
ニューヨークを拠点に活動する日本人のバンドTHE RiCECOOKERS。は、彼らがニューヨークで活動を続ける理由や、新作『』の話を中心に聞いた。第二弾となる今回は、ボストンでのバンド結成から現在に至るまで、THE RiCECOOKERSの歴史を、来日直後に行った貴重なロング・インタビューで振り返る。
ボストンでの活動に限界を感じ、ニューヨークへの移住を決意した彼らは、デビュー以降、ドラマ主題歌への採用やフェス、テレビの音楽番組への出演など、活躍の場を広げている。もともと世界を意識した視野の広い活動を念頭に置いていた彼らは、今後どのような展望を描いているのか。THE RiCECOOKERSの過去と未来をここから読みとり、これからの活動に期待を込めて、5月12日に行われるツアー・ファイナルへ足を運んでほしい。
インタビュー&文 : 前田将博
写真撮影 : 雨宮透貴
THE RiCECOOKERSの歩みを振り返る PV Digest
最新シングル『of the real』+過去作一斉配信解禁!!
THE RiCECOOKERS 2013 春 TOUR ”JUXTA-NOISE” FINAL
2013年5月12日(日)@東京・代官山 Unit
OPEN 17:00 / START 18:00
w/ N.Y&Bicycle (ニューヨークと自転車)
INTERVIEW : THE RiCECOOKERS vol.2

バンド結成、自主制作、ボストンからニューヨークへ
ーーTHE RiCECOOKERSは、2006年にボストンのバークリー音楽大学で結成されたんですよね。
廣石友海(Vo、Gt / 以下、廣石) : 今のメンバーになったのが、2006年ですね。
大山草平(Dr / 以下、大山) : 僕が最後に入ったんですけど、それが2006年でした。
ーーボストンでは、どのような活動をされていましたか?
廣石 : その頃は自分たちでブッキングして、マネージメントもしていました。インディペンデントとも呼べないくらいの活動規模でしたね。
若林大祐(Ba / 以下、若林) : CDも自分たちで焼いてましたからね。
廣石 : 完全にアマチュアでした。
ーーでも2006年の時点で、音源を作っているんですよね。
廣石 : 自分たちでスタジオを借りて録音しました。
大山 : あれは、本当に自主制作でしたね。
廣石 : 流通もネットのみでした。iTunesでダウンロードもできるようにしてたかな。後はライヴで手売りもしてましたね。このメンバーになった時に、バンドを本気でやっていこうと思っていたので、一回気持ちを引き締めるためにもレコーディングしました。

廣石 : そうですね。
大山 : 僕は正式に加入する前にも、2004年くらいからサポート・メンバー的な感じでたまに一緒にやってたんですけど、2006年にリーダー(藤井恒太)に呼び出されて。
廣石 : なかなか落ちなかったんですけど、リーダーがくどいたんです(笑)。
大山 : 「どうしてもお前と一緒にやりたい」って言われて(笑)。
ーー大山さんに、それだけの魅力があったと。
廣石 : リーダーがかたくなに入れたいって言ってたんだよね(笑)。
大山 : 俺をくどいた時の台詞、言ってよ(笑)。
藤井恒太(Gt) : …。 あんまり覚えてないです。
一同 : あはははは。
若林 : でも、一番は馬が合ったってことですかね。
廣石 : それはあるね。最初にバンド始めた時から友達で、飲み仲間だったし、一緒に音楽をやりたいという思いはあったので。
若林 : 今だから特に思うけど、馬が合わないと長くできないですよね。一緒にやってて楽しいし。もちろん、技術的な部分もありますけどね。
ーーそれでメンバーが揃いCDを作って、しばらくはライヴ中心の活動が続いていったと。その頃は、まだ大学にも通ってたんですよね。
大山 : 僕が最後に卒業したんですけど、それが2007年でした。
廣石 : 大学を卒業してから、ちゃんと動こうと思ってたんですけど、そこから2年くらいは少しダラけてましたね。
若林 : 自分たちでできる範囲でコンペに出たりとか、いろんなロック・バンドが集まるようなイベントに出たりとかって活動はしてましたけどね。
大山 : 迷走はしてたよね。これからどうなっていくんだろうって、先が見えない時期でした。
廣石 : ライヴでも音楽面でも、もっと成長しなくちゃいけないなと。それで、ずっとボストンにいるよりかは、違うところで仕切り直した方がいいなと思いました。
ーーそれですぐにニューヨークに出てきたんですか?
廣石 : まだボストンにいた頃に、僕が岡田さん(プロデューサー / 所属事務所Zazou Productions代表)のところに音源を送ったんです。1年近く音源を送り続けてCDを出すことになりました。
若林 : 事務所に入ることが決まって、最初にレコーディングをしたのが、2009年の12月だったよね。
大山 : PVもボストンにいた頃に録った。最初の日本ツアーに行ったのも、ニューヨークに行く前だったね。そのツアーが終わってから、ニューヨークに行った。

ーーでは、事務所が決まったことが大きなきっかけだったんですね。
廣石 : そうですね。でも、その前からニューヨークに行きたいという意志は固まってました。そんな時期に事務所が決まったので、ターニング・ポイントでしたね。
ーーその時に日本ツアーをやったのは、なぜなんですか?
大山 : CDを出すことが決まったからだよね。
廣石 : それに合わせてライヴもやろうと思って、ニューヨークやボストンだけじゃなく、日本でもやりたいよねって話になって。
「NAMInoYUKUSAKI」の反響、日本での活動
ーーでは、本当にはじめからワールド・ワイドな活動をしてたんですね。そんな経緯があって、2010年にニューヨークに出てきたと。その後すぐに、ドラマ「SPEC」の主題歌を担当することが決まって、かなりトントン拍子に来てますよね。
廣石 : ドラマの監督の堤幸彦さんが、最初のツアーの時にたまたまライヴを観にきてくれてたんですよ。それで、すごく気に入っていただいたんです。その時は(主題歌のオファーは)冗談だと思ってたんですけど、夏頃に本当に来ちゃって。
大山 : びっくりしたよね(笑)。
廣石 : すごくありがたいです。
ーーこれがいきなりヒットしましたよね。ドラマで曲が使われること自体すごいことだと思いますが、売れているという実感はありましたか?
廣石 : 僕たちはドラマがオン・エアーされた時もアメリカにいたので、どのくらい反響があるのかわからなかったし、テレビで使われてるという意識もそんなになかったです。
大山 : 今でも自分たちが日本でどういう立ち位置なのかは、よくわからないよね。
ーードラマに起用された「NAMInoYUKUSAKI」をリリースしたあとに、日本でツアーをやられていますよね。こちらは盛り上がったんじゃないですか?
廣石 : ちょうどドラマの最後の2、3話がやってる時くらいにツアーがありました。確かに、最初のツアーとは全然違いましたね。盛り上がってました。
ーーその後、2011年に日本で震災がありました。その時はニューヨークにいたんですよね?
廣石 : そうですね。その時には、やっぱりみんないろんなことを思いました。すぐに行動に移したがるやつもいれば、ちょっと待とうかみたいな話もあったし。それで、バンドで一回話し合って、ニューヨークで、日本に対してのイベントをやったりしました。結局は、僕たちができることは音楽だけなんだなって思ったので、夏に決まってたツアーにも絶対に行こうって。
大山 : 「KARUNA」の配信もしたよね。
廣石 : その時に書いていた「KARUNA」って曲を、ネットで3ヶ月間限定で無料配信したんです。1stアルバム『【sélf】』に入ってる曲なんですけど、それをバンド・アレンジしたバージョンですね。聴いてくれる人に、すぐに届けたいなと思いました。
若林 : あとは、ライヴをUstreamで配信したよね。
廣石 : ライヴの収益をチャリティで寄付しました。
ーーそのあとに、ライヴ・アルバム『』をリリースしていますよね。
廣石 : 震災前には出すことが決まってたんですけど、ちょうど震災とリリースのタイミングが重なってて、CDをプレスする工場が止まっちゃったのかな。
ーーそれで、4月のリリースになったんですね。1stアルバムを出す前にライヴ盤を出そうと思ったのは、なぜなんですか?
廣石 : そこに収録されてるライヴも、日本でやった時のものなんです。その頃は、まだ日本のツアーは数えるほどしかやったことがなかったので、THE RiCECOOKERSがどんなバンドなのかっていうのを知ってもらうために出しました。僕らの音を生で聴いて欲しいっていう思いがあったし、ライヴをメインに活動してるバンドだよっていうのを、日本の人に伝えたかったので。
ーーまずは、ライヴの空気を感じて欲しかったと。
廣石 : そうですね。そのあと、夏に1stアルバム『【sélf】』を出しました。これがいま僕たちがリリースしてる唯一のフル・アルバムです。
ーーこちらのアルバムは、それまでの集大成的なアルバムですか?
廣石 : 今までやってた曲っていうよりは、このアルバムのために書き下ろしたものがメインです。
ーー1stアルバムのリリースに合わせて、再び日本でのツアーがありつつ、2012年にミニ・アルバム『』をリリースしています。
廣石 : 『【sélf】』を結構好きに作らせてもらったので、通して聴くとコアな部分が多いアルバムなんで、それの反動みたいな感じで、『』に入っているようなポップな曲も作りたくなって。
若林 : その頃に『Paradise』っていうEPもアメリカで出してるんだよね。日本で出した『』とは違うコンセプトで、それぞれの国に合わせたものを作りました。だから、合わせるとフル・アルバムになるくらいの曲数はありましたね。
廣石 : こっちは、オルタナティヴ色の強い曲が収録されてます。
ーー同じく2012年に出したミニ・アルバム『』も、違う色がありますよね。こちらは、バンドの懐の深さが伺える幅広い曲が収録されています。
廣石 : 『』は、ポップでもコアでもない世界観を表現したというか、ジャケットとタイトル(ハーメルンの笛吹き男という意味)が全てですね。THE RiCECOOKERSの不思議な世界に一緒に行こうよ、みたいな。それぞれの曲に、ストーリーがあります。
大山 : これが一番コンセプチュアルかもしれないですね。

ーー2012年には、RISING SUN ROCK FESTIVALにも出演されています。
廣石 : めちゃくちゃ楽しかったですね。あれだけの人が、音楽を楽しむためだけに集まってるっていうのが素晴らしいです。
ーーアメリカでは、こういったフェスに出たことはあるんですか?
廣石 : 2010年に、ニューヨークでやってるJAPAN DAYというセントラルパークで行われる野外イベントに出たことがありますね。ボストンでも小さいフェスみたいなのに出たりしてました。でも、あそこまで大きな規模のものはなかったですね。ああいうフェスに、僕らはみんな客として観にいってたので、演奏する立場に立ったっていうのが、感動でしたね。
大山 : やっぱりフェスに出るっていいよね。僕ら自身の夢でもありました。
若林 : 僕も、個人的にRISING SUN ROCK FESTIVALはすごく思い入れがありましたね。好きなアーティストがすごくいっぱい出てて、昔よく観にいってました。だから、楽しかったのもあるけど、同時にうれしさもあった。
ーー12月には、配信シングル『』をリリースしています。こちらは、今までの曲の中でも、一段とキャッチーでシングルらしい曲ですよね。タイトルもインパクトがあります。これはシングルとして意識して作ったものなんですか?
大山 : これは本当に、ムリヤリ絞り出した感じですかね(笑)。
廣石 : なんとか、練り上げて作った(笑)。でも、歌詞に関しては特にストレートなものにしようと意識しましたね。すごいシンプルなギター・リフの上に、すぐに入ってくるような歌詞とメロディをつけるっていうコンセプトで作りました。
多くの刺激を得た2012年、そして2013年の活動は?
ーーそして、年末に「COUNT DOWN TV」で、テレビの音楽番組に初出演を果たしています。
大山 : ドキュメンタリーでバンドを紹介するような番組には、前にも出たことあったんですよね。でも、生でライブをするような音楽番組に出演したのは初でした。
ーー歌番組で演奏するっていうのも、だいぶ特殊な環境ですよね。特にTHE RiCECOOKERSみたいな、ライヴをメインに活動してるロック・バンドが出演するのは、画期的だったんじゃないですか?
廣石 : 呼んでもらって感謝していますね。でも、演奏だけだったら良かったんですけど、しゃべる方が相当ダメでした。俺、ちゃんとしゃべれてたっけ(笑)?
若林 : ライヴがメインではあるんですけど、トークもあって、そこで乃木坂46と並ぶという(笑)。
廣石 : すごいシュールな絵でした(笑)。バーヤン(若林)が1人だけ乃木坂46の中に混ざってるんですよ(笑)。
一同 : あはははは。
若林 : 乃木坂47になってたね(笑)。
廣石 : しかも、みんなマイクを渡されてるのに、誰も口元に持って来ようとしない(笑)。
大山 : バーヤンはトークの方をスルーして、いきなりステージの方に向かっていったもんね。
若林 : 緊張がおかしな方向に行きました(笑)。
ーーお客さんの層も、いつものライヴとは全然違いますよね。
廣石 : 違いますね。僕らが出た時間帯もだいぶ遅かったし。
大山 : 朝の4時半とかでしたね。
ーー演奏した曲は「NAMInoYUKUSAKI」なんですよね。結構盛り上がったんじゃないですか?
廣石 : そうですね。曲が鳴ってから、「おお!」ってなってる人は多かったですね。
ーーそんなテレビ出演で2012年が終わって、2013年に至ると。まずは『』のリリースとツアーがありますが、今年の後半はどんな感じになりそうですか?
廣石 : またアルバムを出したいですね。曲は、本当にどんどん作りたいです。
ーー今までの話を聞いてると、曲作りに関しては結構スムーズなんですか? これまでも、比較的短いタームでリリースしている印象があります。
廣石 : その時々で、毎回違いますね。すぐにできることもあれば、何日考えてもずっと出てこないこともあります。
大山 : でも、結構2人とも曲書くの早くない?
ーー作詞作曲できる人が2人いるのは、大きいかもしれないですね。
廣石 : それは確かにありますね。

ーー今後のTHE RiCECOOKERSは、どんなバンドになっていきそうですか?
若林 : ライヴ・バンドとして、パフォーマンスをもっと磨きたいですね。観にきてくれたお客さんに、もう1回行きたいと思わせるようなライヴをしたいです。もちろん、大きい会場でやりたいっていう気持ちもあるし、それに伴って音の出し方とかも変わってくるので、俺らもそれに対応できるようにしたいです。
廣石 : いろんなステージに立ちたいですね。大きいところも、小さいところも。
若林 : アメリカのフェスにも出てみたいし。
廣石 : ヨーロッパとかでも、どんどんやりたいですね。アメリカ・ツアーもやりたいです。
若林 : いつか、彼(廣石)の故郷も行ってみたいですよね。
廣石 : メキシコね。
ーーじゃあ、本当に世界的に活躍できるバンドになりたい。
廣石 : そうですね。できるだけ多くの人に、自分たちの音楽を聴いて欲しいです。
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PROFILE
THE RiCECOOKERS

2004年にバークリー音楽大学に通っていた廣石友海、藤井恒太、若林大祐、大山草平でアメリカのボストンにて結成。現在はニューヨークへホームを移し、精力的にライヴ活動を行っている。バークリーの伝統に裏打ちされた緻密な楽曲作りと達観した詞の世界観は、新たなシーンを形成する現在(いま)のニューヨークを吸収し、繊細さと裏腹なヘヴィネスが混在するTHE RiCECOOKERSサウンドを更なる高みへ! 2010年、TBS系金曜ドラマ「SPEC」の主題歌に大抜擢されたシングル「NAMInoYUKUSAKI」はオリコンWeeklyチャート初登場15位! シングル「NAMInoYUKUSAKI〜TV SPECial COLLECTION」は初登場6位の大ヒット!
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