ハード・ミニマル・テクノからハウスのグルーヴへ、そしてルーツ・レゲエへ
当時のBCサウンドの変化、その特徴として上げられるのがハードなミニマル・テクノではなく、ハウスのグルーヴに恐らく多大なる興味を示したところだ。実際に〈BC〉とは別に〈Main Street〉というハウスのレーベルを1994年に立ち上げている。この1番がセクシーな直球の歌モノ・ディープ・ハウス「I'm Your Brother」。シカゴ・ディープ・ハウス第2世代を代表するロン・トレントとチェズ・ダミアのリミックスを伴ってリリースしている。と、実は前述の「Quadrant Dub」は、この歌モノ・ハウスのダブ・ヴァージョンだというのはその後、この〈Main Street〉のコンピCD(1999年)ではじめて知る人も多かっただろう。
〈BC〉自体は、その後、9枚目のラスト・シングルとして1994年の「Phylyps Trak II」をリリース、その後、コンピCD『BCD』を1995年にリリースし一端は閉鎖している。ちなみにこの「Phylyps Trak II」もテクノ史における名曲で、前述の「Phylyps」シリーズのリミックスなのだが、キック・ドラムとハイハット、裏打ちを刻む単音のリフがデレイやパンニングによって変化していくだけ……というダブの引き算の美学を宿した、究極のミニマル・グルーヴを携えたテクノだ。またBCのふたりはさらにこうしたハウスの骨組みだけを使ったグルーヴの追究を行うプロジェクトとして、前述の〈M〉シリーズを本格始動。1995年の「M4」から「M7」を1997年までにリリース(こちらも後にCDコンピのアルバムに)。これは後のドイツで勃興するミニマル・ハウスのひな型のひとつとなる。さらにもうひとつ、コンピ『BCD』は単なるシングル音源の寄せ集めではなく、ビート抑制など少しダンスフロアから離れたエデットや別ミックスが収録され、それこそ昨今のダブ・アンビエントの源流とも言える作品でもある。
さて、ダブ・テクノの歴史に戻ろう。〈BC〉を終了させたふたりは〈Main Street〉にて1995年、レーベル3枚目のリリースで、ティキマン(現在ポール・セント・ヒラーレ)なるドミニカ出身の美声のラスタマンをシンガーに迎えて作品をリリースしはじめる(レーベルはその後、ティキマンとともに1999年の5番までリリース)。さらには1996年に彼らは名義をリズム&サウンドと改め、〈Burial Mix〉という10インチのみのレーベルを設立する。A面にティキマンや後に往年のルーツ・レゲエ・シンガーのボーカル、B面に「Version」つまりダブ・インストを収録したフォーマットでリリースをしていく。これはジャマイカのダブが7インチのシングルのB面に同様にして納められていたこと、またダブの誕生に大きく関係するダブ・プレートと呼ばれていた当時のテスト盤のサイズが10インチだったことをなぞっていると思われる。まさにルーツ・ダブの歴史に彼らが向き合った証左だ。〈Burial Mix〉では作品を重ねるたびにハウスからさらにBPMを落とし、ベースラインが強調され、ルーツ・レゲエのエッセンスを取り込みながら、まったく別のダブのフォーマットを作り上げていく。そして〈Burial Mix〉のレコードを再生すると、それまでにない強烈な空間を埋め尽くすような重低音のベースラインが姿を現す。
理想のダブ・サウンドを追求するカッティング&マスタリング
この音の趣向性の変化に恐らくレコードの制作過程の変化も影響を与えている。彼らは〈BC〉閉鎖後、1996年に自らのレコードのカッティング(レコードのマスターを作る作業でここでの溝を作る作業が音質を決定する)とマスタリング(マスター音源を作るために音質を調整する作業)を手がけるスタジオ〈Dubplates & Mastering〉を立ち上げている。アナログ・レコードはその性質上、低音のレベルが高すぎると針飛びしてしまうなど、物理現象としてのレコード再生と音量や音質と深いつながりがある。簡単に出したい音が出せるわけではない。彼らは理想の「出したい音を出す」ために、モーリッツをはじめ、所属のエンジニアたちが飽くなき探求を行うことで〈Burial Mix〉の低音を獲得することができたのではないだろうか。具体的には〈Main Street〉の3番以降、〈Chain Reaction〉と〈Burial Mix〉はそのスタートから〈Dubplates & Mastering〉でカッティングされている。余談だが、それ以前の〈BC〉などの当時のレコードは、デトロイトの〈NSC〉でカッティングされており、そのローファイな質感やクラックル・ノイズはそれも起因しているのではないかと言われている。ともかく、その音へのこだわりは、カッティング・スタジオを所有するほどである。そして後述するがここで低音の秘密を知ったエンジニアたちは、後のダブ・テクノの歴史にて重要なアーティストとなっていく。
リズム&サウンドは〈Burial Mix〉の他に、1997年さらにアブストラクトなダブ・テクノ~ダブ・アンビエントの12インチをリリースするレーベル〈Rhythm & Sound〉を設立し、インストのダブ・テクノをリリースし、さらにその音響を先鋭化させていく(2002年までリリース)。〈Burial Mix〉はチキマンのショーケース・スタイル(オリジナル+ダブ・ヴァージョンが併録されている)のアルバムや、ジャマイカやNYのレゲエ・シンガーたちによる10インチをまとめたアルバムとそのダブ・アルバム、さらにはワンウェイ・リディムのアルバム(ひとつのリズム・トラックだけでさまざまなシンガーやMCが歌うレゲエのアルバム形式)『See Mi Yah』など、そのリリースにレゲエのスタイルを模倣していく。しかしトップ・テクノ・アーティストが参加した2006年『See Mi Yah』のリミックス盤を最後に、突如一切のリズム&サウンドの活動、さらにマークとモーリッツのコラボは停止する。
2009年にモーリッツは、主に自身のトリオ名義の作品にて、生演奏(主にドラムやパーカッション)とエレクトロニクスのトリオ形態にて、アフロビートやジャズを取り込んだ麻酔的なミニマル・ミュージックをダビーに展開していく。マークは2013年以降、セネガルのリズム・アンサブル、ジェリ・ジェリ~ンダカ・リズム・フォースとともに作品をリリース。ただ変わらないのは、それぞれダブの新たな実験を行い続けていることだ。
リズム&サウンド、そして〈Burial Mix〉で行われたルーツ・レゲエの、ダブ・テクノによる新たな捉え直しとも言えるサウンドは、その後、テクノだけでなくモダン・ルーツ・レゲエの方からもそのフォロアーは増え、現在も多い。また、この国のダブのイノヴェイダー、こだま和文も2000年代前後の「Dub Station」名義のソロにおいて、そのサウンドへの回答を行ったアーティストのひとりと言えるだろう。




















































































































































































































































