過ぎ去ったもののなかに忘れてきたものを見つけたとき、心が躍る──見汐麻衣インタヴュー
13年間活動を続けたバンド、埋火を2014年に解散して以降、ソロ・プロジェクト、MANNERSやMai Mishio with Goodfellasとして活動を続けてきたシンガー・ソングライター、見汐麻衣。2023年は「夏の顔たち」、「短い手紙」、「無意味な電話」の3枚のシングルと、自身初となるエッセイ集『もう一度 猫と暮らしたい』を発表した。彼女の作品に通じるのは、時間の干潟のなかから「物事の澱」を見つけだすこと。「いまこうやって話をしながらあなたの着ている服を見ていると、祖父母の家にあった玉暖簾を思い出したりしちゃうんですよ」。“いま”目の前で起こることすべてが記憶と対峙するきっかけとなり、彼女にペンを握らせる。彼女は記憶とどのような付き合いかたをしているのか? 「そもそも私は人同士がわかり合えると思ってない」と朗らかに語る彼女の頭のなかを少しでもいいからのぞいてみたいと思う。
見汐麻衣、3作のシングルと初となるエッセイ集をリリース
見汐麻衣 エッセイ集『もう一度 猫と暮らしたい』
暮らしの中のなんの変哲もない日々のことや、台所にて思い耽ることや、家族のこと。 偶然出会った名前も知らない人たちとの会話や日々の些事......。彼女が丁寧に繋ぐ言葉 によってリズムが生まれ、物語が紡ぎ出された35篇のエッセイを収録。 推薦文を小泉今日子さん、巻末にノンフィクションライター橋本倫史氏による寄稿エッセイも収録。
著者 : 見汐麻衣
仕様 : 四六判 変形 上製本 192ページ
装画・デザイン : 横山雄
編集:花井優太(Source McCartney)
価格 : 2,000円(税込)
発売日 : 2023年5月27日(土)
発売元 : Lemon House Inc.(田代貴之)
URL : https://www.lemonhouse.jp
INTERVIEW : 見汐麻衣
私が見汐麻衣さんを知ったのは2011年の初夏だったと記憶している。当時の私は思春期特有の飽くなき知的欲求を爆発させ、心躍らせる音楽との出会いを求めてよなよなネット・サーフィンに夢中になっていた。そんなある日、ひとつの動画と出会った。がやがやとした居酒屋のようなところの一角で、ひとりの女性がアコースティック・ギターを抱えて歌っていた。見汐さんである。カメラの外にいるお客さんと笑い合い、華奢な身体を左右にゆらしながら凛とした声で歌う姿と朴訥な歌詞とメロディに、一瞬で心をつかまれた。「あなたが探していたのはこれだよ」と、知りたかった答えのひとつを提示してくれたかのような、ハッとさせるものがあった。ライヴもたくさん足を運んだし、見汐さんを好きなことがきっかけで話がはずみ、人と仲良くなったことも何度かある。ずっと変わらず好きなミュージシャンだ。
ときは経ち2023年10月、とあるライヴの終演後に喫煙所でボーッと余韻に浸っていたところ、ふと隣を見るとそこには見汐さんの姿が。気づいたときにはもう話しかけていた。わーっと一方的に話して、インタヴューさせてくださいと頼んでいた。いま思い返すとかなり気持ち悪い人だったと思う。でも見汐さんは落ち着いた様子で応じてくれて、インタヴューも引き受けてくれた。かっこよくて、お茶目でかわいらしくて、自分の大事にすべきものを知っている見汐さんは私にとって憧れでもある。見汐さんというひとりの人間の、過ぎていく日々への眼差しの奥深さに触れると、生きているうちの時間の味わいかたは無限にあることを思い出し、嬉しくなる。つたない進行役となってしまったが、見汐さんの魅力がたっぷりと詰まったインタヴューをぜひ読んでほしい。
取材・文 : 石川幸穂
写真 : 西村 満
自分のなかでおもしろがれる要素を見つけて、それが発露となって作った3枚
──今年発表された3枚のシングル「夏の顔たち」「短い手紙」「無意味な電話」と、エッセイ集『もう一度 猫と暮らしたい』に関してお訊きします。まずはシングル3枚ですが、今回このような3作連続でのリリース形態になった経緯を教えてください。
見汐麻衣(以下、見汐) : コロナ以降家でずっとアルバムの曲を作ってたんですけど、それがなかなか思うように進まなくて。それとは別にアルバムの曲だとか意識せずに作っていた曲があって。そっちは結構コンスタントにできていて、だったらこれはシングルで出したほうがいいなと思って。本当になにも考えずにアルバムの曲とは別に作っていた曲が今回のシングルになっています。
──シングルそれぞれに架空の「化粧品CMの依頼がきた」とか「ドラマのエンディング曲のオファーがきた」とか、テーマを想像されながら作ったそうですが、具体的にどんなイメージで作られたのでしょうか。
見汐 : 自分が小学生だったころ、1980年代半ばから1990年代前半のTVドラマやコマーシャルにはその時代のムードというのがよく出ていると思っていて。自分に染み付いている当時の雰囲気を思い出しながら作業してました。具体的なものがあるわけではなく、作業するときのひとつのきっかけとして、自分のなかでおもしろがれる要素を見つけて、それが発露となって作っていくというような感じです。
──7月にリリースされた「夏の顔たち」の“夏の顔たち”とはなんだろうと気になりました。個人的には生き物のような意識を持ったなにかの気配を感じて、夏というところでお盆もあるから先祖の霊なんかも連想したのですが……。
見汐 : 今回の3曲を作っている時期、人が死ぬことや別離、死んだ人が意図して残したものとか、そういうことばかり考えていたので、テーマになっていると思います。歌詞はいつも最後に考えるんですけど、自分にとっては感覚的にしか行えない作業で。イメージしたものを掴める一瞬があって、掴み損ねてしまうとなにもできなくなってしまうので掴めたらそれを極力掴んだまま書いていく。徐々に歌詞の全体が見えてくるとこの曲はそういうことだったんだなとか、最終的に完成してイメージが具体化したとき自分でも理解できるんです。最初から歌詞を書く上で物語ができていることもありますが、それは本当に稀です。
──「夏の顔たち」の歌詞のなかからひとつ切り抜くとしたらどこを取りますか?
見汐 : タイトルがすべてかなと思います。歌詞のなかにパンチラインが欲しいとはつねづね思うけど、そう思ったからといって書けるものではないので。タイトルをどうするかは、昔よりも真剣に考えるようになりました。その意識の部分も含めると、やっぱりタイトルがすべてかな。すべてというか、最後まで悩むポイントですね。
──9月にリリースされた2枚目の「短い手紙」では、「あなたのこと声から / 忘れていくの」という歌詞が印象的でした。
見汐 : 前になにかの本で読んだのですが、人は最初に声から忘れていくらしいんですよ。思い出せなくなると言ったほうがいいのかな。その人との思い出は残された側の人たちの記憶にはあるけど、その人の声は思い出そうとしてもすぐに思い出せなくなっていくらしいです。声を使う仕事をする人は声が作品として、アーカイブとして残るじゃないですか。昔はそれが「すごくいいな、素敵なことね」と思っていたんですけど、最近は後ろ髪を引かれるというか、自分が作ったものをこの世にいろいろ残していっちゃうのなんとなく野暮だなとも思っています。
──残すことに違和感があるというか。
見汐 : 普通に暮らしてたら自分の声を録音することってそうそうないじゃないですか。相手になにかを伝えるための言葉を声にのせて、その場で消えていくものだから。
──「短い手紙」は50年代女性コーラス・グループ、ドゥーワップの楽曲から着想を得たとのことでした。
見汐 : ペンギンズとかフレッド・パリス&ザ・サテンズとか、マクガイヤー・シスターズとか、詳しくはないけど好きで聴いていて。あとシンプルで曲が3分程度と短くてコーラスが入ったポップスが結局好きなんですよね。
──11月にリリースされた3枚目の「無意味な電話」は当初朗読の予定だったそうですが、どのように変化していったのでしょうか。
見汐 : 仮デモをひとりで作っている段階で、ブリジット・フォンテーヌの“ラジオのように”という曲の語るようにうたう感じがいいなと思っていたんです。でもそのあといろいろ試していくなかでいまの形に落ち着きました。シングルで出すことが決まってスタジオでみんなでアレンジの微調整をしていたときに、もっといろいろ試せる曲だけどシングルだし、今回はこの形がいちばんいいんじゃないかしら、ということでこうなりました。
──「無意味な電話」での見汐さんの少し湿り気を含んだヴォーカルが、楽曲のインスピレーションにもなったというガブリエル・オロスコの『ピアノの上の息』という作品ととてもリンクしているように感じました。あの作品の雰囲気は、なんて言ったらいいんでしょうね……。
見汐 : 名残りというか残存というのか……、例えばいまこの部屋でみんなこうやってここにいて、一度部屋から出て5分後に自分だけ部屋に戻ったときに、その部屋に気配だけ残ってる感じってあるじゃないですか。温度だったり残り香だったりにその人の何か重要な部分が残っていて見落としているものがあるんじゃないかっていう興味がなぜか小さいころからあるんですよね。そういうのも関係してるのかもしれないです。
──曲の作りかたとしてはどんなふうに作っていったのでしょうか。
見汐 : 基本はアレンジまで含め全部自分で作って、8~9割完成した青写真のようなものをメンバーに聴いてもらって。それからスタジオでみんなでアレンジの微調整をしていきます。ドラムの光永さんや鍵盤の坂口くんはアイデアをいろいろ出してくれたりするので、その場でアレンジを変えることも多々ありますね。なので最終的にはバンドで作ってるんじゃないかなとは思ってます。音楽を作る上で私はプロデューサーがいてほしいと思うんですけど、いまのメンバーとはディスカッションすることが多いので、そういうプロデューサー的な役割を担ってくれているのかなと思っています。ありがたいです。