猪苗代湖ズとして「I love you & I need youふくしま」を発表。そして10月にはサンボマスターとして、福島県を西から東へ1日ずつ移動しながら行われた野外ロック・フェス「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」で録音された「I love you & I need youふくしま」のライヴ・ヴァージョンを発表。今回は、両バンドの唄とギターを務める福島県出身の山口隆にインタビュー。震災後、多くの原発反対デモが起こった中で彼が選んだ行動は、「原発反対! 」と叫ぶのではなく、「I love you baby ふくしま」と切々と語りかけることだった。彼はどんな気持ちで歌うのか? そして故郷への思いは?

(インタビュー : 飯田仁一郎(Limited Express (has gone?) 文 : 水嶋美和)

第三回 : 山口隆(サンボマスター)

――3月11日14時46分、地震が起こった時は何をしていましたか?

山口隆(以下、山口) : 高知県にライヴをしに行って、ちょうど取材を受けているところでした。最初はどこが揺れているのか全然わからなくて、どうやら東京と東北が大変なことになっているらしい。でも両方大変なことになるってどういうことだろう? 現実感がまるでなく、まさかここまで大きな事が起こっているとは思わなかったですね。でも近くの喫茶店でテレビを見せてもらって、10分ぐらい経って何が起こっているのかがわかってきました。そこからしばらくはなるべく正しい情報を多くの人に伝えられるよう、Twitterで情報を慎重に選んでRTしていました。

――最初起こした行動は、RTだった。

山口 : はい。最初は自分の中から言葉を発するべきではない。自分ごときが、不遜だと思ったんです。けれどRTを続けていると、結構な数の方が「なぜ何も言わないんだ」と言ってきて、そこから「これは言うべきなんだな」と思って正しい情報を流すと同時に自分の言葉、詩を発信し始めました。それから3日ぐらい経った頃に、猪苗代湖ズの「I love you & I need youふくしま」をリリースする話になりました。とにかく、自分の故郷が大変なことになっているので。

――その時、どんな思いでしたか?

山口 : 東北全体が、いや、東北だけじゃないよね。日本中が大変なことになっていて、とにかく動くしかねえな、という感じでした。

――猪苗代湖ズには山口さんの他にも箭内道彦さん(クリエイター)、松田晋二さん(THE BACK HORN)や渡辺俊美さん(TOKYO No.1 SOULSET)もメンバーとして参加していますが、震災後、自然にこの4人が集まったんですか?

山口 : いや、猪苗代湖ズもこの曲も震災以前からあって、「アイラブユーベイビー福島」というタイトルだったんです。で、この曲をリリースして収益全額を福島県に寄付したいという話を箭内さんにして、近藤洋一(サンボマスター)にプロデュースを依頼したんです。

――「I love you & I need youふくしま」は山口さんが発端だったんですか?

山口 : 確かに僕が作詞作曲をしましたが、箭内さんも松田くんも俊美先輩もみんな何かやりたかっただろうし、誰が最初というのはないです。本当は木内泰史(サンボマスター)の助けも借りたかったけど、あいつは千葉県だし、そっちはそっちで被害が深刻だったから機材だけ借りました。で、東京はまだ計画停電で、電気を使うこと自体どうなんだっていう雰囲気だったし、レコーディングの最中に停電になってもいけないですから、猪苗代湖ズのメンバーと近ちゃん(近藤洋一)で名古屋へ行ってレコーディングしました。それが震災後一週間ぐらいの動きですね。必死でした。

――その一週間で、行動を起こせたミュージシャンもいればそうじゃないミュージシャンもいた。その中でそこまで早く行動を起こせた山口さんの、その時の心境について聞かせてください。

山口 : 行動に移そうと思って行動したという感じではないんです。ライヴをやると決まっていたら、会場についたら普通にライヴするじゃないですか。やるのが当たり前、というのも変な言い方ですが、それと似た感覚でした。目の前でどんどんニュースが流れていって、それを見て行動を起こすことは自分にとって何の違和感もなかったです。ただ近ちゃんとも話したんですけど、これに続いてチャリティー・ソングを作る人は絶対に出てくるはずだから、先陣を切らなきゃいけない。生意気にもそんなことを考えてました。ただし、ミュージシャンがそれぞれの思いをもってそれぞれのタイミングで動けばいい。行動が早かったから偉い、偉くないというのはあまりないと思います。

猪苗代湖ズ

――あの震災の直後、音楽に向かえなくなったミュージシャンもいた中で、山口さんがすぐに音楽を手段として選んだのは?

山口 : そこに対しては、何の疑問も持たなかったんですよ。音楽をやるのが当たり前だった。

――3月に猪苗代湖ズとして「I love you & I need youふくしま」をリリースして、半年以上経ってから10月にサンボマスターとして同じ曲をリリースしたのはなぜでしょう?

山口 : 猪苗代湖ズでやることとサンボマスターでやることに、そこまで区別はないんですよね。3月に猪苗代湖ズとしてリリースした音源も、木内の機材を使ってるし、近ちゃんにはプロデューサーとして参加してもらったし、彼らとも一緒に作った意識なんです。

――それを敢えてサンボマスターとして再びリリースしたのは?

山口 : サンボマスターでも出したかったんです! 猪苗代湖ズも最高だけど、サンボマスターも最高のバンドなんで。猪苗代湖ズで出した時も、先ほど言ったように木内も近ちゃんも二人ともすごく協力的で、収益の全額を寄付するって言った時も「当然でしょ」って感じで、この2人ともこの曲をやるべきだと思ったんです。今年の夏フェスにサンボマスターで呼んでもらった時は毎回「I love you & I need youふくしま」を演奏していて、あと箭内さんが「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追(2011年9月14~19日の6日間、福島県内を移動しながら行われたフェスティバル)」をやったでしょ。あれでちょうど震災から半年だったんですよね。そこで見た福島の人達は本当に力強くて僕は感動したんですけど、もっともっと自分達のやり方で応援できるのではないかって思ったんですよ。応援なんて偉そうだし生意気だなって自分で思いますけどね。周りの友達はちゃんと福島で子供作って育ててるのに、僕は東京でロックンロールって叫びながらふらふらしてるだけ。福島に対して何もできていない。「I love you & I need youふくしま」にしても、僕がこの曲を全国で歌いたい、それだけのことなんですよ。… 今言葉に困っているのは、僕には「俺はこうだぜ! 」って壇上から声を発する気持ちがあまりないからなんです。「聴いてもらえねえかな」って、単純にそういう気持ちなんです。

――「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」では6日間ずっと出演していましたが、どうでしたか?

山口 : 色々ありましたね。いかんなあ。絶対泣かねえぞって思って演奏するんだけど、やっぱり泣いちゃうんですよね。

――じゃあ、今回配信した「I love you & I need youふくしま」の最中にも?

山口 : そうなんです。お客さんもミュージシャンも、こんなに福島に集まってくれた。その空間を音源として出したいという気持ちもあったんですよね。

――お客さんの反応はどうでしたか?

山口 : すごかったです。普通のロック・フェスとは違っておじいちゃんおばあちゃんも来てたし。俊美先輩が最終日だけ出れなくて、5日間ステージで着ていたつなぎを近ちゃんに託して、近ちゃんがそれを着て代わりに猪苗代湖ズでベースを弾いたんですよ。もう、泣けてしょうがなかった。でもこれと同じことが、規模の大小はあれど全国で同時多発的に色んなところで起こってると思うんですよね。ミュージシャンそれぞれが自分の思いで動いて、他と繋がろうとも思っていないのに繋がっている。僕はこの何年間音楽活動を続けて来たけど、初めて見ます。日本のミュージシャンってすごい。福島県民としても本当に有難いことです。みなさんの活動に敬意を表します。

――このフェスにはどのような気持ちで臨みましたか?

山口 : 来てくれるお客さんの恋人になりに来た。それぐらいのライヴやってやるぞって気分でしたね。

――終わった後は?

山口 : 精根出し尽くして、あと1年ぐらいは何もできないみたいな状態で帰った記憶があります(笑)。

――「LIVE福島」は今年のフェスの中でもとても大きな意味をもったフェスだったと思います。このフェスの主宰の箭内さんって山口さんから見てどういう方なんでしょう?

山口 : 本当に不思議な方ですよね。近くにいると超人でも何でもないし、見ててダメなところもいっぱいあるんですけど(笑)、そういう普通の人がボロボロになりながら、6日間のこのフェスを成功させた。ロックンロールをやっていると、純粋じゃない人もたくさん見るんですよ。でもあの人は本当に純粋。そこが一番の才能なんじゃないかな。

――山口さんにとって、震災後、何か大きく変わったことはありますか?

山口 : 一番でかく変わったのは意識ですね。「これは恥ずかしがっている場合じゃねえぞ」と思うようになりました。僕はロックやハードコア・パンクが好きで、「1,2,3,4 I don’t like you」で始まることが僕の教科書の中では正しいことだったんですよ。でもいざサンボマスターを始めて心の中から言葉を出そうとした時、なぜか「あの子が好きだ」「あの子のために歌うんだ」が出て来たんです。「もっとかっこいいこと歌いたかったんだけどなあ」って思ってたんですけど、震災以降でさらに変わりました。心の声が自分に命じていることを歌うべきだと思ったし、色んな人の活動を見てて、ロックンロールがどうやって人の心に響くのかがわかった。ロックンロールの意味を教えてもらいました。そして、俺ももっとロックンロールをやんなきゃなって思ったんです。

サンボマスター

――山口さんから見て、今の福島の状況はどうでしたか?

山口 : うん。みんな頑張ってますよ。でもやっぱり助けが必要です。情報は錯綜してるし、土地ごとでそれぞれ困難を抱えてるし、それがまた新しい困難を生んだりして。まだまだやれることだらけですよ。みんな歯ぁ食いしばっているっていうのが僕が見た福島の正直な感想ですね。でも、震災後二週間ぐらいしてやっと地元の友達と連絡をとれるようになって、みんな口を揃えて言ったのが「歌出したんだろ。こっちは大丈夫だからお前が頑張れ」「いいからとにかく歌いに来い」だったんですよ。すげえなって思いました。

――それが言えるのはすごいですね。では、これから山口さんが頑張る方法として、次に何をするかは考えていますか?

山口 : とにかく、日本中でこの歌を歌って回る。今年は呼んでいただいたフェスにはなるべく出るようにしました。これを日本中で歌いたいんです。そしてこの曲をいいと思ってくださった方がダウンロードしてくれたら、そのお金が福島の対策本部に行くんですよ。それは当然僕にとっても有難いことだから、今はそれをやるしかないなと思います。

――では最後に、今の日本の状況は相当深刻なものだと思います。その中で、音楽やロックに出来ることって何だと思いますか?

山口 : 生意気なんですけど、精神的に立ち上がることもままならない人達を元気づけることでしょうか。闇が巣食っているところで歌いたい。僕が出来ることはやはりそこだと思うんです。音楽は日本の闇を食いつくすことができる。その力があると、僕は思います。

――それを具現化する行動が、日本全国で歌うこと。

山口 : そうですね。日本のミュージシャンはもうそれをやり始めています。そしてそれを、同じ日本のミュージシャンとしてを誇りに思います。

(2011年10月14日取材)

連続記事「REVIVE JAPAN WITH MUSIC」

サンボマスター EVENT SCHEDULE

『FM802 ROCK FESTIVAL RADIO CRAZY』
2011年12月29日(木) @インテックス大阪

『rockin'on presents COUNTDOWN JAPAN 11/12』
2011年12月30日(金) @幕張メッセ国際展示場1~8ホール&イベントホール

PROFILE

サンボマスター
山口隆(唄とギター)、近藤洋一(ベースとコーラス)、木内泰史(ドラムスとコーラス)によるスリー・ピース・バンド。メッセージ性の強いストレートな歌詞と、ファンクやソウルからの影響を感じさせるロックンロール・サウンドを特徴とする。2000年に結成。2003年7月、オナニーマシーンとのスプリット・アルバム『放課後の性春』でメジャーデビュー。同年夏の「FUJI ROCK FESTIVAL '03」ROOKIE A GO-GOステージに出演し、12月には1stアルバム『新しき日本語ロックの道と光』をリリースする。2005年発表のシングル『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』がドラマ主題歌に起用され、大ヒットを記録。さらに2007年9月に東京・両国国技館にてワンマン・ライブ「世界ロック選抜<ファイナル>サンボマスター vs サンボマスター」を敢行。それまでに発表していたレパートリー全55曲を6時間かけて披露し、大きな話題を呼んだ。その後も、シングルがCMソングやアニメのエンディング・テーマに起用されたことで、着実に新しいファンを獲得。2011年4月には、CD2枚組に計34曲、初回限定盤DVDにビデオ・クリップとライブ映像それぞれ11曲+特典映像という、計57曲が詰め込まれた初のベスト・アルバム「サンボマスター 究極ベスト」をリリースした。
>>>サンボマスター official website

猪苗代湖ズ
福島県で生まれ育ち、今は東京や横浜で暮らすミュージシャンとクリエイターの福島県人バンド。メンバーであるクリエイティブ・ディレクター、箭内道彦が実行委員長を務めた、『風とロック芋煮会』(2010年9月 福島県・裏磐梯高原にて開催)を機に結成された。もちろんバンド名の由来は、福島県の中央に位置する、日本第四位の大きさを誇る湖、『猪苗代湖』から。昨秋の『風とロック芋煮会』では、大自然に囲まれた故郷の野外ステージで郷土愛をかき鳴らした。この時に生まれた曲が、福島への想いを真っすぐに歌いあげた『アイラブユーベイビー福島』である。
>>>猪苗代湖ズ official website

支援の輪を広げてゆく 『I love you & I need you ふくしま』

OTOTOY東日本大震災救済支援コンピレーション・アルバム

『Play for Japan Vol.1-Vol.6』


『Play for Japan Vol.7-Vol.10』


>>>『Play for Japan』参加アーティスト・コメント一覧はこちらから

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筆者について
J J (JJ)

パンク・バンドLimited Express (has gone?)のギター・ボーカル。BOROFESTAの主催者。ototoyのチーフ・プロデューサー。JUNK Lab Recordsのレーベル・オーナー。ライターやイベント・オーガナイズも多数。ototoyでは、リミエキのJJとして喋っている時は、JJ(Limited Express (has gone?))と記載しています。

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