「音質の行方 vol.1」オノセイゲン氏インタビュー

2010年8月、OTOTOYで世界に先駆けて清水靖晃+渋谷慶一郎『FELT』のDSD配信が始まって約1年。その後『原田郁子+高木正勝』や『坂本龍一 NHK session』等のサウンド&レコーディング・シリーズ、Date Course Pentagon Royal GardenやSPENCER等もDSDでのライヴ・レコーディングに挑戦し、DSDサウンドの可能性を示した。またe-onkyoでもDSDの配信が始まったり、OTOTOYのオリジナル企画として『DSDを様々なスピーカーで聴き比べてみよう』を行い、DSDを実際に様々なスピーカーやヘッドフォンで聞いてみるオープン講座を行い好評を博した。配信を使えば、圧縮されていない、スタジオで録音したそのままの、CD以上の音質を届けることが出来る。そんな素晴らしい未来が待っていることに誰もが気づき始めた頃、そしてDSD配信のスタートから1年、DSDレコーディングの先駆者と言っても過言ではないSaidera Recordsのオノセイゲンを迎えての新企画『音質の行方』を発表したいと想う。オノセイゲンのDSDとの出会い、現在の音質について、そして未来の音質について、とてもとても詳しく語ってもらった。本稿は、日本の音質発展の大切な記録である。

インタビュー&文 : 飯田 仁一郎


Saidera Recordsからリリースされたオノセイゲンの過去作品を一斉配信開始!!

Seigen Ono
Amazon Forest Morning

配信形態
1) DSD+mp3>>DSDの聴き方はこちら
2) HQD (24bit/48kHz)
3) wav (16bit/44.1kHz)

フィールド・レコーディング時の模様を収めたデジタル・ブックレット付き。




Seigen Ono
Amazon Forest Evening

配信形態
1) DSD+mp3>>DSDの聴き方はこちら
2) HQD (24bit/48kHz)
3) wav (16bit/44.1kHz)

フィールド・レコーディング時の模様を収めたデジタル・ブックレット付き。


Seigen Ono
Berliner Nachte

配信形態
1) DSD+mp3>>DSDの聴き方はこちら
2) HQD (24bit/48kHz)
3) wav (16bit/44.1kHz)

ライナーノーツはこちら



Seigen Ono
Bar del Mattatoio

配信形態
1) DSD+mp3>>DSDの聴き方はこちら
2) HQD (24bit/48kHz)
3) wav (16bit/44.1kHz)

配信形態
DSD+mp3、HQD ver.のライナーノーツはこちら
WAV ver.のライナーノーツはこちら



Seigen Ono Ensemble
Seigen Ono Ensemble Montreux 93/94

配信形態
1) DSD+mp3>>DSDの聴き方はこちら
2) HQD (24bit/48kHz)
3) wav (16bit/44.1kHz)

ライナーノーツはこちら



Seigen Ono
NekonoTopia NekonoMania

配信形態
1) DSD+mp3>>DSDの聴き方はこちら
2) HQD (24bit/48kHz)
3) wav (16bit/44.1kHz)

ライナーノーツはこちら

まず自分自身に問いかけてみましょうか、「自分の好きな音楽」があるかどうか。

ーーセイゲンさんがレコーディングの現場に入り始めたのはいつ頃からですか?

私が現場に入ったのは1978年。ちょうど、アナログ・マルチトラック・レコーダーが16トラックから24トラックに移行する時期でした。2年間だけでしたが、音響ハウス(老舗レコーディングスタジオ)の社員、つまりアシスタントとして一生懸命に働いて、無謀にもそのあとすぐフリーランスになったんです。唯一、アシスタント・エンジニアとしてクレジットしてもらったのは、ユーミンの、『SURF&SNOW』(1980年12月1日発売)です。名盤ですよね。

ーーアナログからデジタルへ移り変わる時期ですね。

82年にCDが登場してからの80年代というのは、まだまだアナログの2インチ・テープでのマルチ・トラック・レコーディングが主流でした。そして、トレヴァー・ホーンがアート・オブ・ノイズとか、いわゆるサンプリングという手法が始まったばかりで、フェアライトやシンクラビアも登場してきた。それは、その後DAW(Digital Audio Workstation)へと発展していくわけですけど。アナログと始まったばかりのデジタルの両方が現場にありました。

オノ セイゲン

ーー歴史ありですね。

確かに。私の30年の経験は、そのままアナログからデジタルへの変換の時代でした。せっかくなのでレコーディングの歴史をちょっとさらっておきましょう。1857年レオン・スコット、1877年シャルル・クロスやエジソンの蓄音機に始まり、1887年ベルリナーの「グラモフォン」(円盤式蓄音機)が登場。1898年、ヴァルデマール・ポールセンの「テレグラフォン」(ワイヤー磁気レコーダー)が登場。その後、磁気テープ録音へと発展し現在に至るわけです。ここまでテープ・レコーダーの歴史はずっとアナログで欧米の技術ですが、なんと! 実は、1969年5月に、当時のNHK総合技術研究所の中嶋平太郎さんの研究チームがデジタル・ステレオ録音による公開再生デモを行っています。その開発グループ・メンバーには、林謙二、穴澤健明、山崎芳男、中河原喬一(敬称略)という、今もバリバリの研究者先生方です。その後、中嶋さんはソニーで当時秘密だったプロジェクトを立ち上げて、それがフィリップスとソニー共同開発のCDに至るわけです。山崎先生のところには、世界最先端のレコーダーがあります。公開されないだけで企業にも秘密であるかもしれませんが。大事な点は、DSDはもちろん、デジタル・レコーディングとは日本で始まった技術であること!

ーーそうなんですね。

そう。日本の技術なんです。すごいんですよ。1982年に世界初のCDプレーヤーもCDも日本から発売が始まった。ソニーとフィリップスがCDという規格を作ったんだけど、その製品化はすべて日本が先行してたんですよ。デジタルの初期の天才エンジニアはみんな日本人なんです。

ーーなるほど。その時期にフリーランスになられて良かった事はありましたか?

今、振り返ってみれば、23才でフリーランスって無謀ですねー。何も目標とか計画なんか持ってなかった。が、今思えば、非常にラッキーだった。まず、当時のレコード会社のスタジオというのは、そのメーカーの録音課に所属するミキサーでないと使用させてもらえないのが当たり前だったのに、そこにアーティストの指名エンジニアということで入れたんです。しかもゲスト・エンジニアだから、同年代か少しだけ先輩がアシストしてくれたりね。感謝しないといけないことは、メーカーのベテランのエンジニアが「オノくん、これね… 」とレンタル・スタジオにないような最新の機材や、ベテランならではのマイキングなんかも全部見せてくれたことです。これは勉強になりました。。アナログの24トラック・レコーダー2台をシンクロさせて48トラックにしたりとか。で、コロンビア、キング、ソニー、テイチク、ビクター、メーカーによりそれぞれ社風というか、録音課の流儀みたいなのもあるんだよね。音楽ジャンルにニューウェーブと言われるもの、実験的なのがいっぱい出てきた時期で、ゲート・エコーとか、サンプラーとかどんどん新機種が登場してくるわけ。プロトタイプや、コロンビアの録音スタジオだけにあったもの、ビクターだけにあったものをフリーランスだったので、どれも使う機会があったんです。フリーランスになって初めてクレジットされたアルバムは、坂本龍一さんのサントラ『戦場のメリークリスマス』。こんな重大なプロジェクトに関われたのは名誉なことです。

ーーそしてデジタル・レコーダーの登場ですね。

コロンビアなんか穴澤さんが中心になって、たしか82年の段階で、LPくらいの大きさのハードディスクが16枚連なって、その両面にヘッドがついていて、4トラックのランダム・アクセスができる編集機があったんですよ。それって画期的なことだったんです。名前を忘れましたがUマチックのビデオ・テープ・ベースのステレオ・マスター・レコーダーもあったし。ソニーが「PCM-1600」を出した頃かな。CDのマスターになる2トラック・デジタル・レコーダー。で、日本ビクターは桑岡さんだと思うのですが「DAS-90」、「DAS-900」っていう独自のテープ・レコーダーを作っていたんです。それもCDのマスターになる。

ーーここでも歴史ありですね〜。

その頃、自分自身で音楽制作をはじめていて、それも知らないがために無謀ですね。84年に日本ビクターのVHDというビデオ・ディスクのプロジェクトを手掛けて、その音楽部分だけを別の編集をして、ビクター音産の洋楽部から『SEIGEN』というファースト・アルバムをリリースしたんです。青山スタジオでほとんどを録音して始まったばかりのCD、そして小徹さんにカッティングしてもらったヴァイナルのLP、カセット、そしてVHDと4つの異なるフォーマットで、LPとカセットはA面B面とあるから、それぞれ曲順も違う。マスターは確か「DAS-900」を使ったかな。ビクター・スタジオにもついに最初のソニーの「PCM-3324」という24トラックのデジタル・マルチトラック・レコーダーが入ったタイミングだった。ソニーとビクターはライバルで、ソニーの「PCM-3324」が普及してきた頃に、それを青山のビクター・スタジオに、ソニーのブランドだけど入れる、入れられないとか、議論がありましたね。結局、標準化でソニーの「PCM-3324」「PCM-3348」は、どこのスタジオにも入ることになったんですが。それとSSLのコンソール。その2つがないとレンタル・スタジオはお客さんが来ない。3Mや三菱の「X-80」「X-800」は素晴らしい音だったんですが、消えていってしまいましたね。その後「PCM-3324」から「PCM-3348」になって、「PCM-3348HR」と24ビットに進化していったんですね。

ーーHR?

ハイレゾリューション。「PCM-3348HR」は高価なレコーダーでしたよ。リモート・コントロールも人間工学的考察がはいったかどうか、すごく使いやすかった。サンプラー機能までついていて、音をコピーしたり貼付けたりできたんです。まあそうなるとハードディスクでレコーディングをするというのが、プロの現場でも始まりました。80年代後半から90年代前半にかけて、各メーカーが一挙にいろんなものを作りはじめた。「PCM-3348HR」のリモコンでテープではなくハードディスクのものもヨーロッパで試作したらしいですが、表には出てきませんでしたね。惜しいことをした。まあ、いずれにしてもPCMというのは、その器に収まるようにデルタシグマの信号を時間軸に対して間引いていったデータです。写真でも元のデータは大きいけど、メールに添付するにはサイズを小さくするじゃないですか。それは決して印刷に耐えられるデータにはなり得ない。つまりCDとは画素数をすごく落としたサムネイル画像のようなものです。その当時はそれでないと記録出来るメディアがなかった。当時と現在のハードディスクやメモリーの価格の違いを比べても一目瞭然ですが、当時は1テラのハードディスクなんてなかった。早稲田大学の山崎芳男先生は、ずいぶん前から間引きしないデータを全部取りこぼさず録る高速1ビット符号方式を提案し、すすめていたんです。