『ANOTHER JUST ANOTHER』──the原爆オナニーズが語るパンクの歩み、“バンド”と“生活” 第1回
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その扉が開かれてから約半世紀、時を経て様々なサブ・ジャンルへと枝分かれをしつつも、世界中で新たな世代へと伝播、更新を続ける“パンク”。日本でその歴史を辿ったときに、the原爆オナニーズの名前を外すことはできない。メンバーが還暦を超えた現在もなお、活動を続けるバンドに迫った初のドキュメンタリー映画『JUST ANOTHER』が、このたび2020年10月24日〈新宿Kʼs cinema〉を皮切りに順次全国にて公開。監督を務めたのはレーベル〈Less Than TV〉を主宰する谷ぐち順とその家族と仲間たちを追った映画『MOTHER FUCKER』で監督デビューを果たした映像作家、大石規湖。今回OTOTOYでは映画の公開に合わせ、バンドのフロントマンであるTAYLOWへの全3本立てとなるロング・インタヴューをお届けします。話の聞き手はこちらも日本のパンク、ハードコア・シーンの最前線を走り続けるFORWARD、DEATH SIDEのヴォーカリスト、ISHIYA。第1回となる今回はパンクとの出会いから、the原爆オナニーズのバンド・スタイルが完成されていくまで。
映画『JUST ANOTHER』
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【作品情報】
出演 : the 原爆オナニーズ〈TAYLOW、EDDIE、JOHNNY、SHINOBU〉、JOJO広重、DJ ISHIKAWA、森田裕、黒崎栄介、リンコ他
ライヴ出演 : eastern youth、GAUZE、GASOLINE、Killerpass、THE GUAYS、横山健
企画・制作・撮影・編集・監督 : 大石規湖
宣材写真 : 菊池茂夫
配給 : SPACE SHOWER FILMS
【映画公式HP】
https://genbaku-film.com/
INTERVIEW : TAYLOW(the原爆オナニーズ)
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1982年に名古屋で結成され、日本のパンク黎明期から現在まで活動を続けているthe原爆オナニーズ。そのバンド名から、一般のパンクを知らない人間にまでも浸透する知名度の高さであるにもかかわらず、40年近くアンダーグラウンド・シーンで輝き続けているバンドである。なぜそうまでして独自のスタイルを貫きつづけるのか? the原爆オナニーズというバンドの在り方は、音楽やバンドのみならず、一般的な人々が生きていくうえでも参考になる部分が多くあるだろう。誰もが目指し憧れるが、なかなかできることではない「好きなことを好きなように自由に行う」という、生き方。バンドを通して見えてくる人生の指針のようなものが、この映画には詰まっているのではないだろうか。自分の人生の中で何かががうまくいかないときに、the原爆オナニーズのライヴを観て、体験すると必ず元気になってしまう。これまで何度そんな体験をしてきたかわからない、その不思議な魅力は一体どこからやってくるのか? 映画公開に合わせ、the原爆オナニーズのボーカルであり中心人物のTAYLOW氏に、旧知の間柄であるISHIYAが、より深くthe原爆オナニーズというバンドと、この映画への理解を深めるために行なった、必見の全3回に渡るインタヴューである。
インタヴュー&文 : ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)
資料提供 : TAYLOW
パンクはもう1976年に衝撃波で、全てチャラにされちゃったからね
──TAYLOWさんが最初に聴いた音楽というか、ロックは、ビートルズとかになるんですかね?
まぁそのぐらいになりますね。僕らの世代は、ちょうどビートルズ直撃世代だから。
──リアルタイムってことですか?
リアルタイム。それこそ小学校のみんなが箒持ってビートルズの真似したりしてて。
──ロックっていうものに最初に触れたのがビートルズになるんですかね?
ロックっていうのは、多分その辺だと思う。ビートルズ〜グループ・サウンズみたいな感じ。
──そこからなんでパンクというものに移行していったんですか?
パンクはもう1976年に衝撃波で、全てチャラにされちゃったからね。
──それまで聴いてた音楽全部が?
うん。今日はずっと午前中からプログレばっかり聴いてたんだけど(笑)。それを全てチャラにされたのが1976年かな。パンクの直前ぐらいに、ブルー・オイスター・カルトとかパティ・スミスとかのニューヨークのロックを聴いてたから。
──パティ・スミスだとパンクの以前になるんですか。
パンクとして聴いてないわけよ。
──へぇー。じゃあパティ・スミスは、あとからパンクっていうカテゴライズをされた感じですか?
パンクっていうカテゴリーがあとで出てきちゃった感じ。ラモーンズとかテレヴィジョンとかも。パティ・スミスをブルー・オイスター・カルト経由で聴いてた。
──その辺がパンクの走りみたいな感じですかね?
パンクの前にニューヨークのアンダーグラウンドを聴いてて、それでラモーンズとかのわかりやすいパンクが出てきて。ちょうどパンクの前ってちょっと微妙なのよね。イギリスだとパブロックだけど、ドクター・フィールグッドみたいな。
──はいはい。イアン・デューリーとかもそんな感じですか?
イアン・デューリーはパブロックとは言われてなかったから、知らなかった。
──じゃあいわゆるビートルズみたいな普通のロックが衰退していって、パンクが出てくるまでの過渡期みたいな感じですかね?
そんな感じ。70年ぐらいから洋楽っていうのを真面目に聴くようになってて、ちょうど〈ウッドストック〉でロックが終わっちゃっていわゆるサイケの時代が来て。それで過渡期の時に、ニューヨークのアンダーグラウンド・ミュージックを聴いてみようっていうんで、ルー・リードとかブルー・オイスター・カルト聴いて、イギリスではドクター・フィールグッドがいてみたいな感じで。
──パンク以前に真面目にロックを聴き出して、アンダーグラウンドまで手が伸びていった感じですか。
田舎に住んでるからね。たぶん田舎に住んでるひとの方が、アンダーグラウンドとかに興味が深いわけ。東京に住んでると色んなものが手に入るから、そんなに聴きたいものっていうのに不自由しないけど、田舎に住んでると「これしかないぞ」的なところでね。
もう77年からはパンクしか聴いてない
──その辺りからレコード収集とか始めた感じですか?
レコード収集はもうプログレ時代から。
──プログレ時代っていうと、どのくらいの時期になるんですか?
73〜74年ぐらい? 中学校を卒業するぐらいからはもう集めてる。
──その頃からのレコードを、今も持ってるっていうことですよね?
あるある(笑)。映画で大石さんが映してくれた部屋に。
──あの凄い部屋ですね(笑)。宝の山ですねあそこ(笑)。
実はレコードはあんまり宝じゃなくてね。僕にとっては雑誌の方が宝なのよ。イギリスの音楽雑誌なんて手に入んないから。実家に行ったら、みんなが見たくてしょうがないパンクの時代のがあるんだけど。
──実家にもあるんですか? 素晴らしいですね! もういまの家を増築するしかないんじゃないですか(笑)? それで思い出したんですけど、TAYLOWさんってレコードを買った順番で並べてるんですか?
うん、買った順。
──そんな並べ方初めて聞きましたよ。
『超整理術』っていうビジネスマン向けの本があって、書類は常に最新のものを1番手前に出せっていう。偶然それと一緒だった(笑)。
──最初から買った順番で並べてたわけじゃないんですか?
いや、最初からそうで。
──ABC順とかじゃないんですね(笑)。
シングル盤はアルファベット順だけど、12インチのレコードは全部買った順。
──じゃあ、あの棚には買った順に並べられてるんですね。TAYLOWさん家のレコード棚見てるだけで2、3日潰せそうですよ(笑)。
JOJO広重(非常階段)がうちにきて、1日中見てたもん(笑)。
──わかりますそれ(笑)。それでパンクにハマっていって、もうパンクどっぷりになるわけじゃないですか。
もう77年からはパンクしか聴いてない。そっからの8年間、85年ぐらいまでは、メインはパンク。
──それでパンクが好きでロンドンに行こうと思ったんですか?
ロンドン行こうっていうのはその前からで、ロック好きになったときからだったんだけど、タイミングがちょうどパンクのときになってしまった。20歳にならないと海外旅行なんてちょっと無理じゃん。それで20歳になって78年に行った感じ。
──パンク・ムーヴメントが盛り上がっているときに、リアルタイムで現地に行って体験してきたってことですね。
まぁそうですね。
──行ったときに色んなバンド観るわけじゃないですか? それでどんなバンドに1番衝撃を受けたんですか?
最初に行ったときはそれほど観てなくて、2回目に行ったときに観たものに、本当に衝撃を受けたのがいっぱいある。2回目のときはもうWIRE観てビビって、D.A.F 観てビビって、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ観てビビって。もう観るバンド観るバンドが衝撃だった。
──2回目は何年ごろ行ったんですか?
1980年の2月から3月。
──またいい時期ですねぇ! ハードコアが出るちょっと前ぐらいですか?
1番若い子たちの中に、DISCHARGEって革ジャンに書いてる子がいたぐらい。メインはU.K. SUBSとKILLING JOKEだったね。KILLING JOKEもやってたんだけど、WIREと同じ日だったから行ってないけど。
──WIREが衝撃だったんですね。
本当に衝撃。たぶんあれ観たら、パンクだったら全員衝撃喰らうと思う。
他のバンドやってるひとよりは、ちょっと見方が冷たいかもしれない
──その当時の名古屋はシーンとしては、THE STAR CLUBだけがいた感じですか?
いやPVLNってバンドがいた。ウチらの初期の作品はヒコスタジオってところで録音してるんだけど、そこの持ち主で原爆オナニーズの最初のベースのヒコちゃんがやってたバンド。
──その辺がいて原爆オナニーズをやろうってことになったんですか?
原爆はスタークラブを抜けた良次雄と大口(ミキオ)君が立ち上げたバンドで、僕そのときやってないもん。みんながマネージャーやってくれって言ってて(笑)。
──でもその辺のライヴにはよくいってたんですよね?
よくいってたっていうか、いじめにいってた(笑)。「もっとよくなる手はいっぱいあるのに、なんでこのひとたちはここで止まるんだろう?」って感じで。バンドってすごくいろんな伸び幅を持ってるんだけど、例えばヴォーカルのエゴが凄く出ちゃってると、ギター潰しちゃったりとかしちゃうから「ギターのひと伸ばすためにはこういう風なやり方あるよ」とか「ここでちゃんとベースを目立つように出すとグルーヴ感が変わるよ」とか「ドラムとヴォーカルの掛け合いみたいなところを、ヴォーカルがもうちょっと考えればもっとドラムが生きるよ」とか、それぞれの持ち分のところをこういう風にやったほうがいいみたいなところを結構話してた。それはいまでもどんなバンドにも同じようには言ってるんだけど。
──TAYLOWさんはまだそのときバンドやってないですよね?
うん、やってない。マネージャー的なことやってくれって最初言われたから。どっちかって言ったら裏方のほう。
──プロデューサー的な? やってなくてそれって凄くないですか?
うん、そう。バンドってやってる4人って、自分じゃわかんないから。「俺の出してる音についてこい」みたいになっちゃって他のひとを見ないじゃん。特にヴォーカルやってると1番よくわかるんだけど「俺が全部引っ張ってったるから、お前ら全員ついてこい!」みたいなところあるわけじゃん? それやってると、結局エゴがぶつかるだけでバンドって成り立たないから。
──わかります。ひとりで突っ走って気付かないっていうのはよくありますね。
他のバンドやってるひとよりは、ちょっと見方が冷たいかもしれない。
──冷たいっていうか、自分がやっているバンドなのに客観的に見れている感じがするんですよ。それってなかなか珍しいと思って。バンドをやってる人間がこの映画を観ると、自分のバンドとは全然違うやり方ではあるし、俯瞰的、客観的な見方でバンドというものの在り方が凄くよくわかって「なるほどなぁ」って関心することが多いと思いす。
その辺観てもらいたいところではあるもんね。「バンドやってる人間じゃないとわかんないところ」っていうのを、大石さんが上手に撮ってくれてるからね。
「スタークラブ辞めたいんだけど、どうしたらいい?」って(笑)。
──俺が昔、若い頃からやってたバンドにも、TAYLOWさんのようにプロデューサー的な感覚のあるメンバーがいたんですよ。でも自分の意向に突っ走りすぎちゃうんで、TAYLOWさんのような俯瞰的な見方ができないというか。その違いから考えると、原爆って、なんか最初から大人の感じがしますね。
最初の段階で、解散したバンドを組み直してやってるバンドだから。
──TAYLOWさんがまとめて「こうしよう」みたいなプランがあって始めたバンドなんですか?
僕は最初、お付き合いでスタジオ入っただけみたいな感じだもん。向こうはマネージャーやって欲しいわけだから。
──映画でEDDIEさんが言うには、TAYLOWさんが「俺ヴォーカルやるよ」的なことを言ったとか。
最初スタジオで見てて「俺ヴォーカルやったほうがいいかなぁ」って。我が強いひとばっかりだったから(笑)。「俺が歌う」って言い出したら、そこでみんなちょっとだけ引くわけじゃん。
──中和剤的な?
そのつもりだったんだけどね(笑)。
──そのつもりが、どんどん中心人物になって行く(笑)。
まぁメンバーが変わってっちゃったからね。
──EDDIEさんとはずっと一緒ですもんね。
EDDIEもスタークラブ辞めて入ってきたわけだから。HIKAGE以外のスタークラブの人間3人とも引っ張っちゃったからね(笑)。だから最初のメンバーなら、HIKAGEの代わりに僕がスタークラブに入るとこうなるみたいな。初期原爆はまるっきりそういうことだと思うよ。
──俺は聴いてて、全然原爆は原爆なんですけどね。
そこが個性の違うところじゃない? スタークラブっていうのは、EDDIEと良次雄と大口君とHIKAGEのときも、バックのサウンドに対してヴォーカルは今のHIKAGEのスタイルでちゃんと歌ってるからかなり違ってて、そのヴォーカルが僕に変わると原爆オナニーズの音になったっていう。スタークラブの1stアルバムのギターはヒコちゃんだから、本当に原爆オナニーズになってる。
──それが82年?
82年。80年の夏にみんなスタークラブ一回抜けてるから。その時にみんなから電話があって「スタークラブ辞めたいんだけど、どうしたらいい?」って(笑)。
──すでにマネージャー的だったんですね(笑)。みんなの相談役じゃないっすかそれ(笑)。
そのときがちょうど会社入ったときで、バンドやってられないから「まだバンドやれない」って言ったんだけど、すぐ最初のメンバーたちで原爆オナニーズの最初のフォーマット作ってやり始めた。それはすぐ解散しちゃって。半年ぐらいしかもたなかったかな?
──それが81年ぐらい?
そう。81年にそうなって、みんなでNEURONっていうちょっとアヴァンギャルドなバンドを始めて、1曲が20分ぐらいの曲やってたのよ。ベースにトコ、キーボードにBUKKAがいて、大口君と良次雄で、ドラム・マシーンで正確なリズムに色んなものを合わせていく、っていうのをやってたから。そこにEDDIEがスタークラブ辞めて入ってきて、良次雄に「原爆オナニーズみたいなのもう1回やらない?」って言い出したのね。ポップなフォーマットのものをやろうと。
──じゃあthe原爆オナニーズで、まるっきり違うことをやり始めたんですね。
EDDIEがそこでポップなバンドをやりたかったっていうのがあるんじゃない?
──NEURONと比べたらですよね?
まぁね(笑)。ウチらはノイズと音の丁々発止が楽しかっただけだから。
──それが2回目のロンドン帰ってきてからですか?
うん。帰ってきて会社入って、12月から1月の冬休み使って。そのあとまた3度目に行ったときに、そういうアヴァンギャルドなやつをいっぱい観てきて「こういうやつやりたいよ」って言ったら、原爆やってた良次雄と大口君がちょうどそういう感じの音に移行してたから、タイミングがバッチリ合ってた。それで大口君と良次雄、トコと僕にリズムマシーンで第二期NEURONを始めた。
──本場の生で体験してきたTAYLOWさんがいれば、まぁ無敵ですよね。
そういう音楽っていうのを理解しているひとたちがいる、っていうのが一番強いよね。特に大口君は凄かった(笑)。
──やりたいものがあったとしても、実際に観てきたTAYLOWさんがいるわけで、実際のものと想像っていうのはギャップがあると思うんですよね。その間が埋まって行って音が出来上がって行くって感じだったんですかね?
それはあるかもしれないけど、たぶん良次雄の感覚の鋭いところがあると思う。大口君と良次雄は色んなところで引っ張っていってくれるからね。ミーティングのほうが練習より長いバンドで、練習1時間やるとミーティング3時間ぐらい? それで「次の週までにこの本を読んでこい」みたいな(笑)。
──本?
「NEURONっていうバンド名はこういう発想だから」っていうので脳科学の本を来週までに読んできなさいって感じで。まぁ大口君が実質的なリーダーだったしね。
──じゃあNEURONは、考えありきで音を出すみたいな感じのバンドだったんですか?
まぁ両方ある。「同時進行じゃないとそういうことできませんよ」みたいな。
──原爆オナニーズは凄い母体ですね。それはちょっと、原爆になって出ている音からは想像つかないですね。
みんなが「スタークラブじゃないことをやりたい」ってことだったから。
──スタークラブのメンバーだったひとなのでそれはあると思うんですけど、名古屋のアンダーグラウンド・シーン的にも、当時「スタークラブじゃないことを」みたいな感じはあったんですか?
僕はどっちかっていうと、ノイズっぽい方のフリー・ジャズ系のシーンに足が入ってたから。その辺のひとたちとは仲よかったし、そういうひとたちから色んな話を聞いてて。80年ぐらいって、ロックンロールじゃないパンクっていうのがちょうど出てきた時代だからさ。パンクを知ることによって、新たな表現方法を知った世代っていうのが、海外でも日本でもちょうど1番いろいろ出てきたとき。自分の知っているところに近い音楽をやってるひとがいっぱいいた感じだね。
第2回はこちら
編集 : 高木理太
音源はこちらで配信中
PROFILE
the原爆オナニーズ
TAYLOW(vox)
EDDIE(bass guitar,vox)
JOHNNY(drums)
SHINOBU(guitar)
日本を代表するパンクバンド〈the原爆オナニーズ〉。 1982年、名古屋で〈THE STAR CLUB〉に在籍していたEDDIEと地元のパンク博士とも言えるTAYLOWを中心に結成。2020年キャリア初のドキュメンタリー映画『JUST ANOTHER』公開。
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