歌詞を書いてるときだけは「自分が生きてる価値がある」って思える
──「共犯カメラ」では、二面性を描いていますね。
岡田:二面性について書くことが多いですね。『Asymmetry』も左右非対称で二面性だったし。『Contrust』も明るい曲と暗い曲で、やっぱり二面性は自分の中の何か最大のテーマになってますね。
──「神様はまだ僕を死なせてくれないから」では、「マイノリティーも属せない」という主人公が登場します。他者に理解されない、というのは岡田さんにとって重要なテーマなのでしょうか?
岡田:そうなんですよね。マイノリティーだったり、なかなか理解されない方々もいらっしゃるので、そういう方々にも響いてほしいし、寄り添ってあげたいし、何か引っかかればいいなって思いますね。今はファンの方を中心に曲を聴いていただいているけど、まったく関係ない人が聴いたときに、何か思うことがあれば嬉しいなって思います。
──今の時代だと、TikTokなどのショート動画から人気になる楽曲もありますけど、ショート動画を意識する部分はありますか?
岡田:全然意識してなかったです。意識したほうがいいですよね、きっと(笑)。私がかなり古い人間で、あんまりTikTokとかわかんないんですよ。ついていけない「おば」な部分があるんで。
──大丈夫です、私は何もわからないんで。ふだん音楽を聴くときは、どういうスタイルで聴いているんですか?
岡田:YouTubeやAmazon Musicとかサブスクで聴くことはありますね。携帯とAirPodsで。
──なるほど。「空白と高鳴り」もまたラヴソングですね。
岡田:ちょっと甘い感じで。重たい愛なんですけど、「こういう一面もあるよ」っていうのは見せたいですよね。自分の中身をさらけだすことで、「こんなこと考えてたんだ」と知っていただくのは楽しみのひとつでもありますよね。

──さらに次の「好きの魔法」へとラヴソングが続きますね。
岡田:結構かっこいいラヴソングになってるので、推し曲です。
──「2番目でもいいの」という歌詞にはドキッとしますね。
岡田:本当は1番がいいですよね。でも、2番目でもいいって言いながらも、「誰より美しく強くなるから」って、最後は自分で自分を幸せにするぞっていう強い気持ちがちゃんと芽生えているんです。この曲はかなり推し曲ですね。
──しかも最後の歌詞は「私を狂わせて 愛」ですもんね。
岡田:結局そうなんですよね。強くなるって言いながら、狂わせるのは愛なんですよね。『Asymmetry』でも使ってたんですけど、狂わせがちですね(笑)。
──極端なぐらいの感情の揺れを描いていますよね。
岡田:そうですね、かなり性格が「0-100」人間なんで極端なところがあります。
──でも、今回は客観性を持とうと。
岡田:そこはバランスをちゃんと取ろうと思って頑張りました。基本的に自分で歌詞のテーマも決めて書いているので。
──そういう意味では、岡田さんのリアルタイムな気持ちが描かれているわけですね。
岡田:まさにそれです。今の岡田奈々が表現されているアルバムって感じです。何を思われてもいいって思っています。
──その強さはどこから生まれたんですか?
岡田:隠して生きていくほうがつらいんじゃないかなと思っちゃって、だったら100人に受け入れられなくても、その中の2人とかに受け入れられる世界でもいいんじゃないかなって思うんですよ。

──「UNMEI」のような壮大な楽曲もありますが、アルバム制作の当初からこうした楽曲のイメージがあるのでしょうか、それとも制作しはじめてから現れてくるのでしょうか?
岡田:後者ですね。曲をいろいろ聴いて選んで、徐々に構成を組んでいく感じなので。
──「UNMEI」を歌うにあたってのポイントはどういうものでしたか?
岡田:やっぱり強い思いじゃないですかね。これは私が休養してた時期と、能登半島の震災がかぶっていて、すごく苦しい時期に書いた曲なんですよ。そういう思いが聴き手に伝われば嬉しいなと思います。
──「残酷すぎる世界の宿命(さだめ)」という歌詞もあるし、能登半島地震が歌詞に与えた影響もあるんですね。
岡田:かなり影響はありましたね。自分自身も、そのとき本当に歌を諦めちゃうんじゃないかっていうぐらい活動ができなくて、しんどい時期だったので、その苦しみが震災と重なってしまって、かなり自分にとって思いがこもった重い曲になったなって思います。
──休養中、他のアーティストの活動が目に入ることもありましたか?
岡田:ありましたね。みんなの活動が目に入って、でも自分は何もできなくて、「何やってんだろう」ってすごく憂鬱な日々を過ごしていました。
──そういう状況でどういうふうに過していたんですか?
岡田:作詞だけが唯一のよりどころで、書いてるときだけは「自分が生きてる価値がある」って思える瞬間でしたね。朝やって、昼やって、夜やって、ぐらいの感じでポンポンって書いちゃうんで、3日とかで1曲完成しちゃう感じでしたね。
──作詞が心の安らぎだったし、生活の一部だったわけですね。
岡田:作詞って、自分の心の内もさらけだせるし、本当に楽しいんですよね。
──でも、音楽活動に復帰できるのだろうかという不安もあったわけですね。
岡田:ありました。もう二度と歌えないんじゃないか、人前に立てないんじゃないかっていう恐怖心はずっとありましたね。
──それはどうやって乗り越えたんですか?
岡田:わー、なんでだろう。周りのスタッフさんがステージに戻ってこれるように準備してくださっていたり、日々連絡をくださっていたり、周りの支えで戻ってくることができましたし、ファンの方もずっと待っていてくれたんですよ。ファンクラブをやっているので、常に毎日ファンのみなさんからの「おはよう」とか「今日も1日生きててえらいよ」とか、メッセージを見ながら元気をもらっていました。本当にみなさんのおかげで戻ってこれたなって思います。
──休養中でも光を描こうという気持ちはやっぱりあったんでしょうか?
岡田:ありましたね。ファンのみなさんに会いたかったし、会えるイベントを全部中止させちゃって、ふがいなさやもどかしさがあったので、いつか絶対みんなに会うんだっていう気持ちで、そういう明るい曲を書いていました。
──またみんなに会うんだという気持ちがこのアルバムに込められているわけですね。
岡田:込められていますね。まさにそれが一番のメッセージだと思います。
