ぼくらの文楽×ボロフェスタ
山形で今年からスタートするD.I.Y.フェスティバル、ぼくらの文楽。総合文化フェスティバルと名付けられているように、単なる音楽のイベントではなく、音楽と講義を柱にした新しいフェスティバルである。主催者は、同じく山形で行われた狂喜乱舞のイベントDO ITの主催者であり、バンドSHIFTのメンバーでもある、船山裕紀。一方、今年で10周年を迎える京都の音楽フェスティバル、ボロフェスタ。西部講堂で始まったD.I.Y.なフェスティバルは、多くのフォロワーを生み出し、今あるD.I.Y.フェスの雛形にもなっている。ototoyのチーフ・プロデューサーであり、Limited Express (has gone?)のメンバーでもある飯田仁一郎は、4人いる主催者のうちの一人であり、精力的にボロフェスタを引っ張っているリーダーでもある。
今回は、そんな2人を迎えて「D.I.Yフェスのつくりかた」というテーマで対談を行った。これは、ぼくらの文楽でも行われるトークショーの前哨戦であるのだが、実に内容の詰まった対談になっている。これから自分でフェスをやってみたいと思っている人は、必ず読んでほしい。フェスティバルを開くにあたって一番大切なものを、これを読みながらあなたなりに考えてみてほしい。
進行&文 : 西澤裕郎
古代の丘縄文村で行われる『ぼくらの文楽』へ、2組4名様をご招待! 詳細はページ下部のイベント詳細にて!
“REST”できる場所が大事だと思ったんです(船山)
——近年、音楽フェスが増えていますが、単にイベントが大きくなっただけじゃない?ってものも多いような気がします。フェスティバルって、本来はお祭りで、非日常的な空間だと思うんですけど、その境目が曖昧になっている。まずは、それぞれが音楽フェスティバルを、どういうものとして捉えているかをお聞きしたいのですが。
飯田仁一郎(以下、飯田) : 転換の間にお酒を飲むだけじゃなくて、色んなところで色んな音が鳴っていることなど、非現実に盛り上がっていくことかな。
船山裕紀(以下、船山) : そうですね。一色じゃなくて、普段だったら交わらないような4、5色のものが交わって、グルーヴを出していくのがフェスなのかなって思っています。ぼくらの文楽は、60歳とか70歳くらいの地域の人もいるし、カフェをやっている人間とか、DO ITとかをやっていた人間なんかもいる。普段交わることない人たちが交わるから、これはイベントではなくフェスティバルなのかなって思っています。
——なるほど。音楽以外の要素とも交わっていくということですね。
飯田 : そもそも大前提として、ぼくらの文楽の根本的なものを知りたいんですけど、コンセプトってありますか?
船山 : “REST”ですね。
飯田 : “REST”!!お休みですか?
船山 : そうです。
飯田 : 真逆なDO ITをやっていた人間が、なぜ“REST”なんでしょう?
船山 : 今回は、自分の環境の変化から始まっているんです。結婚して、子どもが出来て、新しく生まれたコミュニティがあるわけですよね。親戚もそうだし、子持ちのお母さんもそうだし。そのネットワークってすごい大きくて、彼らを自分の主催するフェスに呼ぶにはどうしたらいいのかって考えたら、それはDO ITではなかったんですよ。いま11ヶ月の娘を、DO ITに入れようとは思えなくて、自分の娘が来れるフェスってなんだろうって考えたら、“REST”できる場所が大事だと思ったんです。もちろん、ただ“REST”するだけじゃ意味がないと思っています。これに関しては、すごく否定的な意見もあるんですけど、僕は原発を止められないんですよ。でも、僕がディレクションした講義を聞いた子どもは止められるんですよ。そういうのを根ざしていきたい。当日、僕と飯田さんがD.I.Yフェスの作り方を話すことによって、それを聞いた人がフェスティバルを作る、それが大事なのかなって思っています。子どもに何かを感じてもらって、家に持ち帰ってほしい。そいつらが大人になったときに、僕らでは止められなかったことが止められたり、もう出来なかったことが出来たりするのがおもしろいな、と思い始めたんですよ。
飯田 : Limited Express (has gone?)に関しても、子どもが出来るっていう環境の変化があったから、よく分かります。YUKARIちゃんと、このままでは音楽業界ダメになるみたいな話はしていたりしました。子どもを産んだ大人が来れないのはよくないよねって。ライヴハウスにはもっと休憩スペースを作るべきだとか、楽屋に子供部屋を解放するべきだとか、そういう話をしていた。でも、船山君はだいぶ先を行ったね。
船山 : 自分に子どもが出来て、ライヴハウスに連れて行こうと思ったら、タバコがモクモクしていて連れて行けないですよね。僕の中では、タバコの煙は放射能と変わんないんですよ。自分の娘は雨に当てるのも日光に当てるのもいやだし、そんなの当たり前のことなので、DO ITみたいな環境には連れていけないですよね。正直、環境は悪かったですから。でも僕らも若かったし、当時はあれがよかったんですよ。DO ITをやろうって話もあるんですけど、それはそれで、これはこれ。自分の娘にも音楽を聞かせたいし、フェスティバルに連れていきたいんですよ。だっておもしろいじゃないですか。それはフジロックでもDO ITでもない。だったら新しいものを作ったほうがいいんじゃないかって思ったんです。
飯田 : すごい。ボロフェスタの場合は、フジロックが始まったときに、めっちゃでかくてかっこいいと思う反面、何か違うんじゃねえの、そこに対して何かできるんじゃないの、ってところから始まった。でも、ぼくらの文楽の発想って、関西でボロフェスタ、東京でローライフがあるから、山形でもそれをやろうってのとは違うじゃないですか。新しい発想だと思うし、全国を見てもない気がする。
船山 : ブッキングをするときから、徹底的にこのアーティストを呼びましょう、ダメです、っていうのを繰り返したんです。それは子どもには聞かせたくない、じゃあダメだって。今回はルールの中でやってみようって思ったんですね。だから10年かかっても、20年かかってもいいから、絶対辞めないって考えてます。もちろん初めてやることだから、ばらけている部分もあるけど、とにかくルールを作ってやろうと。僕の中で最近おもしろいのが、そこなんですよ。何をやるにもフリーダムじゃなくて、ルールを作る。
飯田 : フリーダムなDO ITをやってらっしゃるのに(笑)。
船山 : そうなんですけど(笑)。今の流行はルール作り。右手を使っちゃダメみたいなルールがあるほうが絶対におもしろいんですよ。
ボロフェスタが、震災にどうコミットするかっていうのがテーマ(飯田)
飯田 : 具体的にブッキングはどうやって進めたの?
船山 : 僕が着目したのは、NHKですね。自分の子には絶対テレビを見せないと思っていたんですけど、ピタゴラスイッチに走っていくんですよ。それ、生で聞かせたくないですか?栗コーダーカルテットのリコーダーの方がピタゴラスイッチのメロディを吹いているんですよ。総合文化フェスティバルって僕らは呼んでいて、音楽も聞けるし、大人も楽しいんですよ。そして、授業も聞ける。子どもだけじゃなく大人にも何か伝わるものを持って帰ってほしい。
飯田 : ちょうど1年前くらいに船山君から電話があったよね。あのとき、新しいことをしたいんだけどって感じで話していたよね。そのときから、ぼくらの文楽のコンセプトは考えていたんですか?
船山 : 考えていましたね。僕がやりたかったのは、音楽と講義をくっ付けたもので、実際に2010年の5月に山形で「昆虫」っていうイベントをやったんです。蔵を借りて、今回も出る生物学の山崎裕先生を呼んで、昆虫の話をしてもらったんです。アーティストには昆虫の新曲を書いてもらって、芸大生は昆虫しばりで造形物を作ってくれっていって、昆虫だけの空間を作ったんですよ。昆虫のクッキーを出したり…。
飯田 : 昆虫のクッキーって何?!
船山 : 蟻が歩いているような模様のクッキーですね(笑)。そういう縛りをつくったんですよ。そしたらめちゃめちゃ人が入るし、おもしろい。みんな目が爛々していて、誰も飽きていないんですよ。沖縄から蝶々が飛んできて、山形で発見されたみたいな話を全員が目を輝かせて聞いているんですよ。そんなイベント、ないじゃないですか。
飯田 : ないし、すごい空間だね!
船山 : すごいでしょ。音楽と講義っていうのは、めちゃめちゃおもしろいと自分でも思っていて、専門家の人と会う機会ってなかなかないじゃないですか。専門家の話を聞けて、音楽もあったら、そんな最高なことないなと思って。そこから、講義と音楽は柱になりましたね。それで、どうやってフェスを作るかって思っている間に子どもが生まれて、“REST”だってすぐに思えたんです。
——京都でボロフェスタを10年やってきた先輩として、船山さんの考えを聞いてどのように感じましたか。
飯田 : 感銘を受けたなあ。音楽はある程度消費されてしまったし、フェスもある程度考えつくされた。その中で船山くんがやろうとしていることは、当たり前のように思っていた“REST”観とか講義を結びつけるってことで、まさに新世代だなって思った。ボロフェスタの発想は、ぶっちゃけ新しいものを取り入れるっていうよりも、今の状況を継続させつつ、今できることをやる。関西は、原発に対するイベントとかが少ない印象があるから、今年のテーマとしてソウルフラワーユニオンとか、中川敬さんに紹介してもらったかまぼこ屋さんを呼んでトークをしてもらうとか、どれだけ震災と結びつけられるかがある。震災と結びつけるってことは関西ではリアリティがあって、そのリアリティにボロフェスタがどうコミットするかっていうのがテーマとしてあるかな。
船山 : おもしろいですよね。僕らは震災色を出さないんですよ。それが震災後のメインテーマで、正直募金箱もいらないくらいのレベルで考えている。一方では震災が報道されていないがために震災色を出そうとしていて、こっちは報道されすぎていて、メンタルがおかしくなるからその現実を受け入れたくない。
飯田 : まさに、その距離感はテーマだと思うな。
船山 : 絶対にそうだと思いますよ。東京よりも西のほうは、それがテーマじゃないとおかしいと思うし。
飯田 : 東京の人たちは、当たり前のように原発について考えていて、フェスとかでも専門家の人を呼んでトークショーとかを開いている。でも関西に行くとあんまりやっていなくて、しかも飯田さん呼んで下さいよって言われる。みんな知りたがっているけど、知る機会がないんだと思ったんです。
船山 : そんなに温度差あるんですか?
飯田 : だから、今年は渋さ知らズとか、ソウルフラワーユニオンとかをどうしてもよびたかった。今年のブッキングのテーマは、震災後に動けたバンドをよびたいと思ったんです。
船山 : それ、おもしろいですね。僕らは震災色を極力抑えようって言っていて。石巻とか南相馬の人がチケットを結構買ってくれているんで、そういう人達が来て、震災やばかったなんて言いたくないですよね。お前らの街やばいぞとか言いたくない。NPO団体とかがブース出させてくれって言ってきたけど、全部断りました。写真飾らせてくれ、訴えさせてくれって問い合わせがあって、そんなの僕らも分かっているけど、僕らのフェスはそういうのを呼びかける場所じゃないんでって言って断った。本当に申し訳ないと思っているんですけど、そこはちゃんとメリハリをつけないと誰も休憩できなくなってしまう。こっちに来ても地震だとか、放射能だとかって思わせたくないんですよね。
飯田 : すばらしい。ちょうど東京が真ん中なんだろうね。実は一番自然体で付き合っているのかもしれない。半分くらいリアルに感じていて。
船山 : ちゃんと感性で動いていますよね。その受け方が当たり前だと思いますよ。
地域の人たちを巻き込んだ根付き方を最初から出来ている(船山)
——正直言うと、音楽フェスが増えすぎていて僕は食傷気味なんです。あまり代わり映えがしないというか、どのアーティストを呼んでどう見せるかみたいなところに終始しちゃうと、単にイベントがおっきくなっただけとしか思えない。フェスに関してだけじゃなく、音楽業界全体に言えることなんですけど、音楽だけを売っていくじゃダメだと思うんです。もっと、土台の部分から変えていかないと盛り上がらないし、若い人は音楽を消費するだけになってしまう。その点、僕らの文楽は音楽だけでなく、基本理念を持っていて、それを伝えようとしているのが素晴らしいと思います。そして、今の時代に合っている。ボロフェスタは、10年前に始まったから、全然状況は違うと思うんですけど、時代が変わるにつれ、理念みたいなものに変化はありましたか?
飯田 : 3年前くらいに、何で続けるんだろうってことを真剣に話し合うときがあって、その時僕はおっきいことを掲げたんだけど、みんなから出たのは「飯田くん、それは分かるけど、音楽の未来とか僕らはもう言いたくない」ってことだった。ものすごいシンプルだけど、飯田がいて、ゆーきゃんがいて、モグラがいて、今まで一緒にやってきてくれたスタッフがいて、そいつらのためにやりたいんだって風潮になって、僕もボロフェスタをやる上でつっぱるのはやめようと思ったんです。今年で10年だけど、やっぱり戻ってこれる空間を作りたいっていうのが、今のメインのテーマかもしれない。もちろん、みんなテーマは違うんだろうけど。だから、10年前にスタッフした人が子どもを連れて戻って来れるとか、5年後に出会う人が今年初めてボロフェスタに遊びに来てくれるとか、そういうのを目指してます。京都って学生の街で、あっという間に人が出て行く街なんです。それでも、1年に1回ボロフェスタがあるから戻ってこようとか、そういう場所にしたいんですよ。それがボロフェスタを今続けている1番の原動力かもしれない。
——ボロフェスタが素晴らしいと思うのは、種を蒔いていることだと思うんです。ボランティアスタッフの人たちが、学校を卒業してから、音楽業界に入って仕事をしたり、レーベルを作ったり、自分でイベントを開いたりしている。音楽を支える人たちを育てる種を蒔いて、ちゃんと芽が出ているのが本当に素晴らしい。京都は、学生の街で学生さんが協力しやすいのは分かるのですが、山形ではどういった人たちが主に関わっているんですか。
船山 : そもそも運営局が、西根地区公民館にあるんですよ。そこの館長さんたちが電話をとって応対してくれているんです。そういうところから地域の人たちが関わってくれている。この間も、会場でバーベキューをやって、地域の人達が日本酒を持ってきてくれて乾杯したんですけど、「俺この間熊取ったぞ」「マジっすか、じゃあ熊出ても大丈夫ですね」って話をしたり、そういう根付き方を今回最初から出来ている。場所が市の持ち物なので、行政関係とも観光協会の人ともちゃんと付き合っています。西根地区に1000戸あったお家が、独り身になって亡くなったりして、900戸くらいに減っちゃったんですよ。どんどんそこの人が減っているし、休耕田も増えている。今年は出来なかったけど、休耕田を使ってオフィシャル野菜を作ろうと思うんです。今年、ぼくらの文楽にやってきたお客さんが種を蒔いて、地域の人が管理して、その次の年に来たお客さんがオフィシャルの野菜を食べる。それを地域でやってくれるっていうんですよ。そんな素晴らしいことないですよ。田舎なんで、そこは京都とは全然違って、何百年住んでいる人達、自分たちの土地を守ってきた人たちと関わらなきゃいけない。
飯田 : そうした考えは、下の世代には受け入れらているんですか?
船山 : どうですかね。そもそも長井市が山際なんですよ。だからこそ、1年に1店舗ずつ周りに休憩所作っていきましょうとか、“REST”スペースを作りましょうって感じで長期的に考えています。ぼくらの文楽を行う公園は本当に素晴らしくて、僕の中では日本に誇れるような公園だから、もっと遊びにきてほしい。釣りをしたり、竪穴式住居もあって土器も見れる。でも若い人は来ないし、ある事も知らない。何でそうなったのかって考えたら、“REST”するスペースがないからなんですよ。売店もなければ、コーヒーも飲めない。あるのは自販機1個だけ。これじゃあダメだって言ったら、地域の人達も盛り上がったんです。でも、具体的にどうしていいかわからないみたいだったので、僕らがやろうって。だって場所がおもしろいんですもん。西部講堂でやれたら西部講堂のほうがいいですよね?場所がいいってのをわかってくれて、それが毎年定着して、ぼくらの文楽はフェスティバルだけど、うまく根付いてくれればいいですよね。
あいつと一生会えないかもしれないなって思うと、続けようって思う(飯田)
——根付かせていくってのは、すごく重要なことですよね。地方で音楽フェスを立ち上げた友だちがいるんですけど、いずれは地元にいる人たちだけで回してほしいって頑張っているんですね。ただ、関わっているのが学生さんたちなので、なかなか当人がいないと回らないみたいで、今も目標に向けて奮闘しているんですよね。その点は、最初から地域に住んでいる方だったり、年配の方も関わっているから、根付けば本当に強固なっものになりそうですよね。
船山 : 先人と知恵は大事にしなきゃいけないですよね。そこにうまく暮らしてきた人たちがいるわけなんで、それを継承して僕らの考え方を当てはめて、うまく巻き込んでいければなって思うんですよ。それでバトルすることも何回もあるんですけどね。
飯田 : 音楽にどっぷりの人じゃなく、一般の方だったりお国の方とやっていくのは本当に難しいよね。
船山 : 地域の人たちは、音楽フェスって言っても何かわからないじゃないですか。北島三郎のほうがいいって言われたこともあるし(笑)。そこは何回もバトルしたけど、何回かお酒飲んだりすると分かってくれるんですよ。そうすると長井から出て行った若者が、俺らのために何かしてくれてるんだってなるんですよ。音楽フェスじゃなくて、あいつを応援しようになるんです。あいつらが困っているからテントを貸してやろうぜとか。僕はいずれ長井市主催とか、地域主催になってくれればいいと思っているんですけど、そうやってうまくやっていければいいですよね。
——10年続けてきた飯田さんから、続けていく秘訣みたいなものがあれば教えてもらえますか。
飯田 : 続けたいと思うかどうかだと思うな。さっき言ったようなちっちゃい理由でもよくて、みんなと遊びたいでもいいと思う。僕はどんなプロジェクトでも続けるべきだと思っていて、Limited Express (has gone?)を解散した時本当につらかったんですよ。もちろんなくなってからのスタートもあるんですけど、友だちとかとの関係って、社会に出て行く中でどんどんなくなっていくから、それなら続けたほうがいいと思う。音楽って感情の物語じゃないですか。だから人との出会いとかと一緒なんですよね。ボロフェスタがなくなったら、あいつと一生会えないかもしれないなって思うと、続けようって思う。そこに対して、そう思うやつがちゃんと引っ張っていくのは必要。今年、ロボピッチャーの加藤くんが色々あって抜けてしまったけど、他の奴らがそれでも続けよう! と思ったから続いたんだよね。エンジンみたいなやつがいて、そいつがちゃんと続けるかどうかやと思う。
船山 : 絶対そうですよ。
飯田 : いろんな人がいるけど、エンジンになるやつって絶対にいて、フジロックは日高さんがいるから続くわけで、日高さんがいなかったら、あんだけ大きいフェスでもなくなる可能性はあると思う。そのエンジンの人がどう考えて、何のためにやるかってのを常に意識として持ちつつ、続けることで見えてくる外側の人たちの繋がりかな。今まで来てくれたお客さんとか、ボロフェスタで泣いてくれた人とか、スタッフの人とか、そういう人達のことを考えられるかどうかな気がするな。秘訣ってわけじゃないけど、続けたほうがいいよって思う。終わると思ったより簡単に終わるんですよ。
船山 : 終わりますね。
飯田 : 歴史になって思い出してもらえるなんて20年後の話。毎年やることが自分たちの証明にもなる。ボロフェスタという集合体があって、Limited Express (has gone?)がいて、ゆーきゃんもいて、スタッフもいて、みんなで作るんだって。すごい尊敬している春一番ってフェスがあって、ぼくらの文楽とボロフェスタの間くらいの雰囲気なんです。基本はブルースとかロックの人達で、何十年も続いているフェスなんですけど、一瞬でSOLD OUTしてしまう。若い人達は1割くらいしかいないんだけど、上の世代の人達が、昼間から酒を飲んでどへーっとなってて、ミュージシャンが出てきても、久しぶりやなーみたいな声がどっかから飛んでくる。あそこまでユルい感じにボロフェスタがなる必要はないと思っているんだけど、ちょっとうるさい感じでずっといけたらいいな。くるりがぼくらの文楽とちょっと似ていることをやっていて、基本はアコースティックで、でっかいところを借りてゆるい雰囲気でやる。彼らのやっている音博も素晴らしいですよね。
——それこそ、石川さゆりさんとか演歌の方とかも出ますもんね。
飯田 : ぼくらの文楽に、若い子が来たら本当に成功だと思う。こういうゆるい雰囲気だけど、ここに行っておかないとちょっとヤバイんじゃないのとか、そうなったらすごいと思う。若い大学生が「昨日ぼくらの文楽行ってきてさ」とか言うようになったらすごい。それは船山くんがDO ITをやったときの、あの狂乱ですよ。あの狂乱的で刺激的な事をやった人が、完全に落ち着くってことにはならんと思うから、その要素がどう加わってくるのかが楽しみ。そうなったときに山形の若い子たちがどーっと来るかな。楽しみな感じがする。
船山 : 長いスパンで考えているので、そうなったらいいですね。
「自分の街を自分でやりやすいように変えたらいい」って言葉を継承しているんです(船山)
——ぼくらの文楽って、盆踊りとか地区のお祭りに近いなって思うんです。年配の方も若い人もいて、音楽を聴きにくるだけじゃない。自分の地元のお祭りを思い出してみたら、焼きそばを食べたり、アマチュアのロックバンドが演奏していたり、カラオケ大会とかも普通に行われていたんですよね。それに近いなあって感じました。
飯田 : 盆踊りとか街のお祭みたいなものって、たしかに音楽とかけ離れているから、これが成功したら僕らみたいなミュージシャンが当たり前のよう出れるようになるかもしれないよね。
船山 : そうなるかもしれないですよね。
飯田 : 海外とかはそうなんだよね。街のお祭りっていったらバンドが絶対いて、おっちゃんのロックバンドが出てる。ぼくらの文楽には、それになってほしい!ボロフェスタは刺激的すぎて、それになれないんですよ。うるさすぎる。海外のお祭りってそうだもん。当たり前のようにロックが流れていて、ホットドッグとかの屋台が出て、街のじーちゃん、ばーちゃんとかも来ている。そうなればすごいことだね。
船山 : だから、テンプレートを新しく作ってあげるみたいなイメージかもしれないですね。こんな若者にも出来るんだったら、俺らにもできるぜみたいな。面白かったのが、最寄り駅の羽前成田駅ってのがあるんですけど、大正時代に出来た駅でものすごく古くて、地域の人達がリノベーションして何とかそのまま残したいって言って、古い木材とか使って頑張っているんですよ。沿線で駅ごとに頑張っている人たちの集まりで、「今ってインターネット使わないとダメなのかしら?」って聞いてくるんですよ。今まで通り告知しているんだけど人が来ないって、50代くらいのお母さんが言ってらして、インターネット使わなきゃダメって言ったら、そうなのーって(笑)。それ面白いですよね。だって面白いことやっているんですもん。例えば、田圃アートをやっていたり。
飯田 : 田んぼアート?
船山 : 田んぼを上から見ると絵になっている(笑)。見てもらいたいからやっているわけじゃないですか。地域の人だけが見るでもいいんだけど、別の地区や県からも来てくれたらそのほうがいい。でも、その告知方法がわからないんですよね。昔は口コミで県外からも来てくれていたんですよ。それがケータイやインターネットが出来て紙を読まなくなってしまった。おじいちゃんおばあちゃんはネットが出来ない人も多いんですよ。そこはこっちがちゃんとアテンドしてあげないとダメなのかなって思って。だからこういうテンプレートが出来て、地域にちゃんと根付いていて、別のところでやっている人達にはこういう告知方法がありますよとアテンドしてあげたら県ごと盛り上がるんですよ。
飯田 : 話を聞いていると、船山くんの中では山形を盛り上げたいってのが一番なんだね。
船山 : もちろん。飯田さんは覚えているかわからないけど、SHIFTが一番始めに京都にツアーに行ったとき、打ち上げで「僕らそういうシーンないんですよ」ってことを言ったら、「自分の街をそうしたらいい」って飯田さんが話してくれたんです。自分のやりやすいように自分で変えたらいいって。だから僕はそれを継承しているんですよ。今でも後輩のバンドが客入らないんですよって困っていたりすると、お客さんがわかんないと思うんだったら、お前がわからせなきゃダメだよみたいなことを言う。自分が住みやすい町に自分でしたらいいって。
飯田 : まさに僕がototoyがやっているのは、音楽が売れなくなってきたときに、自分たちが売りたい音楽を売れるサイトを作るってことなんだよね。
船山 : 自分の好きなバンドが売れたらいいですもんね。飯田さんはそう考えているんだと思って、そうなってほしいなって思ってます。SHIFTもそうで、自分たちでやりやすい環境を作って、自分らがトリをつとめられるフェスを作ればいいんじゃないかって。自分らはフジロックとかにも出れないし、だったら自分たちでフェスを作ればいいじゃないですか。ちゃんと継承しているんですよ。
飯田 : そういうことは言い続けていますからね。だから今回もD.I.Y.ということをテーマにしているんですよ。
人の大事さが分かっているから継続に繋がっていく(飯田)
——これからフェスをやりたい人が、もっとも大切にするべきものは何でしょう。
船山 : 思い次第な気はするんですけど、それは行動力のある人の話ですからね。
飯田 : プロジェクトってチームだと思うんですよ。そこかな。結局ボロフェスタはコアの4人と他のスタッフがいないと出来ないし、そいつらがいることがモチベーションなんだよね。そいつらにいいとこ見せたいとか、そいつらのために何かやりたいとか。Limited Express (has gone?)もそうだし、ototoyもそうだし、こいつらを食わしてやりたいから絶対に成功しなきゃいけないとか、その気持ちが大事かなって。何かを始めるときに隣の人に声をかけるみたいな、一緒にやらないかってのは大事だと思う。その人を間違わなければ、すごい未来があるかなって思う。ゆーきゃんがいたからボロフェスタは始まったし、一人だったら無理だったと思う。
船山 : 協力者を募るってとこから始めたほうがいいと思う。その共通理念、共通意識を持てる協力者を一人でもみつければいけそうな気がしますね。
——船山さんの協力者ってどういう人たちだったんですか。
船山 : DO ITから始まっているから、共通意識を持てる人がいっぱいいたんです。あと今回は全然別口で関わりたい人がいて、サイトウケイスケ君が講義のブッキングをしてくれたんですよ。でもケイちゃんは、当日は東京で個展があって来れないから、6月に別の人にシフトしたんですよね。それが、今講義ブースを取り仕切っている吉田勝信君で、こいつがめっぽうおもしろい。あいつ多分山形を背負うっすね。
(一同笑)
船山 : 23歳でカフェとかデザインをしていて、人を仕切るのうまいし、企画力もある。何より地域を大事にする。彼と出会えたのがここまで持ってこれた大きな理由かな。あとTHISTIME RECORDSの深水さんも制作で関わってくれている。深水さん、僕、吉田君の3本柱に、地域の人とか何人もスタッフがいます。その3人が繋がったことで、勢いができたことがでかい。あそこで吉田くんが登場していなかったらこけていたかもしれないですね。それくらい吉田くんの存在は相当大きい。
飯田 : やっぱ人だよね。
船山 : 人ですね。人と繋がってやらないと、責任問題になりましたっていうときに、一人じゃ責任終えないし、分散するべきだと思う。
飯田 : 人の大事さが分かっているから継続に繋がっていく気がする。こいつと出会えなくなるのは嫌だから来年もやろうみたいな。それが積み上がったものがボロフェスタな気がするな。おもしろいヤツとやったほうがいいし、1回フェスをやるとそのことに気がつくよね。
船山 : 気づきますね。とっ散らかりすぎてケアできなかったり、近い人とバチバチしちゃったりとか大変なこともあるけど、その人間関係も面白みですよね(笑)。
飯田 : 恋愛が生まれるものわかるよ。
船山 : もちろん思いも大事だと思います。まず、ぶれない思いがあって、協力者がいてっていうのが始まりかな。
飯田 : 人のことを思えないと人を集められない。商業イベントは出来るかもしれないけど、僕らの思うフェスは人が大切ですね。
——人を思いやる気持ちと、フェスをやる思いが大切だということですね。その上で行動するからこそ、長く続いていくというのはとてもよくわかりました。そろそろ時間ですが、この続きは、僕らの文楽で行われるんですよね。
船山 : そうですね。ぼくらの文楽の講義ステージで、18日の11時から第2回のトークをやるんで、ぜひ聞きにきてください!
ぼくらの文楽
2011年9月17日(土)、18日(日)
山形県長井市 古代の丘縄文村
時間 : 10:00 開場 / 21:00 閉場
出演アーティスト :
suzumoku / 羊毛とおはな / DE DE MOUSE / 七尾旅人 / たむらぱん / レキシ / Laika Came Back / キセル / LITTLE CREATURES / Qurage / Pink Freud / タテタカコ / 栗コーダーカルテット / コトリンゴ / トクマルシューゴ / カジヒデキ / かせきさいだぁ ほか
出演講師 :
飯沢耕太郎氏(きのこ文学研究家/写真評論家) / 飯田仁一郎氏(音楽配信サイトOTOTOYチーフ・プロデューサー) / 菅野芳秀氏(レインボープラン推進協議会元会長) / L鴻崎正武氏(東北芸術工科大学 洋画コース講師/絵描き) / 齋藤真知子氏(レインボープラン推進協議会会長) / L笹尾千草氏(ココラボラトリー代表) / L高田彩氏(birdoflugas代表・ビルドスペース運営) / L三浦秀一氏(東北芸術工科大学建築・環境デザイン学科准教授) / L三瀬夏之介氏(東北芸術工科大学日本画コース准教授 /絵描き) / 山崎裕氏(こども昆虫教育推進者・尚絅学院大学) ほか
料金:
前売り2日通し券 11,000円
前売り1日券 6,000円
前売りテントサイト券 2,000円
当日1日券 7,500円(前売り券が完売した場合は販売せず)
シャトルパス 1,000円
☆ご来場者全員に、『ぼくらの文学』という文庫本を無料配布致します。フェスタイムテーブル、マップなどのフェス案内は勿論のこと、たくさんの芸術家の方からご提供頂いた作品を掲載予定です。この文庫本でしか読めない小説や漫画もあります。
2組4名様を『ぼくらの文楽』へご招待!
応募方法
件名に「ぼくらの文楽 招待希望」、本文に氏名、住所、電話番号をご記入の上、info(at)ototoy.jpまでメールをお送りください。当選者の方には、追ってメールにてご連絡します。
※あらかじめinfo(at)ototoy.jpからのメールを受信できるよう、設定ください。
応募締切 : 2011年9月11日(日)24時まで
ボロフェスタ
2011年10月21日(金)、22日(土)、23(日)
京都KBSホール&Club METRO
時間 : 10:00 開場 / 21:00 閉場
出演アーティスト :
神聖かまってちゃん / 渋さ知らズ / Diamonds Are Forever(Special Unit)/ the HIATUS / eastern youth / シグナレス / 曽我部恵一BAND / sleepy.ab / People In The Box / トクマルシューゴ / group_inou / チャン・ギハと顔たち / スーパーノア / 長谷川健一 / SEBASTIAN X / ZAZEN BOYS / ソウル・フラワー・ユニオン / Limited Express (has gone?) / DE DE MOUSE / PSG / あらかじめ決められた恋人たちへ / N'夙川BOYS / キノコホテル / 奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 / ときめき☆ジャンボジャンボ / 蜜 / OUTATBERO / おとぎ話 / cero / ワッツーシゾンビ ほか
料金 :
大前夜祭券[21日(金)]
前売 ¥3,500(税込、別途1ドリンク代) / 当日 ¥4,000
1日券[22日(土)または23日(日)1日のみ]
前売 ¥4,000(税込、別途1ドリンク代) / 当日 ¥4,500
2日通し券 [22日(土)・23日(日)]
¥7,500(限定200枚)
3日通し券[21日(金、大前夜祭)〜23日(日)]
¥10,500(限定200枚)