「森は生きている」解散後、ソロへの挑戦で打ち砕かれた傲りや自信

見汐:岡田くんは本は好きですか?よく読む方ですか?
岡田:小学生の頃まではあまり得意じゃなかったです。中学生の頃、授業中にじっと話を聞くのが苦手で退屈していて。こっそり絵を描いたり、先生に怒られずに他のことをする方法を探しているうちに、文庫本なら小さいから教科書に挟んでバレずに読めることに気づいて。本はそこから読むようになりました。
見汐:どういうのを読んでいたの?
岡田:その時、最初に買った小説は村上龍と村上春樹でしたね。
本屋さんで講談社の黄色い背表紙をぼーっと眺めていたら、『ノルウェイの森』が目に留まって。ビートルズの曲で知っていたから手に取ったんです。それが村上春樹で、その隣に似た名前の作家で『限りなく透明に近いブルー』を見つけて。タイトルに惹かれて裏表紙を見たら、当時僕が住んでいた福生の話だったんですよ。最初に手に取ったのがこの2冊だったのは、今思うとすごくいいチョイスだったなと思いますね。彼らの本には、ドアーズやウェス・モンゴメリーみたいな固有名詞がストーリーの中で度々登場します。自分とは世代は違えど、近しい文化圏にいる新しい友達のような親しみを彼らの本に感じることが出来て、それ故に本が読み進められるようになっていきました。本を読む習慣が付く前に三島由紀夫とかを手に取ってたら多分辛くて今頃一冊の本もない部屋に住むことになっていたと思う(笑)。
見汐:その2冊の本から、どんなことを感じたか覚えてますか?
岡田:『ノルウェイの森』は人によってはキッチンの前を延々にうろうろしているだけの話のように感じられるかもしれないけど、ほとんど何も語らずウダウダしているような登場人物でも内側ではすごく複雑な思考や感情の動きがあるわけで。僕は中学2、3年生くらいのときに読んで、「うまく言葉にできないけどたしかにある“この感覚”」というものに初めて自覚的になったように思います。
村上春樹がそういう内面に潜るタイプだとしたら、村上龍は外に向かうエネルギーに満ちた人のように感じていました。戦車で森を突き抜けて木を薙ぎ倒すような、外へ向かう凄まじいパワーがあると言いますか。とはいえ龍にもナイーブな側面も感じ取れますが、大きくみた時の両極の感覚的なエネルギーを同時期に体感し考えを巡らす基礎体験ができたのは良いことだったと思っています。
見汐:自身の内省的な部分に意識的になっていくきっかけだったんでしょうか?
岡田:小さい子供のころって真っ暗な部屋で天井を見つめながら果てしない宇宙について考えたり、死んだらどうなるんだろうって考えて怖くなって眠れなくなったりしたじゃないですか。そういうことがこの2冊の具体的なストーリーラインというわけではないですけど、そういう漠然とした問いを考えること自体が「読書」という行為に含まれていて、そう考えているのは自分だけじゃないと知った感じですかね。

見汐:私が岡田くんを知ったのが「森は生きている」だったんですが、最初はバンドのギター担当の人だと認識していたの。その後ソロやサポート、プロデューサーなど含め、音楽を通して人や社会と関わるなかで「大人になったな」と思う瞬間ってありましたか?
岡田:森は生きているは、21〜22歳の大学在学中にやっていたんですよ。「レコード好きの人が聴いてくれるだろうな」と思っていたくらいで、あんなに反響があるとは思ってなくて。
就活もせずにアルバムを作って、2枚目『グッド・ナイト』(2014年)はPro Toolsで自分でミックスもしてました。大学はちゃんと卒業したけど「音楽で生きていく」なんて意気込みも特になくて、上京という概念のない東京出身特有の「このままなんとなく続いていくんだろう」という感覚で。でも卒業と同時にバンドが急にうまくいかなくなってしまって。
シーンが待ち望んだ初アルバム、その象徴的マスターピース
スマッシュ・ヒットから1年、高い完成度を誇るラスト・アルバム
見汐:そのとき解散したの?
岡田:解散は2015年ですね。自分はまだ続けたかったけど、みんなが就職して働いていたり、それぞれの生活がある中で僕はバイトをしながら自分で音楽の勉強をして過ごしていて。本当にいつでも音楽のことを考えていました。はじめはレコード好きが集まった仲間だったけど、次第に熱量の差が出てきて足並みが揃わなくなってきちゃったんですよね。当時はそうした状況の乗り越え方も、伝え方も分からなかったし、メンバーも元々全員年上の先輩たちでしたが、「なんで自発的に曲作らないんですか? なぜ音楽をやってるか考えたりしますか?」みたいな詰め方も本当によくなくて(笑)。どんどん関係がいびつになっていってしまった。
見汐:あぁ……、最初は純粋な動機の元に集まっているのに、環境や足並みが変わるとズレが出てくるよね。
岡田:そうなんです。そんなこんなで、大学卒業して1年も経たないでバンドは解散しました。それで僕は楽器もいろいろできたし、ミックスも編集もその時すでにまあまあやってたから、「じゃあひとりで作ろう!」と思ったらそれが全然作れなくて。そこで一度ちゃんと挫折しました。24〜25歳のころですね。
見汐:その経験は(自身にとって)大きかった?
岡田:そうですね。バンドの解散自体よりも、「ひとりでできる」と思ってやったら全然できなかったことが挫折だったんですよね。若かったから心のどこかでバンドもどこか自分一人の力が牽引していると勘違いしている部分も少なからずあったと思いますがそんなの傲りで、若さゆえの根拠のない自信は、粉々というか粉になるまで打ち砕かれました。薄々気づいてはいたけどちゃんと天才じゃなかった……(笑)。それで本当にどうしようもなくなってしまって前に関わってた人に「助けてください」って頭を下げにいったりして。とはいえ当時はバイトをしながら生きるだけで精一杯で、「なぜうまくいかなかったか」をちゃんと振り返る余裕もなくて。
見汐:相手に頭を下げれるって、自分の至らぬ部分を認識しないとできないし、相手への尊敬もないと出来ないことだと思うから、当たり前だと思われていることほど素直にできることは大人ですよ。
岡田:はい、と言っても、本当にそう思えるようになったのは最近ようやくという感じかもしれません。人と話しながら音楽作れるようになったのもここ数年ですね。コロナ禍で急に時間ができて、ようやく過去と向き合えた気がします。
みんな30歳手前でそういう経験をすると思うけど、僕は早くからバンドをはじめたおかげで、その問題が早く訪れた感じです。
見汐:結果的に過去の出来事を肯定できるようになる未来……今を自分で作ってきたんですもんね。
岡田:自分でどうにかよくしていかないと生きていけないですからねぇ。




























































































































