
あくまでもミュージシャンの出したい音を、諦めずにもう少し真剣に考えてほしい
ーー高音質の配信についてどう思いますか?
CDは便利ですが、音質という点からは私は満足ではありません。もちろんそのフォーマットでしか制作、録音が残ってない場合は、仕方ないです。音楽の本質の体験を届けるなら、高音質は簡単なソリューションです。今まで配信と言えば、MP3などの圧縮で、製作現場でミュージシャンがよくだまされる言葉として「配信用だからこの音でいいよ」って。「これわたしの音じゃない… 」ってなっても、「でもディレクターの人はこれで良いって言ってたのに… 」っていう会話はよく聞くんです。ミュージシャンの出している音を届けてあげるっていうのがすごく録音にとっては大事なことなのに。だからOTOTOYとかe-onkyoとかがDSD配信をはじめたことは凄いことだと思うよ。世の中の状況として、携帯で聴くお手軽なMP3でいいってなってしまっているけど、すでに10年前とはぜんぜん環境は違っていて、もう少しダウンロード・スピード等のインフラが整ってくれば圧縮の必要なんかなくなります。なるべくミュージシャンが出したい音や「そこに居たのか! 」って勘違いするような、まるでその空間で体験したような音を届けたいですね。

ーーセイゲンさんはご自身でも演奏しますが、ミュージシャンとしての立場と違いはありますか?
そうですねえ、ミュージシャンとエンジニアの両方を30年以上やってきてようやく判ったというか、考えてみれば当たり前なんですが、その立ち位置というのは、まったく違います。異なる精神状態ですが、どちらの立場もよく理解できる。まず、ミュージシャンは一番いい音で演奏をして、つまりいい音を出すには、気分よくというか、リラックスの中にもそれなりの集中力、緊張感が、不可欠なんです。一方で、録音エンジニアとはそれを客観的に録音する立場であり、演奏といっしょになって感情的になっていてはいけないとも思う。医者の診察のように間違いのない手順で、出ている音を正確に捕らえる。解決した方がよい小さな問題をみつけたら、瞬時にその解決をしていく。例えば、ノイズだとか不要なかぶりだとか、響き方とか、床の反射音とか、編成や現場によりいろいろあるんです。ミュージシャンとエンジニアの関係とは、最高の共同作業を短時間で成し遂げるチームでもあり、互いに相手のことをよく理解していないと上手くいかない。求める方向が少しでもずれていると、それで失敗です。喧嘩にならなくとも、どちらかが「まあ仕事だからいいや」と妥協している光景はよく見ますが、それはまだベストではない。まあ演奏メンバーもそうですが、キャスティングですべては決まっているんですが。リーダーやエンジニアは、そこで時間内に全員を最高のコンディションに持っていく。いいねえ、いいね、とある意味でおだてられてるうちに、気がつくと最高のテイクが押さえられていたっていうのが理想的なレコーディング現場のひとつです。テレビで見たけど、篠山紀信さんの撮影現場って同じなんだよね。サイデラ・マスタリングである雑誌の見開きページに私が登場したことあるんですが、ヌードじゃないですよ、さりげない会話してうちにもう仕事は終わっている。
ーーぶっちゃけ、DSDはユーザーにとってまだまだ使い勝手が悪いですが、これからどうなっていくと思いますか?
そうですね。でもわりとすぐストリーミングができるDAコンバーターがでてくると思いますよ。時間の問題だと思う。今では技術的にもコストも決して難しくない。問題はマーケティングで、DSDで儲かるのか儲からないかという基準で商品企画をすすめられると、本来の目的やデザインから外れた商品になり、あるいは商品化されないという状況になり、いつまでたっても本質と短期利益のどうどう巡りになる。
ーーなるほど。
今ほとんどの人が、音楽はPCで聴いていて、PCのイヤホンのところからアンプに繋いだりして聴いているでしょう。あれはあれで便利なんですけど、オーディオのアナログの回路がチープなものしか入っていないし、ダイナミック・レンジに限界があるし、音は聞こえればいいやって程度のものなんですよ。現在のプロ用のDSDにしても、インターフェイスは全部Windowsであり、コアな部分はCPUなわけですよ。コンテンツのDSDデータはスタジオのマスターと同じもの。これを家庭でもふつうのPCで聴けるとなると、こんないい音だったんだってなりますよ。そもそもPCのほんとうにチープなアナログ・アウトにヘッドホンやアンプを繋いで聴くっていうのがもったいない。壊れかけの何かで聴いているようなもので「音楽」の聞き方としては間違っている。どうでもいい音楽の場合はそれでいいけど、「自分の好きな音楽」をきくときは、そこをちょっと良くするだけで格段にグレード・アップするんですよ。30分も前にグラスについで、ぬるくなっちゃったビールなんて飲めないでしょ?
ーー自分なりの環境に応じた好きな音の楽しみ方を探す必要があるって事ですね。
その通りです。「自分の好きな音楽」がある場合ですけどね。好きなシステム、人によってはデザインとか価格という、音質とは違う要素で選ぶ人も多いですが、まず自分自信に問いかけてみましょうか。「自分の好きな音楽」があるかどうか。で、その音楽が、DSDで手に入る場合は、もうこれは何ものにも代え難い体験です。

ーー広く一般層にも分かりやすい高音質の再生用ストリーミング・ソフトが出るといいですね。
最近はPCオーディオやネット・オーディオの本や雑誌もいっぱい出てきているし、女性編集者でも扱えるっていう言い方はちょっと失礼ですが。設定は面倒くさそうに思えるけど、一回その音に触れるとね。そこを超えてしまえば怖いもんなしですよ。携帯電話も差別化したいメーカーはいち早く手掛けるべきです。コンサルティングしますよ。日本の携帯電話会社って進んでいるし、スマホは、PCにとってかわるのは確実。CPUもある程度のデータを取り込むことができる。
ーーこれからDSDはもっと広まっていくでしょうか?
経済評論家でないので判りませんが、音や聴覚の専門家として発言するなら、DSDは当たり前のフォーマットとして広まるべきです。「AudioGate」はDSDを96KHzにダウン・コンバートしながらストリーミング再生できます。もちろんDSDはそのまま聴くのが一番良いんですけど。音質って、こだわればこだわるほど違いがわかるようにはなる。握り立ての寿司を食べるか、出てきて3〜5秒後に食べるかどうかの違いくらいなものですよ(笑)。こだわる人には大きな違いで、興味ない人には別にどうでもいい。
ーー世界の高音質好きのシェアは日本は7%位で、アメリカとヨーロッパが40%ずつ位らしいんですね。でもDSDが一番流行っているのは日本だそうなのです。海外の人達はどのくらいの音質で楽しんでいるものなんでしょうか?
wavの24bit 96kHzまでが一番多いですね。DSDは日本発なので、単純に知られてないっていうのもあると思う。海外の印象としては、フィリップスとソニーがスーパー・オーディオCDの販促をやめた時点で「スーパー・オーディオCDもDVDオーディオも終わっちゃったよね」っていう印象がついちゃった。現在、入手できるDSDではKORGが一番進んでいるんですよ。世界最高レゾリューションです。その通り録るならこれがいい。日本のプロのエンジニアの中でも、まだ触れたことのない人もいるようですが、ぜひ試してみていただきたい。
ーー「日本の技術を信じる」ってセイゲンさんのHPに書いてありますが、説明してもらえますか?
DSDにしてもそうですけど、日本の技術は凄いんです。それが知られていないだけ。それぞれの得意分野が持っている技術って凄いですよ。音に限らず、現場の最先端技術はすごい。つい先日もFBである方と会話して「Y社のR&Dは、世界でも最先端の技術を持っていますね。ただそれが社内とNDAを交わしたメンバーだけでしか知られないうちに、いや下手するとS社やY社は社内の技術でも、事業部が変わるとまったく知らない、何年たってもそのまま商品企画にも上がってこないまま時代遅れで消えていく、という事例は珍しくありません。すでにある最先端技術を事業部、企業の壁を超えた応用ができれば、グーグルやアップルに負けないんですけどね。10年前は商品化できなかった(当時進み過ぎていた)技術のほとんどは、Core i7のCPUでネイティブで可能です。もう一つの問題は、デザイナーが世代交代して、なんのためのアプリケーションであったか本質を忘れてしまって… それでは、世界に売れるものはできません。なんだか政府も企業の幹部も、研究者や現場の扱い方を間違ってると思いませんか?
ーー音源とリスナーの関係に関しては、どうなってほしいと思っていますか?
結論から言うと、その方の趣味趣向、価値観ですからどうでもいい。これもワインとその楽しみ方の関係に似ています。ある人にとっては価値があり、好みに合わない人には価値がない。お酒を飲まない人、そのワインを知らない人には、未体験なので判断できない。音源とリスナーの関係も同じで、一度しかない人生において、それを試してみることが重要なのは確かですね。初めてのリスナーでも、オーディオ・ファイルあるいは音楽評論家を称する方でも、まずは体験することで、いい関係ができあがります。もちろん逆もあり、初めて聴くDSDでたまたま下手な演奏を聴いちゃったりすると、もう音楽なんか嫌いになってしまうかもしれない。リスナーは、音楽評論がガイド・ラインとなり出会うソフトがあったりしますよね。ライブなんかでもそうなんですが。また、オーディオ機器で言うと、価格と性能は比例してるわけではないです。私のスタジオでは「PMC-MB1」や「ATC SCM-100」というプロフェッショナルの大型モニター・システムも備えていますが、同時にECLIPSEの「TD307II」でもミキシングのバランスやマスタリングを確認したりします。小型であることは性能が落ちることではないんです。むしろ6.5cmのユニットというのが有利に働いていて、インパルス応答特性は、このスピーカはダントツに高性能です。たった18000円のスピーカーですが、どんなスピーカーよりもインパルス応答が正確なんです。宣伝ではなくてこのスピーカーは私が推奨できるモニターです。これでも高価すぎるとおっしゃる方には、ちょっと説得できませんねえ。安ければいいっていう基準の方も居ますから。どんな環境で聴いたらいいのかというと、やっぱりミュージシャンが出したい音がそのまま届くような環境がいいですよね。「えっ? そこにいるの? ! 」って思えるような。そのとき、ワイン・グラスやスピーカーは見えない、意識されない存在であるべきですね。スピーカーでもヘッドホンでもラジカセでもPCでもいいんですが、ほとんどの商品ではそれぞれ色づけがあって、それが商品の特徴で、リスナーの好き嫌いになっているんですが。精密に判断するには、色づけのないモニターでないといけないわけです、本当は。ソニーの「MDR-EX800ST」これは色づけがない。ヘッドホンの歴史を変えるほどいいヘッドホン。レコーディング、つまりマイクやスピーカーは黒子に徹したほうがいいんです。ミュージシャンやディレクターが「この人に任せたら大丈夫だな」って思ってくれるのが仕事としては理想的ですが、それはリスナーに向けて見えなくていいんだよね。リスナーにとっては「音楽がそこにある」ってことだけでいい。大人数で聴くなら大きなスピーカーがあったらいいし、一人で聴くならヘッドホンでいい。そういうシステムで、自分の好きな音源に出会えれば、そこからがスタートです。
ーー音質にこだわるセイゲンさんですが、エンジニアとして伝えていきたい事等ありますか?
録音エンジニアとしては、あくまでもミュージシャンの出したい音を、みなさん諦めずに、もう少し真剣に考えてほしいですね。音量競争、ひずみ競争、目立つ競争ではなくてね。DSDにより、音楽が好きな人には、ようやく「本当の意味でのレコード」を楽しめることができる時代がきたんです。DSDの素晴らしさは音楽が好きな人ほど分かるもので、逆に音楽にそれほどこだわりない方には、今日述べたことは無意味ですし、それを押し付けるつもりもありません。お酒飲まない方に、このワインはすごいんだって言っても伝わりませんよね。それと同じ。まず本当に自分は音楽が好きなんだろうかを自問してください。どっちかって言うと好きな方は、DSDを体験するとそこでカミングアウトしてしまいますよ。今までこういう世界は未体験だったってことに気がつくはずです。

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PROFILE
オノ セイゲン
録音エンジニアとして、82年の坂本龍一の『 戦場のメリークリスマス』にはじまり、渡辺貞夫、加藤和彦、ジョン・ゾーン、アート・リンゼイ、マンハッタン・トランスファー、オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット、マイルス・デイビス、キング・クリムゾン、ジョー・ジャクソンなど多数のアーティストのプロジェクトに参加。ヤマハ「O2R」デジタル・コンソール、ソニー「SONOMA DSD Audio Work Station」と サンプリング・リバーブ「DRE-S777」などをコンサルティング。R&Dから実際の現場での応用まで、DSD、ハイレゾルーション・オーディオ、最新のサラウンド・フォーマットの強力な推進者でもある。東京のサイデラ・マスタリングをベースに、2011年秋からはベルギーGALAXY STUDIOSのゲスト・エンジニアとして録音 / マスタリング「AURO 3D」 マスターとして参加。
一方でミュージシャンとして、93年にスイス、モントルー・ジャズ・フェスでデビュー。08年7月に3回目の出演となる同フェスで“Le petit ballets des Rolly”を世界初演。作曲家として、最新アルバムは『Olive tree for Peace / Seigen Ono』。87年に川久保玲から「洋服が奇麗に見えるような音楽を」という依頼により作曲、制作した『COMME des GARCONS / SEIGEN ONO』(広告関係者、選曲家必聴のクラシックと言われている)ほか多数のアルバムを発表。ジャン・クリストフ・マイヨーの「モンテカルロバレエ団」、フィリップ・デュクフレの「DCA」ほか、国内外のダンスカンパニーなどにも委嘱作品を提供。