
INTERVIEW : 柳原陽一郎
——水谷さんとは高校の同級生なんですね。
柳原陽一郎(以下、柳原) : 同級生といっても、彼はどちらかというとジャズの方が好きで、僕はどちらかというとがちゃがちゃ歌うのが好きだったので、接点は全然なかったんですよ。2000年くらいに、ドラマーの外山(明)さんに「水谷って知ってる? オレの同級生でジャズ・ミュージシャンになった奴がいるらしいんだけど」って聞いたら、「俺、一緒にバンドやってるよ」っていうから、ずっこけたっていう。
——その後、水谷さんから柳原さんをお誘いしたって聞きましたけど。
柳原 : 記憶が定かではないんですけど、「COBRA」(※JOHN ZORN'S COBRA 東京作戦)っていうライヴがあって。巻上(公一)さんがリーダーで、ジョン・ゾーンの即興方法を体系化したものにのっとってやるっていうライヴで。そこで水谷も含めて、今もやってる人たちとはじめて一緒になったんじゃないかな。ジャズもフォークも関係ないよねって人たちが、ずるずるミクスチャーしちゃったというか。お互い、いい歳になってしまって「なんだ~、元気ですか? 」みたいな。そんな感じでしたね。

——そこで集まった人が結びついていったわけですね。
柳原 : 結局みんな一人でやれる人たちだからね。独立したお店のオヤジさんみたいなもんでさ。ちょっとアヴァンギャルドな市場をやるけど、おたく、商品出さない? みたいな。そんな感じじゃないですかね。僕も含めて、みんなバンドでひいひいぜーぜーっていう感じじゃなくて、バンドもやってらっしゃるけど、一人でも色々仕事できる方たちだから。そういう人たちがくっついたりして、そういう健全な流れでやるようになったんじゃないかな。
——僕らくらいの世代から見ていると羨ましいです。メインのバンドがあって、他はサブみたいな、決してそういう感じではないんですよね。
柳原 : うん、多分そうだと思います。まあ、特にジャズの方たちは、どんどんバンドを変えていくからね。
——今回は、柳原さんは楽器を持たないってことを伝えていたそうですね。
柳原 : なぜかっていうと、phonoliteって大掛かりなんですよ。10何人くらいの編成になるんですけど、結構ね、おおごとなんですよ。とりあえず終わった後、ビールでも飲めば、なんかやりおおせたみたいな、そういうのあるじゃないですか。内容はともかく、おおごとをやった自分が愛おしいみたいな。でもさ、もう、おおごとじゃなくていいよと思って。で、水谷が、phonoliteの弦のお姉様たちとだけでやってらっしゃるバンドもあったから、ちょっと今回はそっちでいこうって。そのかわり、俺も楽器を弾かないし、歌だけでやりたいな、って。だからおおごとにしたくなかっただけなんです、実は。
——そうなんですね。楽器を持たないというのは、柳原さんからの水谷さんに対する挑戦的な意味合いがあったのかなと思ってたんですよね。水谷さんは、プレッシャーじゃないですけど、苦労されたみたいですよ。
柳原 : いやいやいやいや、でもちょっとくらい苦労した方がいいんです、人間は。ちょっと話が遡りますけど、2005年くらいに、たま時代の曲をセルフ・カバーしようと思って。その時、誰かにアレンジしてもらいたいなと思っていたら、水谷がアルバムを持ってきたんですよ、phonoliteの。それを聞いたら、すごくよくてね。ビートルズの「I Want You」とかをカバーしてて。それを聴いて、音作りやってくんないか? っていうふうに始まってたので。なので、僕の曲をサラッとアレンジしてくれるっていうのはすごく慣れてると思うので、今回もじゃあこれやってってことで、曲を選んだんです。
——今回選ばれた楽曲はどういうふうにして選ばれたんでしょうか。
柳原 : どうしたかな~。まず、ストリングスが映えそうな曲ってことでしょうかね。それと、しっとりした曲が基本的に中心になるだろうな~って思って、だったらラヴ・ソングかなって。でも、そればっかりじゃどうもさびしいかもしれないなと思って、ちょっとだけ賑やかな歌を入れて。水谷のアレンジってどちらかって言うと、印象派のモネの絵みたいな感じがするんですよね。グラデーションで、夕暮れになると、例えばオレンジが強くなっていったりとか、朝になると黄色が強くなってたりだとか、そういう色彩感とかそういうものをずらーっと妙なコードで表していくので。やっぱり、僕のしっとりした曲の方が合うんだろうなっていう予感の元に選びました。
今はね、ラヴ・ソングかもしれないね
——オルケスタ・リブレは、芳垣さんが三文オペラとか、ディープパープルの曲とかを、自分たちの解釈で伝えていきたいって仰っていて、それを水谷さんにお話したところ「僕は多分逆で、もっと個人的な方に向かっているかも」とおっしゃっていました。そこで、柳原さんは歌に対するスタンスがどういうところに向かっているのかなというのをお聞きしたいんですが。
柳原 : 僕の歌ですか。それは深い所に来ましたね…。今はね、ラヴ・ソングかもしれないね。惜しげもなく、あなたがここにいて欲しいんです、っていうような、結局はそういう歌かもしれない。ひとりぼっちは嫌です、堪忍して下さい、っていう。孤独死は嫌だ、誰かに居て欲しいな、そばに、っていう歌ですね。そういうのは一番避けてきたんですけどね、今まで。
——避けていたテーマがメインに来たのはなぜなんですか?
柳原 : もう、それしか歌えないと思ったから。響きが良ければ何でもいいって昔は思っていたんですけどね。でもそれも違うかなって思ってきたし、人を好きになって愛したり、愛し続けたりって事をテーマにせざるを得ない年齢に差し掛かっているというか、そういう社会に差し掛かっているというか。僕じゃなくてあなたについて歌いたいというか、そんな感じですかね。それは予想外だったんですけどね。
——自分でも想像しえなかったことだったんですね。
柳原 : そこにしか心が引っかかってこなくなっちゃって。
——なにかそういう、具体的な出来事があったんですか?
柳原 : いや~、人助けは無理だけど、音楽で人を楽しませることはしたいですっていうような感じに至ったのかな。だから、もう、自分が何を歌っていようが、水谷が例えばアレンジをしてくれたり、芳垣さんがいろんな難しいお題を出してきたりしても、最終的にそれが人を喜ばせるとか、人をほっとさせるとか、人に何かを考えて頂くきっかけになるのならば、もう喜んでやります、と。そういう感じにたどり着いてますけどね、今。

——ちなみに、現在ソロアルバムを制作中ということですが、その作品はどういうものになりそうですか?
柳原 : この2年地震があったりだとか、原発が大変だってなって、心が本当に揺さぶられちゃったんですよ、自分のね。そういう状況下で作った曲を収録する予定です。人の命のこととか、はじめてものごとには限りがあるっていうことを考えましたよね。実は安定なんてしていなくて、すべてすっとんでしまうような出来事も起こるんだなって思って。何を信じればいいんだろうと思ったんだけど、信じられるものがどうやらないぞっていうようなことを考えた結末と言うか、この変わってしまった日常を歌にしたんだと思います。そしてなにより、吐き出すことが一番大事。吐き出せることが。そして、それで遊んでもらうことが一番大事だということもわかりました。だから、空っぽでもいいから、吐き出した方がいいんだよね。くだらないことでも、寂しいよーでもいいし。なんかそういうことが、この2年で分かりましたっていうようなアルバムになるかと思います。
——じゃあ、柳原さんの中にあるものを吐き出したじゃないですけど、表に出したと。
柳原 : 表に出したというか、今回のアルバムの曲は俺が作ったんじゃないと思ってるの。苦しんでいる方達、困っている方達、果敢に東北に行っていろんな事をやってらっしゃる方達の姿だとかから、作らせていただいたというか。自己表現をしようなんていう事はまるっきり考えなかったですね。今回はね。かっこいい言葉で歌いたいだとか、そういうのもなくて、困っている人たちに対してどういう歌を作れるんだろうっていう。それが一つのテーマみたいな感じで作りました。
——今までに色んな方のライヴを見ていますが、柳原さんは普通の歌い手のようで、どこにもいない歌い手だと思っています。
柳原 : おいしい漬け物みたいな?(笑)
——(笑)。変な意味ではなくて、声にすごい特徴がある訳ではないじゃないですか。それなのに、柳原さんにしかない声、雰囲気っていうのがすごくあって。そういう人って男性のシンガーではあまりいないんじゃないかなと思って。
柳原 : そうかもしれないですね。一時期ね、やめたんですよ、声系の勝負を。もう大げさな表現テクニックを歌に持ちこまないことにしたんです。ビブラートをかけたり、ちょっと声を裏返しにして歌ったりだとか。大げさなことはもう絶対にしたくないって言うのはすごく痛烈にあって。それは2000年代ずっと通してきたんです。けど最近は、もっと適当でいいのかなって思うようになって。感動したらちょっとビブラートかけてもいいのかなとか、最近少し解禁しているんです。ちょっと調子に乗っています。多分ね、なんか、死ぬ前にちょっとかっこつけようかな、みたいな感じかな(笑)。
音楽と仲が良くなっただけだと思うのね、自分の言葉が
——(笑)。あと、柳原さんは、ライヴで歌う前に、MCで曲のガイドをされるじゃないですか。
柳原 : 恥ずかしい!
——でも、あれがあることで、すっと近くなる。
柳原 : あれはね、やっぱり、外タレがヒット曲を持ってきて歌うわけじゃないので、それはもう懇切丁寧に曲の紹介をして、どうぞお聞きくださいっていう。なんか、やっぱり、どこかで言葉を信じているところがあって。歌詞とかね。本当は、バンドとか始めたときは逆だったんですよ。言葉が嫌いで。歌詞を決めて、毎回同じ言葉を歌うってことは責め苦のようで。それでつまんない歌詞だね、なんて言われた日には、ちょっと勘弁してくださいみたいな。
——毎回同じ決まった言葉を歌うことが窮屈だったんですか。
柳原 : 抽象的な詞、適当な詞や言葉遊びみたいなものが、なんで日本にはないんだろうとずっと思っていて。歌を始めた頃は、できるならば、「れろれろ」とか「あへあへ」とか、そういう言葉だけで歌いたいくらいでした。「牛~」とか「馬~」とか。本当は、アヴァンギャルドなことをやってる当時の人たちが、好きだったんですけどね。phewさんとか。だけど、どうもぼくの周りには、その文化があまりなかった。だからニューウェーヴ挫折組で、弾き語りの方に行ったんです。そうそう、ニューウェーヴ挫折組です、僕は(笑)。

——さっき仰っていた言葉を信じてるっていう気持ちは、実は当時からあったけど、そこに反発していたというか…。
柳原 : やっぱり反発だと思いますね。そのときには大先輩がいっぱいいたじゃないですか。フォークの先輩とか、詩人の人とか。ボブ・ディランみたいな人もいれば、ジョン・レノンみたいな人もいて。そこで、20だか22、3のガキが偉そうなこと歌ったって、ショボいじゃないですか。下手したら本当に女の子と付き合ったのかぐらいの歳じゃないですか。そういう人が「お前がここにいて欲しい」なんて歌ってもさあ。だから、いかにそういう文脈とか、ぐっとくる文脈みたいなものから離れて歌うかばかり考えてましたから。今は逆に、そういう抽象詞っていうのは、若い子とか僕らの下の世代が凄く上手になってきている。だから、僕は逆に小さなドラマみたいなものを求めていますけどね、最近は。結局、歌詞なんですよね。僕の場合やっぱり、最終的には何を歌っているか、どういう内容の歌とか、どういう言葉で歌っているかっていうのが、一番肝心なことみたいですね。
——今は愛をテーマにしたことを歌っても、説得力が出てきたとご自身でも思えるようになってきたということですか。
柳原 : いやいやいや、説得力はね、そんなにないと思うんだ。ただ、音楽と仲が良くなっただけだと思うのね、自分の言葉が。多分、音楽と仲良くなる言葉とか、歌い方とか、口の開き方とかそういう事が最近はなんかできてきたんだと思います。だから、そういう技術が長い経験でちょっとだけわかってきたから、やっと素直に自分の気持ちを歌にしようっていうふうに思えているんじゃないでしょうかね。
——音楽と仲良くなったっていうのは、印象的な言葉なんですが、つまり音楽は友達としては気難しい奴って感じなんですか?
柳原 : 俺が気難しかったんだね、多分。どうしても解せない時代のモードってあるわけ。こんな音楽もやんなきゃだめなのかなとか。そういうのがなくなったのかな。素直にやっていればやっているほど、声をかけてくれる人が多くなったっていうか。多分一番自分の得意としているところに、ようやくまた帰ってきたんじゃないかなとは思いますけどね。
——音楽が時代と寝ちゃう感じっていうんですかね。こういうのが若者に好まれるからってところで音楽の流行が変わっていくことに対して、複雑な気持ちもあったのかなって。
柳原 : そうね、やっぱり了見がね、まだ狭いからさ、この国は。ほら、やっぱりいいものは残っていって欲しいじゃないですか。でも建て替わっていくんですよ、音楽もきっと。それがちょっと切ないですよね。やっぱり、自分にこだわって、自分の出す音や言葉にこだわってこだわり続けた人が最終的にはハッピーエンドになって欲しいと僕は思うんですけどね。
やっぱり音楽マゾなんでしょうね
——先ほど水谷さんに話を聞いたら、アレンジはメンバーに宝の地図を渡しているようなものだって比喩を使われたんですね。宝探しをするのは一緒なんですけど、その道筋は全員違うって。別々の地図を見ながら、形作っていくものだって仰っていて。
柳原 : たまにね、一緒の地図書けよって思うときもありますよ(笑)。彼のアレンジを歌うときにどこに辿り着くんだろうって思うときがあって。例えば、普通だったらコードってありますよね、CとかGとかFとか。それが分かりやすくなってる曲が、そんなにないから。今回は僕も楽器を弾いていないので、今自分がこの音を出しているんだけどそれは正しいのだろうか、みたいな、そういう恐怖もありつつね。でもなんかゴールに行ったら合ってるから、あ、俺の出してる音は間違いはなかったって。歌っているときは実はね、船が真っ暗な闇の中を進んでいるような状況なんですよ。
——その中で歌うのって、心境としてはなかなか苦労しますよね。
柳原 : マゾです、マゾ。やっぱり音楽マゾなんでしょうね。だから、芳垣さんとかとやっていてもそうだけど、自分にとって新しい体験っていうのは、本当に嬉しいのかもしれないですね。まあ、ヘヴィメタの仕事したことはないから分からないけど、でも、そういう感じ(笑)。いたぶられればいたぶられる程結構面白いっていうか、音楽に関してはね。

——柳原さんの歌は、ただハッピーなだけではないし、良いことだけではなくて、物淋しさみたいなものも感じるんです、それをそれとしてそのまま出してくれるっていうところが僕はすごく好きです。
柳原 : でも日本で売れるためには本当はいけないんだって、そういうの(笑)。。毒か薬かははっきりさせた方がいいって言われたことがあって。でも俺、毒と薬、両方混ぜたいのよね、歌に。ハッピーな歌はハッピーに、毒の歌は毒だけの方が良いって言うんだけど、毒飲んでて、ちょっとラリッちゃったりして気持ちよくなったりとか、なんかそういうこともあるしね。お祭りでハッピーハッピーしてても、このお祭り、明日には終わるかもしれないなって、祭りの終わりを予感しているような自分もいるし。それはもう、好きな人だけに聞いていただければって言うしかないですけど。
——僕はもっと多くの人に届くべき普遍的な歌だと思っています。またお話を聞くの楽しみにしています。ありがとうございました。
PROFILE
柳原陽一郎
'84年“たま”を結成し、'90年『さよなら人類 / らんちう』でメジャー・デビュー。その個性的な存在感と楽曲で世間の注目を浴びる。95年初のソロ・アルバム『ドライブ・スルー・アメリカ』を発表し、ソロ活動を開始。以降、人間の日々雑感を平たい目線で捉える歌作りとライヴを活動の主軸とし、ジャンルを問わないセッション、本人だけによる弾き語りライヴを現在まで継続中。人の心の機微をファンタジーや言葉遊びに仮託した歌詞世界は特にユニークで、おおらかでペーソス漂うボーカルとともに、各方面より賞賛されている。最新アルバム『DREAMER'S HIGH』。