
OTOTOYの人気連載記事『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』がBCCKSで書籍として販売開始。電子書籍版は無料で閲覧可能。製本版で購入する場合は、1,932円で購入可能。うち製本手数料1,197円をひいた735円を、ハタチ基金に送金します。多くの人間の気持ちが詰まった本書籍を、ぜひあなたの手元に置いて欲しい。また、この企画スタートのきっかけとなった大友良英に、再度インタビューを敢行。今、彼が思うことを、掲載しました。
『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』書籍化にあたって
これは、東日本大震災からまる2年を迎えるにあたって、音楽やカルチャーに関わるもの達が、どうやって復興に協力しているのか、また原発に対してどのような考えを持っているのかを知ってもらいたくて作った本。
きっかけは、2011年5月の渋谷クラブクアトロ。アーティストが出てきて、「原発反対」を叫んだ。それに呼応し、お客さんも叫んだ。けれども、その場所では反対が叫ばれるばかりで、「これからはこうしよう。次のエネルギーは、これが良いと思う」等の具体的な政策に触れられることはなかった。また、高円寺や渋谷等でも反原発デモは増加し、「原発反対」を掲げるのがブームのようになりつつもあった。人々が原発について考えるようになったのは素晴らしいけれど、シュプレヒコールをするだけでは何も変わらない。ブームは去ってしまうものだし、もっと継続的に具体的に、各々がこの問題に取り組むべきではないか。なぜなら「絶対安全」だったはずの原発で、メルト・ダウンは実際に起こったのだから。それは、原発がある限り、世界中のどこでも起こることだから。そこで、実際に考え行動している人たちの言葉を紹介すれば、各々が考え行動する一歩になるのではないか。また紹介する人たちが、音楽やカルチャーに関わりながら生きる我々と同じく大の音楽好きであれば、政治家や専門家の言葉よりも身近に感じるのではないか。そう思い立ち大友良英にメールをした。彼へのインタビューを第1回としてOTOTOYで始まった連載企画『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』の2011年6月から2012年4月までの9つの記事と、2013年2月の大友良英への再度のインタビューをまとめて、この本が出来上がった。
日本中が心を傷めた2011年3月11日。今や多くの人々が日常を取り戻し、各々の生活を営んでいるように見える。けれども、まだ、故郷に帰ることができない人々がおり、仮設住宅に暮らす人々がいるということ、そして、福島第一原子力発電所の事故の被害はほとんど回復していないということを、決して忘れてはいけない。そうした被災地のことを思いながら、この本を読み進めてほしい。
みんなで粘り強く、日本の再生と復興を行っていくために。
インタビュー : 飯田仁一郎(OTOTOY編集長/Limited Express (has gone?)
記事執筆、構成 : 水嶋美和
表紙デザイン : 井上沙織
編集 : 上野山純平
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第十回 : 『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』第十回 : 大友良英 インタビュー
2013年の3月11日で東日本大震災から丸2年を迎えるにあたって、第一回でインタビューした大友良英に再度インタビューを行うことにした。この2年の間に、2012年7月に福井県の大飯原発が再稼働し、民主党から原発を推進する自民党に政権は交代した。またTVや新聞等では、被災地での復興の記事を目にすることは少なくなった。それでも、ねばり強く反原発デモは行われ続けているし、復興を支援し続けている人々がいることを忘れてはいけない。2013年で3年目を迎える「プロジェクトFUKUSHIMA!」の代表、大友良英も動き続けている一人。彼は、今何を思い、どんな未来を創造しているのだろうか? 『REVIVE JAPAN WITH MUSIC』の第一回目の彼へのインタビューと共に、本稿を読み進めて欲しい。彼の言葉を参考にしながら、一度立ち止まって、各々が進むべき未来を、もう一度創造してみてほしい。
インタビュー&文 : 飯田仁一郎(Limited Express(has gone?)
やればやるほど、これは福島だけの問題ではないなって強く思うんです。
——震災のわりとすぐ後、大友さんとフェスで会って立ち話をした時におっしゃっていた「俺は福島に生涯を捧げるんだ」という言葉がすごく残っていて。
俺そんなこと言った?
——言ったんですよ。
捧げないよ。誰にも捧げねえよ(笑)。当時言っていたのは、この先の人生一生これをやることになるってこと。捧げるとかじゃなくてね。それは今も変わってないよ。
——僕は大規模な反原発デモが起こって、本当に世の中変わっていくんじゃないかと思った。だけど原発はなくならなかったし、政権は自民党に戻った。僕が今日大友さんに話を聞きたいのは、そんな現状とここ2年の時代の変遷をどんな風に思っているのか。また、大友さんの「プロジェクトFUKUSHIMA!」以外の動きです。
まずね、原発はそんな1年や2年でなくなるわけがない。それを無くならないと言って、がっかりしても仕方ない。廃炉の道のりはものすごく時間がかかるわけで、核のゴミまで考えたら、人類の生存年数をこえちゃうわけだから。だから1年2年ってタームで喜んだりがっかりしたりするんじゃなくて、長期戦で考えて動かなくてはって思ってる。それと問題は原発だけだとは思ってないってことも付け加えておきたいな。「プロジェクトFUKUSHIMA!」はずっと続いていますよ。立ち上げた1年目は、特に最初の2~3ヶ月は放射能の問題一つとってみても、線量を計ってそれを検証する人が誰もいなかったし、実際いろんなもんが機能してない中で、自分たちでやらざるを得なかった。それもあって当時は派手な動きに見えたかもしれない。でも、見え方はともかく活動はその後もずっとしぶとく続いてるんです。ただ、その時と今の熱量って全然違うじゃないですか。1年目は日本中から手伝ってくれる人が集まって、一万人を超える人が集まって、賛否あったとはいえ成果を出せたと思っているのね。その後、線量を計るのは当然のことになって、動く人も増えて、専門家も福島に入っていく中で、僕らの役目も別の方向にシフトしていく訳ですよ。でも、根本にあるのは「福島をポジティヴに変えていく」ということで、そこはひとつも揺らいでない。「福島」を「日本」に言い換えてもいいと思う。やればやるほど、これは福島だけの問題ではないなって強く思うんです。そんな中で、福島に住んでいる人たちにとっては、問題と直面しつづけることと、その中で行動していくことが日常の営みになっている訳で、僕らのやることも1年目とは当然変わってきてます。

——考えることが、多くの人の日常に定着してきたんですね。
そうだと思う。その上で震災後の社会をどうしていくかを考えるときに、課題は沢山あって。例えば、福島から避難した人と、福島に住み続けている人、両方にとって何がいい選択なのかひとつとっても答えは決してひとつじゃやないし。いずれにしろ、僕らだけが動いてるんじゃなくて、本当に沢山のひとたちが動いてるのが現状で、それはプロジェクトを立ち上げた時と状況は全く違っていると思う。そんな中で僕らはなにをやってくのかを考え行動してるんです。
——その沢山の人たちというのは、専門家以外の人たちも含まれますか?
もちろんです。素人も専門家も両方ですよ。ただね、震災地域外の一般の人がずっと震災のことにかまっている訳にはいかないでしょう。やっぱり1年、2年経てばみんな自分たちの生活に戻っていく。そこも1年目とは全然状況は違います。でもそこを責めてる訳じゃ全然ないですよ。みんなも自分の暮らしで忙しいから当たり前のことだと思う。一方で現地には専門家やそれを仕事にしている人たちはたくさん残っていて、そのことはとても重要だと思う。個人じゃとでも出来ないこと、専門家が動いてくれなくては機能しないことが山のようにありますから。除染ひとつとっても、報道されてるようにお金をごまかしている企業もあるかもしれないけど、でもちゃんとやっている企業もある訳で、事実成果が出て線量が下がってるところも沢山ある。行政、専門家や業者が機能的に動かなければそれはとても無理なことです。検査体制にしても同じように賛否あるけど、それでも、機械もなくてどうしていいかわからなかった最初の状況を考えると、この2年で随分変わってきたと思う。避難した人にしても、避難先で落ち着けるようになったり、逆に避難先でやっていくのが厳しくて戻った人もいるし、家族が離散したまま今日に至っている人もいる。でもそのことが案外いい結果をもたらしているケースもある。どれもこれも本当に人それぞれいろんなケースがありすぎて、とても一言でいない。誰にせよ、どんな状況におかれようと、それぞれの日常を過ごしていかなきゃいけない訳だからね。そのことを大前提に、先のことを考えなきゃいけないところに今来ているんだと思う。今度の3.11を過ぎたらもっと忘れられていく訳でしょ。それは人間の性として忘却しないとやっていけないところもあるし、一概に忘却がいけないとは思わないし、責められない。そうした人の性をわきまわたうえで、どうやっていくかを考えないと。文句だけ言ってもしょうがない。
——その中で、具体的にはどういう動きが必要だと思いますか?
みなが同じことを考えてる訳じゃないんで、ひとくくりには言えないってのが大前提の上で言えば、福島の人たちは「どうせ外の人にはわからない」と言って心を閉ざしてしまうような傾向があって、逆に福島の外の人は「福島のことはもういいから」ってどっかで思い始めているような傾向がある。もちろんそんなことはみなあんま口に出しません。でも、その溝は新聞やテレビひとつとっても顕著に表れていて、福島のローカル新聞に放射能のことや原発事故のことが載らない日はなくて、東京のメディアとははっきり違ってきてる。沖縄も似たところがあって、基地問題が載らない日はないけど、東京で読むような一般の新聞には、原発や米軍基地の問題がメインのテーマではなくなってきてるでしょ。それぐらいずれてきていて、恐らくそのずれは修正できないと思うんです。でもだからといって「どうせ外の人には」ってなってしまうと、ますます溝は深まる一方で。かといって、福島、福島って言ったところで、福島と直接関係ない人のリアリティには響かないと思うんです。人は赤の他人に寄り添い続けることなんて出来ませんから。そんな現状のなかで、長い道のりを考えてかなくちゃでしょ。すぐに結果を出すんじゃなく、思考方法や、社会とのコミットの仕方とか、そういうところから考えてかなくちゃって思ってます。1年目は、この状況下でどう生きていくかを考えるためのスタディだったと思うんだよ。放射能を隠すのではなく計って表に出す。その上で自分で考えて対策を練って、住むか住まないかは各々で判断する。で、これからはそうして始めた新しい日常の中で、どんな未来をつくっていくのかを考えるところに来ているんだと思います。そんな甘いもんじゃないって状況に置かれてる人もいるのもわかります。でも、そういう時期にきてると思うんです。まあそんなことを理屈で提案すると説教臭くなるし、僕は音楽家ですから、「プロジェクトFUKUSHIMA!」を面白いものにすることで自然に打ち出せていければいいなと思ってますけど。
——大友さんは大友さんの音楽の活動を続けて、それで自然と人が結びついていく。
この2年間の活動だけでも、今までの人生では出会うこともないだろうなって人たちと出会って、動いてる訳で、でも、人と人を結びつけるために動いてるんじゃなくて、動いてるうちに、自然にそうやって出会ってくって感じだと思うんです。特に震災後はこれまで福島を出たこと無い人が他の地域に行き、逆に福島に入る人もいて、人が大きくシャッフルしたと思うんです。震災は大変だったけど、でも、どうせシャッフルせざるをえないなら、そのことを肯定的にとらえていったほうがいいと思うんです。今年は「あいちトリエンナーレ」から「フェスティバルFUKUSHIMA!」をやってくれって依頼を受けていて、それっていい機会だなって思ったんです。なんで愛知で福島? って言われれば、たいした理由なんてありません。愛知の人が僕らに興味を持ってくれて声をかけてくれた、それが全てです。でもそんな縁を大切にしたいなとも思ってるんです。せっかく愛知でやるなら、福島ナショナリズムみたいにになっていくんじゃなくて、福島を訴えるとかでもなくて、もっと開かれたたものにしたいなあ。別に本当に福島だけの問題じゃないと思ってるんで。愛知の人にメインになってもらって、福島から僕らが手伝いに行くくらいのかんじで、いろんな人と一緒にやれたらいいなあ。
——昨年のブログでも同じようなことを書いてましたよね。
うん、去年ぐらいから言ってることは同じ。別に人間の意見なんか一致しないもんじゃない普通。それが震災や原発事故が絡んでくると意見の違いが大きな争いになるし、人間関係が壊れたりする。意見なんて一致しなくてもいいというか、違う人たちがどう共存してくかでしょ。人類って近代以降ずっとその問題をやってるわけで、その意味じゃ、昨年どころか、80年代から僕の考え方の基本は変わってないと思う。
「じゃあ、音楽家に出来ることは?」「音楽でしょ。」
——では、他の問題点は?
これは福島だけではなく世界の問題なのかもしれないけど、今回の原発事故や震災が気付かせた大きな事実は、科学が万能ではなかったということ。それまで僕らは宗教のように科学を信じてきたと思うんです。それが大前提で、新宿に高層ビルを建てたり原発を作ったりして国は成り立ってきた。でも本当は科学が万能じゃないでしょ。宇宙がどうなっているのかまでは解明できていないわけだし。でも、実生活に関わる物事では、宇宙のことは関係ないし、まあほぼ科学で解明出来てコントロール出来てきた。というか出来ると信じることで近代社会みたいなもんが成り立ってた。なのに今はじめて、科学ではどうにもならない問題を僕らはつきつけられてるわけです。原発もコントロールできなきゃ、甲状腺で癌が出たってそれが原発由来かどうかも突き止められない。科学という神を信じられなくなったことで、社会の根幹が揺らいでるんだと思う。そういう意味では、みな心のどこかで自信を失ったままだと思うんです。そうなるとどうなるか、僕すごく嫌な予感がしてるのは、社会的な不安というか、暴力的な動きとか、レイシズムのようなものが出てくるんじゃないかって。
——レイシズム?
今ってもうみんながひとつの神様を信じれる時代じゃないから、そうすると人がまとまりやすいのは、共通の敵を見つけて攻撃することでしょ。手っ取り早いのが人種差別。今まではネットの中だけで行われていたことがリアルな空間にも出て来てるような気がして。一部の変な人だけじゃなくて割と多くの共感を集め始めているような気がするんです。思い過ごしならいいけど、でも「とうとう来たな」って気がして怖い。人って不安だってことをなるべく認めたくない生き物で、だから震災のことも原発のことも忘れるんだけど、一方でその不安が残した傷は多分心の奥底に残っていて、忘れようとすればするほど違う形で表に出てくるような気がするんです。人を攻撃するのって、自分の不安を打ち消すのに一番の特効薬のような気がするんです。本当はそんなことじゃ傷はいえないのに。自分以外のサークルを攻撃することって何の努力もなく自分たちが素晴らしいと思えることにつながるわけで。ちょっと前に教科書問題で日本と中国が揉めた時、中国で起こった反日デモで日本の料理店が攻撃されたけど、あんなのおかしいじゃない。教科書を作った会社を攻撃するならまだしも、何の罪もない料理店を攻撃したって、それは完全に人種差別でしょ。そんな稚拙なことは日本では起こらないと思ってた。でも、それと同じことが日本でも起こりつつあって…。さっきデモで世の中変わるかもしれないっておっしゃってたけど、同じデモでも、思っていたのとは反対側に変わり始めている気がして…。おっちょこちょいの音楽家の思い過ごしならいいんだけど。

——なるほど。
裏側にあるのは不安と自信喪失なんじゃないかな。あの事故直後にヘリコプターで水を撒く映像を見て、原発推進反対関係なく、みんな「あれ?」ってなったと思う。日本は自分たちのことを科学の国だと思い込んでいたから余計にね。その後のひどい状況を見てしまった無力感みたいなもの、その時に受けた喪失感はまだ回復出来てないと思う。本当にその傷を回復したいなら、原発の問題に正面からとりくんで解決の努力をしなきゃいけないのに、そこはごまかして、安倍(晋三)さんはより安全な原発を作りますって言いだしてるでしょ。一度ダメになった安全神話に次の安全神話を上塗りする大作戦に出てる。手っ取り早い解決法として安全神話の上塗りと他国の批判に走って、強い日本ってイメージを作っていく。どうもそれが世間には説得力を持っているらしい。これだと傷は修復しないで、見えないトラウマみたいになって、必ずそのしっぺがえしが自分自身に来ると思うな。俺はやっぱり背景にある不安をちゃんと自覚すべきだと思う。
——原発推進の世の中になった時、大友さんや僕らが出来ることって何でしょう。
少なくとも俺にはそれを止める力はないなあ。でも長い目で見て、俺はなくなるって思ってる。
——ではその中で、大友さんはどう動いていくんですか?
音楽家はそういった具体的政治決定に対しては無力だと思う。もちろん「No nukus」みたいなコンサートに出ることは出来るし、そういう動きをリスペクトしてます。ただ、少なくとも音楽家ってのは、具体的なスローガンを出すことではなく、世の中に対する考えかたを作品にして行くことしか出来ないと思ってる。何度も言ってるけど、音楽家は無力だよ。戦争も止められなければ、すぐそこで起こっている暴力ですらなかなか止められない。それどころか無力であるべきだとも思ってる。暴力と同じ土俵にのるべきじゃないと思ってるし、直接的に物事や世の中を動かすためにあるわけじゃないからね。それをしたいと思うのなら政治家か社会運動家になったほうが早い。
——じゃあ、音楽家に出来ることは?
音楽でしょ。それ以外に何があるの? 音楽がそういうものに対して無力であるからこそ、別の土俵の表現だからこそ、結果的には人間の根幹に関わるような力をもつとも思ってる。でも、それだけに安易にわかりやすい形で音楽が力をもってしまうようなことは嫌だなって思うんです。その上でだけど、僕らは、単に演奏してるだけじゃなく、やる場所を作ってくことを含めて音楽な訳で、決して社会と無関係に音楽を作れる訳じゃなくて、当然、コミュニティの構成員でもある訳で、だから自分たちの納得のいく音楽をやるための場を作っていくことも重要で。具体的なこと言うと、今、クラブの問題で風営法改正のために多くのミュージシャンや関係する人たちが動いてるでしょ。そんなことやっても何もかわらないって批判もあるけど、でもね、15万人もの署名を集めて、沢山の弁護士が協力してくれて、ロビー活動にまでなって、このままいけば法律改正までいけるかもしれない。法律を変えるのってすごく面倒くさい地味な動きが必要だけど、それをすれば変わっていくこともあるって実感を僕らは経験した方がいいって思ってる。「どうせ世の中変わらない」になっちゃわないためにもね。例えばデモだけで世の中大きく変わるかっていうと、そんなことはない。むしろデモで大きく変わっちゃっうようならそれこそやばい世の中ですよ。だけど、あの夏のあれだけの人数でやったデモは決して無駄ではなかったと思う。すぐに答えがでないことであきらめるんじゃなくて、いろんな方向からしつこくじっくり攻めてくことで、変わってくことは絶対にあると思うんだ。もちろん直接世の中を動かすのは政治家だったり弁護士の動きなんだけど、彼らを動かすためのテコのような動きというか、彼等が動くモチベーション、動機になるのは僕らの意見な訳だからね。だから全然諦めてない。ただ、2011年とはやり方を変えた。
——どういう風に?
最終目標を決めて動くようなのはやめようと思って。言ってしまうとみんな結果を求めるでしょ。でも重要なのは、単に結果じゃなく、思考や行動のプロセスなんじゃないかな。結果が付いてこないことで挫折感を味わったり、自信喪失したり、どんどん疲れていく人たちを見てるとなおさらそう思う。被災地に入ったボランティアの人たちも、復興が一向に進まなくて疲れちゃう人いっぱいいるでしょ。でもね、あんな巨大な震災で流されちゃった家が1年間で戻る訳ない。でも結果が出ないことに敗北感を感じてしまって、その敗北感を基本にして動くと人ってやっぱりどこかに歪みが出てくるような気がするんです。こうあるべきだって目標がありすぎると、結果との間で、身動きつかなくなっちゃう。避難先でうまくやっている人って、どうせなら新しい土地で何かやってやろうって思っている人が多いような気がするんです。前の暮らしと同じものを求めるってよりは、まあ、まったく違うところに来ちゃったんだから、そこでなにか新しいことやるか… みたいな、そんな人のほうが、元気でやってるような気がします。被害者意識が強すぎる人はつらそうで…。もちろん責められないですよ。なんも悪いことしてないのに、そんな目にあってるんだから。残っている人でも、「本当はこんなはずじゃなかったのに」って思っている人より「なっちゃったものはしょうがないから」って思って動いている人の方がうまくいってるように見えます。東電に対して謝って欲しいとずっと言い続けていると、その人の人生がそのためにあるようになっちゃって、それはどうなのかと思いつつ、一方で東電は責任とるべきだとも思うし、だからすごく難しい選択で、一個人が巨大な企業や国に責任を取らせるって一生かける大仕事だから、それを被害者全員でやるべきとは思えないんです。それで何十年後かに裁判に勝っても… って思うこともある。でもそれをやる必要もあると思うし、本当に一概では言えない中で、役割分担していかないと、というのが現状の考え方かな。その上で俺はどうしようかなっていうと、自分がやってきた音楽の作り方と同じような方法でやってけないかなって。最初から結果を決めて、そこに向かって演奏するような音楽じゃなくて、即興を武器に、演奏する過程そのものが生命の根幹になるような音楽をずっとやってきてる訳だけど、そういう方法でやっていきたいなって。そういう発想方法の中に、未来の思想みたいなもんがあるんじゃないかなって、素朴に思ってるところがあって。とはいえ、この2年間「プロジェクトFUKUSHIMA!」で頑張ってきて、アイディアはもう尽きたんだよね(笑)。

——ははは(笑)。
ぶっちゃけ疲れました(笑)。一円にもならないどころかお金がどんどん出て行って、ほうぼうから文句も言われるし、 メンバーも一人二人と欠けていくし。でもやめていく人たちを責められないよ。毎月福島と東京を往復するだけでもすごい労力なんだから。去年の10月ぐらいに中心になって動いてたメンバーがやめたのを切っ掛けに「もうやめる?」ってみんなに言おうと思ったんです。それで、会議を招集してどう言おうかうじうじ考えながら行ったら、既に福島のメンバーが集まって来年のフェスをどうするかでめっちゃ盛り上がってるんですよ。まいったなあ。とてもやめるなんて言える雰囲気じゃなかった。福島のみなが自分たちで動き出していて、形勢逆転して俺が彼ら彼女らに引っ張られるくらいの勢いなんだもん。で、みんなで新しい盆踊りを作るとか言って、「大友さん、曲作ってください」って、俺盆踊り比較的嫌いなんだけど(笑)。勘弁してよって言いながらもすごい嬉しかった。活動しててこのときが一番うれしかった。
——それは今でもそう?
そう。それに俺が引っ張っていくのって不健全でしょ。東京に住む半端な知名度のある人間が福島に乗り込んで引っ張っていくって嫌じゃないですか。福島の人たちが自分たちに必要なものを探してやってくのがいい。俺はそれを側面で手伝う。その流れの方が自然かなって。
——では、大友さんは今は「プロジェクトFUKUSHIMA!」の代表ではない?
名義上は俺と遠藤ミチロウさんと和合亮一さんのままですよ。だから何かあったら責任とるのは俺… って、おいって感じですよね。中間管理職ってこんな気持ちなのかな… やだな50代って(笑)。あ、でもね、やっぱミチロウさんや和合さんは、この二人はまったく意見とか合わないくらい違うタイプだけど、でも彼等が推進力だと思うんです。僕もそんな一人でもあると思うんです。でもね、今は、むしろ表に名前の出てきてないみなが、というか、ここで何かやろうと思ってる人たちが、動かせるような器としてプロジェクトが機能してるようなところあると思うんです。
——その中で大友さん自身はどのように動こうと考えていますか?
まあ、みんなが疲れないように、楽しい器を維持してくことかな。あとは、閉じないようにすることだと思ってます。それとは別に個人的にはスクール的なこと。音楽の講座を開こうと思ってる。
——それは福島で?
いや、福島だけではなく、話があればどこでも行くつもりです。今までそういうレギュラー講師の仕事は全部断ってきたんだけど、最近いくつかの学校や大学から話をもらっていて、時間の許す範囲で受けようかなと思い始めてるんです。その代わり、そこの学生だけじゃなくて他所から来る人、学生じゃない人も必ず入れてくれってことにして、何回かのシリーズにして、さらにそのシリーズの後にはゼミ形式の少人数クラスにして、ってね。弟子をとるとかじゃないんだけど、今まで自分が培ってきたノウハウって誰にもちゃんと伝えてないからさ。さっきの未来をどうしていくかを考えるって話とも繋がるんだけど、それは原発どうこうの話以前に、もっと根本的な、民族なり考え方の違う人が共存する世界をどう創っていくのかという話で。僕らの好きな音楽って実はそれを無意識のうちにやっているでしょ。例えばジャズひとつとってもそう。ニューオーリンズの黒人たちの民族音楽だったものが、色んな地域の音楽と融合して、白人文化とも融合して、ヨーロッパや日本の音楽を巻き込みながら世界中で進化して、いろんな地域の民族音楽と結びついて新しいポップスを生み出したり、即興演奏みたいなもんまで生んで、いつのまにか初対面の人でも共演できるような形態を作っていったじゃない。ロックだって黒人音楽がルーツっていうけど、実は、色んな音楽が混ざり合ってて、ひとつのアイデンティティーだけで成り立ってるものではない独自の音楽を生んだわけでしょ。あらゆる人種、民族、言語の人が演奏できる形態って考えると、20世紀のジャズやロックを含むポップスって結構すごいことをやっている。そんな20世紀以降に生まれた音楽のあり方を丹念に見ていくことで、次の社会を作っていくための思想の萌芽みたいなもんが、いっぱい見つけられると思うし、ノイズのこと、映画の音のこととか、あるいは聴取ってことひとつとっても、それを丁寧に見ていくことで見えてくることって、いっぱいあると思うんです。そんな授業がやりたくなってて。秋頃からぼちぼちやれればって思ってます。多分この先、自分自身が目一杯音楽をやれるのってあと15年か20年くらいしかないと思っていて、だから生きてる間に自分がどうしてこんな音楽をやってきたのか、その根本みたいなのを伝えられたらいいなって思うんですけどね。
「戦争」って言葉の反対は「平和」じゃなくて「音楽」なんじゃないか
——ちょうど1年ぐらい前に、テレビで「福島のことを忘れないで欲しい」って言葉を聞いたんですよ。僕はその言葉にとらわれちゃって、こういう発信の場で福島の人に会うと「現状はどうですか?」って聞くんです。すると「いや、もう大丈夫」と言われる。「もう個人の問題だから、飯田さんに言えるようなことはないんですよ」って。
そんな質問をぶつけられたときに福島の人が恐れているのは、自分の発言が福島を代表した意見になっちゃうことだと思うんです。メディアのインタビューで答えたことが個人の意見じゃなくて「福島の人はこう言っています」と報道されかねないし、実際そんな目に遭ってる人、結構いると思うんです。これだけ意見が割れてるのに。だからみんな安易に発言出来なくなってるんじゃないかな。
——言葉通りに受け取ってしまっていたけど、そういうことじゃないんですね。
もちろん問題が解決しただなんて誰も思ってないですよ。でも「福島が汚染されてて酷いんです」なんてことを言えば、その一言で農作物が売れなくなるかもしれないって、ついつい思ってしまう。今は多くの農家が線量をはかって、放射線のでない作物をつくる努力をしてるのを知ってるから、なおさらです。それだけじゃなく、やはり福島が自分自身のアイディンティティの根幹になるわけですから、なるべく悪く言いたくないって気持ちも働く訳です。でも、実際の生活は、決して目をつぶってる訳ではない。かといって年中そのことを考えいたら、つらくて生きていけないってところもあって、不安も常にありつつ、それだけではない生活を取り戻そうとしてる。それに加えて村社会って部分もありますからね。都会に住んでいる人間には理解しにくいかもしれないけど。
——今初めて気がつきました。理解してあげられなかったんだ。
まあ自分に置き換えてみたら簡単なことで、ニューヨークに行って「日本はどうですか?」って言われても、俺は日本を代表してないから「俺の場合はこう思うけど」って言い方をするじゃない。
——しますね。
海外に行って日本を代表して発言出来る人がいたら、それは本当に日本を代表しているか、何も考えてない人だと思うんです。個人に日本を背負わせるのが重すぎるように、福島のレッテルを背負わせるのは重すぎる。だからそんなことに答えられないのは当然だと思います。それだけに、中と外を行き来して通訳をする立場の人がもっと沢山いるといいのになって思います。俺の通訳も決して福島を代表している訳ではないですから、沢山いたほうがいい。「福島を忘れない」のは本当に大切なんだけど、でもね、福島の中にもいろんな立場の人がいて、いろんな意見があって、一言では語れないですよ。かといって、そう言ったら、身も蓋ないというか、何も語れなくなっちゃうじゃない。その難しさを内側も外側も感じつつシェアできるといいなって思うんです。先日甲状腺の癌が出たってニュースあったでしょ。まだ確たることは言えないと思うけど、でもそんなニュースを聞くたんびに心がきゅうとなるんです。なんとも言葉に出来ない感覚です。これがこの先何十年も続くんだろうなって思うと、原発事故ってのは、本当にとてつもなくひどいもんだって思います。だれだって心がなえますよ。発言もしにくくなりますよ。でもだからって、あきらめたら負けなんで、しつこく地味にいきますよ、これからも。
——福島以外の人はどう動けばいいんでしょう? やっぱりOTOTOYから発信する僕としては、福島のことを忘れて欲しくないと思う。
もちろんメディアの人には関心を維持してほしいです。今大きな問題は、メディアがちゃんと機能してないことですから。問題点が何なのかを考えて、しっかりと文字にしていって欲しい。でも、福島に縁も所縁もない一般の人が、いつも福島のことを考る必要なんてないと思いますよ。人って自分の問題になって初めて真剣に考えるわけで。だからメディアなりアートの役割は、自分の問題ではないものに対して想像力を働くような作品を作ったり、それを情報にして伝えていったりってことなんじゃないかな。
——さきほどの「繋げる」ってこともそうですしね。
別に繋げることを目的にはしてませんよ。どうせなにか動けば繋がるわけで。さっきも言ったけど、震災が切っ掛けで、人がシャッフルしてるのが今で、それっていい機会だとも思うんですよ、いろんなことを考えるのにね。
——今日はたくさん気付かされました。あと最後に、戦争が近づいてきていると思うんです。なんでかはわからなくて、中国のことは全然嫌いじゃないのに、自分の中で少しずつ嫌いになっていく気がして。
はっきり言って中国も悪いと思うよ。悪いと思うんだけど、だからと言って俺の友達の中国人が悪いわけでは決してない。さっき話した「福島」ってくくりにしてもそうだけど、「中国」って言うだけで、その瞬間に顔が見えなくなるでしょ。そういう自分自身の思考方法から考え直してければいいんじゃないかなって思ってる。国の争いに、乗っかる必要なんて全然ないよ。
——でもちょっと、なんか、音楽には望みがありますよね。
いつも思うけど「戦争」って言葉の反対は「平和」じゃなくて「音楽」なんじゃないかって。おまけに祭って男どもの戦争衝動をうまく消費する仕掛けでもあるでしょ。そのうえセクシーなもんだしね。 だから祭りはやった方がいい。こんなときだからこそなおさらね。人間の暴力衝動を音楽で消費しつつ、ついでに仲良くなれるなんて最高でしょ。その衝動を無理に抑えちゃうと、背景にある不安と自信喪失が暴力みたいな形で出てきかねないなって思うんです。
(2013年2月28日取材)
大友良英 PROFILE
1959年生まれ。ギタリスト / ターン・テーブル奏者 / 作曲家 / プロデューサー。ONJO、INVISIBLE SONGS、幽閉者、FEN等複数のバンドを率い、またFilament、Joy Heights、I.S.O.など数多くのバンドに参加。同時に映画、CF等、映像作品の音楽も手がける。近年は美術家とのコラボレーションも多く、自身でもサウンド・インスタレーションを手がける一方、障害のある子どもたちとの音楽ワーク・ショップにも力をいれている。著書に『MUSICS』(岩波書店)、『大友良英のJAMJAM日記』(河出書房新社)など。
連続記事「REVIVE JAPAN WITH MUSIC」
- 第一回 : 大友良英インタビュー
- 第二回 : 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)インタビュー
- 第三回 : 山口隆(サンボマスター)インタビュー
- 第四回 : Alec Empire(ATARI TEENAGE RIOT) インタビュー
- 第五回 : 平山“two”勉(Nomadic Records) インタビュー
- 第六回 : 小田島等(デザイナー/イラストレーター) インタビュー
- 第七回 : PIKA☆(TAIYO 33 OSAKA/ムーン♀ママ/ex.あふりらんぽ) インタビュー
- 第八回 : 箭内道彦(クリエイター/猪苗代湖ズ) インタビュー
- 第九回 : 後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)インタビュー
OTOTOY東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム(2013)
『Play for Japan 2013 〜All ver.〜』
(左)『Play for Japan2013 vol.1 〜Landscapes in Music〜』
(中央)『Play for Japan2013 vol.2 〜沸きあがる的な〜』
(右)『Play for Japan2013 vol.3 〜a will finds a way〜』
>>>『Play for Japan2013』の特集はこちら
OTOTOY日本復興コンピレーション・アルバム(2012)
『Play for Japan 2012 ALL ver. (vol.1-vol.11)』
『Play for Japan 2012 First ver. (vol.1~vol.6)』
『Play for Japan 2012 Second ver.(vol.7~vol.11)』
『Play for Japan vol.1-Vol.11』
>>>『Play for Japan 2012』参加アーティストのコメント、義援金総額はこちらから
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