“誰にも届かない音楽”みたいなものを作りたかった
──歌詞は言うまでもなく、音像もアレンジも徹底して時事的ですね。
志磨 : 大衆音楽の作り手として、いま作るべきもの、みんながいま聴くべきと思うものを作るのが仕事だと思ってます。でありながら普遍性も当然備えていなければならない。それが一応、自分の個人的なポリシーなんです。世界中のすべての人が同じひとつの悩みを抱えて過ごすのって、いま生きてる人には初めての経験だと思うんですよ。世界大戦からもだいぶ経つし、大きな災害もあるけど、いわば局地的じゃないですか。
──いま生きているほとんどの人にとってはそうですね。スペイン風邪の流行を経験した人はご存命でも100歳超えで、決して多くはないでしょうし。
志磨 : たとえば明日、世界中のすべてのカップルが別れるとしたら、絶対に失恋ソングを作るのが大衆音楽家だと思うんです(笑)。誰かにとっては身につまされるようなことを歌っていても、別の誰かにとってはまったくの他人事、というのが普通ですけど、いまは全員が同じ苦しみに直面してるわけだから、それについて作品を作るのは生理的にも当然という気がします。
──ピアノ1本の“不要不急”や“ぼくをすきなきみ”、アコギ弾き語りの“しずかなせんそう”などを筆頭に、音数を極限まで減らして曲想も歌詞もとことんシンプルにしたのも、“いま”をレコードするアルバムだからということですね。
志磨 : そうです。さっきの距離の話と一緒で、人と触れ合うことや会うことすら難しい状況が続くと、たくさんの演奏家が大きなスタジオに集まって一斉に演奏をしてるような音像も僕にはフィクションみたいに思えて。僕らはどこにも行けず、誰とも会えず、なすすべもなく大きな災いが過ぎるのをただ黙って待つしかない。そういう音を作りたかった。録音というのは面白いもんで、聴く人を錯覚させることができるんですね。今回、僕が目指したのは、ひとりあるいは少人数の編成のバンドが閉じこもって演奏しているのを離れたところから聴いている、みたいな音です。ドラムやベースも重ねてはみたんですけど、曲が躍動的になってしまうので、「ごめん、やっぱり無しにします」とか「もっとグルーヴを殺してください」とか注文を出して。もっと僕らの生活はつまんなかった(笑)。盛り下がっていた。いま僕がリアリティを感じる音を徹底的に追求した、っていう感じです。
──物理的に近くにいられないことをカバーする方法もたくさんありますが、志磨さんはそっちには進まず、リアリティを突き詰めたと。
志磨 : 何もなかったかのように振る舞うこともできるし、コロナのことを忘れさせるやり方もあるでしょうし、せめてエンタテインメントぐらいは変わらないでほしいっていう気持ちもわかるんですが、僕はコロナで変わってしまったエンタテインメントとか表現とか、そういうものを作ってみたいと思ったんです。
──たとえば“はなれている”は、ちょっとノスタルジックなごきげんなロックンロールになりそうなメロディですよね。それをあえてキーを下げて、ビートはクラベスみたいなパーカッションで小さく奏でて、ひたすら静かに処理している。
志磨 : おお、ご名答です。実際に最初はもっとにぎやかなアレンジを試していて、キーも違いました。普通だったらそうしたいところを、そうはできないというのが完成版のアレンジですね。ドラムを消して、キーを下げて、テンポも落として、アレンジを完全に変えてようやくしっくりきました。
──一方、“ちがいをみとめる”、“不良になる”、“ピーター・アイヴァース(バイエル版)”など、ドラムが入ってそれこそ躍動感のあるアレンジの曲は、どことなくフィル・スペクターっぽい。
志磨 : 鋭い! ちょうどアルバム制作中に(フィル・スペクターが)亡くなったんですよ。そしたらラジオでフィル・スペクターのすごさを解説してほしいと言われて(J-WAVE『SONAR MUSIC』2021年2月4日放送「ポピュラー音楽の革命家フィル・スペクターとは?」)、あらためて文献を読み返したり、ボックス・セットを聴き直したりしていたら真似したくなっちゃって。パンデミックがあった年、フィル・スペクターが死んだ年、その記録っていうことで。
──スペクター・サウンドの、心浮き立つような楽しさや躍動感がありながら、裏側に孤独や狂気がべったり貼りついたような感触にも共鳴されたのでは?
志磨 : そうそう。スペクターの“ウォール・オブ・サウンド”って、リヴァーブの向こう側から響いてくるようで、距離感がわからないというか、つかめない感じがあるんですよね。幽玄っていうんでしょうか。彼岸の音楽、あの世の音楽みたいな。それがさっき言った“離れてる”音像にぴったりだったのかもしれないな。うんうん。
──ピアノは林正樹さんが弾いているそうですが、彼ならもっともっと流麗に弾けると思うんです。あえてちょっと拙めに演奏しているんでしょうか。
志磨 : なんで林さんを起用したんや、って言われそうなぐらいもったいない使い方をしてますよね(笑)。いまたぶん日本一忙しいぐらいのピアニストに「家でひとりで練習してるみたいに弾いてほしいんです」ってお願いしました。
──やっぱりそうだったんですね。
志磨 : キース・ジャレットの『The Melody At Night, With You』っていう、当時の奥さんに捧げたアルバムがあるんですけど、慢性疲労症候群との闘病から復帰を目指して自宅スタジオで録音したスタンダード曲集なんですよ。それが今回の『バイエル』のイメージにすごく近かったんです。家でひとりで誰に聴かせるでもなく弾いてるような、素朴でプライベートな雰囲気があって、まだ指がちゃんと動かないからちょっと稚拙な演奏が、涙が出るぐらいきれいで。あと「『バイエル』だけに子供でも弾けるような感じで」ともお伝えして。いままでのアルバムでイメージしていた届けるべき空間とか場所とか人とは別の、“誰にも届かない音楽”みたいなものを作りたかったんです。