
ミト インタビュー
クラムボンの一員として、またはプロデューサーとして多くのアーティストを手がけ、多彩な活躍をするミトがmito名義でソロ・アルバム『DAWNS』をリリースする。2006年にはFossa Magna、micromicrophone、dot i/oという三つのソロ名義を使い分け、アヴァンギャルドな側面や自身の歌をフューチャーしたアルバムを聞かせてくれていたから、ソロとしてはひさびさということになるだろうか。そして、その5年ぶりのアルバムは今までになくエモーショナルなものになっている。ポスト・ロック、ジャズ、エレクトロニカなどをまとめあげ、相変わらず音楽的な引き出しの多さを感じさせはするが、どの曲もすっと胸に飛び込んでは広がっていき、感情に訴えかける。しかし、そのストレートなように思える表現が、複雑な思考を経て作られた重層的な音楽であることも同時に感じることができるのだ。これはクラムボンも含めたmitoのやってきた音楽の特質でもあり、それが最もよく表れているのがこの『DAWNS』だと言ってもいいと思う。そんなアルバムを作り上げたmitoが音楽について何を思い、何を考えているのかを語ってもらった。
インタビュー & 文 : 滝沢時朗
僕らが1ヶ月に2、3曲作ってっていうのも全然遅いって思うわけです
——複数の名義をソロで使い分けられていますが、今回のmito名義はどんな位置づけですか?
mito(以下、M) : 最近、あんまり考えないでモノ(楽曲)を作るようにどんどんなってきたので、もう手当たり次第に楽器を触って弾いていった結果、こういう風になっちゃったみたいな感じです。それで、前みたいに分けられなくなってきちゃったんですね。じゃあ、もう名前も変える必要ないかなと思って、まとめた結果がこうなりました。
——Fossa Magnaやdot i/oにあったようなアヴァンギャルドな面は出ていないですよね。
M : アヴァンギャルドな部分はもっと即興性とかロジカルな考えで意識的にプロセスを経ていくんですけど、そういう発想では作らなかったですね。最初から楽曲として作ったっていうのはすごくあります。

——今回のアルバムでなぜそういうモードになったんでしょうか?
M : クラムボンで去年作った『2010』は本当にとっちらかっているんですけど、それでもこれはクラムボンだと思われたっていうことが、僕にとっては大きかったんですね。今まではクラムボンについている固定的なイメージに対して、こういうところもあるって色んな面を見せて誤解を取り除く作業に追われていたんですけど、『2010』で何をどうしてもクラムボンになるっていうことをわかってもらえたんです。音楽のジャンルとかそういうことは関係なく。そのことをやってきてわかったので、もう考えなくてもいいかなという気になってるのは確かです。自分のソロだからと言ってクラムボンと別のものを作っているという感じでは全然なくて。それでもいいのかなと思えてきたのが今回です。だから、今までは名義を分けていた方がわかりやすいのかなと思ってたんですけど、もうそういう気も使わなくてよくなったということですね。そこがなくなって初めて自分があちこちよそ見しないでモノを作れるようになったので、『DAWNS』はその結果なんじゃないかなと思います。
——曲自体は前からあったんですか?
M : 「white state 18」っていう曲は『童貞放浪記』っていう映画の挿入歌で作っていたもので三、四年前ですね。「no one really cares」はメロディだけあって、ずっと頭の中に鳴っているままでした。でも、それ以外はほとんどその場で作ってたので、作りためてはいなかったです。「borderland」に至っては、エディロールのポータブル・レコーダーを小淵沢のダイニングで録音して、なにも考えないで全部作っちゃったんですよ。だから、録音を一回しか回してないです。つまり、作るプロセスを通過せず、そのまますべて完成してしまいました。構成もその時のままです。
——じゃあ、今回は体にまかせるまま曲を作ったら、アルバムになったという感じなんですね。
M : そうですね。その結果が"普通に"曲になりました。自分の中ではそんなに難しいものではないと思ってますし、理解しにくいものを作ろうとは思わなかったですね。
——今回はレコーディング・エンジニアにtoeの美濃隆章さん、ドラムに同じくtoeの柏倉隆史さん、作詞にmeg rockさん、細美武士さん(the HIATUS)、磯部正文さん(ex HUSKING BEE)など他にも色々な方が様々なところで参加しています。それも気の向くままにやったらそうなったという感じでしょうか?
M : 僕自身もエンジニアだったりとかレコーディングに携わることを仕事として普通にやっているので、作業を早くすることのメリットをすごく考えるんです。アイディアが出たときにすぐに録音できなくてその準備に時間を取られてると、作品が散漫になってしまって良くないんですね。理解する速度が速いければ速いほど、パッケージすることも速くなるから、モチベーションや勢いが消えないままひとつの楽曲に仕上げられるんですよ。そこで、スピードを速くするために、美濃くんと柏倉くんに参加してもらいました。美濃くんとは単純に長く作業をやっていてお互いの感覚をわかっているし、柏倉くんも一緒にリズム隊としてかなりの年数を一緒にやってるから、あんまり言わなくても体で感じてくれる。
あとは、できた曲を後から自分で読解して、ここに参加してもらえれば適材適所だなと思った人に頼んでいきました。自分で問題を作って自分で解いていくみたいな感じでしたね。読解していくと、この方式が必要だなと。だから、そんなに目一杯入れようと思ってなかったんですよ。もし、一杯入れたいと最初から思ってたらナカコーくん(中村弘二(iLL))や向井くん(向井秀徳(ZAZEN BOYS))に入ってきてもらっても全然よかったのかもしれないし。ただ、欲を言ったら僕の趣味的にアイドル声優さんに参加してもらいたいわけじゃないですか(笑)。
——参加されている方は一度はなにかしらmitoさんと音楽を作ったことがある方なんですか?
M : meg rockさんは、SUEMITSU & THE SUEMITHのライブで僕がサポートしてた時に本当にお客さんとして遊びに来ていたらしくて。それから、twitterで僕のアカウントをフォローしてくれたりといったことから交流が広がりました。歌詞の対訳をしてもらったクリス智子さんは、うちの事務所のおおはた雄一くんと一緒に色々やっていたりしていたので、その縁でお願いしました。実は直接会ったことはないんですよ。
マスタリングをしてもらったまりん(砂原良徳)さんは牛尾くん経由ですね。去年まりんさんがマスタリングした牛尾くん(牛尾憲輔(agraph))の『equal』がすごくよかったから、牛尾くんにまりんさん空いてるか聞いてってお願いして。まりんさんはすごく読解力のある方で、何回かのメールのやり取りと音源から、僕が音にどんなディティールを足したいのか読み解いてくれましたね。こちらが言葉で漠然とイメージを表しても、すごく的確な状態で返ってくるんです。マスタリングってCDというすごく狭い箱に、ものすごく具を詰め込む作業なんですね。それまでは、大きなメモリー、大きな容量に入れていたものを小さい箱に過不足なく、しかも、大きくて豪華な感じがするように詰め込むわけなんですよ。それをうまくやるには、最初のミックスし終わった音源の状態をどこまで全部把握して、その人が表現したいことをわかってるかが重要になるわけですよね。そうしないと箱に収めるためにどこを折り曲げたり削ったりしていいのかわからない。まりんさんはそういうことをすごく認識していて、わかってくれている。
——アルバムにはバンド編成の歌もの、インスト、エレクトロニカと混在していますが、配分は決めていたんですか?
M : 全部歌でなくていいなっていうのだけは思ってました。そんなに僕も歌える人ではないので。
——そうでしょうか?
M : ピッチや音程が合ってたりとか、発音がよかったりっていう意味では歌えはするのかもしれないんですが、ヴォーカリストとしての個性というか、才能ははっきり言ってないと思ってるんです。歌をどう人に響かせるかとか、届かせるかっていうことについては、まだ僕は素人です。基本的に周りの音の粒子を動かすことはできるんですけど、歌にはそんなに自分自身で命を込められるスキルがあると思ってないし、今回はそこまで込められてないと正直思ってる… 一生懸命やったつもりですが。世の中にはピッチが外れててもいい歌があるし、むしろ、そのぐらいじゃないと面白くないですよね。音階が正確なメロディっていうのは実はあんまり面白くないんですよ。

——たくさんのアーティストをプロデュースされてきましたが、mitoさん自身の歌に関してはどう考えていくのでしょうか?
M : 僕は、歌い手さんが間違ってフレーズをなぞったり、ちょっと声がしゃくれていたりしていても、そういう要素を良い部分として中に入れるタイプなんですね。それが可愛さや華にもなりますから。でも、自分は正確に歌えちゃうので、自分のチャームとかではなく、とにかく自分を究極に磨いていかないとダメなわけです。歌として存在していい、あるべき形になっているかどうか、自分で自分を厳しくジャッジしていく。ピッチが全部合ってるテイクとかでも全然ダメで、(心に)届いてこなければダメ。それができるかどうかって、やっぱり、スキルなんですよね。息をどう抜いてとかどう離すかとか。普通、僕は歌い手さんに録音で1曲2時間も歌わせないと思うんですけど、今回は一人で1曲8時間とか9時間とか歌っていました。
——ピッチが合っているというような意味ではテクニカルじゃないけど、いい歌を歌うアーティストは具体的に挙げるとすれば誰ですか?
M : Bjorkはテクニカルかって言うと、僕はそうじゃないと思います。もっと本能的な部分だったりとか破綻しているところがあって、しかも、それがコントロールされているように聞こえることに魅力を感じるんだと思うんですね。例えば日本の歌謡とされているマーケットの歌い手さんたちは確かに巧いんですけれども、いくつかの人は曲に命を吹き込むとかじゃなくて、その場で機能する役割として歌っている。僕は「歌」ってそういうことじゃないと思っているんですね。
——歌の他にもギター、ベース、ピアノと演奏されてますけど、プレーヤーとしてどれかに中心を置いてるということはありますか?
M : 僕はぶっちゃけて言うとスタジオ・ミュージシャン兼エンジニア的な発想な気がします。歌を唄うことに比べたら、楽器は全然苦労しないんです。楽器はギターもベースもピアノも触ってる期間が長いし、歌に比べたら音楽的なボキャブラリーがあるので。デモの段階で曲の骨格となるものができている状態だから、ストレスなく弾けてるわけですよね。幸か不幸か拍子がちょっとおかしかったりとかしてるのは、技巧的になろうとしているわけじゃなくて、自然とそうなってしまうだけですし。そういった意味では自然です。エンジニアという面でも、録り音をこうミックスするから、こういう演奏や音色にすればいいだろうなってことが、頭の中である程度完成形が見えてるんです。
——mitoさんは音楽に対して客観的な見方が中心なんでしょうか?
M : 自分の作ってる曲に対して主観的ではあるんですよ。”俯瞰”をすることができるっていうだけの話で。客観性を持っている人でもないというか。客観性っていうのは、自分じゃないっていうことを前提とするわけじゃないですか。そうじゃなくて、自分があって、自分の目線からちょっと離れて見るっていうことなので。
もっと複雑な言葉にできないものが面白いもの
——『DAWNS』で歌がある曲はすべて英語詞ですが、なぜでしょうか?
M : 音楽の興味が洋楽から始まっているからなのか、元々曲を作ると音節が英語単位みたいになるんです。あと、日本語って若干メロとリズムにストレスがかかっちゃう様な気がするので、その方がリズムとかメロのディテールを出しやすいんですね。日本語で作れというなら、それなりの方法で作ってはいけるんですけど、自分がストレスなく作曲し、リズムとか全体のサウンドに干渉してもバランスがいいのは英語ですね。そういう機能的な理由のみです。
——日本語の歌詞だと聞き流しても意味が頭に入ってきますけど、英語だと意味がはっきりわからない分、聞き手と音楽がある程度距離を保てますよね。そういった点も考えられていますか?
M : それはさっき僕が言った機能性という話とすごく近いですよね。そう考えてもらえたんなら、まさに僕のとった方法は成功したわけです。
——アルバムの構成として歌ものとインストが交互に来るようになっていますが、なぜでしょうか?
M : さっき言った僕の歌についてのことがあると思ったので、インストを挟んであげることで、僕のアルバムとしてわかりやすいものになるかなと思ったんですね。バランス的に交互に当ててみようってやったら、ぴったりハマってくれましたし。(インスト、唄ものが)交互ってなんか不思議で、なかなかないですよね。
——mitoさんにとって自分が歌う楽曲とインストの楽曲とでは、表現として違いがありますか?
M : 歌があった方が直接的に伝わるには伝わると思うんですけど、音楽って2割か3割ぐらいしか伝えないでおいて、後はそのままリスナーに委ねても成立してしまう分野のものなんですよ。せっかくそういう良さがあるから、その幅を埋める必要はないなと思っています。インストは音楽のそういう面をわかりやすく出せるものとして、自分の中にはあります。でも、メロディの根本は全部変わらないですし、サウンドの全体像を中心に考えるので、差はないとも言えます。僕の場合、歌もたまたま英語詞なこともあって、直接的なメッセージは瞬時に来ないけども、イメージとか印象から、逆にどういうものなんだろうっていう、聴いている人の思考を一瞬だけ喚起して考えてもらうような感じになっているように作っているつもりです。あんまり音楽を意味深長に考えて聴いてもらいたくはないんですけど、考えてもらいたくないながらも、そこに自由な想像力も求めているというか。それが伝われば十分かな。
——『DAWNS』を聞いて、Mice ParadeやJoan of Arcなどのエモやポスト・ロックの中間的なバンドと、Hatfield's and the Northなどのカンタベリー系のジャズ・ロックのサウンドを思い浮かべました。mitoさんとしてはいかがですか?
M : ポスト・ロックと言われている人たちってたまたま世代が近いんですよ。あの時代の自分たちの持っている面白いと思う感性が、ポスト・ロックとかに内包されているのかもしれないなとは思います。ただ、そこから僕の場合は、まさにジャズ・ロックやカンタベリーの辺り、あとプログレをたまたま中学生ぐらいから聴いてたりして、ルーツとしてそのエッセンスが独立してある気がします。そこは周りとはちょっと違うのかもしれないです。それがなかったら、僕が普通のアーティストと違うところはなかったかもしれないですね。

——ジャズ・ロックに近いような複雑なサウンドではあるんですけど、結果として伝えてる感情はストレートだというところが『DAWNS』を聞いて印象深かったです。
M : でも、昔のプログレをやっている人たちも難しいものだと思ってプログレをやってたわけではないと思うんですよね。The Beatlesの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』をものすごく明快に分解していくと、みんなプログレになると僕は考えているんですよ。だから、基本的にプログレッシブなテクスチャーや発想っていうのは、往年のロックンロールやポップ・ミュージックから派生した結果としてあると僕は考えます。元々、プログレは複雑だけどキャッチーな音楽だったと思うんですね。そう考えると、拍子が変わっててもシンプルであるっていうのは、僕にとっては逆に作曲の第一条件になったりもします。Phil Manzaneraだってキャッチーだし、そうじゃなかったらRoxy Musicもなかった。ELPだってキャッチーなんですよ。わかりにくいものを聴きたいからプログレを聴くんじゃなくて、今は逆にわかりやすいものを聴きたいためにプログレを聴いてる。わかりにくいことで言うと、今のアニソンの方が全然わかりにくいと思いますよ。内容を全く知らない人だと、恐らくなにがいいのか悪いのか、わからないんじゃないですか。
——アニソンはどういったところに面白さを感じますか?
M : アニメに使われる歌として機能することが出発点なんですけど、その機能性をいかに主張のベクトルに変えていって、同時にマーケットとして成立させていくかっていう上で、今日本の中では一番クレバーな音楽だと思います。そこをどう読解したらいいかは難しいんですけど、そういうわかりにくさもすごく好きだし。プログレって何気にわかりやすいんですよ。すごく難解だって思わせることができるっていう時点で、そのわかりやすさは下手なスタンダードと変わらない確固たるものがあると思っています。それより、もっと複雑な言葉にできないものが面白いものだし、みんな感じてみたいものなわけじゃないですか。っていうところで、驚きだったり新鮮は複雑の中に存在していて、そういった意味ではアニソンが一番プログレだと思います。だから、山本精一さんも意識して聴くんだと思います! … って勝手に抱き合わせてますけど(笑)。
——それでは、『DAWNS』にも参加されているagraphこと牛尾憲輔さんとやられているアニソンDJユニット2 ANIMEny DJ'sのような活動も、mitoさんの中では全部つながってることなんですね。
M : もう一番難しい音楽やってるぐらいのつもりですよ。アニメ・ソングは説明という内容を必要としてないんですよ。内容を熟知している人が楽しければいいっていうことが前提なので。それで多くの人を巻き込み続けていることがすごいんです。アニソンは一曲の中に個人的な”自分はここが楽しいんだ”って想いが、凄まじい数内包しているような曲たちばっかりですよね。お金を払って楽しければいいやで買っているユーザーたちではない。もっとそのものに対して愛情とか想いにベクトルを向けているから、作っている人間はヘタを打てないし、買う人間もヘタを打たない。その難しさは、今の日本のロック・バンドやポップ・ミュージシャンと言われている人から形成されている、いわゆる普通の大きな音楽マーケットより厳しいし、深いと思います。
あと、アニソンは音楽単体だけでは成立しないわけじゃないですか。ミックスド・メディアの究極形でもあるので、そういうところも見習うところがあると思います。それってでも、”アニソン”っていうことでかかるバイアスを除いて見れば、すごくいい音楽じゃないですか? たかだかそれだけの話なんですよ。
——mitoさんは今のロックに対して疑問があるんですね。
M : 完全に今のロックはアニソンとかアイドル・ソングの制作チームやトラック・メーカーの人間に押されているような気がします。最初みんな「えっ? 」っていう衝撃と驚きがロックンロールだったのに、今はとにかく”まともに聴けるロックンロール”自体がまずおかしいんですよ。それをこっち側が危機感に思ってないっていうことは非常に問題で、それでは廃れてしまうし、マーケットの勢いも下がっていってしまうわけですよ。今の(日本の)ロックのメイン・ストリームは音楽的にはアメリカのエモとかパワー・ポップやイギリスのRadiohead的なもののエッセンスのみで成立してしまって、あとは歌詞の深さだけを競ってる。そんな音楽を量産し続ける必要性はそんなになくない? と思うんです。それなら、レベルの高いアニソンを聴いてる方が新鮮だし、刺激はある。売れればOKっていうのであれば、それはそれで全然いいとは思いますし、それはそれで重要だとも思いますけど。
——他に刺激的だと思う音楽シーンはありますか?
M : 最近は、初音ミクとかニコ動のシーンから出てきている音楽がとても新鮮ですね。あそこで頑張っている人たちは一日普通の仕事をしていたり、ニート的な生活を選択している人だったりしますけど、プロに片足突っ込んでるような人もいて、それが仕事の合間に作ってるわけじゃないですか。だから、2、3時間でトラック全部作ったりとかするわけですよ。その労力を考えると、僕らが一括りにされているいわゆるメジャーなシーンには(彼らは)興味がないわけじゃないけど、新鮮さや勢いで言ったら興味のあるものが少なくなってきてしまっているって危機感もあるわけですよ。大変な仕事の後に、聴いてる人のニーズとかも考えながら自分で曲を作ってみんなに届けようっていう発想は、並大抵の努力じゃできないことですから。
今の若い人たちは日がなニコ動で上げられるぐらいの曲を作りつつ、バンドもやってずっと楽器も触りつつ他の仕事をしてるでしょう。これ以上の向上はないと思うんですよね。みんなすごくがんばってるから、キラキラしてますよ。そういう若い人たちは入れ替わり立ち替わりでどんどん空気の入れ替えがされてる世界だから… そういうものがこっち側(メジャー)には少なくなってきている気はするので。可能な限りこっち側が刺激的にならないとならんなとは思いますけどね。それを考えると、バンドで週に一回練習して、ライブ・ハウスをブッキングしてっていうんじゃ間に合わないと思います。僕らが1ヶ月に2、3曲作ってっていうのも全然遅いって思うわけです。『DAWNS』の制作もデモを作る期間が2週間弱ぐらいあって、20何曲作りましたけど、それでも遅いと思ってるんですよ。一日3曲ぐらいミックスできるようなスキルが欲しいぐらいです。