——枯れたらダメじゃないですか(笑)!
あと、今年の6月に小沢健二のツアーに行ったんですよ。すごい愛に溢れてて!! 今年見たライヴの中でも断トツでベストですね。自分が愛を歌うっていう事に関して、その影響は大きかったかもしれない。愛ってパワーなんですよ! それ以降、マッカーサーアコンチは楽屋で「愛のあるライヴしよ! 」って言ってからライヴに挑んでます。
——いいですね、それ。直球の言葉だけど。
愛だの恋だのストレートに言うのは恥ずかしいけど、やっぱり気持ちですごい思ってますよ。例えば今の音楽シーンに苛ついても、音楽への愛があるから怒るんですよね。「ほんまアイツら音楽バカにしやがって! 」って。だから何でも元を辿れば愛があるんですよね。恥ずかしいから表だっては言わないですけどね!
——「I LOVE YOU」の68時間が難産なら、曲作りは早い方ですか?
そうですね。「感受性ドン」はレコーディング中に出来ましたし。追い詰められたギリギリの集中力で生まれた曲です。
——確かに、追い詰められている緊張感が曲の中に入ってますね。
演奏がまあまあミステイクあるんですけど、そのままにしておきました。
——撮り直さなかったんですか?
そうですね。最近は昔ほど細かいところを気にしなくなったので。自己満足の粋の細かいアレンジは、やりたい人はやったらええけど、別にやらなくてはならない作業だって思う様になりましたね。芯はもう出来てんねんから、それによって曲が大きく左右される訳ではないし。
——そこにこだわらなくなった理由とは何でしょうか?
まあ今も無視してる訳ではないんやけど、一個一個細かい所で留まるよりも、次いこ! って。まだまだ楽しいこと待ってるんやから、これはこれでオッケー。じゃ、次のもん作ろう! っていう風になりましたね。
——メンバーが5人になったのも関係ありますか?
うん、やっぱり意志疎通を図るのがはるかに楽になりましたしね。伝えやすいし作業も早い。サウンドも役割分担もよりシンプルに。60、70年代のCDを聴いてても、IGGYPOPとか間違えまくりやけどかっこいいものはかっこいいし、40、50年経っても全然色褪せない。細かい完成度を上げるよりもノリの方が大事やと思うんですね。10年後にこのアルバムを聴いて、ダサいと思わないかどうか。今作がマッカーサーアコンチ初のフル・アルバムなんで、そういう事も意識しながら作りました。多分10年後に自分達で聴いても恥ずかしいと思わないと思います。
——10年近く活動をしていて、今作がファースト・アルバムなんですね。
フル・アルバムはそうですね。なんか恥ずかしいですね! 曲はあったんですけど、何で今まで出さなかったんでしょう。縁とかタイミングなんでしょうね。
——バンドのプロフィールに「昨今のロックのスポーツ化に警鐘を鳴らすべく結成」とありますが、「ロックのスポーツ化」とはどういう意味ですか?
これはその時メロコアとかが流行ってて、短パン・Tシャツ・スニーカーのキッズ達がライヴ・ハウスに暴れに行くっていう光景をよく見てたんですね。汗かきに行くってそれもう、スポーツじゃないですか。僕の好きなロックのかっこよさって、古いのならVELVET UNDERGROUND、90年代ならSonic Youth、今なら Yeah Yeah Yeahsみたいな、色白でスポーツ出来なさそうで、喧嘩もできないけど生意気な奴らが、内に持ってるものを爆発させたくてやってるようなところにあるんですよね。陽の当らない地下で、溜め込んだ悶々としたものを爆発させるアートというか。だからマッチョなものよりひねくれたロックが好きなんです。だからそれは、そういう意味を込めて使ってた言葉ですね。
——では最後に、バンド名の由来を聞いてもいいですか?
「マッカーサー」は、僕がバンドの構想を練っている時にたまたまテレビでマッカーサー元帥の特集をやってて、彼の故郷が「リトルロック」っていう地名なんですね。その響きかっこいいなーって思ってひっかかって、「マッカーサー」って日本人みんなが知ってる単語で、けど音楽で使われてるの見たことないし、覚えやすそうだと思って付けました。MACARTHURって英語で書いた時に真ん中に「ART」が入るのもかっこいいなと思って。で、「コンチ」は、逆から読んでください。
——...... あ〜(笑)
ね(笑)? アメリカのカルチャーってすごい憧れてるんですけど、アメリカ自体にはむかつく事が多いじゃないですか。世界に対するやり方とか、実際にNYに行った時も無駄だらけな街やと思ったし。アメリカ、好きやけど嫌い、嫌いやけど好きっていう、複雑な感情が込められた言葉なんですよ。そこに1個違和感を入れたくて「ア」を入れました。「カフェ・ド・何とか」みたいな感じで。NY行った時も名前の由来はよく聞かれたんですけど、答えたらみんな「ワーオ! 」ってなってましたね(笑)。
『感受性ドン! 』リリース・パーティ「ドタマカチワルゾNIGHT」
東京編
1月22日(土)@下北沢BASEMENT BAR
open 18:30 / start 19:00
w / ワッツーシゾンビ / 奇妙礼太郎トラベルスウィング楽団
大阪編
1月26日(水)@梅田シャングリラ
open 18:30 / start19:00
w / 8otto / THE SUZAN