不確かさを纏った言葉で話せるのって、すごいプラス
──奇跡的なバンドかなと思います。音自体が主張してるし、なんでこんなにBPMが遅くて空間が堂々としているのか不思議で。そのことに感動しました。曲作りはどんな方法で?
倉橋:基本的にDAWで僕と廣松がデモを作ってっていう段階で曲作りがはじまるんです。僕がデモのアレンジとかをするんですけど、例えばだいたいこれぐらいのBPMでっていうのが最初に決まります。
廣松:弾き語りから作るとかじゃなく、アレンジもギターのリフはこんな感じで、ベースのラインはこんな感じでって決まっているので、多分お互いのメンタリティがちょっとテンポゆっくりというか、早くなりにくい性分なのかなと思います(笑)。
──この感じの基盤をDAWで作ってるんですね。集まってセッションで作るような音楽に聴こえつつそうじゃない。
倉橋:作り方自体はそうじゃないけど、セッション感みたいなところを目指している部分は僕の根底にあるので、それをデモの段階でいかに表現するかみたいなのをめちゃくちゃ考えてるかもしれないです。他の同年代のバンドがどうかわかんないですけど、僕らのバンドって圧倒的にリファレンス共有の量自体は少ないと思うんです。デモをしっかり作り込むっていうのをなんでやってるかって言うと、例えばそのリファレンスでこれこれこうっていうふうに説明するより、デモでしっかり作りこんだ方が早いっていうのが単純にあるので。リファレンスをパッと投げてイメージ通りにできるんだったら別なんですけど、各々通ってきたルーツが全然違うので、そこで時間を使うよりかはデモである程度、形にした方がみんなラクっていうことですね。
──なるほど。いま、Seukolをやっている上での影響というと?
倉橋:ここ最近だと、アジアインディーとかの影響を受けているというか、台湾とかタイとか香港とか韓国とかそこら辺は結構たぶんみんな聴いてるかな。
──好きなバンドでいうと?
廣松:僕は完全にYONLAPA(タイ・チェンマイのバンド)ってバンドですね。ポップなんですけど、結構テクニカルというか、多分フュージョンとか好きなんだろうなあっていうので。それでいながら4ピースなんでギター・ソロとか、ギターのフレーズとか、アレンジが重要だなっていうところは自分のなかでは参考にしてますね。歌メロもいいし。
高野:僕はDeca Joins(台湾・台北市を拠点に活動するバンド)ってバンドが好きで、それこそこの間来てて見に行ったんですけど、ちょっと先輩だなというか、Seukolとしてああいう形はできたらいいなと思う物のひとつです。「バンドだけどバンドじゃない」って言うとなんかあれなんですけど、Deca Joinsは確か台北の芸術大学から出てきたりして、やってることは丁寧だし全部に意味があるみたいな感じがして、それはすごい憧れてはいます。
──Seukolも全部に意味があろうとしてますもんね。なんとなく弾いたみたいな感じがない、テクニカルとはまた違うんですけど。
倉橋:そこの部分で僕らは発展途上なんで、まだいけるだろうっていうはある。
──聴いたことある、みたいになるのも嫌だし。
倉橋:それにはならないように気をつけてます。それがたぶん多様性じゃないですけど、ルーツ・ミュージックだったり、リファレンスを増やしたりとかっていう必要性を感じるっていうところで。僕はそこら辺のアジア系の音楽を知るきっかけになったアーティストが1組いて。2017年か18年だったと思うんですけど、高円寺で〈HOLIDAY! RECORDS〉主催のライブ・サーキットがあった時にPARASOLっていう韓国のバンドが来日したんですよね。そこではじめてアジアのアーティストを観ました。そのサーキットで見たなかでいちばん良かったバンドだったんですけど、3ピースのサイケバンドで音数も全然多くないし、曲としてめっちゃ構築されてて、音とかもいいし、「なんだこれ?」ってなったのが最初のスタートかも。そのファースト・インプレッションがすごい大事だなと思ったんですけど、やっぱそのアジア系のアーティストでいま、最初にパッと頭に浮かんだのはPARASOLでしたね。
──興味深いです。ファーストEP『Mibunka』は各々の音がすごく聴こえるなという印象で、歌詞は昔のシンガー・ソング・ライターがいろんな脚色をせずに書いたようなニュアンスだと感じたんですよ。作詞は高野さんがしてるんですか?
廣松:ええとですね(笑)、説明しますと、前作『Mibunka』のときは私が作詞1、ふたりは1.5 ずつ、つまり共作のところがあるんで。
──作詞担当みたいな感じじゃないんですね。
倉橋:その時、書きたいって思った人がやればいいと思ってますね。
──高野さんは歌いにくさはない?
高野:曲によってやっぱり感情が違います。だから自分が歌詞を書いた曲と他のふたりが書いた曲では思ってることは違ってきたりはしてますけど、でも人が書いた歌詞で歌ってても、その人が書いたものとはたぶん違う意味で歌ってて。ふたりから出てきた言葉がまた僕の歌い方とかでまた違った意味になって、まあもちろん聴いてくれてる人によっても違うと思うんですけど、そこがすごいおもしろいなと思っていて。やっぱり自分の言葉として歌っているところはありますね。
──言葉に関するくだりが今回のセカンドEPのなかの“ブルースマン”にありますね。“伝える”っていうことに対する危うさを感じました。
廣松:よかった。普通に会話とか苦手な部分があるので、そういう時にこの歌詞にもあるように、不確かさを纏ってなんとなくで伝えちゃう部分があるよなっていうこととか、結局そういうのでは真の友達にはなりきれず孤独になったりとかっていう(笑)。そういう部分もいつか思い出になるよねっていう感じでうまく終着させようと思って書いた歌詞なので。
──「思う人に伝える言葉だけ「不確かさ」纏って」というフレーズ、ここはパンチラインですね。
高野:でもこれは解釈違うよね。廣松は不確かさをマイナスに捉えていたよね。
廣松:あ、そうそう。
高野:でも僕としては不確かさを纏った言葉で話せるのって、すごいプラスに思っていて。そういう意味でなにか意味がそこでふたりの間で揺らいでておもしろいなと思いますね。
──バンドのなかでも解釈が違うって言えるのも風通しがいい。そしてなにが驚くって1曲目の“Ghost Dance”ですかね。
廣松:ちょっと他の曲とはガラッと変わった印象なんですけど。
──昨今多いファンクと言いますか、なんだけど全然手触りが違う(笑)。
廣松:(笑)。結構ブラック・ミュージックでありつつもサイケデリックでもありっていう感じで。
倉橋:あれは僕がデモを持ってきて、原曲に近い形で完成形まで来てますね。そこで変えようっていう意見が出れば、別に変えても良かったんですけど、なんかそれでいいんじゃないかっていう(笑)。
廣松:最初はさっきも言ったみたいにテンポが遅い曲が多かったんで、速い曲を作らなきゃいけないみたいな感じで、ダンス・ビートの曲をもうちょっと作った方がライヴでもいい緩急になるよねっていう感じで作ったんでしょ?
倉橋:いや、正直意識はしてない。普通に作りたいものを作れれば良かったので。僕はルーツとしてサイケデリックがめちゃくちゃ大きいので、サイケファンク系とかそういうのを1回作ってみようかなと思って、実験的にやってできたものですね。