
2013年4月、突如として音楽シーンに現れた天狗集団、this is not a businessの素顔に迫る!!
4人目にしても「天狗の鼻が折れた」という言葉が飛び出す。なぜこうも一度は天狗になった鼻をへし折られる経験をしているやつばかり集まったのかと思うが、それこそ天狗バンドの必然か。そのバンドのサウンドの要、ギター、否戸田雲仙(ピトタウンゼン)。リリース目前の4回目に登場!

インタビュー : 前田将博
写真 : 外林健太
>>第1回 陣下須(ジンシモズ)(Ba)<<
>>第2回 木須利茶(キスリチャ)(Gu)<<
>>第3回 序鬼間(ジョオニマ)(Prog)<<
ついに来週8月21日(水)リリース!
10goods / this is not a business
【Track List】
01. Man / 02. WITH A MISSION / 03. OK GO / 04. RED or BLACK / 05. migite / 06. Never mind / 07.MAD TEENAGE RIOT / 08. burn / 09. Nightmare / 10. Thunder
「10 goods」発売記念レコ発ワンマン「天狗の納めドキ」
this is not a business「10 goods」発売記念レコ発ワンマン「天狗の納めドキ」
2013年8月24日(土)@中野heavy sick ZERO
OPEN 15:00 / START 16:00
チケット料金
前売 2500円 / 当日 3000円(各ドリンク別)
学生 1500円(当日受付にて学生証提示でキャッシュバック)
チケット発売日 : 7月27日10:00〜
ローソンチケット&メール予約
※ローソンチケットで購入の場合は、ワンマン・ライヴ特製ステッカーを当日お渡しします。
メール予約は以下アドレスに
thisisnotabusinesslive@gmail.com
件名に「天狗ワンマン予約」と入力、本文に「お名前、人数、緊急連絡先」を明記の上、送信。
※ローソンチケット購入者が優先入場となります。
※ローソンチケットにて予定枚数終了した場合はメール予約された方でもご入場いただけませんのでご注意ください。
学校のなかで1番うまいバンドでTOKIOをやってましたね。
――まずは、否戸田さんの音楽の歴史を紐解いていきたいと思います。音楽をはじめたのはいつごろですか?
否戸田雲仙(Gu)(以下、否戸田) : 高校生のころですね。パートはギターで、ZIGGYのコピー・バンドをやっていましたね。ギターの松尾宗人さんが好きだったので、高校入ったらバンドでやりたいなって思ってました。
――もともと、ああいう少しハードなロックが好きだった?
否戸田 : ハード・ロックっていうよりはJ-POPなんですよ。ZIGGYやBOOWYは、歌謡曲だけど尖っている部分があって好きでしたね。ただのJ-POPではないけど、ロックにもなりすぎてないっていうところが大事なんです。
――ギターをはじめたのも、高校に入ってからなんですか?
否戸田 : 高校に入る前の春休みに、マガジンとかサンデーとかの一番うしろに載ってるような19800円のセットをお母さんに買ってもらったんです。高校からはじめる人に負けないように、春休みにすごい練習して、中学から弾いてたぜ的な空気で入学しましたね。
――では、高校入学直後にはもうバンドを組んでた。
否戸田 : そうそう。学祭に出ようってなって。自分でいうのもなんですけど、そのときは結構弾けました。当時すごい練習したのは、いまにも生きてますね。

――そのバンドは校内での活動だけだったんですか?
否戸田 : 校外では、そのバンドとは別のオリジナルのバンドに入りました。高校2年くらいだったんですけど、そのころからもう曲を作りはじめていたので。外でバンドをはじめてからは、学校ではTOKIOのコピー・バンドをやってました。
――なぜTOKIOを(笑)?
否戸田 : 当時ヴィジュアル系がめっちゃ流行ってて、みんなすごい気合入れて学祭に出てたから、ちょっと逆に行こうかなって思ったんです。それで、学校のなかで1番うまいバンドでTOKIOをやってましたね。
――TOKIOだと、女の子にキャーキャー言われたんじゃないですか?
否戸田 : そうなんですよ。TOKIOやるとめっちゃ盛り上がるんです(笑)。高校時代はモテてヤバかったですね。違う高校の子が写真撮りに来たりしてました。そのときから、なにか人と違うことをやってモテたいって考えていましたね。
――校外のオリジナルのバンドは、どんな感じだったんですか?
否戸田 : そっちのほうもすごい人気が出て、はじめて作った曲なのにテープが欲しいって言われました。ライヴやったら100人、200人とお客さんは着実に増えていくから、アマチュアのころは動員が減ったことがないんですよね。20歳くらいのときは200~300人規模でワンマン・ライヴをやってました。
――学生時代にそれだけ売れちゃうと、もう音楽1本でやっていけると思ったんじゃないですか?
否戸田 : そうでもなくて、やっぱりプロってなかなかなれないものだと思ってたんです。当時はすごいバンドが地元にもたくさんいたし。でも、時期がくればチャンスはあるだろうと思っていたので、30くらいまではやり続けようと思ってました。
そこではじめて、やっぱり俺はミュージシャンになりたいんだって思ったんですよね
――では、結構堅実に生きていこうと考えてた?
否戸田 : どっちかというと裏方とか、レコーディング・エンジニアになりたかったんですよね。自分でバンドをやってるとエンジニアとしての経験にもなるじゃないですか。音源も自分で録れば専門学校に行くより効率がいいし。
――学校を卒業してからはそういう道に進んだんですか?
否戸田 : 九州にはレコーディング・スタジオがないので、とりあえずPAになろうかなと思いました。街のPA屋さんがあったので、履歴書を持っていってバイトをさせてくれと。そこは楽器屋もやっていて、「PA要員はいっぱいだけど楽器屋要員なら空いてるよ」って言われたので、バイトで入ってそのまま就職するんですね。
――バイトからすぐに社員になれるものなんですか?
否戸田 : 親父の会社の同僚に吹奏楽団の団長さんがいたので、楽器を買ってもらったんです。バイトなのに200万円のクラリネットを売って、すごいスター性だってなって、すぐに社員になれましたね。順風満帆でした。
――楽器屋に就職しつつ、300人規模のワンマンをやるような人気バンドをやっていたと。それだけ人気があると、レコード会社から声がかかることもあったんじゃないですか?
否戸田 : 九州まで業界の人が来ることは珍しいんですけど、20社くらいから連絡が来て、わざわざ観にきてくれたりしてましたね。話が進んだわけではないですけど。
――その後、どんな道に歩むのでしょうか。
否戸田 : 23歳くらいのときに、やっぱりエンジニアになろうと思いました。バンドもうまくいってて、会社でも社員になって、かわいい彼女もできて、最高だなって思ってたんですよ。ただ、これじゃあいけないなと。この場所でずっと大人になっていくとつまらないなと思ったんです。
――それはなぜでしょう。
否戸田 : 安定はしてたんですけど、すごい給料をもらっていたわけでも、大きいことをしていたわけでもなく。心の底ではプロの大きなステージで活動したいって野望もあったんですけど、みんなの前ではかっこつけて「俺はエンジニアでいいから」って言っちゃうんですよね。失敗したらかっこ悪いから。それで、東京にエンジニアの試験を受けにいくことにしたんですよ。

否戸田 : 試験を受けに行ったら30人くらい人がいて、俺だけTシャツみたいな格好で行っちゃったんですね。そしたら、ずらっとスーツの人がいて、なんじゃこりゃって思いました。それで、面接官に「君はなんで私服なんですか」って訊かれて、「仕事はTシャツとジーパンでやると思うし、いまPAもそれでやってるのでそのまま来ました」って言ったら、「君、いいね。正解! 」って言われて、受かっちゃったんですよ(笑)。30人中1人だけ。
――あはははは。それはすごいですね!
否戸田 : で、「来週から来て」って言われたんですけど、さすがに正社員で働いてるし、バンドのライヴも2~3ヶ月先まで決まってて東京に知り合いもいなかったし、ちょっと考えたわけです。
――ある意味、夢のひとつが現実になろうとしているわけですよね。
否戸田 : そうなんですよ。決まったところは有名なスタジオだったし。でも、そこではじめて、やっぱり俺はミュージシャンになりたいんだって思ったんですよね。心の底では武道館に立ってたんです。ZIGGYなんですよね。
――いままで眠らせていた気持ちに気づいたんですね。
否戸田 : 気持ちがぶわっと爆発しましたね。で、エンジニアというのはだいたい25歳まで募集してたんですよ。だから、25までバンドをしっかりがんばって、ダメならもう1回エンジニアをやろうと。それからというもの、バンドに本腰を入れたから人気もうなぎのぼりですよ。曲もめっちゃ作っちゃって。で、25歳でメジャー・デビューが決まるんです。
――ドラマチックなタイミングですね。
否戸田 : 感動的でしょ。それで、ただでさえモテたのに、さらにモテまくってヤバかったですね。福岡で300人くらいの規模でワンマン・ライヴをやってたんですけど、東京で3000人くらい呼ぶバンドが福岡にツアーで来るときのキャパがだいたい300くらいなんですよ。だから、俺らの次の日はPUFFYがやるみたいな状態だったので、完全に天狗になっていましたね。いま思えば。
――それだけうまくいってると、天狗になっても仕方ない気がします。ここまで訊いてると、一切挫折はなさそうですね。
否戸田 : ここまでは本当に完璧でしたね。
がんばった先になにもなくなっちゃったわけですからね。絶望的でした。
――メジャー・デビューが決まって、ついに東京に出てくるんですか?
否戸田 : そうです。大手レコード会社に所属することが決まって、バンドで上京します。で、九州で300人集められるんだから、東京だったら3000人くらい集められるって思うわけですよ。そう思ってライヴをやったら、30人になっちゃったんですね。これはびっくりしましたね。
――30人!? そのときは音源も出してたんですよね?
否戸田 : 出しましたね。超有名プロデューサーからプロデュースしてもらって。それも売れると思ってたんですけど、売れなかったですね。雑誌の取材も一切なかったです。転落しましたね。
――これまで華やかな道を歩んできたぶん、ショックも大きかったんじゃないですか?
否戸田 : やっぱりミュージシャンだから、自分の音楽が失敗だったとは思いたくない。だから、そこの葛藤ですよね。ましてや福岡では評価されてて、まわりからも行けるぞっておだてられて。でも、売れないんです。で、スタッフがひとり減り、ふたり減り、予算が減っていく。最初は超おしゃれな青山の美容室でヘア・メイクしてたのが、気づいたら全部自分でやれって言われたり。つらい2年でしたね。
――なぜそこまで一気に落ちてしまったんですかね。福岡では基盤があったわけじゃないですか。
否戸田 : やっぱり、ツアーで土地土地に行くとノリが違ったりするように、福岡だけで売れる人もいるんですよね。福岡の人たちはロック・バンドが結構好きなんですけど、当時の世のなか的には、ロックよりもヒップホップだったり、ミクスチャーでR&Bっぽい要素が混ざってるようなものが流行ってたんですね。ロック・バンドでも、前髪がちょっと目にかかってるような、見えないものを見ようとしてる感じのバンドとか。言い訳がましいですけど。
――ギター・ロックが全盛の時代ですね。
否戸田 : 俺らはどっちかというと、モヒカンだったり、がに股系だったんですよ。エレカシ(エレファントカシマシ)さんとかフラワーカンパニーズさんとかが好きだったので、俺らはああいうところを目指しつつも、会社としての方向性もあるので、混乱しちゃった部分もあったのかな。メジャーとか大人に乗っからなきゃいけない部分もありつつ、やりたいこともある。やっぱり九州男児なので、とんがり具合もハンパなかったし。で、そのバンドは3年やったんですけど、メンバー内の意思疎通もできなくなって活動休止になってしまいました。契約も切られて。そこで、「あれ? 」って思ってしまって。
――気づいたら、いろんなものが崩れてしまっていたと。
否戸田 : とりあえず、なか卯にバイトに行きましたね。食えなくなっちゃったから(笑)。夢のあるバイトなら、がんばれば先があるかなって思えるんですけど、がんばった先になにもなくなっちゃったわけですからね。絶望的でした。
――一気にすべてがなくなってしまったと。
否戸田 : そのかわりがんばり屋さんなので、牛丼作る速度はかなり速いです。食券買うと「並1」とか言われるんですよ。なので、その人が席に着く前には作る。席について食券を出すときには、もう牛丼を出せるくらいのシステムを構築しました。凝り性なので、そこは負けたくないです。
――そこで、もう一度エンジニアを目指そうとは思わなかった?
否戸田 : ミュージシャンとしてのステージに一度立ってしまったっていう思いもあるし、エンジニアとしてやるにも、もう年齢的にも無理だろうと。いったん、天狗の鼻が折れましたね。
――音楽活動はそのあとも続けたんですか?
否戸田 : バンドに命を賭けていたので、メンバーがバラバラになったときにバンドをやる気になれなくなってしまって。だから、人のバックとかテレビの裏方とかで弾いてました。
――では、自分のバンドはしばらくやらなかった。
否戸田 : やらなかったですね。信頼できる仲間とやりたいと思っていたので。
――それでも、いつかもう一度バンドでやってやるっていう気持ちは、ずっと持っていたんですよね?
否戸田 : 持ちまくってましたね。そこで、数年後にいまの4人と会うんです。
そのくらい自分の音楽が目指す方向は間違っていないんじゃないかなって思っています。
――このメンバーに惹かれた理由を教えてください。
否戸田 : 加藤小判の歌を聴いたときに、もう一度気持ちが燃えましたね。売れるかも、また上を目指せるかもって。もちろん、ほかのメンバーのグルーブやノリも最高です。
――このメンバーは、みんな一度バンドで挫折を味わった人ばかりですよね。もう一度それを繰り返さないために、なにか考えていることはありますか?
否戸田 : やっぱり、そこは冷静に考えましたよね。でも、さっきも言いましたけど、自分の音楽のせいにしたくないっていう頑固な思いもあって。それを言っちゃおしまいだろうと。だから、時代のせいにしました。そのくらい自分の音楽が目指す方向は間違っていないんじゃないかなって思っています。

――良いものを作っている自信はあったと。
否戸田 : そう。どうすれば伝わるかって言うところに関しては、それを理解してくれるスタッフや仲間、レコード会社、OTOTOYさんみたいな音楽媒体、ライヴ・ハウスさんとか、俺たちの音楽を聴いて共感してくれる人を味方につけるというか、そういう人たちに訴えかけていこうと。興味のない人はとりあえず置いといて。バンドっていろんなところから批判されたり好き勝手に言われたりするから悩むんですよ。だから、まずは俺が作る音楽が最強って思ってくれる仲間と、やればいいんじゃないかって思っていますね。
――否戸田さんは、バンドのなかではバンマス的な位置にいるそうですね。
否戸田 : そうですね。リーダーは加藤小判でバンマスは否戸田なので、サウンド面を統括しています。
――今回のアルバム『10 goods』の「OK GO」などもそうですが、否戸田さんが原曲を作っている曲はどれもすごくキャッチーな印象を受けます。
否戸田 : やっぱり、ジュディマリとかが好きなのでね。最近だと、まさにMAN WIHT A MISSIONも好きで、彼らはBOOWY、ZIGGY、JUDY AND MARY、GLAYがやってきたことの現代版だと思います。そのくらいのバンドさんですよね。ロックをポップスに昇華してて、学ぶことが多いですね。
――みなさんまずはZeppクラスの会場でライヴをやりたいとおっしゃっていたのですが、否戸田さんとしても、まさに上京したときにはじめに思い描いていたキャパがZeppですよね。
否戸田 : まずは3000人を目指したいですね。でも、そんなに甘くはないですよ。やっぱり、1回崖っぷちから突き落とされてますからね。だから、僕はあと2、3回は牛丼作るんじゃないかと思っています。いまも作ってますけど(笑)。
――ゆくゆくはそれも辞めてバンド1本でやっていきたい。
否戸田 : もちろんです。店長にも相談してるところです。
――バンドが売れたら、また昔みたいにモテるかもしれないですよね。
否戸田 : バンドで儲けて、またブイブイ言わせたいと思います。

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PROFILE
this is Not a Business

加藤小判(Vo) / 否戸田雲仙(Gu) / 木須利茶(Gu) / 陣下須(Ba) / 序鬼間(Prog)
俺たち、
負け犬(天狗)バンド
this is not a businessでgood!!!
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