とても目の澄んだ青年だ。ラキタと話していて一番印象に残ったのは、彼の目だった。父親がボ・ガンボスの“どんと”であること、母親がZELDAの小嶋さちほであること、名付け親がボ・ディドリーであること、ファンクバンド「ズットズレテルズ」を結成していたことなど、彼に関する情報を忘れて惹き付けられていった。その瞳を見ているうちに、彼のプロフィールに載っている1つ1つが、生きた有機的な結びつきであるという当たり前のことを強く感じさせられた。
ラキタの楽曲を聴いていると、“どんと”の面影を感じないわけにいかない。ローザ・ルクセンブルク~ボ・ガンボス期のメロディ・センスと、ソロ期の彼岸をテーマにした歌詞が交わったような印象を受ける。加えて、ラキタの曲はとても瑞々しい。それは、思春期を過ごした沖縄が大きく影響しているのだろう。父親からの影響と、沖縄の自由な風土が合わさることで、ラキタというアーティストが成長したことは間違いない。
この取材は、祐天寺の一軒家を改装した事務所で行われた。まだ話し慣れていないラキタであったが、沖縄のこと、父親であるどんとのこと、自分の感覚について、ゆっくり考えて自分の言葉を探しながら、静かに答えてくれた。
インタビュー&文 : 西澤裕郎
待望の1st Album先行配信!
ラキタ / フライングロック
プロデュースにパードン木村を迎え、自身のバンド・メンバー等と共に葉山の古民家スタジオと、沖縄のどんと院八角堂でレコーディングを敢行。メロウかつトリッキー、そして痛快なバンド・サウンドまで、縦横無尽に繰り広げられるラキタ・ワールド満載の待望のデビュー・アルバムが遂に完成!!
01. 船出の唄 / 02. 今夜の幻 / 03. 最愛 / 04. Am / 05. ふりむけば / 06. とうめいにんげん / 07. 星のゆりかご / 08. 地獄チャンネル / 09. フライングロック / 10. あたたかいほうへ
拠点を沖縄にして、そういう活動が出来たらいいな
ーーラキタさんはNYで生まれて、湘南、沖縄へ移り住んでいますよね。それぞれどのくらいの期間住んでいたんですか。
NYにいたのは、生まれてから3ヶ月くらいです。5歳まで湘南にいて、18歳までは沖縄で生活していました。今は浅草で居候しています。
ーーお父さんがボ・ガンボスのどんとさん、お母さんがZELDAの小嶋さちほさんというミュージシャン一家ということもあって、小さい頃から周りに音楽がある環境だったんじゃないですか。
そうですね。母親もよく聴いていましたし、いつも音楽が流れていました。ライヴにもよく連れて行ってもらってましたけど、あまり記憶はないかな。家でギターを弾いていたのを、うるさいなと思って聴いていたのは覚えていますけど(笑)。
ーーラキタさんが楽器を始めたのはいつ頃のことですか。
中学生の時です。家にギターがあったので弾いてみようと思ったんです。チャック・ベリーのCDがたまたま棚にあって、その中に入っていた「Johnny B. Goode」のギターがかっこよくて、すごい衝撃を受けて自分でも弾きたくなったんです。
ーーちなみに、ボ・ガンボスを始めとした、どんとさんのCDは聴いていなかったんですか。
聴いてなかったですね。亡くなった後にいろいろとCDを聴き始めたんですけど、それがすごくよかったんです。そこからの影響はだいぶ受けていると思います。
ーーどんとさんがお亡くなりになられた時、ラキタさんはまだ10歳くらいだったと思いますが、当時のことを振り返れるようにはなりましたか。
そうですね。当時は何がなんだかわからなくて… 。ハワイへの旅行中だったし、僕も葬式ではしゃいでいたみたいで、自分でもよくわかってなかったのかもしれないです。あまりにもショックだったから、パッと切り替えたのかもしれないし。今となっては、はっきりしないですけど、混乱していたんだと思います。
ーー日本に帰ってきて、改めてCDを聴いてみて、どんとさんに対するイメージは変わりましたか。
変わりました。笑い声とか忘れちゃってたなって思ったし、インタビューやCDの中で笑っていたりする声を聞いて、こんな人だったんだなって発見が沢山ありました。昔の映像を見ながら後から人物像を作っていっている感じで、すごく変な感じですよね。
ーーお父さんのやっていたことを、自分が引き継いでやっていこうって気持ちはありましたか。
それはなかったです。ただ影響は受けていますね。歌や曲の雰囲気、あとギター・プレイも好きなんです。
ーー今使っているストラトのギターも、どんとさんのものですか。
そうです。ボロボロになって押し入れの中にあったから、これは使ってやらないとと思って使っているんです。
ーーそういえば、ラキタさんは首里高校に通っていたんですよね。『全国きものデザイン・コンクール』の賞を取ったニュース記事を拝見しましたが、どんな学校だったんですか。
すごく古い学校なんですけど、近くに首里城とかがあってキレイな場所だったんです。僕は着物を織ったり染めたりする、染織りクラスにいました。毎日、池とかお城の近くのキレイな道を通って行けるんで、それがいいなと思って決めたんです(笑)。家から歩いて5分くらいのところに学校があって、いい所でした。すごく雰囲気がいいんですよ。沖縄でも特にあの場所は好きなんです。
ーーそんな大好きな沖縄を離れて、東京に出て来ることになりますが、きっかけは何だったんですか。
卒業旅行みたいな感じで東京に遊びにきたんです。元々バンドをやろうと思っていたので、東京にいる友達と一緒にズットズレテルズ(以下、ズレテルズ)を結成して活動し始めたんです。その東京での生活がすごくおもしろかったので、こっちに住んじゃおうって思って引っ越してきました。
ーー友だちっていうのはズレテルズのどなたですか?
ーーズレテルズは「閃光ライオット2009」で決勝大会まで残ったりして、あっという間に話題になりましたよね。そんな最中に解散をしたわけですが。
そんなにしっかり決めてやっていたわけじゃなかったので、「半年くらいでいいだろう」みたいな感じだったし、誰も続けて行こうって言わなかったんです(笑)。
ーーその後どうやって音楽を続けていこうと思ったんですか。
ズレテルズをやっているときから曲を作るのが好きで、一人で適当に歌ったりしながら曲は作っていたんです。それで、このままやっちゃおうかなって感じでやっていこうと思っていました。
ーー今作『フライングロック』に収録されている10曲は、ズレテルズ期に作った曲も入っているんですか。
時期はバラバラですね。「最愛」とか「とうめいにんげん」は沖縄時代に作った曲ですし、「今夜の幻」は東京に出てきてから作りました。
どこか近くにいて、いつも通り何かしているんじゃないかなって。
ーーラキタさんの歌詞には、「海」「山」「空」など、自然を表すワードが沢山出てきますよね。やっぱり自然というのは曲を作るときに意識するテーマですか。
意識はせずにやっているんですけど、やっぱり出てくるんですよね。身に染みているんだと思います。自然が好きだっていうのもありますし。
ーー僕は沖縄に住んだことがないので想像できないのですが、ラキタさんの沖縄での生活を少し教えてもらえますか。やっぱり外に出て遊ぶことが多かったんですか。
僕はよく外に出てましたね。電車がないから、バイクでどこかに出かけたりして、海にはよく行ってました。学校帰りに夕焼けを見にいったり、海に入りにいったり。
ーー東京に住んでいると、その時の生活や自然が恋しくならないですか。
なりますね。なので時々帰ってます。2ヶ月の間に2回くらい帰ることもあったし、帰れないときは1年くらい帰れないときはあったけど、帰れるときに帰っています。
ーー「今夜の幻」の歌詞には街という単語が出てきます。「置いてかれた俺は街の灯りに甘えている」って歌詞からは、自然の感覚を失ってしまうかもしれないという葛藤が感じられますね。
そうですね。葛藤していたんだと思います。この頃は、沖縄の空が恋しかったんです。
ーーラキタさんは歌詞の中で、自分のことを「俺」っていうときと「私」っていうときがありますよね。だから、ある程度自分の曲と距離を持って歌っているのかなと思ったんですけど、いかがですか。
いや、自分の体験に沿って作っていますよ。「俺」とか「私」とか歌っているのは、その時の気分で変えているんです。「俺」って言っているときは、けっこうオラオラって攻めている感じで、「私」っていうときはナヨっとしている(笑)。自分の中にどっちの気分もあるんですよね。
ーー両方の感情があって、気分によって変わってくると。歌詞はどういう時に書くことが多いんですか。
「今夜の幻」を作っていたころは寂しいなとか思っていたし、言いたいことがあるんだけど、うまく言葉に出来ないことを書きためていましたね。何かイヤだなとかおかしいなとか、うまく言葉に出来ないことを無理矢理書いていました。
ーー喜怒哀楽で言えば、どういうときに曲が生まれやすいと思いますか。
寂しいときとかかな。普通に街を歩いているときにふと寂しくなったり、家にいるときに突然そうなるときがあって、そういう時に言葉が出てくるんです。
ーーそういう寂しさは歌にすることで解消されますか。
あまりされないかな… 。
ーーソロになってからのどんとさんは、彼岸の世界、つまり悟りの世界を歌うことが増えました。ラキタさんの歌詞も、生と死の境目がぼんやりしているような印象を受けるのですが、そうした世界というのは意識にありますか。
そういうことを考えるのは、好きだったかもしれないですね。どんとさんの歌を聴いていても、ソロではそういうことを歌っているのが多いから。この人死ぬのが分かっていたのかなとか思ったりもしますし、今も気になるものですよね。
ーー体は魂の乗り物で、死んでも魂はなくならないって考え方もありますよね。そういうものを感じたりすることはありますか。
感じることはあります。体が乗り物だって感覚だとしたら、パッと意識がどこかに飛んでしまうかもしれないってことは思いますね。死んだから魂みたいなものがなくなるとは思えないんです。それは、どんとさんが死んだときに思ったことなんです。あの時も、亡くなるっていうよりは、どこか近くにいて、いたずらってわけじゃないけど、いつも通り何かしているんじゃないかなって。だから乗り物的な感じってのはよくわかります。
ーーそれは普段も感じるものですか。
ふと考えるわけではなくて、突然そういう気分になったりするんです。うまいなと思って何かを食べている時に、これをうまいと思っている自分って何なんだろうとかって。何かの拍子にそういうことを感じることがあって、あの感じが好きだったんですよね。そういうことを思ったりするのが好きだったんです。
ーー歳をとったり東京に出てくることでその感覚は薄くなったりしていると思いますか。
ちょっとします。他のことに興味がいっているんだろうなって。
ーー他のことって?
うーん… 、もっと身近なことかな。生活のこととか。
ーーそういう感覚を忘れないために時々沖縄に戻りたいって気持ちがどこかにあるのかもしれないですね。
そうですね。沖縄に行く理由はそれじゃないけど、取り戻せたらいいですね。… 取り戻したいな。
ーーこれから、どういう活動をしていきたいと思っていますか。
ちょくちょく沖縄に帰る機会を増やしたいですね。できれば沖縄で長い間こもって曲を作って、バンドで練習をして、東京だけじゃなくて、全国をツアーで回ってまた帰れればいいなって。拠点を沖縄にして、そういう活動が出来たらいいなと思っています。
(photo by ハタエアヤミ)
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2011年12月26日(月)@渋谷 7th FLOOR
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出演:ラキタ / snap / ウタゲユメノゴトシ / クンクンニコニコ共和国
2012年3月〜4月『フライングロック』レコ発全国ツアー予定!!
PROFILE
ラキタ
1990年NY生まれ。父親はボ・ガンボスのどんと、母親はZELDAの小嶋さちほという音楽一家に生まれる。幼少を湘南で過ごし、沖縄に移り育つ。物心ついた時には、家族で旅をしながら多くの場所に訪れ多彩な音に触れていく。2008年ファンク・バンド「ズットズレテルズ」を、OKAMOTO'Sのハマオカモトらと共に結成。2009年にリリースしたアルバム「第一集」が話題を呼び注目を集める。「閃光ライオット2009」で決勝大会に残るが惜しくも解散。現在はソロで活動中。2011年「FUJI ROCK FESTIVAL」のAVALON STAGEに出演。同年12月7日待望のファースト・アルバム「フライングロック」(Tuff Beats)をリリース。今、最も注目される若手ミュージシャン。