きみと一緒なら地獄でもいいよーー活動すべてをセルフ・プロデュースで行うSSW、“なの小夕子”
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作詞、作編曲、ビジュアル、振り付けなど、活動すべてをセルフ・プロデュースで行うシンガー・ソングライター、なの小夕子のデビュー作『きみと一緒なら地獄でもいいよ。』を配信スタート。メンヘラの女性を描いたミュージックビデオが話題の「ベストソング」を含む6曲とボーナス・トラックを収録。「情報」では高野京介(G / うみのて、ゲスバンド)と原田秀治(B / ex.カミイショータグループ)がレコーディングに参加、「どよめき」のアレンジをFQTQ(ex.レコライド)が手がけるなど充実の作品となっている。OTOTOYでは、なの小夕子へのインタヴューで彼女の魅力に迫った。
なの小夕子 / きみと一緒なら地獄でもいいよ。
【配信形態】
WAV / ALAC / FLAC / AAC / mp3
【配信価格】
単曲 162円(税込) / まとめ購入 1,080円(税込)
【Track List】
1. 1.情報
2.どよめき
3.やわらかいアレ
4.生きる
5.ベストソング
6.真夜中まであと3分
7.ボーナストラック
[ダイジェスト]きみと一緒なら地獄でもいいよ。[ダイジェスト]きみと一緒なら地獄でもいいよ。
INTERVIEW : なの小夕子
またひとり、強烈な個性と確固たる意思を持ったアーティストが音楽業界を賑わそうとしている。シンガー・ソングライター、なの小夕子が初の全国流通盤『きみと一緒なら地獄でもいいよ』を発売した。おやすみホログラムのオリジナル・メンバーでもある彼女は、中学生の頃からアイドル・芸能活動を行うなど、シンガー・ソングライターとしては異色の経歴の持ち主。作詞・作曲だけでなくDTMを駆使してアレンジも自ら行い、ライヴでもときにバンドを従えてダンスを交えながらパフォーマンスするなど、枠にとらわれないマルチな才能を発揮している。
「黒髪地獄時代と、東京で生きることを描いた」というアルバムではアンダーグラウンドな世界を表現してみせたが、9月に行われたレコ発ライヴはむしろポップさや大衆性を強く感じ、その振れ幅の大きさに驚かされた。「天国建設」をコンセプトに掲げるなの小夕子が描こうとしている世界、そしていまは金髪となった彼女にとっての「黒髪地獄時代」とは。これまでの活動を辿りつつ、たっぷり語ってもらった。
インタヴュー & 文 : 前田将博
写真 : みてぃふぉ
目立てればなんでもよかった
ーーいまは東京で活動されていますが、こちらに出てきたのはいつ頃。
なの小夕子 : 東京に出てきたのは中学生くらいです。その頃からずっと芸能活動をしていたので、いろんな会社にいました。寮にいさせてもらったこともあったし、月に何度か実家に帰る感じで転々としていましたね。
ーー小さい頃から歌手やアイドルになりたかった?
なの小夕子 : スターになりたかったですね。とにかく人の前に立ちたかった。3歳のときからモダン・バレエや新体操をやっていたし、中学くらいになると表現欲求みたいなものがどんどん強くなってきて、言葉でも表現したいし、かわいい格好して外に出たいって思うようになって。だから、目立てればなんでもよかったんですよね。
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ーーバレエはどのくらいやっていた。
なの小夕子 : 中1くらいまでですね。それまでは本当に夏休みも毎日練習があるくらい、カツカツにやっていたんです。はじめて舞台に立ったのは3歳の頃で、当時から結構大きな会場でやらせてもらっていたので、舞台慣れはしていると思いますね。
ーー曲を作るようになったのは、いつ頃なんですか?
なの小夕子 : 小さい頃からよく作っていました。楽器は弾けないんですけど、鼻歌とかで定期的に"なのリサイタル"みたいなことをやっていました(笑)。自分の鼻歌を何曲も庭で歌い狂うみたいな。だから、近所の人から頭がおかしい人だと思われいた気がします。でも歌はすごく苦手だったので、まさか歌手になるとは思っていなかったですね。
ーーちなみに、なのさんは普段どういう音楽を聴きますか?
なの小夕子 : 季節によって聴く曲が変わったりするし、正直音楽がすごく好きって感じではないんですよね。バリバリの洋楽とかはあまり聴かないし、すごい音楽マニアでCDやレコードをいっぱい持っているタイプではないです。家に帰ったら無音でぼーっとしていたいっていうタイプの人間なので。挙げるとすれば、小さい頃から美空ひばりみたいな歌謡曲は好きですね。おばあちゃんに教えてもらって歌っていました。
ーーなるほど。
なの小夕子 : 最近だとMoe and ghostsとか、日本語のヒップホップですかね。あと、はじめて自分に近いと思ったのが泉まくらさんで、「やばい、これは似てる」って思いました(笑)。対バンしたいですね。泉まくらさんはオールド・スクールな感じの打ち込みも多いのも、通じるところがあると思います。オザケンとか岡村靖幸とか、そのあたりももともと好きなので。
ーー2008年からアイドル活動をはじめたそうですが、最初はどういう経緯があったのでしょうか。
なの小夕子 : 中1の終わりか中2のはじめくらいの頃、ライヴに出てみたいなと思ったいたときに、御茶ノ水で事務所の方がスカウトしてくれたんです。それから水着とかで深夜番組に出たりしていました。DMMとかで、すごくうまく探せば映像が出てくると思います(笑)。
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ーー東京で学校に行きながら活動していた?
なの小夕子 : 微妙なところですけど、高校まではちゃんと出ています(笑)。
ーー自分の曲を歌うようになったのは、いつ頃なんでしょうか。
なの小夕子 : DTMをはじめて、ライヴでオリジナル曲をやるようになったのは高1くらいですね。事務所が倒産したりマネージャーが飛んだりして、アイドル活動がおぼつかなくなってしまったので。その頃に、なぜかmixiでノイズ・バンドみたいな人たちと知り合って、高円寺の無力無善寺とか秋葉原の駅前とかでライヴをやるようになりました。で、その人たちとも折り合いが悪くなったときに、ひとりでDTMで歌おうと思ったんです。
ーーバンドもやっていたんですね。
なの小夕子 : そうですね。結構いろいろ平行してやっていたりもするので、明確にこのときにこれっていうわけではないですけど。なにをやってもハマりきらなかったってことですね。
自分の理想に辿り着くまでに我慢できないなって思いましたね
ーーひとりになってからは、どのような活動を?
なの小夕子 : いまよりもっとアンダーグラウンド指向だったので、いま思うと結構おかしなライヴをしていましたね。2012年末にカウントダウンのライヴに出たんですけど、テレビデオを持ってきて自分の幼少期の映像を流しながらCDJをやったり。一時期、音楽を辞めようと思ったときがあって、そのときは自分が作ったDTMのCDを持ってきて破壊しながら歌ったりしていました(笑)。ほかにも白い粉を… 薬ではないんですけど(笑)、それをモチーフにした粉をビニール・ケースに入れて吸引して、むせたりとか。
ーーよくそれまでアイドルをやっていましたね(笑)。当時やっていた曲で、いまも歌っている曲はありますか?
なの小夕子 : 今回のアルバムには入っていないですけど、デモに入っている「パクリ」とか「月回転」とかですね。「ベストソング」も当時はアカペラで歌ったりしていましたね。
ーーおやすみホログラムに入ったのは、ソロをはじめてから?
なの小夕子 : そうですね。ハロー! プロジェクトが好きなので、グループに憧れがあったんです。歌って踊っているのがかっこいいなと思っていたので、アイドル・グループをやりたいなって。
ーーハロプロのオーディションを受けようとは思わなかった?
なの小夕子 : 私みたいな汚い人間がなっちゃいけないと思っていたんです。結構壮絶な人生を歩んできたので、私はゴミ箱から生まれたって言ってるんですけど(笑)。ハロプロの子たちはみんな純粋で目が澄んでいるし。あと、いまあるものに属するよりは、昔から自分の王国を作ろうという気持ちが強かったので。
ーーおやホロは結成当初からいた?
なの小夕子 : 私が1番目のメンバーです。去年の4月~5月くらいですかね。それから私が田島ハルコっていう解雇になったメンバーとかを連れてきたんです。カナちゃんや八月ちゃんは後期メンバーだから、最初に名前を決めたときはいなかったんですよ。
ーー夏くらいに辞めたんでしたっけ?
なの小夕子 : 解雇になったのは9月くらいじゃないですかね。中野の食堂にいたら小川(晃一、おやホロ運営)さんから電話がかかってきたので、解雇通告だろうなと思ったら本当にそうでした。それで「あ、了解です」って。
ーーそんなあっさりしていたんですね。
なの小夕子 : だって、なるようにしかならないですから。田島さんや松本(彌生、9月に解雇)さんは友達でもあったので、私だけ残っても気まずくなるなって。あとは、おやホロは2人もうでもいいかなと思っていた部分もあったので。ずっとソロ活動も続けていたので、辞めたところで私は元に戻るだけですから。
ーーグループへの未練はなかった?
なの小夕子 : 自分の理想に辿り着くまでに我慢できないなって思いましたね。そうなるまでに何年もかかっちゃうし、そうしたら私もババアになっちゃう。でも、すごい楽しかったですよ。中学時代の活動も全部ひとりだったので、同世代の女の子と関わることはあまりなかったんです。ちょっとこっぱずかしいですけど、車でみんなで移動したこととかも、いい思い出になりました。
アンダーグラウンド時代は、もうここまででいいんじゃないかって
ーーソロ活動一本になって、いまはどういう形でライヴをやっているのでしょうか。
なの小夕子 : トラックを流して歌ったり、サポート・ギターに弾いてもらって歌ったりですね。たまにバンド(なの小夕子と天国さま)でもやっています。
ーーバンドでは曲によってはギターを弾いていますが、弾き語りはやっていない?
なの小夕子 : 月例企画を渋谷の喫茶スマイルでやっているんですけど、その企画はレアな一面を出したりもしているので、弾き語りライヴをやることもあります。ほかではやっていないですね。器用じゃないので、あまり弾けないんですよ。
ーーなのさんはパフォーマンスなどのステージの魅せ方にもすごく力をいれていると感じたんですけど、参考にしている人はいますか?
なの小夕子 : 抽象的な意味でいうとレディ・ガガとかマドンナとかかなと思うんですけど、飽き性なので、これっていうのはないんですよね。ソロだから制限はないじゃないですか。だから、そのときにやれることや、やりたいことを全部詰め込もうと思ってやっています。そういう意味でも、今回のアルバムは結構いろんな形態で詰め込んでやれた感じがあると思いますね。
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ーー今回、全国流通盤を出そうと思ったのは?
なの小夕子 : そろそろ自分ひとりで自由にやったり、アンダーグラウンドでやるのも飽きてきたなって思ったんです。二十歳になったし、親も年老いてきたので心配するだろうし、功績を残さないとと思って。
ーーこのアルバムは「黒髪地獄時代と、東京で生きることを描いた」とのことですが、黒髪地獄時代というのはどういうことなんですか?
なの小夕子 : アイドルやってた中学生の頃とかは茶髪でツインテールとかだったんですけど、高円寺や中央線沿線に住みはじめて、ノイズ・バンドが終わってひとりで活動をはじめてからは、ずっと黒髪だったんです。急に丸尾末広の漫画「少女椿」のみどりちゃんに憧れたみたいな髪型にして。で、黒髪地獄時代っていうのは高円寺の闇みたいなものというか、そういう時代に知り合った人や関係を清算したいなと。アンダーグラウンド時代は、もうここまででいいんじゃないかって。
ーーそれは東京や高円寺に対する失望なんですかね?
なの小夕子 : そういうことではないです。その闇がすごい居心地が良いというか、闇のなかでもきらっと光る絶望感みたいなものが楽しくて、ずっとそこに居たくなっちゃったんです。それで、このままではやばいぞ、ここで終わりにしようと思いました。
ーーそう思ったきっかけは、なんだったんでしょう。
なの小夕子 : 高円寺の四文屋っていう居酒屋があるんですけど、そこで閉店までずっとひとりでお酒を飲んでいて、家に帰ろうと思っても帰れなくて… そのままひとりでうろついているときに、これでいいのかなって思ったんですよね。踏み出せたきっかけは、去年の11月の二十歳の誕生日にライヴをやったら思いのほか大盛況で、みんなプレゼントや手紙とかをくれてうれしかったし、すごい人から必要とされているなと感じたんですよ。で、誕生日の深夜23時くらいに路上ライヴを中野サンプラザの前でやったんですけど、終電とか関係なしに人が10人くらい集まってくれて。そこにいる人たちはすごい目がキラキラしていて、大切にしたいなって思ったんです。この人たちが誇れるような存在になりたいから、もっと上に行こうと思ったのがきっかけですね。
ーーそれから金髪に染めた。
なの小夕子 : 私が10年間くらい尊敬しているミュージシャンの方がいるんですけど、その人が金髪なんです。すごくカリスマ性があって、この人になりたいと思えるような存在だったんですよ。もうバンドは辞めてしまっているんですけど、中学生くらいからずっと憧れていて。最近久しぶりにDVDを整理してたら映像が出てきて、自分がいまこれをやったら似合うんじゃないかと思ったんです。いまこの枠はいないよなって。それで染めたら案の定似合ってしまったので。あとは黒から金でガラッと変わるので、心機一転でちょうどいいかなと。髪の色を変えてから、服装もかなり変わりましたからね。
最低でも、武道館までは絶対にやります
ーーアルバムは、それ以前の黒髪時代を総括したもの。
なの小夕子 : それまでをまとめたいなと思ったんです。いままでのことが全部ダメだったと思いたくない自分もいたので、これはこれで出しておけば、おばあちゃんになったときに「こんなこともあったな」って振り返れるかなと(笑)。
ーーちょっと前の過去を表現することに、気恥ずかしさなどはなかったですか?
なの小夕子 : 黒歴史も黒歴史でいいと思っているんですよね。ナルシストなので、どんなときの自分もすごく好きだし。人ってすぐ変われちゃうと思うんです。根本的には変われなくても、私はすぐ髪型とか心とかも、ぱってチャンネルを切り替えるみたいに変えられちゃうので。ライヴやステージは全部お芝居だと思っているんです。1曲1曲に対して、その作品を演じているみたな感じですよね。
ーー「地獄時代」というだけあって、歌詞はアングラ感や失望感が多く含まれていますよね。
なの小夕子 : そうなんです。たとえば3曲目の「やわらかいアレ」は地下アイドルとオタクの関係性を歌っているんですけど、おやホロにいた頃にいろんなアイドルさんと対バンさせてもらったので、その頃のファンの人とかを考えて書きました。「情報」なんかは、中央線にいるサブカル女をストーキングしているイメージで作った曲だし。ほかの曲も全部、中央線やサブカル・バンドマンとか、アンダーグラウンドな人たちが背景にありますね。
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ーーゲスト・ミュージシャンが参加した「情報」「ベストソング」や、FQTQがアレンジした「どよめき」以外は、すべて自分でアレンジしている。
なの小夕子 : 7曲目のボーナス・トラックのギターは自分で弾いていますかど、ほかは全部ひとりで、DTMで作っています。フリー音源にビートを乗せてみたりとか、サンプリング音源もかなり使っていますね。
ーー「真夜中まであと3分」はところどころに不思議な音が入っていますが、あれはサンプリングだったんですね。
なの小夕子 : 気づいてくれましたか(笑)。あれもフリー音源にいろんな音を足して作りました。なので普通の曲より何ヘルツか単位でキーが高かったりするので、バンドで演奏するときはチューニングが大変です。
ーーひとりでやっているのには、こだわりがある?
なの小夕子 : 任せられる人がいれば全然やってほしいです(笑)。ただ現時点では自分以上に相性がいい人はいないのかなと思うので。
ーー誰かアレンジして欲しい人や、一緒に曲を作りたいミュージシャンなどはいますか?
なの小夕子 : パッと浮かんだのだと、中田ヤスタカですかね(笑)。いろんな色に染まりたいと思っているので、ちゃんと色のある人と一緒にやって、そこにハマれたら自分がどうなるのか興味があるので。ただ、歌メロと歌詞は自分で絶対に作りたいですね。
ーー9月にはレコ発がありましたが、アルバムにあったアングラ感がほとんどなくてびっくりしました。曲もかなりポップに聴こえたし、客席に設置した花道を最大限に使ったパフォーマンスをしていて、大衆性を意識しているように感じました。
なの小夕子 : 服装とかはポップにしたところはあるんですけど、実はライヴ自体はそんなに変わっていないんです。その規模でできる最大限のことをやりたいと思っているので。まだ全然足りないとは思うんですけど。
ーーいまはライヴハウスでメインに活動していますが、もっと大きいシーンを思い描いている?
なの小夕子 : そうですね。ライブハウス以外でも、例えばファッション雑誌とかに載って若い女の子のファンとかも増やしたいし、ライヴ以外にも映像やトークもやりたい。もちろん基本的には歌手っていう形が中心にあるんですけど、幅広く表現活動ができたらいいと思っています。とりあえずは活動拠点を渋谷に移そうと思っているので、渋谷のライヴハウスを全部出られるくらいになって、来年くらいにはo-eastでワンマンできるくらいにはなっていたいですね。
ーーAXがなくなったので、いまは渋谷で一番大きな箱ですよね。
なの小夕子 : さっき言った憧れていたバンドの方がo-eastでライヴをやっていて、それが生まれてはじめて観たライヴなんです。まあでも、それは一番近い目標ですね。もっと大きくなりたいです。
ーーかなり具体的なビジョンを描いているように思いますが、どのくらいまで考えているんですか?
なの小夕子 : 最低でも、武道館までは絶対にやります。そのくらいのカリスマとして君臨するので、ずっと好きでいてください。応援はしなくてもいいので。
ーー応援するよりも、好きでいてほしいと。
なの小夕子 : 自分は上の立場でいたいので、応援してもらうよりもずっと夢中になってもらえるような存在でいたいんです。私は神様でいたいんですよ。神様を応援しようとは思わないじゃないですか。逆にみんなをもっと応援したいし、なにかを与えたいし、原動力でいたいんですよ。だから「天国建設」っていうコンセプトを掲げているんです。
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LIVE INFORMATION
カリスマにゃんにゃんご生誕祭2015
2015年11月9日(月)@四谷アウトブレイク
時間 : 19:00(予定)
料金 : 前売 1,500円(+1d) 当日 2,000円(+1d)
出演 : なの小夕子、etc
☆なの小夕子21生誕イベント!!
http://twipla.jp/events/167417
エビスコネクション
2015年11月15日(日)@恵比寿BATICA
時間 : 14:00
料金 : 前売 2,500円(1d) 当日 3,000円(1d)
出演 : なの小夕子、テンテンコ、エレクトリックリボン、二丁ハロ、リアル3区、リナチックステイト、神々のゴライコーズ、カルロスまーちゃん、ティンカーベル初野
DJ : CARP、moteci、JIRo、enjo-g、猫ぽん、あかね、パラダイスキング、さばみそ、まろにヱ、Nachu、one more night
http://www.batica.jp/schedule/article-671/
天国集会
2015年11月20日(金)@渋谷喫茶スマイル
時間 : 19:00(予定)
料金 : 1,000円(+1d)
出演 : なの小夕子、etc
☆毎月第3金曜日開催! なの小夕子企画!
http://udagawasmile.com/
PROFILE
なの小夕子(nano sayuko)
1994年11月生まれ。作詞、作編曲、ビジュアル、振り付け等をセルフプロデュースで行うシンガー・ソングライター。 ゴミ箱生まれ、押入れ育ち、音楽で地上に天国を建設すべく奮闘中。なの小夕子の黒髪地獄時代と東京で生きることを描いた、初の全国流通ミニ・アルバム『きみと一緒なら地獄でもいいよ』(Outbreak Records / BM.3)を2015年9月2日に発売。このアルバム完成後、新境地に立つ為、なのは金髪にした。
〈好き〉
素粒子、ヒッグス粒子、宗教学、哲学、夢、宇宙、陰謀論、人間
〈嫌い〉
ゆるふわ、白黒つかんこと、好きな人の好きな物、あのバンド、人間
〈参加ユニット〉
キングモスラ、バロムワン、ハイスペックスカム
その独自の感性と経験から選びぬいた言葉を、美しいメロディーと囁き叫ぶ歌とラップを絶妙なバランスでグルーブさせ、リスナーの心を強く揺さぶる。 感情に強く訴えるライヴは、各方面からの評価も高く、着実に熱狂的なファンを増やしている。